3.31 |
「八景島」にチビたちを連れて行こうと思い立ったのは去年
のこと。春休みが長いだろうから、何かを企画しようと思っ
たのだ。
そして決め手になったのは、今年になってからダメ元で問い
合わせた「シーパラダイス」内のホテルに、空き部屋があっ
たこと。
規模の大きな水族館や、イルカショーにチビたちは満足した
ようだけれど、何とか引率が務まったのは次女がいてくれた
から。ただ一緒にいただけだけれど、疲労困憊です。
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3.30 |
新しく手に入れたルー
ターは、「受信時最大
1288Mbpsの通
信速度を実現。
光回線並みの安定し
た高速通信を提供」
の優れも のだとい
う。
実際には関東圏で使って
みないと分からないけれど、調子は良さそうだ。
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3.29 |
JR八王子駅の構内に、突如大きな桃の木が出現した。
造花かもしれないと思って花びらを触ってみたが本物で、5分咲きくらいだか
らつぼみもいっぱい付いている。
幹は継ぎ合わせた様子も見られるが、それにしても思い切ったことをしたも
のだ。
掲示物から、山梨県甲州市が、桃の花の観光をPRしたものだとわかる。
東京の満開の桜に対抗しているわけだ。
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3.28b |
第2次大戦末期に保母(保育士)たちが幼い園児たちとともに集団で疎開し、東京大空
襲の戦火を逃れた「疎開保育園」の実話を戸田恵梨香と大原櫻子の主演、山田洋次作
品の多くで脚本、助監督を務めてきた平松恵美子の監督、脚本により映画化。
1944年、第2次世界大戦末期の東京。警報が鳴り、防空壕に非難する生活が続く中、
品川の戸越保育所では園児たちの安全を確保するため、保母たちが保育所の疎開を模
索していた。
ようやく受け入れ先として見つかった埼玉の荒れ寺で疎開生活をスタートした若い保母た
ちと園児たちは、日々噴出するさまざまな問題に直面しながらも、互いに励ましあいなが
ら奮闘していく。 (映画.com)
エンドロールに、協賛団体として「東京福祉大学」が出てきた。留学生1400人が所在不
明になっているという報道がある中だから、あまりいい印象ではなかった。 |
3.28a |
昨年還暦を迎えるにあたり、人生の残された時間を具体的に考え始めた時に、もう少し
穏やかな時間の中で芸能活動以外の事に時間を使って人生を充実させたいと思うよう
になりました。
「芸能界引退」を発表した森昌子 |
3.27 |
スマホのドコモメールの受信フォルダーには、「受信BOX」と「メッセージR」と「メッセ
ージS」の3種類がある。
知り合いから来るメールは「受信BOX」に届くが、それ以外はほとんどが何らかの宣
伝メールだから、内容も確認せずに削除してしまっていた。
昨夜、たまたま「メッセージR」に入ったメールの中に、「予約キャンセルのご連絡」という文字があったから気にな
って開いたところ、先日注文したルーターが購入期限切れになったため、キャンセルしたという内容だった。
私は、入荷したら電話で知らしてくれるものとばかり思っていた。今日ドコモショップに電話して分かったことだが、
入荷の知らせをメールで送ったが、私がそれを見てないからこのようなことになったということだ。
ルーターは保管しておいてもらい、土曜日に伺うことにしたが、電話くらいしてくれてもいいんじゃないかと思うけ
どね。
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3.26 |
僕はたけしというのは全く認めないんですよね。
たけしとは、以前1本だけ15分くらいのミニドラマをやっているんですけど、それだけです
ね。僕はあの人を全然認めない。 役者としても人間としてもですよね。
だって土曜日のニュースショーなんて、なにがフリージャーナリストで、何が「刮目NEWS」
だって話だもんね。あんなニュース番組でふざけたこと言われたって面白くもおかしくもない。
大体、滑舌が悪すぎて何言っているんだかわからない。
TBSがありがたがっての使い方が嫌ですね。なんであの人があんなに買われるようになった
のか。それはもちろん監督として外国でヘンに認められるようになっちゃったからなんだけど。
そんなにすごい人なのかと思う。まあ、個人の趣味だから大きな声では言えない話なんです
けどね。僕はハッキリ言って嫌いです。
「ドラマへの遺言」 倉本 聰・碓井広義 新潮新書 からいただきました。 |
3.25 |
「暑さ寒さも彼岸まで」。
お彼岸を過ぎれば、ジャガイモを植えていいと言われています。
今年は畝をひとつ増やし、種芋を107個植えました。
白く見えるのは、植えた場所のあいだに置いた肥料です。
あとは、芽が出たころに、霜が降りないことを祈るだけです。 |
3.24b |
スイミングクラブの、「春休み短期水泳教室」に通い始めました。
今週の金曜日までの6日間の企画です。
今年から舜くんも参加して、琉クンと一緒にバスで通います。
長い春休みだから、このような企画は大歓迎です。 |
3.24a |
長女が撮影した「鯉のぼり いーっぱい!!」が、南箕輪村の「第13回みなみみ
のわフォトグランプリ」の、「優秀賞」に入選しました。
大芝高原で、柊弥クンを撮影したものです。
写真は、撮影した人の感性が表れるもので、同じカメラで、同じ時間に、同じもの
を撮影しても、違いが表れると言われています。
この写真も、見た人たちに、何かを語りかけてくれます。
画像は、「南箕輪村観光協会 フォトグランプリ」のページにリンクしました。 |
3.23 |
保育園の卒園式。
「大きくなったら、かっこいい名探
偵になりたいです」。これが舜ク
ンが宣言した抱負です。
担任だった「ことみ先生」の離任
式では、少し涙ぐんでいました。
「ことみ先生」は5年間在籍され
ていたというから、舜クンの5年
間と重なるんだね。
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3.22 |
「金本知憲前監督との出会いが藤波の人生を変えてしまいました」。こう見るのは
在阪スポーツ紙の遊軍記者だ。
以前から制球に難があり、右打者への内角球が抜け気味だったが、それは逆に
藤波の武器でもあった。ところが金本監督はその荒れ球が気に入らず、四球をな
じり、スパルタ指導で修正させようとした。
2016年7月8日の広島戦では初回先頭打者の四球をきっかけに崩れ、3回で5失
点。しかし8回161球まで続投させた〝懲罰投球〟が物議を醸してもいる。
藤波も藤波でそうした金本前監督の指導に不信感を持ったことで、他の首脳陣と
の間もぎくしゃくしてしまっている。
そんな四面楚歌の結果のスリークオーター……もはや技術的にも状況的にも完全
に迷宮に迷い込んでいる。
現状では阪神で復活するのは、もはや難しいのだろう。再生への道があるとすれば
移籍すること。例えば選手の育成に定評のある日本ハムにでも移って、心身ともに一からやり直す事が救いの道なの
かもしれない。
ただそれで活躍されたら、一番困るのが阪神です。だからトレードには絶対に出さない。それが阪神ですから。
八方塞がりの悲劇である。
「野球の言葉学」 鷲田 康 「週刊文春」 3月28日号からいただきました。
人には長所と短所があって、短所は目に付きやすいけれど、それを直すのは容易ではない。それよりも、その人の持
ち味を見つけて、それを伸ばす働きかけをする方が、その人を育てることに結びつく。 これが私の「言葉学」だ。
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3.21
春分の日 |
飛び石の祭日だったためか、今夜の下りのあずさの乗客はいつもより少なかった。
グリーン車の車両には7人の乗客がいたが、その中の甲府で降りた人の座席を見て驚いた。
リクライニングシートを戻してないくらいならまだ可愛いが、弁当を食べたあとのゴミを座席に置い
たままだ。コーヒーの紙コップはホルダーに入れっぱなしで、そのフタは窓の所に置いてある。そ
して横にはペットボトルだ。
こんなマナーを守れない輩(やから)には、グリーン車に乗る資格なんかない! |
3.20 |
茨城県の土浦まで移動したのに、次の日の仕事が中止になる。私にはよくある
ことだけれど、その理由は受注が異常に増えてしまったからである。
そんなとき、ホテルのチェックアウトは10時だから、そのあとの身の置き場がな
い。だからどこで何をしようかと考える。
今日は、松戸市の五香駅に行くことを計画した。私が31歳のときに、知人と事
業を始めた場所で、訪れたのは38年ぶりになる。
駅のホームから見えるそのビルは、今も残っていた。ここの2階を事務所にして
いたわけだが、1階にあった「養老の滝」は姿を消していた。
このときに、世の中の厳しさを身をもって感じることになるのだが、この挫折がな
かったら、自分の力をもっと過信していて、いつまでも落ち着くことができなかっ
たのかもしれない。そんな苦い経験をした場所で思いを新たにしたところです。
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3.19 |
手作りの「他人に聞こえるひとりごと」は、約120冊を送付した。
欲しくもないものを突然送りつけられても迷惑なことなので、「読んでくれそう
な人」を選んだつもりだけれど、それでよかったのだろうか。
「義妹が以前、お兄さんは偉ぶったところがない」と褒めてくれたけれど、常
に謙虚で、傲慢な態度を外に出さないように努めているつもり。
かといって職業柄、いつも自信満々という雰囲気を保っていなければならな
いから、一つひとつの行動の前には、自分の中で吟味を重ねているのです。 |
3.18b |
今日が春の彼岸の入り。
21日にお墓に行くことが出来ないから、午前中にお花を供えに行ってきた。
砂利の下にある土まで根を張っている草がいっぱい生えていて、それを私が
草掻きでこいだあと、琉クンがそれを集めてくれた。
小学校は4月4日の入学式まで春休み。小学生に求めることは無理だけど、
何かテーマを持った、まとまったことをしたいものだね。 |
3.18a |
私が朝自宅にいるときは、「保育園に送ってください」と言って、舜クンがやってくる。
23日(土)が卒園式だから、一緒に保育園まで行かれるのは、今日が最後になってし
まうかもしれない。
車の中で、「もう保育園に送って行かれないね」と言うと、「いい!」とぶっきらぼうに答
える。子どもに、大人が持つような感傷的な感情はないんだ。
舜クンは、5年間も保育園に通った。最初のうちは、送っていっても離れようとはせずに
泣いてばかりいた。それに比べるとずいぶん大きくなったものだ。
今朝なんか、手もつなごうとせずに、私の先をどんどん歩いて行ってしまった。 |
3.17 |
今日の長野は雪模様で、花粉情報も「少ない」とのことなのに、鼻の奥がム
ズムズして鼻水が止まらない。
東京の耳鼻咽頭科では「アレグラ」と同じ成分のものを処方してくれたが、私
には効かないということが去年実証済み。今年も試しに飲んではみたが、症
状は全然軽くならない。
同じように、処方してくれた点鼻薬も全然効かない。薬が効く効かないの個
人差がどうやらありそうだ。
そこで私が頼りにしているのが「パブロン」。できるだけ薬は飲みたくないけ
れど、そうしないとこの時期を乗り越えられそうにもない。
|
3.16 |
自宅ではWi-Fiをとばしているから、ネットの接続はうまくいっているけれど、
問題は出先でどうするかだ。
まさかお客さんの会社で、「パスワードを教えてください」などと言えるわけが
ない。そこで今までは、docomoのルーター(画像)を使っていた。ところが最
近、ちょっと重いページになると、うまく繋がってくれない。
今日相談に行ったドコモショップの解説では、それは電波が混み合っている
からではないかとのことだった。そして新しいWi-Fiタイプのルーターを紹介
してくれた。 6年間の技術の進歩は、めざましいものがあります。 |
3.15 |
進学高に進むだけの学力がなかったから、工業高校に進学するしかなかったときに、
機械科にするのか電気科にするのかの選択肢があった。
そのときに電気科を選択したのは、音楽が好きでオーディオに興味があったからだ。
進学した後で、私は理工系ではないことをまざまざと知らされることになるのだが、勉
学とは全く別のところで、真空管アンプを組み立てたりしていた。だから、オーディオマ
ニアの端くれになるのだろう。
最近思うのは、オーディオマニアというのは、年月を経ると同時に成立しなくなるのでは
ないかということだ。例えば電解コンデンサが容量抜けを起こすように、まず電気機器が
劣化していくということ。そして致命的なのは、歳を取ると同時に、聴力が衰えてしまうこ
とだ。
だから、もうマニアの枠を越えて、もっと気楽に音楽を楽しむ段階にきているのだろう。
|
3.14 |
遊びは学習とトレーニングの時間で、相手をよりよく評価するための経験を全員が
積む。同時に、社会的役割を交代しながら訓練し、フェアプレーを実践することに
より、高レベルの論理や道徳に家族をまとめる方法でもある。動物たちが遊ぶと
きは、守るべき取り決めがある。「自分がして欲しくないことは、ほかのものにしな
いこと」という〝黄金律〟はオオカミにも通用する。この原則に従うには、共感のほ
かに、ゲームの間は相違点(身体の大きさ、社会的地位など)を度外視するという
意志がいる。
いっしょに遊ぼうとしないものはほかのメンバーから避けられるので、一人で過ご
す時間が多くなる。そうしたオオカミは、おそらく早々に家族らから去り、一人でな
んとか生き延びようとするのだろう。しかし、社会的グループの外で生きるのは、
安全な家族の中で生きるより大きな危険を伴う。
オオカミの子どもたちは遊びながら公平さや協力を学び、していいことと悪いことを
区別するようになる。ルールを守らなければ怪我をするかもしれないことや、乱暴
すぎたり身勝手だったりすると、相手が遊ぶ気をなくすことを体験する。遊びの重
要な特徴はセルフコントロールにある。たとえば、どの程度まで噛んでいいか、と
いうことを子どもたちは習う。大人のオオカミは、150キロニュートンの咬合力を開
発する。これは1平方センチあたり1.5トンで、ふつうの犬の2倍に相当する。つまり、この力を抑制する十分な理由
があるのだ。
人間の子どもたちは、いまも遊び方を知っているのだろうか、と、ときどき思う。子どもたちの成長になくてはならない社
会的行動のプロセスは、iPoneやiPadで行われるわけではない。さらに、大人はどうか。大人はまだ遊びの方法をま
だ覚えているだろうか。多忙な日常生活に煩わされて、家族と一緒に楽しむ時間すら持たないケースが多いように思
う。いつも何かしら大事なことが入ってしまう。ここで質問したい。遊びの重要性について正しい意見を持っているのは
私たちか、それともオオカミか?
「狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか」 エリ・H・ラディンガー 築地書館 からの抜粋です。
|
3.13 |
巨匠クリント・イーストウッドが自身の監督作では10年ぶりに銀幕復帰を果たして主演
を務め、87歳の老人がひとりで大量のコカインを運んでいたという実際の報道記事をも
とに、長年にわたり麻薬の運び屋をしていた孤独な老人の姿を描いたドラマ。
家族をないがしろに仕事一筋で生きてきたアール・ストーンだったが、いまは金もなく、
孤独な90歳の老人になっていた。商売に失敗して自宅も差し押さえられて途方に暮れ
ていたとき、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられたアールは、簡単な仕
事だと思って依頼を引き受けたが、実はその仕事は、メキシコの麻薬カルテルの「運び
屋」だった。 (映画.com)
クリント・イーストウッドの作品とあっては、見逃すわけにはいかない。さらに今回は、10
年ぶりに本人が主演をしているのだ。
家族をないがしろにしている点では私と共通しているから、なんだか身につまされるとこ
ろはあったが、本来「狩り」に出かけていくべき男というのは、とこかでそういった部分を
内包しているものなのだ。
|
3.12 |
昨日から東京にいるのに、今日は花粉症の薬を飲まずにいられた。看護婦さんは2~
3日経てば効果が現れると言っていたから、金曜日に打った注射が効いてきたのだろ
うか? もしそうだとしたらうれしい。
長野にいるときよりも、東京に出たときの症状の方が重い。それは、花粉がいつまでも
地面に吸収されないとか、近くに杉の木が多いとか、排気ガスの影響だとかという、い
ろいろな理由があるようだが、先週の辛さと比べると雲泥の差だ。
そのかわり、今日はほとんど座ってばかりいたのに、なんだか疲れっぽい。これは土・
日の畑作業の影響だということにしておく。歳を取ると、2~3日経ってからその影響が
現れると言われているからだ。
|
3.11 |
確定申告をお願いしている会計事務所に、青色申告の書類を取りに行
ってきた。
相変わらず今年の納税額は多くて、何とかならないものかと考えるのは
毎年のこと。
その中で、旅費交通費が300万円にも達している。旅費交通費には、
電車・バス代、タクシー代、宿泊費、高速道路代金などが含まれるが、
いかに広範囲に行動しているかということだ。
仕方がないので、早速銀行に行って、消費税を納入してきました。
|
3.10 |
昨日と今日までで、春野菜の畝は大体仕上げることができた。いつになく早
い出来だ。
どの畝にも堆肥を入れてマルチシートを張ったから、あとは苗が出回るのを
待つばかり。
連作障害を起こさないように、ローテーションを考えているので、もうどこに何
を植えるのかは決まっている。
このところ不出来の野菜が多かったから、今年の気候に期待したいです。 |
3.9 |
2年前から、ムスカリ退治を実施している。
単独で見ればきれいな花なのだけれど、繁殖力が強くて、田んぼの畦が席
巻されてしまう。
緑の草で成り立っている畦が、紫
色で覆われてしまうのが嫌なのだ。
今年は、畦に生えているムスカリを
片っ端から引っこ抜いているが、お
びただしい量の球根は画像の通り。
地表に現れているひとつの茎には、
たくさんの球根がくっついていて、
それを拾い集めるのだから、かなり根気が必要な作業だ。
こうやって、アスファルトの上に置いて枯らそうとするのだが、なかなか参って
くれない。ひとつの植物を絶やそうとするのは私のエゴだけれど、田んぼの
畦の「秩序」を守るのも私の役割のひとつ。
|
3.8 |
水~木曜日と、東京は雨模様で、そんなに花粉は酷くないだろうと思っていた
のに、鼻と目はボロボロだった。
大田区総合体育館でプロレスを見ているときなんか、ティッシュを丸めて鼻の
穴に詰めなければいられないくらいで、その夜も、同様の処置をしてベッドに
横になった。
そして昨日は、ついにあまり飲みたくない市販の薬を買って飲んでしまった。
先週、お客さんに、そこの注射は効くからと、横浜線の大口駅前にある耳鼻
咽頭科の医院を紹介されていた。だから今日は、藁にもすがる思いでその病
院に寄ってきた。
注射は2~3日して効果が現れるけれど、それだけでは完全ではないからと、
飲み薬、目薬、点鼻薬を処方してくれた。でも、今までの経験では、病院で処
方してくれた薬類は効いた試しがない。だから、注射によって、少しでも症状が和らげばいい程度に受け止めている。
右の画像は、午後4時7分に撮影された東京スカイツリー。大気中に舞った花粉が太陽の光を曲げることで起きる「花
粉光環(こうかん)」で、花粉が大量に飛散した時に見られる現象だという。 これじゃあ無理だ。
|
3.7 |
人種差別が色濃く残る1960年代のアメリカ南部を舞台に、黒人ジャズピアニストとイタ
リア系白人運転手の2人が旅を続けるなかで友情を深めていく姿を、実話をもとに描き、
第91回アカデミー作品賞を受賞したドラマ。
1962年、ニューヨークの高級クラブで用心棒として働くトニー・リップは、粗野で無教養
だが口が達者で、何かと周囲から頼りにされていた。クラブが改装のため閉鎖になり、し
ばらくの間、無職になってしまったトニーは、南部でコンサートツアーを計画する黒人ジャ
ズピアニストのドクター・シャーリーに運転手として雇われる。
黒人差別が色濃い南部へ、あえてツアーにでかけようとするドクター・シャーリーと、黒人
用旅行ガイド「グリーンブック」を頼りに、その旅に同行することになったトニー。出自も性
格も全く異なる2人は、当初は衝突を繰り返すものの、次第に友情を築いていく。
(映画.com)
さすが、アカデミー賞の作品賞を受賞した作品だけあって、見応えがあった。
|
3.6 |
新日本プロレスの「旗揚げ記念日」。
左のポスターが出来たときには、ロイヤルシートとアリ
ーナ席はもう完売していたみたいで、もちろん当日券
もなかった。人気の高さがうかがえる。
昨年は最前列だったのに今年は3列目。前の人の頭
が邪魔で、今ひとつ試合にのめり込めなかった。
終わったのは22時を過ぎていたから、茨城まで移動
するのは明日の朝になる。こんなことをしているから、
体力を消耗してしまうんだ。 |
3.5 |
戦争の傷をめぐる世界の旅をすること。傷ついた、傷つけた人々の前で祈ること。弱い人
と共に在ること、弱った人、傷ついた人の手を取ること、助け合おうということ。混乱にあっ
て、我を失わずにいようと励ますこと。天皇はそれを言葉で言うことができなかった。憲法
で制限された存在だからです。わが国において、憲法を、国家権力を抑制するためにある
と本気で信じている人は、少ない。けれど、この天皇はそれを「体現」しようとしたのではな
いか。日本の軍隊が傷つけた人々の地を慰問もした。言いたいことを、言えない状態で。
その孤独な戦いを思います。そのことに、今、感動を覚えます。
そして、天皇が日本の象徴であり、国民の象徴であるなら、行動を問われているのは国
民なのです。
わたしは天皇のように行動できるか、わたしが天皇だとしたら、どう行動するのか。一人ひ
とりが、考えてみることができたら、自体はずいぶん変わるのではないでしょうか?
「箱の中の天皇」 赤坂真理 河出書房新社 からの抜粋です。
|
3.4 |
いま乗っているマジェスタを購入したのは、2011年の7月のこと。きっ
かけになったのは、半年間の出納帳を見て、このままだと、翌年の税
金の額が大変なことになると思ったからだ。
ちょうどそのころ、八王子の街を走っていたゴールドのマジェスタを見か
けて、こいつが欲しくなった。ネットで中古車の検索を行って、わざわざ
大阪の岸和田まで、一年落ちのマジェスタを買いに行った。
車を買うのはもうこれが最後だとそのときは思ったのだが、意外に長生
き(健康寿命)をして、この車にあと10年乗ることは不可能になった。
そして、自営業者にかかってくる税負担と、経費にできるのは自動車く
らいしかないという、私の状況が複雑に入り組んでくる。
そんなわけで、昨日、メルセデス・ベンツの松本支店に、車を見に行ってきた。試乗させてもらった車種はCクラス。排
気量は1500CCなのに、モーターの力と相まって力強い走りをする。そして驚いたのは、これにエアサスが装備され
ていることだ。
このように、ベンツ車にはいろいろなバリエーションがあって、ちょっと説明を聞いただけでは理解できない。ただ、ディ
ーラーが遠方にあることを差し引いても、好感触を得たことは事実だ。
|
3.3 |
11月の終わりから帯状疱疹にかかり、餅つきでぎっくり腰になったりで、年末年
始はとにかく体調が悪かった。
そして先月の、八王子のホテルでの奇行で精神的にも落ち込み、どこで仕事をや
めようかなんてことばかり考えていた。
もし平均年齢まで生きられるとしたら、その10年と少しの年月を、もっとのんびり
過ごしたいなんてことを考えた。
今日は、いつ雨が降るか分からないというお天気だったから、それまでに片を付け
ようと、朝飯を食べたらすぐに外に出て、昨日掘り割っておいた畑の畝に、堆肥を
入れてマルチシートを掛けました。
そう、のんびりとは真逆の行動をしています。ということは、気力が少し戻ってきた
と言えるのでしょう。
|
3.2 |
先週、ゴミや葉っぱを取り除いてお
いたところに、ふきのとうが一斉に
芽を出しました。
自宅の北側の庭です。
ふき味噌にすればおいしいというこ
とですが、私は、ふきなどのあくの
強い植物が苦手です。 |
3.1 |
「他人に聞こえるひとりごと」は、2002年に刊行した、私の最初の書籍です。
今はなくなってしまったのですが、「新風舎」という出版社からの自費出版でした。
500部作成して費用は120万円くらいかかったはずですから、1冊あたり2400円というコ
ストでした。今の自費出版は、もっと値段が張るはずです。
それからあとの書籍は、新聞社が商業出版してくれたり、自分でJANコードを取って出版し
たりで、コスト面を押さえながら、書籍を世に出すという取り組みをしてきました。
手作り製本は、そのコストを追求する中から生まれました。印刷・製本までを自分でしてしま
おうというものです。ただ、印刷のインク代を考えると、コストを下げることができたかは分か
りません。
そして今、最初に出版した 「他人に聞こえるひとりごと」を、手造りで作成しています。一枚
一枚手で折りたたむという工数のかかる作業ですが、これは、読んでいただける方にお渡し
したいと考えています。 この仕事を始めて20周年の、「記念事業(?)」です。
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