あと あと のあと   2019年8月 

8.31
 昭和20年(1945)、連合国軍の本土侵攻が迫り、九州方面を主とした作戦
 区域として編制された第十六方面軍(西部軍)は、それを迎え撃つ態勢下に
 おかれていた。福岡市出身の
冬至もその地で防衛の任についていたが、この
 年の6月19日、マリアナ基地を発進したB29が福岡市にも襲いかかり、午後
 11時10分ごろから約2時間にわたって空襲をくり返していた。そのため、市
 の主要な地域のほとんどが血の海と化してしまう。

 翌20日の未明、
冬至は急ぎ帰宅したが、すでに自宅は焼失していた。逆巻
 く火焔と煙のなか、両親の姿を求めて懸命の捜査を続ける。妻子は郊外に疎
 開しており、幸い父親は無事だったものの、母親の行方が不明であった。探し
 あぐねた
冬至は、近くの小学校に遺体置き場があることをきいて駆けつけ、暗
 い廊下に息絶えて横たわる母親の姿を見出したのである。ほとんど傷はなく、
 まるでもの思いに沈むように半ば眼を閉じていた。煙による窒息死であること
 がわかった。

 
冬至はいったん司令部に戻る。すると折しも、そこでは米軍捕虜(これまでに
 撃墜したB29の搭乗員)の処刑を実行するところだった。突然こみ上げてき
 たものが、「よし、親の仇は自分の手で」との思いだった。その場には指揮官
 たちも居並んでおり、厳粛の気が満ちていたという。そのため、この処刑が正
 式の軍律会議を経たもので、合法的なものだと思いこんだのである。そして自
 ら志願し、それを認められた上で、命ぜられるままに4人の捕虜を斬首してし
 まう。この処刑が正式な手続きを踏んたものでなかったのは、のちに知ることになる。そのとき
冬至はまだ31歳の、西
 部軍航空情報隊に所属する主計中尉だった。


      「ある『BC級戦犯』の手記」  冬至堅太郎  山折哲雄(編)  中央公論新社  からの抜粋です。

8.30
 埼玉県の日高市には、月に2回のペースで訪れている。最寄りのJRの駅は高麗川。地名も日
 高よりも高麗川の方が通りがいい。

 その高麗川に、「巾着田」という曼珠沙華の群生地があって、時期になると500万本の曼珠沙
 華
が咲き、巾着田は紅一色に染まるという。

 去年そこに行きたかったけれど、タイミングが合わなかった。このの見頃は毎年かなりずれ
 てそれも短期だ。

 そんな話をタクシーの運転手としていて感じたのは、あれからもう1年が経ってしまったのかということ。実感としては、
 3ヶ月くらい前に思ったことくらいの感覚だ。歳を取るにしたがって、月日の流れがどんどん早くなってしまうから、一方
 では焦りに似た感情がわいている。

8.29b
 たとえば24時間稼働の工場に、「問題があるのはどの時間帯ですか?」と訊いた
 場合に、「夜中の12時です」という答えが帰ってきた場合には、その時間に現場に
 入っていた。
 私の恩師は、「コンサルタントがそこまですることはない」とおっしゃっていたが、「企
 業のお医者さん」を標榜する私は、まずは現場の現実をこの目で確認する必要があ
 ると思っていたからだ。

 今も21時くらいまで仕事をしている場合があるが、身体はきついけれど苦痛だと感
 じたことはない。それに引き換え、短時間だとしても、望まれていない、従ってかみ
 合わない時間は苦痛で仕方がない。
 そんな場合は、自分から身を引かせてもらうという、極めてわがままな仕事ぶりを今
 まで続けてきた。

 今日行った工場では、次は朝の5時に入ることになった。これは仕事に対する私のポリシーそのものだからなんら問
 題はないのだけれど、はたして身体がいつまで持つだろうかという不安は残る。

8.29a
 ようやく「東北5大祭り」の画像を「GALLERY」にアップすることができました。

 夜間の撮影はシャッター速度が遅くなってしまうために、動いているものをハッキリ捉
 えることができません。

 それでも、あの暑さと人いきれの中で、シャッターを切り続けました。私の「観光」はど
 うしても撮影が中心になってしまうので、本来のものではないのかもしれません。

 手前味噌になってしまいますが、私が撮影した画像は、単に風景を切り取るだけでは
 なくて、どこかで「人間」の部分に切り込んでいると思っています。どうぞご覧ください。
8.28b
 「ラウンドアップ」の人気の秘密は、高い除草効果だ。グリホサート(除草剤成分)は植
 物の表皮から内部全体に取り込まれ、多くの植物が共通して持つ酵素の働きを邪魔し
 て枯らす。この酵素は人間や動物が持たず、安全性は高いとされてきた。
 「おそらく人間に対して
発がん性がある」。潮目が変わったのは2015年3月、世界保
 健機関(WHO)が、グリホサートを
発がん性の疑いがあるグループ「2A」に分類したこ
 とだ。
 手に入る約一千件の研究を調べ、人間への
発がん性に「決定的な証拠」があり、動物
 への
発がん性には「十分な」証拠があると判断したという。
 「2A」は危険性が高い方から2番目に当たる。


           「グローバル ウォッチ」   日本経済新聞  8月28日の夕刊から

 ホームセンターに行くと、「ラウンドアップ」がうず高く積まれている。それだけ利用者が多いということだ。
 私は除草剤を使わない。なぜかというと、自然環境にいい影響をあたえるはずがないと思うからだ。発がん性のほか
 にも、草に耐久力が付いて、使っているうちに効き目がうすくなるという。
 このことは、一方では、何事も楽をしていてはダメだということを教えてくれている。
 
8.28a  
 断捨離」とは、モノへの執着を捨て不要なモノを減らすことにより、生活
 の質の向上・心の平穏・運気向上などを得ようとする考え方のこと。200
 9年刊行の「新・片づけ術『
断捨離』(やましたひでこ著、マガジンハウス)」
 により提案された。
 「
断捨離」はヨガの「断行・捨行・離行」から生まれた言葉で、「断」は入っ
 てくる要らないモノを断つこと、「捨」は家にあるガラクタを捨てること、「離」
 はモノへの執着から離れることを表す。 
         (コトバンク)

 とある雑誌に、世の中との関係を「断捨離」する記事が載っていた。
 その人は、まず人間関係を整理するために、年賀状の差し出しをやめるこ
 とを「最後の」年賀状で表明したという。翌年来た年賀状には繰り返してそ
 の旨を伝えることにより、4年目にはまったく届かなくなったそうだ。

 それとは少し違うかもしれないけれど、私も整理しなければならないものが沢山あると思ったから、手始めに「エンファ
 クトリー
」という、専門家を紹介してくれるWebサイトへの登録を解消した。
 まだ私に「営業活動」が必要だった頃、会費が安かったので登録しておいたものだ。もう10数年のお付き合いになる
 が、個人からの相談が届くだけで、紹介が実った例はひとつもない。

 もうひとつの要素としては、私がお客さんの会社で当たり前のようにやっている、「経費削減」に取り組む手始めとして
 である。

8.27
 レクサスの「IS」が売れていないのだという。ライバル他車
 との販売台数の比較を見て驚いた。

 レクサスIS   1142台
 ベンツC    11257台
 BMW3     4473台     (2019年 1~6月)

 その理由は、ISの電子プラットフォームが他社に比
 べて
古くなっているためだという。

 だからいつもウォッチしている、ベンツのCクラスの中古車の価格が、なかなか下がらないのだ。
 
8.26b
 刈り機を扱い始めた頃は、金属製の板の4枚刃で、その都度グラインダー
 で研いでいました。

 今の刈り機の刃はチップが付いていて、少し前のものは石に当たると簡単
 に取れてしまったのに、かなり性能がよくなってほとんど取れなくなりました。

 ただ、減ってくると切れ味が悪くなるので、秋の粘り強いがうまく切れなく
 なります。
 もったいないような気がするけれど、交換してほぼ今年最後の刈りです。
8.26a
 近所の人に「いい花火だったね!」と言われたけれど、本人はきちんと見てないのです。
 なぜかというと、ビデオカメラを覗いていたからです。YouTubeにアップしようと意気込んでいたけれど、
 ボケていて鑑賞に堪えられるものではありませんでした。
 9年前の琉クンの誕生祝いの花火は、デジタルカメラでうまくいったのに、今回は残念でした。

8.25
 日照時間が少なかったのに、今年
 の「秋(の収穫のこと)」は早いと
 言われています。

 家のまわりの田んぼのは穂を垂
 れ、黄金色に色づいてきました。
 台風が来なければ、まずまずは
 作
の予感です。 
8.24
 自宅の目の前で上がる「カッパ祭り」の花火
 「20周年」ではなくて、わざわざ「20周年」にしたのには理由がある。

 「20周年」は地元で事業をしている場合の表現で、「20周年」は、地元
 には仕事では直接関係はないが、「20周年機会感謝を表したい」とい
 う意味である。

 動画を撮ろうと意気込んで現場に行ったのだけれど、うまく撮れなかったの
 で、アップしません。 

8.23  
 私は普通の人より「性欲」が少ない。後述するが、私は生まれてこのかた、
 浮気をしたこともなければ「風俗」に行った経験もない。取材でそういった店
 に入ったことはあるが、そこでサービスを受けたことはない。もっといえば、女
 性がお酌をしてくれるような店にも行った経験がない。酒が飲めないこともあ
 るが、まったく興味がないのだ。

 接待なのだろう、そういった店に誘われることも多いが、その都度、必ず断る。
 私をよく知る人は、私の前で「
猥談」や「女の話」はしない。私がまったく関心
 を示さないからだ。赤裸々な女性体験を持ち、それで有名になった田中康夫
 氏も私の前では仕事の話しかしない。マスコミ関係者も同様で、私と付き合
 う「暗黙のルール」になっているほどだ。

 実は
性欲だけではない。私は食欲も睡眠欲も少ない。食は栄養になりさえす
 ればいい。食通や食道楽に関心はない。寝るのも別にどうだっていい。
 だからといって「枯れて」はいない。私をみればわかるだろう。

 私は
三大欲に使わないエネルギーをある一点に集中させている。自分に関
 心があること。興味を引いたこと。その現場に出向き、取材をし、人に伝える。
 このことだけにすべてのエネルギーを注ぎ込んでいる。これだけは誰にも負
 けない。誰よりもエネルギッシュにやっている。それが私「田原総一朗」という
 人間だ。

      「シルバーセックス論」  田原総一朗   宝島社 からの抜粋です。
 
8.22
 2018年9月に他界した樹木希林が初めて出演した海外製作作品で、女優として最後
 の出演作となったドイツ映画。

 桃井かおり出演の「フクシナ・モナムール」など、これまでにも日本を舞台にした作品を手
 がけてきたドイツ出身のドーリス・デリエ監督が、孤独なドイツ人男性と、男の父親と親交
 のあった日本人女性が、人生を取り戻すためにともに旅する姿を描いた。

 ミュンヘンに暮らすカールは、酒に溺れて仕事を失い、妻は子を連れて家を出てしまう。
 孤独に苦しむ彼のもとに、ある日、
ユウという日本人女性が訪れてくる。ユウは10年前
 に東京を訪れていたカールの父ルディと親交があり、ルディの墓と生前の家を見に来たの
 だという。最初はしぶしぶ
ユウに付き合っていたカールだったが、次第に彼女に惹かれて
 いき、今度は
ユウの祖母に会うため日本へ向かうが……。

 2人が訪れる茅ヶ崎の老舗旅館「茅ヶ崎館」の女将を樹木が演じている。


 樹木希林に「会いたい」ばかりに、日比谷シャンテまで出かけていったのだけれど、彼女が登場したのは最後の部分
 だけで、なんか難しくてよくわからない作品だった。
  
8.21
 8月17日に放送されたNHKスペシャル「昭和天皇は何を
 語ったのか ~初公開・秘録「拝謁(はいえつ)記」~を見逃し
 ていたので、昨夜0時20分から、NHK-BS1で再放送さ
 れたものを見た。

 日本の占領期の第一級史料が発見された。初代宮内庁
 長官として
昭和天皇のそばにあった田島道治の『拝謁記』
 である。1949(昭和24)年から4年10か月の記録には、
 
昭和天皇の言動が、田島との対話形式で克明に記されて
 いた。

 敗戦の道義的責任を感じていた
昭和天皇は、当初「情勢ガ許セバ退位トカ譲位トカイフコトモ考ヘラルヽ」としていた。
 さらに、1952年の独立記念式典の「おことば」で戦争への反省に言及しようとする。しかし、吉田茂首相からの要望
 で、最終的に敗戦への言及は削除されていく。その詳細な経緯が初めて明らかになった。

 番組では、
昭和天皇と田島長官の対話を忠実に再現。戦争への悔恨、そして、新時代の日本への思い。昭和天皇
 が、戦争の時代を踏まえて象徴としてどのような一歩を踏み出そうとしたのか見つめる。
   (ホームページから)

 自らの戦争責任をに表明したかった昭和天皇と、そのことが退位論を加速させるのではないかと、「おことば」の内容
 を変更させた吉田茂と、その間に入って苦悩しながら調整をした田島宮内庁長官の記録が明らかになったものである。
 極めて人間的で現実的な発想をしていた昭和天皇の姿は、私が今まで思い描いていなかった一面である。

8.20
 まだ子どもたちが夏休みだからか、家族連れの旅行者が東京のJRの駅にはあふれて
 いる。
 
 一見して旅行者だとわかるのは、キャリーケースを後ろに引っ張っているからだ。このよ
 うな場合、すれ違う歩行者に当たって危ない。
 私のようなビジネスマンは、キャリーケースを身体の横に位置をさせ、密着させる形で
 移動させている。それは、何回か危険な目に遭ったからだと思う。
 いつだったか新聞か雑誌に、後ろに引っ張ると小錦が歩いているのと同じ面積を取ると
 書かれていた。

 日中はまだ暑いけれど、夜になるとだいぶ涼しくなった昨日、今日です。
8.19
 「ライチ」の種を10個くらいいておいたところ、芽を出した。
 いまのところ4本で、そのうちの1本はまだ「赤ちゃん」だ。

 問題はこのあとの対応で、ひとつは1本に間引くことができるかということ。
 せっかく芽をだした「ライチ」を、抜いてしまうのは忍びない。

 もうひとつは、冬の間室内に置かなければならないのだが、成長するとかな
 り背が高くなってしまうだろうということ。

 だったらかなければいいのだけれど、ものごとは思うようになりません。

8.18
 タマネギを収穫したあとに、何も植えるものがなかったので、コロタンメロン
 の苗を植えた。
 沢山の実が成って、ひとつ食べたけれど、まあまあいける。

 それにしても時間の流れが速すぎて、コロタンも、昨日植えたような感覚だ。
 若いころは何かしらの希望が先に見えていたが、この歳になると大きな目標
 を見いだしにくくなる。若いころのように、人生とは何かと考えてしまいます。
8.17




   自宅の芝生に作ったビニール製のプール

   長女が撮影しました。 
8.16b
 インプラントを入れてから、口の中をむようになったが、最近はそれが著しい。

 む場所は、両側の頬と、どうしてこんな場所をめるのか不思議に思うのだが下の歯の内側の
 付け根と、舌の先っぽだ。

 歯科医院の院長の説明によると、口の中をまないように歯と口の動きが無意識に連動している
 が、そのタイミングがずれてしまうからだという。その都度「ジャキッ!」という嫌な音がする。

 むのは、ものを食べているときがほとんどだが、今日なんかは、何でもないときに舌の先をんでしまった。人間の
 身体のつくりは微妙なものだね。

8.16a    
 「グリーンファーム」で、うさぎに人参をあげている。       チャーシューが届いたのに、眠くなっちゃった!

8.15b
 おじいさんの兄弟・姉妹は9人いたけれど、男の兄弟4人のうち2人が、あの忌まわしい
 太平洋戦争で命を落とした。

 長男は輸送船に乗っていたところを、フィリピンのバリンタン海峡で船が攻撃されて亡く
 なり、三男は徴用で行っていた東京の石川島の造船所で、艦橋から転落して亡くなった
 という。

 三男は正式には「戦死」ではなかったが、私が高校を出て就職した会社の社長であった
 代議士の秘書が尽力してくれて、恩給(遺族年金)の対象になった。

 子供を二人も亡くしたというのに、祖母(はるよ)は涙ひとつ見せなかったという。時代は
 移り変わり、戦争も風化してしまったけれど、私の原点のひとつはここにあります。
8.15a
 この3日間で、体重が3kg減った。下着は汗でびっしょりになる。まるでボクサーの減量のようだ。
 それでいて、まだ外仕事は完了していない。

 今年は家にいない日が多かったこともあるが、アブラゼミの声を聞いていない。が多い年と少ない
 年があるから、今年は当たり年ではないのかもしれない。
 夕方、通くの方から、もう秋(ミンミンゼミ)の声が聞こえてきた。
 
8.14
 普通なら、お盆の3日間くらいは外仕事はしないのだけれど、今年はいつも
 と状況が違う。
 田んぼの畦の刈りと、畑の草取りが間に合わなかったため、昨日も今日
 も外に出て身体を動かしている。
 幸いお天気がいいから、掻いたは半日もあれば枯れてくれるけれど、それ
 を集めないと台風が雨を連れてきそうだ。
 朝は6時ころから、朝食を挟んで10時ころまでが限度で、夕方は16時ころに
 ならないと、さが治まってくれない。
 身体にたまったは、シャワーを浴びたあともしばらくは汗が噴き出している
 くらいだから、一方では中症との戦いです。
 
8.13  
  迎え盆
  祭壇を作って、お迎え万灯を焚い
  て、ご先祖をお迎えします。

  今、自分たちがこの世にいられる
  のも、ご先祖からの「命」を継 いで
  いるからです。
  感謝。
8.12
 「IWGPチャンピオン」のオカダ・カズ
 チカが優勝してしまうと、来年の正月
 の東京ドーム大会まで引っ張ること
 ができないから、営業的にはそれは
 ないとわかっていた。
 それでも、Aブロックトーナメントのサ
 ナダ戦では、残り14秒というところ
 で負けてしまった。

 そして一昨日と昨日、両ブロックとも、メインの2試合で勝った方が決勝戦進出となるストーリーだ。こんなことは、試
 合のスケジュールが組まれたときにわかるはずだし、プロレスファンなら、それを理解して楽しんでいるのだけれど、
 今回はなんだか腑に落ちなかった。

 東北の旅をしたすぐあとだったからか、それとも10日から11日にかけての草刈りがハードだったからかわからない
 が、今回は体調が優れなくて心から楽しめなかった。この暑い時期の「G1クライマックス」観戦は、今年が最後になっ
 てしまうかもしれない。

8.11
 「G1クライマックス」には、とのさま
 と次女との3人で行く予定だったけ
 れど、とのさまの叔父さんが昨日亡
 くなってしまい、今夜がお通夜のた
 め、行かれなくなってしまった。
 それでも明日、焼き場に行ったあと
 で駆けつけてくるという。
 G1に対する執念がすごいです。

8.10
 しばらくいない間に、がすごいこ
 とになっていた。
 温度が高くて雨がよく降るから、
 草
に占領されていたのだ。
 こんなことは未だかつてなかった。

 お盆前にいろいろできるのは今日し
 かないので、朝5時から親戚の分も
 含めて祭壇用のを編んだ。

 それから畦の草刈りにかかり、午前中いっぱい外で作業をしていたのだが、この暑さにやられたらしくて、昼食時には
 具合が悪くなった。でも、やるべきことはやらなければならないので、刈りの続きと刈りは夕方になって手を付け
 ました。
 明日の朝は、雑草に挑戦するつもりです。
 
8.9
 久しぶりに家に帰ってきた。
 チビたちは、顔を覚えていてくれた。

 スマホの自宅設定は駒ヶ根にされているので、出かけてい
 る間中、駒ヶ根が警戒レベルに設定されたという情報がひ
 んぱんに送られてきた。

 今日も「あずさ」の中に届いたので雨雲レーダーを見たとこ
 ろ、雨雲の塊が自宅の上にあった。今夜は雷が鳴り響き、
 一時停電になったそうだ。

 留守中にジャガイモの収穫をお願いしてあったのだが、こん
 な天候のため、半分くらいが保存に適さないという。
8.8
 「NHKから国民を守る党の主張は、「NHKをぶっ壊す」こと。
 それは、物理的に破壊するのではなく、スクランブル放送をすることで、NH
 K
を見たくない人はお金を払わないですむように放送法を改正するということ
 だという。
 ここで欠けている認識は、では民間放送は「タダ」で見られているかというこ
 とだ。実際に受信料は払っていないかもしれないが、スポンサーの広告料は
 私たちが購入する商品の価格に含まれているから、民放全体に対する個人
 の負担額を合算すると、NHKよりも高い受信料を支払っているかもしれない
 のだ。
 「NHKをぶっ壊す」という延長線上には、公共放送であるNHKは必要ではないのかという論議が生まれる。私なんか
 は、民放を見るのはスポーツ中継かニュース番組だけで、バラエティ番組しか垂れ流していない民放には興味がわか
 ないから、テレビの番組表すら見る気になれない。
 民放は、提供するスポンサーに忖度しなければならないし、NHKは時の権力に赴むかなければならないという背景を
 勘案しても、骨のある番組を製作し提供しているのは圧倒的にNHKの方ではないか。
 だから、今払っている受信料が、決して高い額だとは思っていない。

8.7
 もう10日間家に帰っていない。
 この間、Amazonからは、「新・くたばれ!ISO。」の納入指示が4回も
 あったけれど、自宅にいないから発送ができない。その結果、今夜現
 在で在庫が2冊になってしまっている。

 ずっと気になっていたことだけれど、なかなかJRの駅に行く機会がな
 かったから、金曜日の「あずさ」の指定席券を確保していなかった。
 そして昨夜、東京の蒲田駅で指定席券を買おうとしたところ、19時以
 降の席はすべて満席だった。かろうじて18時発の指定席券を確保することができたが、危なく家に帰ることができな
 いところだった。 私らしくない行動だったと言えるかな?

8.6b
 4日間、一度も雨が降らなかったことは、まずはもって素晴
 らしいことでした。

 東北行きを思い立ったときは、チビたちもつれてみんなで
 行こうと思っていました。
 ところがホテルを確保できなかったために、ツアーを探した
 ところ、いずれも日程がきつくて子供には無理でした。そこ
 で私一人で行くことにしたのです。

 今回の「おひとり様限定ツアー」の参加者は23名。一見私
 よりも年配だと思われる人たちばかりで、男性は7名だけ
 でした。女性陣は、「本当にひとり旅?」と疑問に思うくらい
 すぐに打ち解けていたけれど、男性陣はみんな孤独を愛しているような人たちでした。

 少し割高だけれど、内容は濃くて、会場の桟敷席なんか、普通では確保できないだろうという席ばかり。昨日の山形
 なんか、ホテル前の歩道にできた椅子2列のスペースを、全部私たちのツアーが占めていたくらいで、「クラブツーリズ
 ム」の実力を思い知らされました。そのくらい、いろいろなパターンの「クラブツーリズム」のツアーに、あちこちで出会っ
 たところです。

 食事も豪華で、ホテルも普段私が泊まったことがないような部屋ばかり。かなり「エグゼクティブ」な旅でした。しかしも
 う一度行くかと言われたら「NO!」。この暑さと人いきれはもう体験したくないです。と、贅沢なことをつぶやいていると
 ころです。

8.6a

仙台・七夕







 仙台は「杜の都」というイメージから、もっとローカルな雰囲気を想像していたけれど、七夕飾りがあるのは、ビルに囲
 まれた商店街の通りだった。
 青森・秋田・山形は全部夜だったけれど、仙台は炎天下なので、暑い!!

 
8.5c

山形

花笠踊り







 今夜の人出は33万人とのことでした。
 りは18時から21時45分頃まで続き、気温は夜になっても30℃を超えていて、っている人たちはさぞかし暑か
 ったことでしょう。
 3日間で、約160団体、14,000人がりに参加するという、華やかなお祭りです。 
 
8.5b  
 青森のねぶたも、秋田の竿灯も、山形の花笠踊りも、全部夜
 の行事だから、ホテルに帰るのが22時過ぎになることもある。

 毎晩汗びっしょりになっているから、まずはシャワーを浴びた
 あと、届いたメールをチェックし、撮影した画像を整理して、ブ
 ログを更新する。
 
 昨夜は、全英女子オープンを最後まで見たかったけれど、翌
 日のことを考えて、ハーフの9ホールが終わったところで眠る
 ことにした。そのとき渋野日向子は、首位と2打差だった。

 3日間とも後半でスコアを伸ばしたから、もしかしたらとは思っ
 たけれど、朝、恐る恐る開いたスマホで優勝したことを知った。

 涙がこぼれるほどうれしかったけれど、一方ではG1クライマ
 ックス
がおろそかになっている。
 
8.5a  
 第五番  大吉

 新しいが吹いていますはす
 べて追いに。
 
 爽やかな大空を吹き抜ける風の如
 く、旺盛な
行動力を持ちなさい。

 ← 出羽三山神社   八咫烏 →
   
8.4

秋田・竿灯


 19時iに、青森市長の挨
 拶があったあと笛が鳴り、
 竿灯が一斉に立ち上がっ
 た。
 桟敷席の目の前で、竿
 肩に乗せたり額に乗せた
 りの演技が続く。
 ものすごい人出で、お祭
 りは最高潮です。
 
8.3b

青森・ねぶた




 19時にパレード開始の花火が上がり、21に終了の花火が上がるまでの2時間、ツアー会社が設定してくれた桟敷
 席で、至福の時間を過ごすことができました。
 とりあえず6枚の写真をここに、残りは時間を見て「GALLERY」にアップします。

8.3a









 盛岡の「さんさ踊り」。
 東北新幹線は盛岡駅で降りて、パスに乗り換える理由は、この「さんさ踊り
 を見るため。

 パレードは18時から行われるのだけれど、青森に移動しなければならない
 から、駅前広場と市民文化ホールでの踊りを見るだけでした。
 短い時間しか見ることができなかったけれど、私は、しなやかな手つきに
 せられ
ました。きっとパレードも盛り上がるのでしょう。
8.2
 明日から、「東北5大夏祭り」の旅に出る。
 これまでいろいろな所に行っているが、旅行会社が企画する「
 アー
」を利用するのは、国内海外を通じて初めてのことだ。その
 理由は、団体行動というものが好きではなかったからだ。

 今回の東北行きも自分で考えようとしたのだが、青森や秋田の
 ホテルを確保するのが難しかった。そこでネットでいろいろな企
 画を探していたところ、「お一人様限定」というツアーに出会っ
 た。

 「お一人様」だから、家族や友人の同行はダメで、個人での参
 加に限定される。つまり、個人単位の旅行を集めて一つにした
 「ツアー」なのだ。
 したがって、ホテルはシングルの部屋が用意され、移動に使わ
 れるバスは、二つの席を一人で占有できるという心配りだ。

 ここで困ったのは、4日間の前後に目一杯仕事が入っているため、自宅に帰る時間が取れないということだった。12日
 間
出ずっぱりになってしまうわけだ。12日間の、それも目的が異なった衣類を、全部まとめて持ち歩くわけにはいかな
 い。そこで、今週使った衣類は、ホテルから宅配便で自宅に送った。旅行から帰ったあとのものは、最初にお伺いする
 会社に送ってある。
 そんなわけで、明日の夜は、荘厳な「ねぶた」に囲まれているはずです。
 
8.1
 20歳前後の夏の楽しみのひとつは、労働組合や産別組合の青年婦人部の
 キャンプに参加することだった。
 キャンプが行われたのは、蓼科や霧ヶ峰などの高原地帯で、夜はキャンプ
 ァイヤーを囲んでフォークダンスを踊った。

 私の目に今も焼き付いているのは、フォークダンスの合間に、立っていた女の
 子の後ろから男が近づいていき、乳房をむんずとつかんだ光景だ。
 あの女の子は、あのときの心の傷を、ずっと引きずっているのではないかと思
 う。