あと あと のあと  2016年 8月

8.31
 今のいちばんの心配ごとは、1週間前に蒔いた白菜の種から芽が出ない
 こと。
 左の画像のように、それより1日前に蒔いた大根は、勢いよく芽が出てい
 るのに、3種類の白菜は未だに影も形もない。
 暑い日が続いていたから白菜の気候に合わなかったのか、雨が降らなか
 ったので土が乾いていたためか、水分が少なかったからなのか、はたま
 た深くに蒔きすぎてしまったからなのかというように、心配が絶えない。
 
8.30
 JR八高線の、金子駅から八王子に向かう車中での出来事だった。
 ローカル線だから、通勤時以外は空(す)いていて、難なく座席に座ることが
 できたのだが、私が座った側の席には誰もいなくて、みんな向かい側の席
 に座っているのだ。
 その理由は、次の駅で降りる人が小声でささやいてくれたからわかった。
 その人は、「がいますよ」と言ってくれた。振り向くと、電車の窓の上の方
 に大きなが止まっていた。 たぶん赤だ。
 私は、何もしなければに刺されることがないことを知っていたので、しばら
 くの間、座席を独り占めにすることができたのでした。 

8.29
 毎日新聞のニュースサイトが、一昨年から昨年まで1年
 かけて、「数字は証言する~データで見る太平洋戦争」
 という特集記事を組んだ。第1回は「230万人はどのよ
 うに
戦死したのか?」というものだった。
 日本政府は日中戦争と太平洋戦争の
戦死者を230万
 人としているが、彼らがどこでどのように死んだかは、明
 確にしていない。記事は、歴史学者の藤原彰氏の調査
 を紹介していて、藤原氏は、6割以上が
戦病死、しかも
 そのほとんどが
餓死だったであろうと結論づけている。
 
戦死者の記録が残っているガダルカナル島に関しては、じつに7割以上が戦病死だったそうだ。
 この特集は淡々と数字だけを教えてくれるのが興味深い。ちなみに神風特攻隊の成功率、つまり敵を道連れにして
 死ぬことのできた特攻は、11%。89%は失敗した。真珠湾攻撃に至る前の年の、アメリカと日本の国内総生産(G
 DP)を比較すると、日本はかの国の4分の1。そもそも総力戦に耐えるだけの国力があったと思えない。

      「時代の風 ~戦後71年の夏~ 戦争っぽさに囲まれて」  中島京子
                                         「毎日新聞」  8月28日号からの抜粋です。 

8.28
 駒ヶ根市の「行事」となっている避難訓練に、民生児童委員として参加した。
 これは、震度6以上の地震が発生したとの想定のもと、自治組合単位で決められた
 場所に、各家庭が避難するものだった。
 3月に行われた山崩れを想定した避難の時は、避難場所が山に向かうような状態に
 ある家の人たちは、自宅待機という避難形態もあったのだが、今回はそれとはまった
 く連携が図られていなかった。
 だいたい、いつも日曜日の朝という、みんなが家にいる時間帯に行われるけれど、実
 際の災害は時間を選んではくれないから、まあやらないよりはいいかもしれないけれ
 ど、ほとんど役には立たないだろう。
 行政とお付き合いをしていると、このようなスケジュール消化型の「行事」が目立つ。 

8.27  
 「天竜かっぱ祭り」の花火が、目の前の天竜川の河川敷で上げられているため、我
 が家の建物もその音で地響きがしている。
 あいにくの雨模様だったがなんとか決行され、今(20:19)は止んでいるから、これ
 から屋外に出て鑑賞しようと思っている。
 琉クンが誕生した年には一尺玉を提供したが、舜クンのときなぜ申し込まなかった
 のかはよく覚えていない。
 来年は、また一尺玉を提供することが出来ればいいなと、夕食を多べながら、みん
 なで話し合っていたところ。
8.26
 1週間の仕事を終え、中央西線の「しなの21号」に乗って帰路についている。
 どこの企業の運営もたいへんだろうけれど、私がお世話になっている会社も問題が
 山積みで、体こそ解放されたものの、精神的には重たい荷物を抱えたままだ。
 できるだけ仕事を持ち帰らないようにしていても、担当者の心情を察するとそう言っ
 てばかりもいられず、今週も宿題をキャリーバッグの中に詰め込んでしまった。
 「元気」だったころは、移動中の電車の中や宿泊するホテルの中でそれらをこなすこ
 とができたのに、最近はそれだけの気力が湧かないから困ったものだ。
 昨日は、八王子のホテルまで迎えに来てくれた会社の人たちのお話を2時間ほど
 お聞きしたあと、その日の仕事をするために別の会社の工場に入り、そこが終わっ
 たあとは移動する途中にある会社に立ち寄ってこれまたお話を伺ったため、名古屋
 に到着したのは21時をまわっていた。
 これで土日は何もしないでいいかというとそうではないから、頭の中では2日間の過
 ごし方をシミュレーションしている。

8.25  
 書店内をウロウロしていたところ、指原莉乃のきわどいセミヌード写真が目に飛び込
 んできた。それは、「an an」の最新号の表紙だった。
 手にとってパラパラページをめくると、彼女の悩ましい肢体がこれでもかというように
 現れてきた。
 さすがに購入することはしなかったが、それには理由がないわけでもなかった。スマ
 ホを契約したときに、1ヶ月間無料で入っていたアプリの中に「dマガジン」というもの
 があって、それを開くとほとんどの雑誌を読むことができるからだ。
 「dマガジン」は、月額400円(税抜)で、いつでもどこでもそれらの雑誌を見ることが
 できる。こんなことをしていたのでは、雑誌が売れないではないかと、ついつい思っ
 てしまう。だけど、タブレットならともかく、スマホで読むためには絶えず画面を拡大し
 なければならない。だから、まだ紙の雑誌からこれに切り替えることはしない。
8.24  
 オリンピックが終わって、なんだかホッとした部分がある。なぜかというと、ついつい
 テレビ中継を見たくなってしまったからだ。
 今年は、新日本プロレスの「G1クライマックス」と重なったから、テレビを見る時間を
 捻出するのがたいへんだった。
 だけど小心者の私は、日本選手が負けるところを見たくなくて、勝ったという結果が
 わかった試合を、後付けで見ることが多かった。
 リオデジャネイロの政情や治安状態やテロの不安が心配されたけれど、何事もなく
 てよかった。
 ブラジルから日本に来ている友だちが、いつかは一緒に行こうと、ずっと前から言っ
 てくれているけれど、30時間もかかる飛行機の旅には、もう耐えられそうにない。
8.23  
 スマホで苦戦しているのは、画面にタッチする感覚。
 これがボタンだと、意思をもって押さないと動作しなかったものが、スマホだとちょっと触
 れただけで画面が切り替わってしまう。だから、ボタンをなぞりながら文字を選んでいた
 癖が、今のところ苦戦をしているいちばんの原因だ。
 長女が「LINE」をセットしてくれたところ、その情報が電話番号を登録してある人たちの
 ところに飛んでいって、その中の一部の人たちから返信があった。だけど、「友だち」に
 なりたくない人もいるから、失礼ながら選択しながら登録している。
 まだ初心者だけれど、この「LINE」というやつは、私には向いていないかもしれない。
8.22
 予測通り、今朝は起きられなかった。だいたい目が覚めたのが7時近かったから、ベッドの中で起きようか
 どうか迷っていたわけではない。
 11時のあずさに乗る予定でいたのだが、台風の影響であずさとふじかわ号は運休だったので、お客さん
 の会社に移動するのをあきらめた。
 せっかく得られた時間だし、朝できなかった分を取り戻そうとばかり、畑の畝(うね)を立てて、大きな田ん
 ぼの畔(くろ)の草刈りをし、夕方雨が降ったので、大根人参ほうれん草の種を蒔いた。
 いろいろ言えばきりがないけれど、これで外作業は例年の実績に追いついた模様。だけど、昼ご飯を食べたらぐっ
 たりしてしまい、長い昼休みをした。このあたり、まだ体調が本調子ではない。 

8.21
 いつもだと、毎朝5時半に外に出て作業にかかるのだけれど、ことしは体がだるくてその気になれない。
 そればかりか、朝食を採ったあと昼頃まで、ベッドに横になってぐうたらしている有様だ。
 夏バテなのか、怪我の影響なのか、はたまた歳をとったせいなのかはよくわからないが、田んぼの畦もと
 の草刈りと白菜の種まきはなんとか終わらせたが、昨年の日記を見るとはるかにいろいろなことが遅れて
 しまっている。
 今日は、夕方4時半ころ畑に出たが、あっという間に辺りが暗くなっしまったため、目指していた段階まで行かなか
 った。 来週は金曜日まで家に帰られないから、明日の朝遅れを挽回しようと思っているのだが、はたして起きられ
 るだろうか。 

8.20  
 しばらくの間、本を読むことに集中できないでいたが、お盆の前からこの本を読み出し
 た。 読む時間帯は、いつものように、ベッドに横になってから眠るまでの1時間だ。
 「マチネの終わりに」は、毎日新聞に連載されていたというが、自宅では毎日新聞を購
 読していたのに、そのことをまったく知らなかった。
 定期的に購入している雑誌の連載小説も同様なのだが、今までにそれを読み続けた
 のは、日経新聞に連載されていた「失楽園」くらいだ。その理由は、少し時間が空いて
 しまうと、それまでのストーリーを忘れてしまうからだった。
 「マチネの終わりに」は、大人の恋愛小説という触れ込みだったが、途中までは退屈だ
 った。ところが、それを我慢しているうちに、ミステリー的な展開になり、ぐんぐん引き込
 まれていった。
 読書は、文字を読みながら、それを自分の中で画像に置き換えなければならないよう
 な要素がある。 だから、どこかで自分自身の体験と結びついていくのです。
8.19  
 ようやくスマホデビューを果たした。その動機となったのは、自らの中にある「見栄」の
 気持ちだけだった。
 例えば仕事に行ったお客さんの会社で、「ガラケー」を取り出したならば、森田「先生」
 の仕事の質まで疑われそうな気がしていた。
 電車の中で、みんながスマホの画面を覗いているのに、隠れるようにして「ガラケー
 を操作しなければならないことにも、負い目を感じていた。
 「ガラケー」などという表現には抵抗感があるけれど、世の中の体勢には逆らうことが
 できない、このような俗っぽい部分もあるのです。
8.18  
 岡谷市民病院の神経外科の主治医は、何か懸案事項を抱えているようで、気もそぞろ
 だった。
 だから、私が怪我をした日を教え、前回のCT画像の説明をし、今日のCTの画像に結び
 つけなければならなかった。前回は懇切丁寧に説明してくれたのに、いったいどうしちゃ
 ったんだろう。
 病院的にはこれで完治で、もう通院する必要はないとのこと。あとは、3ヶ月くらいかけ
 てコルセットを外せばいいようだ。
 まずは手始めに、今まであばら骨が折れそうなくらいきつく閉めていたコルセットを、少し
 だけ緩めた。 だけど、まだ本人の感触としては「完治」にはほど遠い。

8.17  
 玄関に置いてあるスズムシが、夜中に鳴き始めた。私の部屋はその横にあるから、
 うるさくて入り口の襖を閉めたくらいだ。
 虫かごの中にいるスズムシの鳴き声は、なんだか悲鳴のように聞こえて、そのまま
 聞いているのが苦しかったこともある。
 昼間は秋蝉(ミンミンゼミ)の鳴き声が聞こえてくるし、ススキの穂が生え揃ってくる
 し、いよいよ秋の気配が漂ってきたという感じ。
 だから、ぼづつ白菜の種を蒔こうと、雨が降るのを待っている。
8.16
 勝つためにはなかなか組み合わず、相手の「指導」を誘ってポイントを稼ぐ。かつての五輪
 
柔道はトップ級の対戦なのに歯がゆく、面白みに欠けた。今度こそ日本の技が世界の「JU
 DO」にまさってほしい--。そう願って見たリオデジャネイロ
五輪である。
                         「信濃毎日新聞」   8月16日号 「斜面」より

 一時の日本柔道は、一本勝ちにこだわり、世界の流れと合わずに苦しんだ。武道が「スポ
 ーツ」に変化してしまったから、上記の記事のような現象が起きてしまう。
 五輪の柔道も、タイスコアでなだれ込む延長戦は、時間の制限がなかった。それを試合に
 も活かし、時間無制限の、「技あり」や「指導」ではなく、一本勝ちでのみ勝敗が決する、試
 合方式にしてしまえばいいのに。   

8.16  
 怒濤のようなお盆が終了し、今朝は送り盆で、おじいさんをはじめとするご先祖様を
 お墓まで送って行った。
 お墓には、すでにそれぞれの家の方々が持ってきた花で埋まり、我が家が行ったの
 は遅い方だった。
 今年の新盆は、弟の奥さんのお母さん、長女の婿のお母さん、そして我が家のおじ
 いさんと、3人もの魂が帰って来たことになる。
 いろいろな風習が、時代の変化とともに失われていく中で、このお盆の営みだけは、
 休日が伴うという裏付けがあるから、いつまでも残っていきそうだ。
8.15b  

 民生児童委員の任期は11月いっぱいなのだが、10月までに地区の65歳以上の1人暮ら
 しの家庭を訪問しなければならない。
 その中で支援を希望する人にいろいろな内容をお伺いし、「一人暮らし高齢者台帳」を作成
 するためだ。
 新しい委員の任期は12月1日から始まるのだから、任期を1ヶ月くらいダブらせて、一緒に
 訪問するようにすれば引き継ぎを兼ねることになるのに、そういう発想はお役所には全くな
 いようだ。
 「手段」が「目的」となってしまっている会社はやがて潰れる運命にあるのだが、お役所
 まずつぶれることはないから、このようなスケジュール消化の展開がまかり通っている。
8.15a  
 昨夜の「G1クライマックス・決勝戦」は、ケニー・オメガ
 が、日本人以外では初めてという優勝で幕を閉じた。
 プロレスはあらかじめ勝者が決まっていると言われてい
 るが、まさしくこのシリーズはそれを裏付けるものだった。
 10人ずつの選手がふたつのグループに分かれ、総当
 たりの闘いで点数がいちばん多い人が決勝戦に進むの
 だが、両方のグループとも、最終戦でそれが決まるとい
 う、普通の確率からいえば考えられない結果で、途中点
 数を調整したとしか思えない試合もいくつかあった。
 決勝戦の前で、IWGPの王者オカダ・カズチカが、結果
 を待たずして次の挑戦者を指名することなど、去年まで
 のG1の展開からは考えられないことだが、それはサプ
 ライズ
の前触れだった。
 優勝したケニー・オメガがマイクを取り、流暢な英語で
 パフォーマンスをしていたところ、突然日本語でしゃべり出したのだ。放送席はそのことを解説していたから、このス
 トーリーを事前に知っていたことになる。
 このようなことをわかっていながら、プロレスの虜になる我々ファンは、やっぱり特別な存在なのだろう。

8.14  
 新盆の第2日目は、お寺さんの読経の場に親戚の人たちが来てくれた。
 おばあさんの兄弟・姉妹10人、おじいさんの兄弟・姉妹9人の関係者が集ま
 るものだから、やはり部屋が足の踏み場のない状態になった。
 この家を新築するときに、住宅金融公庫の面積の制限があったことから、とて
 も客室ふた間続きの部屋など設けることはできなかった。
 おばあさんの新盆の時は、手術をやったばかりでダウンして、今回も背中が
 万全にはほど遠くて、一段落したところで横になるしかなかった。
8.13  
 新盆の第1日目は、地域の人たちを中心に、だいたいが夜になって訪れ
 てくれる。
 全部で34軒が来たのだが、何しろ狭い部屋だから、ピーク時は座る場所
 がなくなるほどだった。
 用意しておいた10㍑の生ビールの樽二つを飲みきり、あわてて追加分を
 お店まで取りに行った。
 賑やかな新盆で、おじいさんもたぶん喜んでくれていることだろう。
8.12
 今月初旬のことだけれど、「新・くたばれ!ISO。」のAmazon
 への納入部数が1000冊を超えた。
 印刷と製本を依頼するときに、1000冊にしようか3000冊にし
 ようか迷ったけれど、1冊あたりのコストが低くなるからと3000
 冊の方を選んだ。ただ、それだけ売れなければ全然意味のない選択だった。
 ほぼ2日に1回小刻みな納入依頼があるから、その都度梱包して郵便局に持って行く。だか
 ら、「ゆうパック」の売り上げにも貢献した。
 水曜日にお邪魔した会社のISO9001は、要求事項の2008年版に対応するマネジメントシ
 ステムを構築し、2013年に認証を取得した。今回、それを2015年版に対応すべく、皆さん
 と内容の見直しを行ったが、ほとんど追加する部分はなかった。つまりその時点で、2015年
 版
をクリヤーする内容になっていたのだ。
 「ISOは、森田さんが10年前に言っていた通りになりましたね」と、何人もの人が言ってくれたけれど、それを事実
 として実証することができました。

8.11
山の日
 
 お盆の祭壇を飾るを毎年編んでいる。
 おばあさんの実家との2軒分を編むのだが、はその
 実家で用意してくれていた。
 今年は、我が家の分だけガーデンに生えている斑入り
 のを使ってみたが、ボリュームがあってなかなかいい。
 画像のようにいたって原始的な方法だから、おじいさん
 がやっているのを見ながら覚えた。
 これらのことが、私がいなくなっても継続するのだろうか。
8.10
 胃を切除する手術は、全身麻酔で行われた。その仮死状態から覚めるときの苦しさは、都会の酷暑
 中に佇んでいるときの精神状態に似ている。
 うまく言葉では説明できないが、息が詰まるような、どうにもならないような、自分をコントロールできない
 ような、複雑な追いこまれ方をされているのだ。
 皆さんに、「背骨は大丈夫ですか?」と聞かれる毎日だが、「大丈夫ですか」と聞かれると「大丈夫では
 ないです」と答えるしかない。そして、「ロボットの油が切れたような状態です」とわけのわからないような
 説明をする。
 入院したときには、1週間もすれば退院できて、すぐにでも社会復帰できるものと軽く考えていたが、背
 骨の怪我の快復ははかばかしくなくて、今も辛い毎日を送っている。
 自宅にいるときは、苦しくなるとベッドに横になることができたが、旅先ではそれができないから、なんと
 もしようがないのです。 

8.9  
 名古屋のホテルに着いたところ、オリンピックの男子体操の録画放送をし
 ていた。
 ネットで優勝したことは知っていたけれど、実際にひとつひとつの競技を見
 ると、それぞれの選手がもの凄い追い上げをみせたことがわかる。
 予選から全種目に登場した内村航平なんか、最後の床ではもうヘロヘロ
 の状態だった。
 5人の選手の精神力の強さに、ただただ脱帽するのみだ。
8.8
 今日は朝9時から群馬県の太田市の会社に入り、夜は20時から静岡県の沼
 津市の工場に入った。究極のダブルヘッダーというやつだ。
 当然昨日のうちに移動しておき、太田市の会社にはわがままを言って、30分
 早く上がらせていただいた。何が私をここまで突き動かしているのだろうか。
 この仕事を始めてもう18年目になるが、最初の頃に比べると確実にパワー
 なくなってきているし、体力はもちろんのこと、気力も「若いとき」に比べると衰
 えている。
 先週、初めてお伺いした会社の社員の皆さんに私の年齢を尋ねたところ、皆さ
 んの意見は「59歳」で一致した。若く見られるということは、それだけをとって
 しまったことの裏返しだと思うが、若いときに年配に見られ、をとって若く見ら
 れることは、決して悪いことではないと、勝手に思っている。 

8.7
  ジャガイモ、トウモロコシ、キ
 ャベツなどがなくなり、土が見え
 る部分が広くなりました。
  
 そこを耕すと、画像のような 
 堆肥が顔を出すこともあるので
 すが、大部分は「フカフカ」した土
 がわき上がってきて、順調に土
 壌が改良されつつあります。 

8.6  
 稲から穂が一斉に顔を出した。 
 毎年、「このあいだ田植えをし
 たばかりなのに」と思うのだけ
 れど、今年は私に5週間の「空
 白期間」があったので、なおさら
 の思いだ。
 実るほど頭を垂れる稲穂かな。
8.5
 「身体障害者」の長距離移動は結構たいへんだ。
 機内持ち込みができる大きさのキャリーバッグを新調したが、天井に設置されている荷物入れま
 で持ち上げることができないので、優先搭乗を利用していちばん最初に機内に入った。ところが
 降りるときは逆で、乗客全員が降りてしまわないと搭乗員に下ろすのを手伝ってもらえないため、
 空港の出口にたどり着いた頃には、預けた人たちの荷物がコンベアからすでに排出されていると
 ころだった。
 搭乗口の入り口にある金属探知機にコルセットが反応し、なかなか通してもらえなかったし、何よ
 りもきつかったのは、2時間半のあいだ、座りっぱなしで身動きすることができないことだった。
 今日は午後民生児童委員の市の例会があるため、午前中のあずさに乗らなければならなかったが、後泊した品川
 のホテルから新宿に移動するときに、ラッシュアワーにかからないように、朝5時半にはホテルを出発した。
 そんなわけで、この酷暑の中、強行軍の毎日が続いている。

8.4
 観光で沖縄に来たわけではなかったから、お土産なんか買うつもりで
 はなかった。ところが、昨夜国際通りを散策していたら、公営市場には
 マンゴーがあふれていた。
 インターネットでマンゴーを調べたところ、沖縄マンゴーは味の形も差
 がないのに、宮崎マンゴーの相場価格の半値であること。沖縄マンゴ
 ー
の収穫時期は6月から8月中旬で、6月は購入希望者が多く比較的
 値段は高めに設定されているのに対して、8月に入ると値段が2~3
 割ほど安くなったことがわかった。
 そうなると浮かんでくるのは、相も変わらず家族の顔だった。
 だけど、マンゴーは「ウルシ科」の植物だから、人によっては果汁でか
 ぶれ痒くなることがあるという。またアレルギーがある人や幼児は十分
 注意が必要だというから、チビたちには食べさせられないのかな? 

8.3  
 ひょんなことから沖縄に来なければならないハメになり、いま那覇に着い
 たところ。
 航空券とホテルがパッケージされたものを利用したから仕方がないかもし
 れないが、このホテルの部屋は、喫煙ルームを消臭処理したものだという
 し、なによりも古い仕様なので気が滅入ってしまう。
 近くに東横INN
 があったから、
 変えてしまおう
 かとも思ったけ
 れど、まあ一
 晩だけだからと我慢することにした。
 北海道はこんなことはなかった。だからというわけでは
 ないけれど、私は沖縄というところが好きになれない。
 
8.2  
 イギリスの貴族で実業家、美しい妻ジェーンと裕福な暮
 らしを送るジョンには、生後間もなくアフリカのコンゴの密
 林で動物に育てられた過去と、
ターザンという別の名が
 あった。
 ジャングル育ちの野性と貴族としてのスマートさを持ち合
 わせた特別な人物として、英国政府から一目置かれる
 存在の
ターザンだったが、ある時、何者かの罠にはめら
 れて妻をさらわれ、故郷のジャングルを侵略されてしま
 う。妻と故郷を救うため、
ターザンはジャングルへと舞い
 戻る決意を固める。

                      (映画.comより)


  今はCGで画像を作成することができるから、カメラでは撮影することができない動物の動きを醸し出すことができ
  る。 ただ、物語の舞台であるコンゴの自然を感じたいのに、それがどのくらい取り入れられているのかは定かで
  はない。

8.1  
 今週は金曜日まで帰れないので、どうしてもやってし
 まわなければならないと思い、昨日は炎天下の環境
 の中で畑の草搔きをした。 そしてやり遂げた
 左図のような柄が付いた草搔きは背中に負担がか
 かるので、もっぱら右図のような手搔き用のものを使
 った根気勝負だった。
 梅雨も上がったこの時期は、取ったをそのままにし
 ておいても、根が付かずすぐ枯れてしまうので、思い
 どおりのすっきりした畑になっている。