7.31b |
この仕事を始めてしばらくしてお伺いした上場会社の社長は、60歳に
なったら社長を辞めると常々言っていた。
その社長は創業者で、一代で築いた会社だから、そんなことはしない
だろうとみんなは思っていたが、60歳になると、あっさりと身を引い
てしまった。
それも代表権さえも放棄して、生え抜きの社員に社長の座を譲ってしま
ったのだ。
そしてその社長がもっと凄いのは、兄弟とか子供とかいう身内を、一切
社内に入れなかったことである。
身内を会社に入れると、社員がそっちに気を遣うから、組織がダメにな
ると言っていた。
それに比べて「ビックモーター」の酷いこと。社員の人たちが気の毒だ。 |
7.31a |
「水月」 |
7.30b |
朝は6時から8時過ぎまで、9時になるともう暑くなって
しまう。
夕方は16時から18時半を目安にして、それからウォー
キングに出かける。
連日このサイクルで野良に出て、できるだけのことはやっ
た。
畑はほとんど雑草がない状態で、田んぼの畦や土手は、秋
までにもう一度刈ればいいだろう。 |
7.30a |
「平安の紅」
朝顔の花は、一日だけの命です。 |
7.29 |
鉢植えの朝顔が咲きました。
朝顔は、本当は「京風数咲き」に挑戦したはずだけれど、
思ったように成長してくれなくて、教科書どおりに整枝を
するには至らなかった。
だからこのように、一輪しか咲いてくれません。
これは「平安の輝」という種類で、それ以外のものも続々
と咲いてくれると思うのですが、来週は自宅にいられない
ので、ほとんどのものは見ることができそうにもありませ
ん。 |
7.28b |
お客さんの会社の役員の方が、ある
とき、「森田先生は、仕事がなくな
ったら困ると思わないのですか?」
と訊いてきた。
「いつ辞めてもいいですよ」とい
う、傲慢なまでのスタンスで仕事に
臨んでいるからだ。
この仕事を始めた頃は少しはそう思
ったけれど、幸いにもこの24年
間、そういった状態になることはな
かった。
何の職業にしても、プロならば緊張
感のある環境に身を置いていること
だろう。
それを乗り切るためには、最低限自
分を甘やかしてはいけないのだ。
最近は、もうその会社のお役に立
てないと思うと、みずから身を引く
ことが多い。 お客さんである企業の寄生虫にだけはなりたくない、これがプロとしてのプライドである。
|
7.28a |
宅地が広いというのも考えもので、雑草が生い茂ってこんな状態だ。
それをハンディタイプの草掻きで、1本1本土から浮かす。
そのままの状態にしておくと、夕立で土が湿ると枯れてくれないので、集めて堆肥にする。
ホームセンターに行くと、いろいろな種類の除草剤が山積みになっており、みんなそれを利用しているのだろう。
だけど、どう考えても除草剤が環境にやさしいはずがない。
だから身体が動くうちは、こつこつと庭の草を掻き取ります。
|
7.27b |
百日紅(さるすべり)の花が最盛期を迎えています。
「百日紅(ひゃくじつこう)」というのは、「約100日
間、ピンクの花を咲かせる」のが名前の由来だそうです。
背景の白い壁は車庫もので、その北側の風通しの悪いとこ
ろにあるから、あまり条件がいい場所だとはいえません。
そのせいか幹や枝はいつも病気がちです。
百日紅は、初冬以外の剪定が必要で、花殻を放置して実を
付けさせてしまうと、木の勢いが弱って翌年の開花に影響
してしまうので、花が咲き終わったあとの10月に一度目
の剪定をすればいいということですから、今年は実践して
みます。
|
7.27a |
この時期の長ネギの「葉切り」は、おばあさんの実家のお
ばさんから教わりました。
なぜ切ればいいのかという理由をネットで探したのですが、
どこにも説明は出てきませんでした。
ただ、葉っぱには「さび病」で茶色い斑点ができているの
で、それを新しいものに代えるという効果はあるかもしれ
ません。
毎年、長ネギ作りは上手くいかずに、これから枯れてしま
うものが出るのですが、今年はどうなるでしょうか? |
7.26b |
毎年、とのさまのお父さんが栽培したトウモロコシをいた
だいています。
私も、野菜作りに取り組んだ当初は作っていたけれど、ハ
クビシン対策として全面にネットを張らなければならない
ことや、アブラムシが湧きやすいことから、栽培をやめて
しまいました。
野菜作りは、コスト面から考えるとメリットはありません。
最近は身体がきつくて、それに伴い野菜作りに対する前向
きさも失われつつあります。 |
7.26a |
ベネッセが全国の小学生を対象に実
施したアンケートによると、夏休み
のラジオ体操に「参加する」と回答
したのは55.8%、「参加しない」
と回答したのは44.2%でした。
この地区も子供が減っているから、
参加者はこれだけの人数。
舜クンは5年生だけれど、年長だか
ら参加証にシールを貼る役目。
通学の日よりも早い時間に起きなけ
ればならないラジオ体操。
もう考え直してもいいと思う。 |
7.25b |
今朝は、早朝作業ができなかった。
目は覚めていたけれど、起き上がっていくだけの気力がな
かった。
そして子どもたちを送る時間には、もう太陽がジリジリと
照りつけている。
昨日は大きな土手の草刈りをしたけれど、急傾斜で移動式
の草刈り機は部分的にしか使えず、結局刈り取り機を使う
ことが多くなってしまった。
汗をびっしょり掻いて、そのあとタチアオイの処理をし
て、いつもどおりウォーキングに行った。
だから熱中症予備軍で、今日は何もする気が起きない。
|
7.25a |
小学校は今日が終業式。
中学校は一日遅れの明日が終業式です。
この夏は、私が家にいることが多いので、どこかに連れて行こうと思ったけれど、琉クンは連日の部活で、そし
て土曜日は記録会などでつぶれるため、私と「遊ぶ」時間など作れません。
|
7.24 |
アスター畑に植えたアスターの葉っぱに、蝉の抜け殻がつ
いているのを見つけました。
蝉の羽化は朝の早い時間に行われるから、なかなか見るこ
とができません。
こんなに小さい身体の蝉が、土の中から穴を掘って地上に
出てくるなんて凄いことです。
この夏、まだ蝉の鳴き声を聞いたことがないから、羽化し
た蝉たちは、今ごろ何をしているのでしょうか? |
7.23 |
今年も新日本プロレスの「G1クライマックス」が長野市
にやって来て、一年生になった柊弥クンが観戦デビューを
した。
どうせ見に行くのなら最前列にしようとしたのだが、一人
2枚という制限があったので、私とは別々の席になった。
私よりも選手情報が詳しい柊弥クン。
初めての経験だから終わりまで持つか心配していたけれ
ど、18時に始まった試合を2時間半、ずっと集中して拍
手と声援を送り続けていた。
自宅で動画配信を見ていた長女の話では、何回も映ってい
たたというから、明日見るのが楽しみです。 |
7.22b |
カーリング女子「ロコソラーレ」の藤澤
五月選手の、見た目の変化にネットがザ
ワついていた。
激やせし、ほどよい肉付きだった頬もこ
けてしまっていて、「誰か分からない」
という状態になってしまっている。
その答えが出たのは、今日、茨城県水戸
市で開催されたボディメイクコンテスト
『MOLA CUP』に出場にしたからだ。
そして、ビキニクラスのオープン部門で
2位、ノービス部門で3位を獲得する肉
体美を披露した。
今回のマッチョ姿を嘆くファンも多いが、
世間のイメージに縛られずに我が道を進
む藤澤を素直に応援したい。
|
7.22a |
プロ麻雀リーグ「Mリーグトーナメント」は、現Mリーガ
ー32人と元Mリーガーやタイトルホルダーなどプロ5団
体からの推薦者20人、計52人で行われる。
Mリーグの昨シーズン優勝チーム所属の4選手は、ベスト
16からのシード出場となるから、「渋谷ABEMAS」の4
人が出場する準決勝戦が、先週の土曜日と、今日行われ、
それぞれの全試合ABEMAで見た。
私にも経験があることだが、ダメなときは何をやっても上
手くいかなくて、この世に「運」という得体の知れないも
のが存在していることを思い知らされる。
|
7.21 |
1週間ぶりに帰ってきた自宅のまわりはこんな状態だ。
花が付いていたときのタチアオイは綺麗だったけれど、そ
れが終わると処理が大変だ。
ただ刈り取って刻み堆肥にするほかに、来年のために種
をどこかに残さなければならないから、それをするのはも
う少し後になりそう。
ただ、土手の草は刈らなければならないけれど、今日は畑
の雑草を取るのに精一杯でした。 |
7.20 |
みんなへ
甘ったれるなよ みんな
何もしなくても 時は流れていくけれど……
お母さんが面会に来た
「具合が悪いときは 休ませてもらいなさいよ」
それを聞くとすぐに立ち上がって
「先生頭が痛い」 と叫んだ やつ
居住棟から
メソメソしながら 電話をかけてくる やつ
「先生むかえに来てよ」 と言っている
作業がはじまっても 外でふらふらしている やつ
作業を拒否するわけでもなく
職員の目が届く範囲を計算して 座りこんでいる
居眠りなんてどうってことない
「賃金」が少しばかり下がっても あしたからの暮らしに
影響するわけではない
「健常者」並みを 押しつけるわけではないけれど
「施設」の中には生きていく緊張感がない
食事は決まった時間に運ばれてくるし
行事の段取りも みんな職員がやってしまう
朝5時に起きて 部落の道普請に出ることや
夕食の後 公民館の会議があることや
日曜日を 消防の訓練でついやすような
そんな日常は無関係だ
休日に雨が降ると 当分のあいだ稲刈りができないことや
あと5千円で 一週間をどうやって暮らそうかという
心配はしなくてもよい
障害者年金を支給し 措置費を増額し
「恵まれた」環境をつくるだけが 社会福祉ではない
もっと もっと 人間としての生活の場を
緊張感の持てる場をつくりだそう
甘ったれるなよ みんな
現状を乗り越えるのは みんな自身だ
寒くなったら 自分でセーターを出せ
介護は拒否するくらいの 気概をもて
(1979.10.15 私は県立の社会福祉施設の職員でした)
|
7.19b |
今日は舜クンの誕生日。
何歳になったかは確認して
ないからわからない。
じいじからのプレゼントは
ドローン。
確認したら明日届くみた
いだから、誕生日には間
に合いませんでした。
この秋の音楽会には、学
年の出し物でピアノを弾く
んだと張り切っています。 |
7.19a |
新撰組ゆかりの壬生寺(京都市中京区)に、副長を務めた
土方歳三の胸像が建てられた。
寺の境内には、1971年に建てられた新撰組の局長・近
藤勇の胸像もある。
土方の兄の子孫の土方愛さんは、「生涯支え続けた近藤さ
んの像の傍らに(自分の)像が建てられ、歳三さんが一番
喜んでいると思う」と話した。
「土方歳三さん 壬生寺に帰ってきた」 八百板一平
「朝日新聞」 7月19日 夕刊からいただきました。
私が、「選択制夫婦別姓」に反対する理由のひとつがここ
にある。
夫婦が別の姓を選んだ場合、二人の間に生まれた子供はどちらかの姓引き継ぐことになる。
これを何回か繰り返すと、元にあった姓がなくなってしまうことになるのだ。
つまり、この記事にある「子孫の土方」という客観的な裏付けが失われてしまうわけだ。
我が家のお墓には、もう文字を読み取ることができない墓石がいくつも並び、その真ん中には、おじいさんが建
てた「森田家の墓」という石塔がある。
私がお墓参りをきちんとするのは、このご先祖さまがいたから、今の自分が存在していると思うからだ。
いつの日か我が家から「森田」という姓がなくなった場合には、この石塔を建て替えろとでも言うのだろうか。
このことに対して、「そもそもお墓なんて必要ない」という反論が帰ってくるのなら、もう議論する余地はない。
なぜならば、日本の国の文化そのものを否定するということだからだ。
|
7.18b |
白神山地のブナ林は、雨の日でしか見られないこともあった。
それは「樹幹流」というやつで、幹に雨水が溜まって、勢いよく流れ落
ちてくるのだ。
ブナの樹形は水を集めるようにできていて、葉っぱから枝、そして幹へ
と雨水が移動してくる。
そして、ブナの根元で地中に吸い込まれていく。
ブナの葉っぱは堅くて、分解するまでに数年かかるから、すぐに腐らず
に積もっていき、そこに雨水が吸収される。
だからブナ林は、緑のダムと呼ばれている。
今回のブナ林のハイキングには、ネイチャーガイドが付いてくれたから、
いろいろな知識を現物を見ながら習得することができた。
ブナの木の幹の、白から灰色・やや緑色を帯びた紋様は、菌類と藻類の
共生体である地衣類であり、濃い緑褐色の部分はコケ植物であるという。
何とも魅力的な表皮だ。 |
7.18a |
私の最近の関心事は、スターダムや麻雀のMリーグに移って
いたから、新日本プロレスの「G1クライマックス」は、開
幕戦すら見ることはなかった。
ところが翌日、その開幕戦を見たところ、凄い試合の連続だ
った。
海野vs成田、辻vs清宮という次のプロレス界を背負うだろう
若者の、バチバチの試合が面白かった。
そして今夜の山形大会。この4人が絡む試合が楽しみです。 |
7.17 |
宮崎駿監督が「風立ちぬ」以来10年ぶりに手がける長編アニメーション
作品。
「千と千尋の神隠し」で当時の国内最高興行収入記録を樹立し、ベルリン
国際映画祭でアニメーション作品で初となる金熊賞、ならびに米アカデミ
ー賞では長編アニメーション賞を受賞。同作のほかにも「風の谷のナウシ
カ」「もののけ姫」「ハウルの動く城」などスタジオジブリで数々の名作
を世に送り出し、名実ともに日本を代表する映画監督の宮崎駿。
2013年公開の「風立ちぬ」を最後に長編作品から退くことを表明した
同監督が、引退を撤回して挑んだ長編作品。
宮崎監督が原作・脚本も務めたオリジナルストーリーとなり、タイトルは、
宮崎監督が少年時代に読み、感動したという吉野源三郎の著書「君たちは
どう生きるか」から借りたものとなっている。 (映画.com)
あいみょんがきちんと台詞を言えるかどうか、ヒヤヒヤしながら見ていた。
「ヒミ」のイメージには、ちょっと声質が合わなかったみたい。
みんな言わないけれど、この作品はやっぱりストーリーがよくわからない。
(郡山テアトル にて) |
7.16 |
「佐藤農園」にスイカを買いに行った。
もっとたくさん並んでいると思ったけれど、午前中にいっ
ぱいお客さんが来たというから、売れてしまったのだろ
う。
私の送り状の確認をしているときも、頻繁に電話がかかっ
てきて、大忙しのようだった。
待っている間には、冷蔵庫で冷やしたものを奥さんが切っ
てくれて、3切れも試食させていただきました。 |
7.15b |
久しぶりの「宮田祇園祭」はもの凄い賑わいだった。
たまり溜まっていたエネルギーが、全部はじけたような夜でした。
|
7.15a |
ジャガイモの畝にマルチシートを被せたのは、去年露出し
てやつが腐っていたからだ。
だから、日の光が当たらないようにしようと思ったのだ
が、今朝マルチシートを剥がしたところ、去年と同じよう
に腐ってしまっていた。
マルチシートを被せたジャガイモは、被せなかった畝のも
のより育ちがよかったから、来年はどうするか迷いそう
だ。
明日は晴れそうなので、これを収穫します。 |
7.14 |
耳鼻科医院に通院して、待合室にあるモニターを眺めてい
たら、そこでは鼓膜の構造の説明がされていた。
そこで初めて知ったのは、「鼓膜は再生されている」とい
うことだ。
だから耳垢が発生するのだ。
それまでは、鼓膜は破れてしまうと、耳が聞こえにくくな
くなってしまうと思っていた。
だからプロレスの「張り手合戦」なんか見ていると、選手
の鼓膜が破れやしないかと心配だった。
だから、これで肩の荷がひとつ下りました。 |
7.13c |
今回のツアーはブナ林が目当てで森が対象だったけれど、3日目には海が組み込まれていた。
昨日、一昨日と雨にたたられたが、最終日の今日はやっと雨は上がってくれた。
ツアーに参加する場合、ほとんど予習をしてないから、全部ツアーコンダクター任せだ。
それでも「面倒くさい」という気持ちが出始めたから、もう旅に出るのもそんなに多くはないだろう。
帰りの新幹線の車中、仲良くなった女性たちの大声での会話は、なんとかならないものだろうか。
ひとときの中断もなく、よくもまあおしゃべりを続けられるものだ。
|
7.13b |
何年か前にも白神山地行きを考えたことがあったけれど、実現しなかったのは交通の便が悪かったことだ。
特に五能線は極めつきのローカル鉄道で、どうにも攻略することができなかった。
この便には団体客がバス4台が集まり、これは乗り切れないのではないかと思ったが、全員が座ることが
できなかったものの、ラッシュアワーに比べればかなり余裕があった。
五能線は海岸縁を通るので人気があるのです。
|
7.13a |
十二湖も白神山地の一部で、紅葉の時期には大混雑するそうだ。
中でも青池が有名だが、なぜこんなに青く見えるのかはまだ解明されていない。
水にはもともと赤色の光を吸収する性質があるが、泥や植物プランクトンなどがあると光が散乱するなどして青
く見えないはず。
しかし、ブナの原生林に囲まれた青池はきれいなわき水が豊富にたたえられ、透明度が極めて高いため、水本来
の性質が際立ち、青く見えると考えられるという。
|
7.12c |
参加メンバーを二組に分けて、それぞれにネイチャーガイドが付いてくれました。
製本のお師匠さんが、「ブナぶな考房」という名前にしている意味を、少しだけくみ取ることができました。
マイナスイオンをいっぱい吸い込んだところです。
|
7.12b |
今回のツアーの参加者は定員いっぱいの23名で、男性5名の女性が18名という構成だった。
「おひとり様限定」のツアーだから、参加者は他人同士なのに、女性たちはすぐに打ち解けて、コミュニケーシ
ョン力の高さを示してくれた。
私は旅に出たときにお土産を買うのはあまり好きではない。
今日は母親の妹の葬儀があったけれど、それに参列できなかったこともあったので、お土産は全く買わないこと
にする。
|
7.12a |
奥入瀬渓流は雨の中。
バスの窓から眺めたあと、その中の1.2kmほどの行程を、30分かけてハイキングした。
下流は茶色く濁っていたけれど、十和田湖に近い上流は綺麗な水で、一度は行ってみたいという願望は叶えられ
た。
|
7.11 |
今週梅雨が明けて欲しいと思ったのは、白神山地のツアー
を予約してあったからです。
それなのに梅雨前線は日本列島に居座り、東北地方に雨を
もたらしています。
画像は岩手山の噴火がもたらした焼走り溶岩流。
晴れていなかったことを抜きにしても、浅間山の鬼押出し
の方が何倍も迫力があります。
このあとに行った八幡平山頂は、真っ白で何も見えません
でした。
明日は雨の中を奥入瀬渓流と白神山地のハイキングです。
どうなることやら。
|
7.10b |
本書の中で何度も証言されるのが沢田の生真面目さだ。どんな突飛な仕事
もやり遂げた。
歌番組ではカメラ位置を全て把握し、どのアングルにもキラーポーズで返
した。テレビ越しにジュリーが佇めば、茶の間は一気に非日常へ跳躍した。
普段は「部屋着は空手着」と公言するほどの無頓着だが、表現の開拓のた
めなら紅をひくしヒールも履くし、全裸にもなった。「ぼくは見世物。客
は上から見ていればいい」。
ジェンダーを越境し既存に抗いながら、いかに大衆を魅了し〝一等賞〟を
獲得するかという無茶ブリに奮闘し続けた。
電飾ギラギラの落下傘を背負えるのは、宇宙広しといえどジュリーだけだ。
島崎は言う。「沢田には他者の視線に身を委ねる覚悟があった。見られる
ことで崩れるプライドは必要としなかった」。
6月25日。満員御礼のさいたまスーパーアリーナで75歳を迎えた沢田
は、転がり続ける石のごとくステージを駆け回った。
我々にはジュリーがいた。そして、ジュリーがいる。その凄みを、島崎の
力強い筆致が教えてくれる。
「文春図書館~今週の必読~」 藤井聡子 「週刊文春」 7月13日号 からいただきました。
島崎今日子が書いた「ジュリーがいた~沢田研二、56年の光芒~」は、「週刊文春」に連載されていたから全
て読んでいたが、そのときの記憶と本書の内容とは全然異なっている印象だ。
それだけ大幅に加筆されていたということになるのだろうが、関係者から一般のファン69名の証言に裏付けさ
れた内容だから、読み応えがあったが読後感は心地いい。
|
7.10a |
14時06分発のあずさに乗るべく茅野駅の駐車場に着いたところ、
13時39分発の前の便がまだホームに停まっていた。
そして何人かが一つの場所に固まり、心臓マッサージをしている様子が
伺えた。
茅野駅ならすぐに救急車が到着するだろうと、切符を買ってトイレに寄
ったのだが、救急車の音は聞こえない。
駅員が慌ただしく行き交い、下の交番から警官がやって来て、そのうち
に医者と思われる人も階段を上ってきたが、相変わらず救急車は来ない。
救急車がサイレンを鳴らしてやって来たのはだいぶ後のことだけれど、
救急車を中心に考えるのは、どこか偏っているのだろうか? |
7.9 |
痛風は、40代の後半に二度発症した。
私の痛風は右足の親指の付け根に出て、階段を上ることも車を運転するこ
ともできなかった。
いずれもゴルフに行って生ビールを飲んだ翌日で、つまり、急激な運動を
してプリン体を摂取したからだと思う。
最初のときは、捻挫をしたのだ思って整形外科医に診てもらった。
診察室に入っていった途端に医師は笑いながら、「それは痛風だよ」とお
っしゃった。
それまでも尿酸値は「9」以上で、健康診断のときなんか、よく痛くなら
ないねと言われていた。
尿酸が高いと動脈硬化などを引き起こすからと、それを抑える薬をそれ以
来飲み続けている。
先週の血液検査の結果は、標準値4.3~7.8のところ「4.3」だった。
大変いい数値なのだけれど、ときどきだけれど結構頻繁に右足の付け根がビリビリ痛む。
かかりつけ医に相談したところ、靴が小さいことの影響もあるのではないかと言われたので、今度靴を買うとき
は、もっと幅が広いものを選ぼうと思っている。
|
7.8 |
キュウリの収穫は今が最盛期。
とても食べきれる量ではないので、あちこちに送ったり配
ったりしています。
でも、すぐに採れなくなるときがくるので、そのときのた
めに、今あるものの間に新しい苗を先週植えました。
野菜にはちょうどいい時期があって、これが今と同じ収穫
量を得れるわけではないのですが、少しの間でも長く、夏
野菜の恵みを享受したいわけです。 |
7.7b |
少し前に、ウォーキングで河原を歩いているときに佐藤農
園のご主人に出会ったから、「スイカはいつ頃採れるので
すか?」とお伺いしたところ、「10日頃になります」と
いう答えが返ってきたのです。
だから今日、あらかじめ送り状をいただこうと立ち寄った
ところ、「昨日初めて採れました」と、冷蔵庫から画像の
冷えたスイカを出してくれました。
スイカの食感は「シャーベット」というイメージがあるの
に、このスイカは身が締まっていて、「羊羹」といった感
じでした。
もちろん味は、さすがに超一級品でした。 |
7.7a |
七夕はおばあさんの命日。
家にいることができたから、その日にお墓参りに行
くことができました。
おばあさんは83歳で亡くなっているから、その年
まで生きられるとして、私はあと10年です。 |
7.6 |
本書を書こうと思ったのは、生活が厳しくなる一方日本の国民に、財政の
事実を知ってもらい、財政均衡主義からの脱却が、国民生活を改善するた
めに絶対に必要だということを理解して欲しいと思ったからだ。
ただ、それと同時に、いくら頑張って書いても、世間の常識を変えること
はできないのではないか、という懸念も同時に持っている。本当は国民が
立ち上がって、ザイム真理教を打倒してくれれば、皆が幸せになれると思
うのだが、それは難しいのかもしれない。
今の政府の戦略は「死ぬまで働いて、税金と社会保険料を払い続けろ、働
けなくなったら死んでしまえ」というものだ。この政策から逃れる方法は
一つしかない。
それは、高い生活費をまかなうために、必死で働いて増税地獄のなかに身
を置く都市生活を捨て、田舎に逃避し、そこで自給自足に近い生活を送る
ことだ。
少なくとも現時点では、所得が課税最低限を下回っていれば、大きな税金
も社会保険料も取られない。
みずから育てて収穫した食料も、太陽光パネルで発電した電気も、井戸か
らくみ上げる水も消費税はかからない。そして、住民同士で「おすそ分け」
をし、不要品を売買する。個人間の売買に消費税は課せられない。
ザイム真理教に献金をするために、奴隷のように働き続ける人生より、貧しくても、自然に囲まれて、自由な人
生を送る。そのほうがどれだけ幸せか分からないと私は思う。
私自身も新型コロナの感染拡大を受けて、本拠地を埼玉県所沢市の「トカイナカ」に移住し、家の近くの農地を
借りて、野菜を中心とした「自産自消」を一人社会実験として続けてきた。
その結論は、月額十数万円もあれば、十分暮らしていけるということだ。
「節約」を強調したいのではない。納税のために人生をしばられ、嫌な仕事を続けるのではなく、自由でやりた
いことをやり続けることの方が、ずっと幸せだということだ。
私自身の話でいえば、この本を書くこと自体が、最大の「自由」の享受なのだ。
「ザイム真理教~それは信者8000万人の巨大カルト~」 森永卓郎
「三五館シンシャ」 からいただきました。
|
7.5 |
高校を卒業して就職した茅野市の会社では、独身寮の4人部屋に住んでいた。
その部屋には、今は長野市で「長生館治療院」を開業している、尊敬できる先輩がいたため居
心地が良かったのだが、その人が治療師として修行するために出て行ったあと「シティボー
イ」入ってきたために、それまでとは全く異なる雰囲気になってしまった。
そこで私は、市内の上川のほとりにあった「大島新聞店」の三階に下宿することにした。
一階は新聞屋さんの作業場で、二階には「大島のおばあさん」が一人で住んでいて、三階の私
の部屋に、時々お味噌汁を運んできてくれた。
三階の四畳半の部屋が特徴的だったのは、外壁に鉄製のハシゴが掛けられていたことだった。
何のためにそこにハシゴがあるのかわからなかったが、友達なんか、夜、そのハシゴを登って
やって来たりした。
そして今考えても不思議なのは、どうやって衣類を洗濯をしていたのかということ。
毎週駒ヶ根の自宅に帰っていたわけでもないし、下宿屋の洗濯機を使った記憶もないから、下
着なんか着替えないでいたのだろうか?
私の青春時代の一コマである。
|
7.4 |
JR郡山駅に「うねめまつり」の提灯が飾られた。
「うねめまつり」は、奈良時代のうねめ(宮中の
女官)伝説にちなんだ郡山最大の祭り。
8月3~5日にかけて、趣向を凝らした衣装に身を包んだ、市民が踊る「踊り流し」が繰り広げられる。
|
7.3 |
5月ころ、7月の検診を予約しようとして、伊那中央病
院に電話をしたところ、「もう中山先生が取られていま
すよ」との返事だった。
そうだ、去年行ったときに、今年の分も予約してくれた
んだった。
血液造影剤を注入するときに、注射針が上手く入らなく
て、その場所が内出血していて痛い。
でもそんなことより、何も問題がなかったことの方が重
要だ。
その場で、中山先生が来年の予約もしてくれました。
|
7.2b |
家の周りをいろいろな色をした紫陽花が取り囲んでいる。
中にはこのように真っ白いものもあります。
紫陽花は梅雨の時期を象徴する花ですが、このジメジメし
た梅雨も、来週には明けて欲しい理由があります。 |
7.2a |
何年か前に、畑の隅にグラジオラスの球根を植えた。
そのときは鮮やかな色のものが7種類くらいあったのだ
けれど、それらはほとんど絶えてしまい、それまでも家の
まわりにあった白に中心が橙の花だけが残り、それがさら
に広がっていった。
何にも言えることだが、貴重な種類のものは繁殖力が弱
く、従来種に淘汰されてしまう。
今日は、この広がってしまった従来種を全部抜いてしまっ
た。
来年の春は、鮮やかな色の球根を植えようと思っている。
本当は、花が終わって茎が枯れたあとは、掘り取って植え
替えなければいけないのだけれど、それをしなかった結果
でもあるのです。
|
7.1b |
「駒ヶ根ベンチャーズ」のコンサートは、しばらくの間コ
ロナ禍のため行われなかったから、何年ぶりの開催にな
るのだろう。
この間、二人のメンバーを欠いてしまったという。
私と同級生のドラマーは、最近足の手術をしたようで、舞
台から下りるときなど、他人に支えてもらってやっとのよ
うだった。
それでも「ワイプアウト」のドラムスソロは迫力満点で、
ぜひ来年も心地よい響きを聞かせて欲しい。 |
7.1a |
25日に行われた「さいたまスーパーアリーナ」のコンサ
ートの中で、沢田研二は「保険証だけは残して」と言っ
た。
緩やかな形で政治メッセージを発してきた、彼らしい発言
である。
私は、保険証をマイナンバーカードに置き換えずに、紙の
ものを使い続ける。
これは、便利とか便利でないとかいった捉え方ではなく、
紙の保険証をなくしてしまうことに対する抵抗である。
物を買ったときに支払う方法は、クレジットカードでも、
ペイペイでも、Suicaでも、そして現金でもいい。
デジタル化を推進しようとする気持ちは分からないでもな
いが、今はやりの「多様性の尊重」を、ここでは拒否する
のだろうか。
問題のマイナンバーカードは、商取引で必要だから作ったのだが、それを持ち歩くことはしていない。
それは、いろいろな情報が入っているから、「これだけはなくしてはいけない」と言われ続けてきたからだ。
つまり、実用的にも役には立っていない。
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