あと あと のあと 2021年 11月

11.30
 私たち(社会党左派系の活動家)が、労働運動の中で闘っていたのは、日本
 共産党の「セクト主義」に対してだ。

 「セクト主義」は、一般的に「他派を排除する考え方」だと解説されている
 が、労働運動の中での共産党は、闘いの前面に出ようとせず、組織を守ろう
 とすることを優先してしまっていた。それが我慢ならなかった。
 「教師聖職者論」や「合理化には、いい合理化と悪い合理化とがある」など
 という主張も、到底受け入れることはできなかった。

 だからといって、今の私に「共産党アレルギー」があるかというとそうでは
 なくて、むしろ真面目な活動に対して、敬意を表したいくらいだ。

 メディアやネットで「共産党アレルギー」という言葉を耳にするが、そう言
 っている人たちに、どのくらい日本共産党と張り合う行動を積み重ねてきた
 のか、したがってそんな資格があるのかを問いたい。
11.29
 NHKテレビの「ブラタモリ」は、2週続けて新潟県の糸
 魚川が舞台だった。

 私は、中央構造線と糸静構造線の区別ができないばかり
 か、フォッサマグナは断層帯のひとつだと思っていた。

 少し前の「諏訪」の回で、諏訪湖は中央構造線と糸静構造
 線が交わった際の、ゆがみによって発生したことを知っ
 たばかりだ。

 このように、「ブラタモリ」で知識を仕入れているわけだ
 が、中央構造線は、私が住んでいる場所の、少し東側の山
 の中を通っていることを、改めて知らされたわけだ。
 
11.28
 今日は、おじいさんの七回忌の法要を営みました。
 亡くなってから、もう6年が経ったことになります。

 おじいさんはこういうことをきちんとしていたので、お寺
 さんを呼んでお経を上げてもらいました。
 これは、そのあとお墓参りに行ったときの画像です。

 仕事で東京に行っている次女も、ほぼ2年ぶりくらいに帰
 ってきて、元気な顔を見せてくれました。

 雲ひとつない青空が、おじいさんの気持ちを象徴している
 ようです。 
11.27
 木曜日の夕方、「今日の作業が早く終わったから、明日はお宅に行くこと
 ができる」と、茨城にいた私に庭屋さんから電話がかかってきた。
 この時期の自宅の庭木の剪定は、おじいさんの代からもう30年くらいこ
 の業者に続けてお願いしている。だから、今年もよろしくとお願いしてあ
 った。

 ということだったから「明日庭屋さんが入る」と家に電話をすると、「え
 えっ!やっちゃったよ」との返事があった。「みっともないので長男がや
 っちゃった」と、いつものように嫌らしい口調で告げてきた。

 プロの庭屋さんを頼っているのは、誰でもが簡単にできる出っ張った葉っ
 ぱや枝を揃えることではなく、赤松や黒松などの針葉樹の枝と葉を整える
 ことだ。これは素人には難しいし、1年空けてしまうとこの作業が大変に
 なる。だから毎年頼んでいた。

 今回は必要ないと言うから、庭屋さんに無理を言って断ったのだけれど、もう来年は私の口からはお願いするこ
 とはできないだろう。 普段家のまわりの作業なんか全くやらない長男を使っての仕掛けに、何らかの意図を感
 じるなという方が無理だ。 だから今後、このことについては私は一切アクションを起こさないようにする。
 
11.26  
 1週間ぶりに帰ってきた自宅には、
「喪中はがき」がたくさん届いていた。
 まだ両親や兄弟のものが多いが、中には本人が亡くなったことを知らせるものも混
 じっている。

 今月は、大きな
お葬式がふたつあった。
 コロナ禍の中の
お葬式は「家族葬」がほとんどだけれど、「義理」というものを見
 直すきっかけになっていると思う。

 
お葬式は、お悔やみの意思をご家族にお伝えし、故人を偲ぶ機会だと思っていたが、
 単に香典を持っていって焼香をするだけで済んでしまうと、「義理」が、お金のや
 り取りに過ぎなくなってしまうわけだ。

 お寺が主人公のようなお葬式も問題だが、これはこれで味気ないではないか。
11.25
 野生の
動物は、自分で自分自身の身を守るしか術がない。

 草原の草食
動物は、いつも外敵の襲撃を恐れながら、群れを作って対抗し
 ようとしている。
 しかしながら、逃げ遅れた場合は捕らえられるばかりか、その1匹を犠牲
 にして集団を守るという厳しい側面もある。
 だから、逃げ足を速くするしか実を守る方法がない。

 肉食
動物は、草食動物が生えている草を食むような、他から食料を与えら
 れる条件にないから、生きるためには自分で獲物を捕らえるしかない。
 だから衰えてしまえば、その先には死が待っているというのが現実なの
 だ。

 ところが
人間だけは、「強者」とか「弱者」とかいった区別がされ、「弱
 者を救わなければならない」などという、綺麗事が罷り通っている。
 自然社会とは本来厳しい環境にあるはずなのに、どこかに「甘え」が正当化されるような背景が人間社会にはあ
 る。 だから、「甘ったれるな、人間たち!」だ。
 
11.24
 私は昭和25年生まれだから、太平洋
戦争の実感はないけ
 れど、戦争の傷痕には出会っていた。

 ひとつは、市内の馬見塚公園で5月3日に開催される、馬
 見塚祭典に行ったときに見かけた、
傷痍軍人の姿。
 一人は片腕を首から布で吊り、もう一人は松葉杖をついて
 いたように思う。

 もうひとつは毎日NHKラジオで放送されていた「
尋ね人
 の時間
」。戦地で行方不明になっている人々の、消息を探
 っている内容だった。

 物心がついて、それが記憶に残るのは少なくても3歳以上
 だと思うから、
戦争が終わってからも、ずいぶん長い間
 「混乱」が続いていたことになる。
 
11.23
 今コロナ感染爆発の渦中にあって、いくつかの社会的変化の予兆が見えてく
 る。よい予兆はいくつかの制度が「弱者ベース」で設計され直され始めたと
 いうことである。きっかけは
大学の授業が2020年の4月からオンライン
 化されたことだった。

 ほとんどの
大学はオンライン授業の経験がなかった。だから、準備はたいへ
 んだったと思う。少なからぬ
教員は「大学の授業は対面で行うべきものだ。
 『師の謦咳(けいがい)に接する』ことなしに授業が成り立つのか」という
 深い疑念を抱いていた。

 それでも、なんとか4月から授業が手探りで始まった。最初はサーバーが落
 ちたり、音声が消えたり、テクニカルな失敗があったが、数週間でそういう
 トラブルはだいたい収まった。そして二月ほど経ったところで
教員たちはあ
 る変化に気がついた。それは脱落する
学生が少ないということである。

 これまでだと5月の連休明けくらいで、授業についていけない、授業に興味
 がもてないという
学生が脱落する。科目によっては履修者の30%が姿を消
 す。それがオンライン授業では激減した。それについて大学
教員たちから興
 味深い話を聞いた。

 これまで大学というのは「
学生が主体的に学ぶ場」だとされてきた。事実は
 どうあれ、建前はそうだった。だから、積極的に学ぶ意志を持たない
学生に、教員側が「手を差し伸べる」とい
 うことはしなかった。
 不登校や学業不振の
学生をケアするのは「学生相談室」とか「心理相談室」の仕事であって、教員が何十人、何
 百人いる履修者の出欠を気にすることはなかった。
 ところがオンラインになると、欠席者に配布物を配ったり、来週までの課題を伝えることができるようになっ
 た。すると、欠席者が次の週には来るようになった。

 それで分かったのだが、彼らが授業を聴く意欲を失ったのは、「
教員に個体識別されていない」ということが一
 因だったのである。自分が教室にいてもいなくても、それによって何も変わらない。その存在感の希薄さ、自己
 評価の低さが彼らの学習意欲を殺(そ)いでいたのである。

              
「戦後民主主義に僕から一票」 内田 樹   SB新書 からいただきました。
 
11.22
 雨の中、郡山に着いた。

 自宅で昼食を採ってから出掛けた
 けれど、着いたのは18:30だ
 から、6時間以上かかったことに
 なる。

 郡山駅では、今年もイルミネーシ
 ョンが輝いていました。
11.21b
  「東横イン」の会員は、半年先までの予約ができるから、来年5月までの予約
  を行った。
  ということは、あと半年は仕事を続けることを覚悟しているということだ。
  
 半年先までのスケジュールを明らかにしたいのは、ホテルの予約をしておきたいのに加えて、コンサートやプロ
 レスを見に行くチャンスを見つけたいことにある。
 そう、この人は遊ぶことに一所懸命なのです。

11.21a  
 競馬はG1だけ馬券を買っている。

 秋競馬は、穴を狙うと本命サイドがき
 て、本命から流すと大穴がきたりで、
 いまひとつ噛み合っていなかった。

 そして今日の「マイルチャンピオンシ
 ップ
」。
 13番の「ダノンザキッド」から流し
 たまではよかったけれど、投資600
 0円で配当5460円では、喜びも
 10分の1くらいといったところ。
 来週は「ジャパンカップ」だ。
11.20
 大根の収穫。
 またもチビ
 たちが活躍
 してくれま
 した。

 今年の大根 
 は、「総太
 り」と「お
 でん」の2
 種類。

 最近は、た
 くわんにす
 るための大根を、各家庭で干している光景を、見かけなくなって
 しまいました。
 
11.19b   
 今夜食があることは知っていたが、頭の中からすっかり飛んでしま
 っていた。

 仕事の帰りに、東の空に浮かんでいるお様が欠けているのを見つ
 け、自宅で写真撮影をしたのは17時10分。私のカメラではこの程
 度の解像度が限界です。

 それにしても、大昔の人々は、空に浮かぶお様を見て不思議に思わ
 なかったのだろうかと、時々思うことがある。
 さらに、昨日まで満だったものが、突然欠けてしばらくすると無く
 なってしまうのだ。
 現代ではその理由がわかったいるから、いまひとつ神秘性に欠けてい
 る。
11.19a  
 まだ野茂英雄がドジャースにいたころ、一度だけロサンゼルス
 のドジャーススタジアムに行ったことがあった。
 その試合で野茂は登板することはなかったが、鉦や太鼓がなく
 て打球音がそのまま伝わってくることや、観客席のフレンドリ
 ーな雰囲気に魅せられたものだ。

 今朝は、朝のワイドショウで、大谷のMVP受賞発表の瞬間を
 見ていたが、受賞するだろうことはわかっていても、その瞬間
 は緊張した。

 イチローや松井が現役のころ、また大リーグの試合を生で見た
 いと思っていたが、それはかなわなかったけど、またそんな気
 になっている。

 画像は、ドジャーススタジアムで買ったボールです。

11.18
 12月11日に日本武道館で行われる、charのデビュー45周年コンサ
 ートに行きたいのだが、その日は土曜日のため行くことができない。
 そこで、9月29日に発売されたばかりの、CD+Blu-Rayを購入した。

 CDを購入する場合は、ほとんどが「セブンネットショッピング」を利用
 して、店頭で受け取ることにしているのだが、このアルバムは扱われてい
 ない。つまり、一般に販売されておらず、「公式サイト」でしか手に入れ
 ることができないわけだ。

 最近はこの手の販売方法が多くなった。
 私の書籍はアマゾンでしか買えないのだが、定価の35%を手数料として
 取られてしまうから、このような傾向になるのだろう。
 このことは同時に、CDがあまり売れなくなったことを物語っている。

 さらに、中島みゆきが工藤静香に提供した新曲のCDを買いたかったのだ
 が、これはCDが作られておらず、配信でしか手に入れることができなくなっているのだ。
 時代はどんどん移り変わり、配信で手に入れた曲の音質は、タンノイのスピーカーで聴くのに耐えられるのだろ
 うかなどと、私のように心配する人は、もはや絶滅危惧種になってしまっているのだろう。
 
11.17b
 台所で転倒してあばら骨が痛くなったのは先月の31日。それがやっ
 と治まってきた。
 ここまで時間がかかったということは、やっぱりヒビが入っていたの
 だろうと思う。

 そして寒くなると顕著になるのは、
背骨の横の筋肉が張って痛くなる
 こと。これは、
背骨の骨折が影響しているのだろう。

 だから、野良仕事は本当はきつい。堆肥を箕に入れて運ぶときなんか、
 痛みに耐えながらの作業だ。
 先日の長ネギを移したときも、鍬を振るうたびに筋肉は痛みを訴えた。

 だけど、何もしないでいれば治るというものでもないから、身体を動か
 す機会を見つけて、筋肉を鍛えています。
 
11.17a
 日本列島は、フォッサマグナという巨大断層で東西に真っ二つに分かれてい
 ます。地形を概観すれば、北は糸魚川から、南は富士山に続く地層の裂け目
 があることは簡単に分かります。
 そしてその真ん中に諏訪湖があります。
 本州中央部を
東西に両断しているのが一目でわかります。

 また、実際に歩いてみれば誰にでも確認できます。
 その名の通り最も大きいところでは数十メートルほどの垂直断層となってお
 り、本州を「
真っ二つに分けている」というのは比喩ではありません。
 断層の東西では地質も異なり、動植相もかなり違います。
 これだけの段差は、今でこそ普通に行き来していますが、かつては動物も植
 物も簡単には行き来できなかったことでしょう。
 何万年もの間それが続けば、お互いに別世界となったに違いありません。
 ここを境目に
東西文化の断絶があったかもしれないとは、現代の私たちにも
 容易に想像がつきます。

 実際に植物相は現在でもかなり違うと調査結果がありますが、それなら人間
 の文化にも当然少なからぬ影響があるでしょう。
 日本の
東西の文化相が異なることは誰でも知っている事実ですが、その原因
 の一つに地理的かつ物理的理由があるかもしれないということで、しかも時
 代が古ければ古いほど影響は顕著になるはずだからです。

 「古事記はなぜ富士山を記述しなかったのか ~藤原氏の禁忌(タブー)~」
                       戸矢 学   「河出出版新社」 からいただきました。 

 大阪が東京に対抗心を持っていることの根には、このような背景もあるのだろう。
 
11.16

 ディズニーの名作アニメ「ピノキオ」でも有名な児童文学「ピノッキオの
 冒険」を、「ゴモラ」「ドッグマン」などで知られるイタリアの鬼才マッ
 テオ・ガローネ監督が、美しくも残酷に映画化したダークファンタジー。

 ジェペット爺さんの家を飛び出した
ピノッキオが繰り広げる奇想天外な冒
 険を、社会風刺や示唆に富んだ物語として描く。貧しい木工職人のジェペ
 ット爺さんが丸太から作った人形が、命を吹き込まれたようにしゃべり始
 める。

 ピノッキオと名付けられた、そのやんちゃな人形は、ジェペットのもとを
 飛び出し、導かれるように森の奥深くへと分け入っていく。「人間になり
 たい」と願う
ピノッキオは、道中で出会ったターコイズブルーの髪を持つ
 心優しい妖精の言いつけも、おしゃべりコオロギの忠告にも耳を貸さず、
 ひたすら命がけの冒険を続けるが……。
      (映画 .com)

 先週の月曜日。郡山に移動する途中にこの映画を見ようと、「あずさ」が
 新宿に到着する時間に合わせて、「TOHOシネマズ 新宿」のチケットを、
 ネットで購入しておいた。

 「あずさ」が2分遅れで着いたこともあったが、校内のロッカーに預けた
 キャリーバッグに、財布の中にある領収書類を移してしまってあったから、映画館についても発券ができなくな
 ってしまった。
 もう一度その場でチケットを購入する方法もあったが、もう予告編が始まってしまっていたから、暗い中を入っ
 ていくのが嫌だったので、その日は諦めた。

 そして今日、仕事が終わってからわざわざ立川まで移動したのです。まだ行動力は健在です。
                                   (kino cinéma 立川髙島屋S.C.館)
 
11.15
 柿は、前の年の枝の先端に近い部分から新しい枝を伸ばし
 てその枝に花を咲かせて実をつける。それを冬の剪定
 に枝先を刈り込んでしまうと、翌年の花芽をり落として
 しまう。

 ということは知っていたけれど、今までは手が届かなくな
 ってしまう枝をり取ることだけを中心に考えていた。
 おじいさんがいたころは、椅子に座って指示してくれた枝
 をっていれば良かったが、自分でるとどうも樹の形が
 整わないし、今年は少ししか実を付けなかった。

 「シルバー人材センター」問い合わせたところ、の木の
 剪定はできるけれど、実を成らすような剪定はできる人が
 いないとのことだった。
 だから今年も自分でやることにし、詳しく解説がされている「教科書」購入したところです。 

11.14b





 舜クンに頼んで、「ロック:エリーゼのために」を弾いて
 もらいました。 
11.14a
 冬になって畑が凍ると、長ネギが掘れなくなってしまうの
 で、毎年この時期に植え替えます。
 白い部分を長くさせるために、何回か土寄せをして、それ
 が高く盛り上がっているために、スコップをかなり深くま
 で押し込まないと、茎の部分が切れてしまいます。


 





 さらに、そこに霜よけの屋根を張って、作業は午前中に終
 了しました。

 この何年か長ネギの出来が悪かったのですが、ことしは豊
 作というところまではいかないまでも、まあまあといった
 ところです。
11.13

 柊弥クンの七五三の祈祷を伊那市の「坂下神社」で行ってもらいました。
 そこで気がついたのですが、私の記憶では、琉クンも舜クンも、神社での祈祷はやってもらいませんでした。
 ごめんね。 でもいい子で育っているから、いいか。
 
11.12
      夕焼け

    炎のような雲が 西山から 垂直に空に立ちのぼる
    空は平面な壁
    そこを炎は 黒い煙を吐いてなめまわす

    地上の醜さが そのまま空に映っているようで まわりを見る
    あたりは平静

      地獄絵だよねきっと
      こんなこと現実にはないよね

    黄色い葉を わずかに残したポプラが
    そんな背景の中で 悲しそう 
                         (1968.10.26  18歳)

 高校を卒業して就職した茅野市の会社で、私が配属されたのは「部品検査課」という職場。会社の入り口の正面
 の、半地下のような場所にありました。
 そこから外に出ると、木造の校舎のような会社の建物の横にある大きなポプラが、目の前に現れました。
 そんな秋の光景を、今でも鮮やかに思い出すことができます。
 
11.11
 「東横イン」の、部屋に持ち帰ることができる新聞のほと
 んどは、私が好きでない「読売新聞」だ。
 仕方がないので朝食後はそれを読んでいる。

 誰にも心当たりがあると思われるのだが、普段目にしてい
 ない紙面だと、ちっとも読むところがない。

 今日の朝刊は、なんと40面に及ぶという紙面の多さで、その中でも広告がたくさんあるのが目についた。
 そこで広告がどのくらいの比率なのかを調べてみたのだが、全体の面積の53%を占め、その中で全面広告がな
 んと15ページもあった。

 新聞は購読料ではなく、広告料で経営が成り立っていることは既成の事実だとしても、ちょっと行きすぎだと思
 うよ。
 
11.10b
 衆院が解散した10月14日、維新について記者団に問わ
 れ、つい口を滑らせた。「これは国政選挙。維新はローカ
 ル、眼中にない」。相手陣営のプライドを傷つけ、猛反撃
 を招くことになる。

 
おごりと過信--。ひとつはこの発言の直前、11日の衆
 院本会議で、岸田文雄首相の所信表明演説に対する代表質
 問に立ったときのこと。「一言一句、推敲し、魂を込めま
 した。森友学園の公文書改ざん問題や、新自由主義からの
 脱却などについて追求したのよ。よかった、とほめてくれ
 る人もいたけれど、演壇に立っていると、自分がすごく力
 がある人間だと
錯覚してしまっていた。魔物が私の中に入
 ってきていた。相手は世襲の3世議員といっても新人や、
 自分とは立法府への思いが違うみたいな気持ち。私、国対
 委員長もやっていたから、維新は大阪はともかく、国会での仕事ぶりはこっちが上、と
たかをくくっていたんで
 す」。

 小田実流の「何でも見てやろう」精神が魅力だ。同世代で関西人の私はたまに飲んでは議論し、素顔も見てき
 た。へこんだとき「へこたれん」と気丈に振る舞うが、結構、
へこたれている。「母が言うねん。落ちただけや
 んか、命までとられへんからって」。そうつぶやき、いつもの笑顔に戻った。

 「私ね、落選したことで、有権者に気づかせたもらった。辻元、原点に返れって。いまは
あほな私が何をすべき
 か、何ができるか、全身で考えているんです」。

   「おごり過信『あほやった』~辻元清美さんが永田町を去った日~」
                    鈴木琢磨  「毎日新聞」 11月10日 夕刊からの抜粋です。
 
11.10a
 「あなたが服用していたのはゾルピデム(マイスリー)、睡眠導入剤
 ね。持続時間が短く、比較的安全性は高いと言われている。でも人によ
 っては
副作用が出ることもある。例えばふらつきやせん妄。もしこんな
 薬を小さな子供が飲んだとしたら、どうなるのかな」

 内心の苛々を押さえ込もうとしているのか、詩織は手の平に指を食い込
 ませた。

 「副作用の危険があることをあなたはわかっていた。いつものように愛
 梨ちゃんを薬で眠らせて、あなたは仕事に出掛けた。ところが夜中に一
 人で目を覚ました愛梨ちゃんは
せん妄状態に陥り、あなたの姿を求めて
 家中をさまよい歩いた。おぼつかない足取りであちこちに小さな体をぶ
 つけながら、『ママ、ママ』ってあなたを探し回った。その時不運にも
 お風呂場のドアは開いていた。そして中に入った愛梨ちゃんは溺れた。
 違う?」

 詩織はまだ、手を握ったり広げたりしている。

 「うっかりお風呂の水を捨て忘れたなんて、それも嘘なんじゃない。あ
 なたは夜中に目を覚ました愛梨ちゃんが、うっかり浴槽に落ちてくれた
 らいいなと思って、わざと水を張ったままにしてたんじゃないの?」


      「北緯43度のコールドケース」  伏尾美紀  「講談社」からの抜粋です。

 江戸川乱歩賞の小説は毎回ほとんど購入している。
 この作品もよくできていると思うが、人間関係が複雑で、途中で混乱してしまった。
 ゾルビデムは私も服用している睡眠導入剤で、人によっては副作用が出ることがあることを著者が知っているの
 は、もしかしたら……。
 
11.9
 コロナの感染者が減少していることに伴い、私も外食を解
 禁し、蒲田の「いきなり!ステーキ」で、サーロインステ
 ーキ230gを食べた。

 お店はガラガラで、引き続き飲食店の厳しさを実感したわ
 けだが、ステーキよりも豚肉の生姜焼きの方が美味しいと
 感じるのは、自分自身の育ちを物語っているのだろうか。

 ステーキと言えば、恵比寿に先月オープンした、「ピータ
 ー・ルーガー・ステーキハウス」が気になっている。

 これは、ニューヨークを中心にして展開されているお店が
 日本に初上陸したもので、米国農務省によって格付けされた最高位のプライムビーフを週1回チルドで空輸し、
 専用の熟成庫で独自のエイジング方法で28日以上も熟成させた肉を使っている。

 一度行ってみたいと思っているが、3ヶ月先まで予約で埋まっているそうだ。
 
11.8c
 谷原章介キャスター
   所得制限がないとなると、私は6人18歳以下の子どもがいる
   ので
60万円給付されることになる。橋下さんはいくら給付さ
   れることになるんですか?

 
橋下徹氏
   僕は4人だから、18歳以下は4人で
40万円。だから2人で
   
100万円ですよ。これは、どう考えてもおかしいでしょ。
   僕は天下の
愚策だと思いますよ。
   このお金を給付することの目的、困窮者救済目的だったら分か
   ります。今のこの状况で、経済対策だったらもっと幅広く、全
   国民対象っていう風にやらなければいけないし、それから18
   歳以下で少子化対策ってことだったら、これは
10万円の給付
   じゃなくて、もっと中長期的に違う政策をやらなきゃいけな
   い。

                   フジテレビ 今朝の「めざまし8」から

 公明党幹部は「18歳以下への一律給付は、選挙で訴えてきて信任を得ている。約束してしまったことが崩れて
 しまっては、国民に対する背信行為になる」と言っているけれど、なんという傲慢さだ。
 昨年の4月、自民党政調会は減収世帯への30万円給付案を取りまとめたが、公明党は「政権離脱」をチラつか
 せて、一転、国民一律10万円給付となった過去がある。
 できるものなら「政権離脱」してみろってんだ。
 
11.8b
  今年の白菜は、すこぶる順調だ。

  収穫時期が10日間くらいずつ違うものを3種類、ひと
  畝(うね)に16本、計48本植えたのだが、成長にそ
  んなに違いは見当たらない。

  何が順調なのかだが、今年のやつはいつもより大きくな
  っている。
  もう結球が始まっているが、どのくらいまで大きくなる
  のだろう。

  ただ、こんなにもたくさんの野菜があるのに、私はコン
  ビニで野菜サラダを買っているわけだ。 

11.8a  


 今日は、柊弥クンの5歳の誕生日。
 駒ヶ根じいじからのプレゼントは「マウスでバトル!! 恐竜図鑑パソコン」です。

 金曜日にばあばに届けてもらったところ、すぐに柊弥クンからお礼の電話がありま
 した。
 そのときに、「誕生日まで開けちゃあだめだよ」と伝えたから、今朝になってから
 開けたようで、早朝にこの写真が届きました。

 今は保育園の年中さん。
 この間生まれたばかりだと思っていたのに、あと1年で一年生だ。
 だから、じいじが歳を取るのも無理がないね。 
11.7










 
 東伊那公民館の文化
 祭
は、今年も展示の
 みで行われました。 
11.6 














 キウイの収穫。
 感心したのは、チビたちが十分以上の戦力になったこと。
 午前中、4時間近くかかったけれど、途中で嫌になることもなく、
 ずっと集中して作業を続けた。

 キウイの実は、鉄のフレームでできた棚の上に成っていて、それ
 を脚立やはしごを使って登って採るわけだが、その狭い隙間に
 ビ
たちは潜り込んでいった。

 だから、チビたちの助けがなければこの時間では到底収まらなか
 っただろう。
 小さいうちからこのような環境にいれば、きっと働き者に成長し
 てくれると思う。 
11.5b
 舜クンがお風呂を洗っている。
 琉クンと一日交替で交互にやっているようだ。

 この子は、何をやるにしてもきちんとしている。
 お風呂を洗うときも、泡をいっぱい立てながら、スポンジ
 を使って、それもかなり時間をかけて洗っている。
 
 この子を見ていると、その人の性分は生まれつき備わって
 いるものだということがよくわかる。
 いい加減なことを許容できないのは素晴らしいことだけれ
 ど、ともすれば苦しい生き方になるからね。 
11.5a  
 越冬キャベツを植え付け、エンドウの種を蒔いた。
 いずれも冬越しをする野菜たちだ。

 越冬キャベツは、3種類16本。苗を産直市場で仕入れてきたも
 の。春になってもあまり大きくはならないが、とにかく葉っぱが
 柔らかい。

 エンドウは、春になってから種を蒔くスペースを空けてあるから、
 1本おきということになる。
 冬蒔いたものと春蒔いたものとでは育つスピードが違うので、収
 穫時期を少しでも引き延ばそうというもの。

 早く土に根を張って、極寒を乗り切る体力を付けてほしい。

11.4b
 今月から、仕事に行く場所が1箇所増えた。

 月曜日を移動日にしていて、土・日は休日に充てているから、仕事に就ける日は1週間に4日
 間だ。
 したがって、4日間埋まっている週と、3日間仕事に就く日が交互にやってくることになる。

 71歳の私を、ここまで駆り立てるものは一体何なのだろう。
 この仕事を始めたときは、「残りの人生は、世の中の役に立てることをしたい」などと生意気なことを言ってい
 たが、そんなに高尚な意志があるわけではない。かといって、「ボランティア」をする気など毛頭ない。

 体調が思わしくない日が続くと、こんな日常で本当にいいのかと、ついつい考えてしまうのです。

11.4a  
 霜が降りないうち
 にと、屋外に出し
 ていた鉢植えの植
 物を、室内に取り
 込んだ。

 昨年は根切りをし
 て、土を入れ替え
 てあるので、今年
 はそのまま異動し
 ただけです。
11.3  
 月曜日の夜、移動先のホテルの部屋で本を読んでいたけれど、文字が
 かすれてうまく読めなかった。

 相変わらず睡眠導入剤に頼らないと眠りにつくことができず、アルコ
 ールと併用すると効きが早くなるから自宅ではビールで流し込んでい
 るのだが、4分の3錠で眠れないときはもう3分の1錠を追加するこ
 とになる。
 
 日曜日の夜はそれでも眠ることができずに、もう3分の1錠飲んだと
 ころ意識がもうろうとなり、台所で転んで胸を打った。意識が希薄な
 ときに転ぶと受け身を取れないから、一時はあばら骨にひびが入った
 と思うくらい痛かった。そしてその痛みは今も続いている。

 体調が悪くなった原因はもうひとつ、衆議院選挙の結果にショックを
 受けたこともあると思う。
 だけど私の仕事には有給休暇はないので、昨日、今日と、「元気な森
 田さん」を貫き通したけれど、体調が完全には元に戻らない。

 仕事の合間にネットを開くことがあって、今日はなぜ株価が変動しないのだろうと疑問に思ったけれど、その
 理由は祭日だったからだ。

11.2
 団塊の世代もみな、2020年には70代となった。
 現在の
70代の日本人は、これまでの70代とはまったく違う。
 格段に若々しく、健康になった70代の10年間は、人生における「最後の
 活動期」となった。
 この時期の過ごし方が、その後、その人がいかに老いていくかを決めるよう
 になったのだ。

 
70代に努力することで、要介護になる時期をできるだけ遅らせ、晩年も若
 々しさを保つことができる。
 ただ、
70代には特有の脆弱さがあることも事実。
 寿命の延びに、健康寿命の延びはいまだ追いついていない。
 
70代をうまく乗り切らないと、よぼよぼとした状態で長い老いの期間を過
 ごすことになってしまう。

 
70代の人は、無自覚に過ごしていると、自然と老いは加速していく。
 だからこそ、老いを遠ざけようと意図的に生活することが求められる。
 老いを遅らせる
70代の生き方とはいかなるものか。
 日々の生活習慣から、医療とのかかわり方、健康管理についてなど、自立し
 た晩年をもたらす
70代の健康術を老年医学の専門家が説く。

   「70歳が老化の分かれ道」  詩想社  和田秀樹  の紹介文から。

  この書籍が奨励している70代の生き方、「何らかの形で仕事を続ける」、「趣味を持つ」、「身体を動か
  す」、「健康管理を実行する」などを、私はほとんど完全に近い形で実践している。
  だから、このままの状態を続けることによって、少しは老化のスピードを緩めることはできると思うけれど、
  人生の終着駅が見えてきたみたいで、なんだか悲しくなる。

11.1b
 茅野
 駅の
 紅葉
 で
 す。

 今日
 レン
 ズを
 変え
 た一
 眼レ
 フが車の中にあったのですが、SDカードを入れてなかっ
 たので撮影できず、鮮明さは今ひとつでした。
 
11.1a  
 先週は、「サンデー毎日」、「週刊朝日」、「週刊文春」の選挙
 別当落予想をそれぞれ見たけれど、今回の選挙の結果と照らし合わ
 せるとあてにならない。

 もちろん短期間で情勢が変わったということもあるかもしれないが、
 なんだか印象操作のような気もしてくる。

 それに比べると「出口調査」の精度は高くて、最初から結果がほぼ
 わかってしまっているから、テレビの報道を見ていてもちっとも面
 白くない。

 昔は、「大票田の開票の結果によってはどうなるかわかりません」
 などという緊迫感があった。
 選挙をゲーム感覚で捉えてはいけないけれど、率直な感想です。