あと あと のあと  2016年11月

11.30
 今日は、16時から、民生児童委員の解任式があった。2期以上務めた人には厚生
 労働大臣から、1期だけの人には長野県知事から、それぞれ感謝状が贈られた。
 2期以上務めるのがあたりまえとされている民生児童委員を、1期だけで辞めること
 に対する後ろめたさがあるし、「どうして辞めてしまうの?」という質問がみんなからあ
 った。
 家にいて、チビたちの面倒をみながら、そして野菜作りをしながら、民生児童委員をや
 らせていただくという選択肢もないわけではなかったが、とても仕事と両立できるもの
 ではない。 だから、これが私の責任の取り方です。
 民生児童委員は、さすがに地区から選出されてくるだけあって、人間力のある人が多
 く、その中に身を置くだけで、いろいろ勉強もさせられた。だけど、完全にのめり込むこ
 とができなくて、どこかにしらけた気分があったことも事実だ。
  これは、私が発行する、最後の「民生児童委員だより」です。
11.29
 「どうして早く報告しないんだよ!」という怒声が工場の中に響いた。なんで
 も、材料を間違えて使ってしまったことを、上司に報告しなかったようだ。
 会社の組織には、誰か一人くらい恐い人がいないと、だらけてしまう傾向に
 ある。組織の下の人は、上司が部下を見ているレベルよりもはるかにシビ
 アな視点で、上司の動きを観察している。そして、これくらいしても叱られる
 ことはないだろうという範囲で、自らの行動を決めている。
 この「温厚」な私のことを、当時の部下たちは「森田さんは恐かった」と言う
 のだ。それが私には意外だったが、会社という「戦場」における責任感から、
 そのような対応が自然なかたちで発生していたのでないかと思う。
 叱るときは、手を抜かずに真剣に叱らなければいけない。それが単に怒っ
 ている
だけなのか、その中に「愛情」が含まれているかいないかくらい、ち
 ゃんと部下は感じとっているものだ。
 だから、そのあとのフォローが欠かせない。この場合は、「今度は気を付けろよ」と、ひと声かけるだけでいいのだ。 

11.28
 「お前はバカだ。コンサルタントがそこまですることはないのよ」と、私のお師匠さん(関
 根憲一先生)はおっしゃった。 私が、よく夜中に現場に入るのを指してのことだ。
 まだ今よりも元気だった頃、暮れのおせち料理作りに立ち合ったことがある。アルバイ
 トを200人くらい投入する盛り付け作業の、工程設計を手伝ったからである。あのとき
 は完全徹夜だった。
 昨夜は、2時から工場に入った。自分が提案したスケジュールを現場で実際に実行し
 てみて、そこから発生する問題を把握するためである。実際に起こっていることをこの
 目で見ることにより、今まで気が付かなかったことがいっぱい得られるし、問題を測定
 したデータでつかみ取ることができる。だから、現場主義を貫いている私としては、欠
 かすことが出来ない行動なのである。
 ただ、夜中に5時間も立ちっぱなしでいたところ、体力はまだ限界に達してはいないが、腰が痛くなって立っている
 のが苦痛になってきた。だから、生産の途中であがらせてもらった。工場から事務所に登る階段は、膝に手をつか
 なければ登っていくことが出来ない状態だった。
 さあ、問題は寝不足と、夜と昼が逆になったことのダメージと腰が痛いのを、短期に快復させることができるかどう
 かだ。

11.27  
 エンドウの芽が出てきました。急に寒くなったので、芽が出るかどうかを
 心配していたのです。

 逆に早く芽が出て成長しすぎると、この冬を乗り切ることができません。
 だから、このくらいがちょうどいいと思います。

 エンドウは、冬越し野菜の代表的なものです。
11.26b
 たまに家にいると、やらなければならないことが山積みになっている。
 今朝はちょっとだけお寝坊をして、朝ご飯を食べたあとAmazonに納入する書籍の荷造りをしてい
 る最中に思い立って床屋さんを予約して、9時から髪を切ってもらった。
 そのあと農協に行って、民生児童委員の通帳に記帳して、先週注文した堆肥の枠の料金を払っ
 て、郵便局で荷物を発送して、ベルシャインのATMを使って来月の生活費を振り込んだ。
 琉クンの歯医者を予約してあったけれど、その時間に行かれなくなったので、窓口まで行って
 更
してもらい、ドコモショップに寄って家族とのシェアプランを解消してもらった。
 それでやっと家に戻れたので、「民生児童委員だより№21」を印刷し、自治組合長さんのところに届けた。それか
 ら遅い昼食にありつく。
 昼休みをする間もなく外に出て、朝顔とゴーヤの棚を壊し、家の周りの落葉をゴミ搔きで集めたあと、堆肥にするた
 めに積んで踏み固めた。それから、お嫁さんの実家に行っていたチビたちを迎えに行き、お茶をいただいたあと長
 女の家に顔を出して、赤ちゃんが成長した様子を見て安心した。
 夕食の前後は、1週間ぶりに会ったチビたちがまとわりついて、持ち帰った仕事をさせてくれない。そんなこんなで
 私の休日は瞬く間に過ぎてしまいます。明日は夕方移動しなければならないから。本当に息をつくがないので
 す。 

11.26a  
 木曜日に、名古屋駅の構内で見つけたこの本を、新幹線の中と、ホテルのベッドと、あ
 ずさでの移動中にみ終えました。

 いつの場合も、書は途切れ途切れになるため、前の部分を思い出すのにたいへんだ
 けれど、2日間だけでみ切ればさすがに忘れていないから、ちゃんとストーリーが繋が
 りました。
 
 ということは、それだけ面白いということです。
 帯に、「届けられた招待状、差出人は殺したはずのあの女」とあったので、どんなトリック
 が使われているのか興味津々で、ついつい引き込まれました。
 次にむ彼女の作品を、先ほどネットで注文しました。
 
11.25
 少し前の話だけれど、年商500億円を超すかという規模の会社の会長さんから、「森田さんの
 継者
はどうなりますか?」という質問があった。 それに対して、「それは無理なのですよ」と答え
 たけれど・・・。
 私の仕事は、事実に直面してから問題を見つけ出し、その場で解決策を打ち出すという手法をと
 っている。したがって、言い方を変えると、「感性で仕事をしている」ということになる。本を読んだ
 り、映画を観たり、コンサートに行ったりするのは、その感性を錆つかせないようにしようという思
 いも含まれている。それに、絶えず何らかのかたちでインプットし続けないと、アウトプットが出てく
 るわけがないのだ。
 感性で仕事をしているといっても、たくさんの引き出しを持っていないと、結果に結びつく提案ができるはずがない。
 そしていちばん必要となるのは、決してうぬぼれで言っているわけではないが、総合的な「人間力」なのである。こ
 のような曖昧な要素のある仕事を、はたして誰かに引き継ぐことができるのかと、ついつい思ってしまうのだ。
 昨日、初めてお伺いした会社の同年代の方は、75歳までの人生の目標を明確に打ち出されておられた。それに
 比べると、私など成り行き任せだ。だから、もう少し先を見通したビジョンを、自分の中に築きたいと思っているので
 す。 
11.24  
 あらかじめネットで調べたけれど観たい映画がなかったので、今まで敬
 遠していたけれど、時間がちょうど合っていた「君の名は。」を観ることに
 した。
 あれだけ評判になっているのに、私にはストーリーがよくわからなかった。
 かわいくない言い方だけれど、アニメで感動することはまずない。

 私が新聞や雑誌で知って観たいと思っている映画を、駅そばの映画館で
 はちっとも上映していない。
11.24
 新幹線の新横浜駅のホームから、改札口のあるフロアーに降りるエスカレーターに乗って、
 真ん中あたりまで差しかかった頃、上の方から「危ない!」という怒鳴り声が聞こえた。
 それを振り返る間もなく、赤いハードタイプのスーツケースが、「バキバキ!」という音を立
 てて転がり落ちてきた。
 私はエスカレーターの左側にいたのだが、その左側をスーツケースはすっ飛んでいった。
 もしこれが私に当たっていたなら、立っているのを保つことができなかっただろうから、エス
 カレーター
の角に体をぶつけながら、転落していったことだろう。 そしてまた救急車だ。
 私の下には一人だけ人がいたが、その声を聴いた瞬間に飛び降りていき、衝突を避けるこ
 とができた。ここまでいくと、がいいか悪いかの問題だ。
 今年は私にとって悪いことばかりが続いたから、この「がよかった」ことがきっかけになっ
 て、展開が少しはよい方向に向いていけばいいのだけれど・・・・・。

11.23

勤労感謝の日

 最近購入したCD2枚。

 鳥山雄司は、吉田拓郎のコンサートのバックを務め
 ているギタリスト。

 「マチネの終わり」には、芥川賞作家の平野啓一郎
 と、日本クラシックギター界を牽引する世界的ギタリ
 ストの福田進一とのコラボが実現したもの。

 僕らがミュージシャンを応援できるのは、こうやって
 CDを買うのがいちばんだ。

11.22b  

  動いている時計は、止まっている時計よりもゆっくりと進む。

                            ~アインシュタインの相対性理論~

       「眠れなくなる宇宙の話」  佐藤勝彦  宝島社  からいただきました。
11.22a  
 地震が発生した5時59分、私は埼玉のホテルのベッドの中にいた。震源地からは離れていたため、「やわらかな」
 揺れだったから、それを夢のように感じていた。
 本当は目を覚まして状況を確認し、避難が必要かどうかを判断しなくてはいけないのだが、眠りの中ではなかなか
 それができない。
 私の場合、地震がきたときに「どの土地にいるのか」が、運命の分かれ目になる。

11.21
 先週、新宿のリーガルショップ
 で新しいを買ったけれど、な
 んだかブカブカだ。
 というのは、本来紐で締め付
 けるものらしいけれど、私はそ
 れが面倒くさいので、いつも紐
 がないタイプのものを買ってい
                                                      る。
 だからこのように、微妙に食い違っていることがある。今回は、の先端に布を入れて様子を見ているけれど、もし
 かしたら、身長と同じように、足も縮んでしまっているのかもしれない。 

11.20  
 民生児童委員の用事が終わったと思っていたのに、まだ残っていました。
 「東伊那保育園」が開園して50周年の、記念の式典に招かれていたの
 です。
 式典に、児童の姿がないというのはちょっぴり不自然だったけれど、今ま
 でにいろいろな記念行事をやってきたから、まあよしとしましょう。
 チビが年長と年少にいるので、出来上がった記念誌のあちこちに登場し
 て、ただ義務的に出席している来賓の場合とは、ちょっぴり気分が違いま
 す。
11.19  
 家のまわりの冬支度をしようと張り切って起きたのに、
 雨が降っていた。 残念。
 
 チビたちと赤ちゃんとの初対面は、最初緊張していたけ
 れどだんだん慣れてきて、そのうちにそばから離れなく
 なってきた。 すぐに大きくなって、一緒に遊べるよ。

 夕方は、民生児童委員の引き継ぎのため、新任の方の
 お宅にお邪魔した。
 引き継ぎ項目の多さにびっくりされていたけれど、私は、
 肩の荷がひとつだけおりました。
11.18  
 この時期、毎年いらっしゃっている上田からのお客さんと、伊那市で懇親
 会
を持った。
 知り合ってからもう15年になるというから、私がこの仕事を始めて少し経
 った頃、お世話になった会社の方々だ。
 すき焼き馬刺しを食べたいと「北野屋」さんにお願いして、それを食べる
 前にスマホで撮影したのだけれど、パソコンに転送することができない。
 今までこんなことはなかったのに、これを書いているのは土曜日になって
 しまったから、回線が混んでいるのだろうか?
11.17  
 この本の中に、認知症を診断する「長谷川式認知症スケール」のことが書かれていた。
 100から7を頭の中で順々に引いていく問題。93、86、79、と答えていくことができ
 ればいいわけだ。
 次は3問ほど前に医師が言った三つの言葉を思い出す問題。五つの品物を見せたあ
 とそれを隠し、何があったかを言う問題。そして、知っている野菜の名前をたくさん言う
 問題。これは10個言えればいいとされる。
 これを読んでいて、私もどこかで体験したことを思い出した。そうだ、胸椎の骨折で入
 院したときに、看護婦(師)さんから聞かれたのだ。そうか、あれは認知症の診断だっ
 たんだ。
 記憶力が極端に悪い私は、この手の問題が苦手だ。ただ、野菜を10種類あげなさい
 と言われたときには、畑で作っている野菜を端から思い浮かべたから、なんとか救わ
 れたにすぎない。
11.16  
 昨夜の友人とのつもる話の中で、私がアコーディオンを弾いていたことの話題にな
 った。春闘や一時金闘争のときの集会時に、労働歌の伴奏役として、私がアコーデ
 ィオン
を弾いていたのだ。
 彼は、私がもともと弾ける人だと思っていたようだが、あれは、茅野市の宮川公民館
 で行われた、アコーディオン教室で習得したものだ。
 習得といっても、弾きこなせたわけではない。右手で鍵盤を、左手でコードのボタン
 を、そして両手で蛇腹の本体を開いたり閉じたりしなければならないから、たいへん
 な技量を要求される。だから、曲に合わせてコードのボタンを押していた程度だ。
 組合事務所にあるアコーディオンを見て、自分が弾こうと思って教室に通うのだから、
 あの頃から、「生きる」ことに真摯に向き合っていたといえるかな。
11.15b
 千葉県の津田沼のジョナサンで40何年かぶりに会ったのは、私の結婚式
 (人前挙式だったから披露宴も一緒)の司会をしてくれた人。
 出会った当時、彼は労働組合の青年行動隊の隊長を務めていて、その際だ
 った統率力にあこがれていたものだった。
 この夏、彼の姿が大写しになった暑中見舞いが届いた。それを見て連絡を
 取りたいと思っていたけれど、私の背骨が回復するのを待っていたため、会うのがこの時期になったもの。
 今日会って話を聞いたのだが、暑中見舞いの写真は、年賀状に孫の写真を載せている私に対する、アンチテーゼ
 の意味もあったとのこと。
 40何年かぶりなのに、会った瞬間に当時にタイムスリップできる、友人とは本当にいいものだ。 

11.15a  
 怪我をしてからちょうど半年が経過した。今週から、コルセットを着けずに出掛けて
 きている。
 救急車で運ばれたとき、その病院にいた医師は、今日帰ってもいいけれど痛かった
 ら一晩入院していけばいいとおっしゃられた。その後骨折がわかったときも、1週間
 くらいいれば退院できると軽く考えていた。ところが、体をずらすだけで激痛が走り、
 とても歩くことなど叶わずに、結局2週間入院をし、さらに自宅に帰って3週間、合計
 5週間の療養生活を余儀なくされた。
 怪我をしたときに、全快するまでには半年くらいかかるよと言ってくれた人もいたけ
 れど、結局そのくらいかかったことになる。背骨の曲がった部分は元に戻ることはな
 く、そのうえ猫背のため、常に体を反らせようとしているので、その反動は肩や腰に
 きている。そんなわけで、まだ体の動きはぎこちなく、疲れっぽくて仕方がない。
 コルセットを脱ぎ捨てた代わりに、半年ぶりに腹巻きを着用した。コルセットは胸ま
 で締め付けて苦しかったけれど、腹巻きは腹の部分を引き締めるだけだから心地
 いい。

11.14  
 種を蒔いたのに芽が出ないものが多くて、を買ってきて植えて補充した
 りした白菜が、こんなにも大きくなって丸まってきました。
 途中が欠けているのは、「まだ早いからもったいないなあ」と言いながら、
 土曜日に弟たちが持って行ったからです。
 例年収穫したあとの冬の時期は、紙に包んで車庫に入れて保管するので
 すが、使い切れずに腐ってしまうことが多いから、今年は、欲しい人に全
 部あげて、使い切りたいなんて思っています。
11.13b   
 2013年10月にスタートした「AKB48 SHOW!」は、毎回録画をして
 おいたものを見続けていたけれど、たかみなが引退してしまったのをきっ
 かけに見なくなってしまっていた。
 10月22日にNHK・BSプレミアムで放送された、AKB48と国内の姉妹
 グループが結集した3時間特番「スーパープレミアム AKB48 FES201
 6」は、コントや生演奏の弾き語りなども交えたAKBグループ最大規模の
 “フェス”で、NHKホールでこの夏に開催されたもの。
 コマーシャルも入らない3時間という長い時間をぶっ続けで見たけれど、
 そのパフォーマンスの数々は、さすがAKBと言えるものだった。
 私が秘かに心配しているのは、この大人数のグループをいつまで「維持」
 できるのだろうかというもの。それは人気の面ではなく、採算性の問題。これだけの人たちを「食わせていく」という
 のは、たいへんなことだ。

11.13a  
 生まれてからずっと「入院」して点滴を続けていた赤ちゃんに、やっと会え
 ることができました。今日を逃すと、また1週間先になってしまうので、夕
 方病院に行ったものです。
 さっきまで泣いていたけれどやっと眠ったということで、目を開いた顔は見
 ることができませんでした。
 名前は「」。「」の字を使いたかったのだと、長女が言っていました。
 産婦人科には子どもが入ってはいけないというのに、みんな子ども連れで
 す。 こんなことなら、チビたちも連れて行けばよかったです。
11.12b  
 生後6ヶ月になるのを待って行き始めたから、もうキャリアは5年以上になるスイミング。与え
 られていた課題は、クロール(自由形)で25mを泳ぎ切るというものでした。
 前々回も前回も、あと5mというところで水を飲んでしまいクリヤーできなかったものが、今日、
 やっと泳ぎ切ることができました。
 私が草刈りをしていると、帰って来た車の窓を開けて、嬉しそうに賞状を見せてくれました。
 最初のベビークラスのときは泣いてばかりいて、「頭がいいから先を見越してしまう」とコーチ
 に言われていた琉クンが、少し前にはプレッシャーに押しつぶされそうになり、「行きたくない」
 と言い出すありさまでした。 でも頑張って、ひとつ山を乗り越えたね。
11.12a  
 おじいさんの一周忌の法要。四十九日と同じく、今回も、おじいさんの兄
 弟・姉妹を中心にした、近親者のみで執り行いました。
 9人いた兄弟・姉妹のうち、残っているのは2名だけになっているのです
 が、その二人とも松茸の夢を見たというのです。長女に男の子が生まれ
 るというお告げだけだから、よほど電話をしようと思ったけれど、まだ予定
 日にはほど遠いからと、黙っていたということでした。
 予定日を考慮して、法要を前倒しにしたのだけれど、出産の方が9日ほど
 早かったわけです。ちなみに松茸の逆は、「アケビ」です。
11.11c  

 弟夫婦と一緒に、入院している長女のお見舞いに行った。
 赤ちゃんに会いたかったのだけれど、点滴を受けているということで、見ることができなかった。
 でも、「まさるくんに似ている」という長女のメールで、舞い上がっている次第であります。
11.11b  

 昨夜のNHKSONGSは、中島みゆき特集で、満島ひかりがナレーションを務めた。
 その中で、見たことのないようなライブの映像が流れ、それは2015~2016年にかけて
 行われたコンサートだとの字幕が出た。あれ、確かそのコンサートに行ったはずなのに?
 結論から言うと、そこで私が見たことを覚えていないということだ。そして、そのライブを収録
 したDVDがまだ発売されていないから、記憶が蘇っていないわけだ。
 「中島みゆきConcert「一会」(いちえ)2015~2016」は、11月16日に発売される。
11.11a
 民生児童委員の任期は3年で、今日が最後の例会だった。
 9月20日に来襲した台風16号の大雨により、市内の3地区に避難勧告が出されたの
 だが、その地区を担当する民生児童委員からの報告があった。
 午前5時に有線放送で告知放送があったときから、それぞれの民生児童委員は1人暮
 らしの高齢者宅を中心にして、避難に支障のある家庭を回ったのだそうだ。そして、家
 族に連絡を取ったりして、避難の条件を整えている。
 私はその時間静岡県の沼津にいた。いま平日に自宅にいる確率は、20%を下回るだろう。1期で辞めてしまうこと
 に心苦しい部分があるけれど、こんな条件ではやっぱり任務を果たすことができないのです。
 
11.10
 今回選挙の一つの特徴は、今までの民主主義の根幹としてあった、事実を重
 んじるという風潮が瓦解した戦いだったと思う。今回の
選挙戦では、両者ともす
 ねに傷を持った候補ゆえだが、中傷合戦がひどかった。「戦争で最初に犠牲に
 なるのは真実」ということわざがある。まさに今回は中傷合戦が戦争のような状
 況になり(その中傷が)事実かどうかは、さほど問われなくなった。「言ったもの
 が勝ち」で、逆にそれを否定するような情報が主要メディアから出てきても国民
 は信じなかった。
 現在、米国民の3分の2が国の行方について悲観的であると指摘されている。
 この数字は90年代初頭とほぼ同じだ。当時と同様に、今回もアウトサイダーが
 行き詰まった社会を一気に変えてくれるのではないか、という救世主願望が出
 てきた。それが民主党候補ならサンダース氏で、共和党の場合はトランプ氏だ
 った。変化がとりわけ求められている世論の雰囲気を考えれば、
クリントン氏の政治家としての経験や実績が逆に
 災いしてしまった。
クリントン氏は夢を語れなかった。どんなアメリカになるか、ということを彼女が語っても陳腐化し
 てしまうという点が、
クリントン氏敗北の原因だったと思う。

  「米大統領にトランプ氏 識者座談会」 における、渡辺靖氏(慶応大教授)の発言です。
                          「毎日新聞 11月10日 朝刊」 からいただきました。
 
11.9b  
 ヒラリーが負けたということだけではなく、トランプが当選したという事実が、私の心を暗くしています。
 イギリスのEC離脱を決めた国民投票の時も感じたことですが、民主主義って、いったい何なんでしょうか?

 11.9  
 ビートルズの初期のリバプール時代から、1963年に始まった15カ国90
 都市166公演におよぶツアー、そして観客の前での最後の演奏となった
 66年のサンフランシスコ・キャンドルスティック・パーク公演までのライブ映
 像を中心に、関係者などのインタビューを織り交ぜながら、ビートルズの曲
 の変遷、半世紀以上も愛され続ける彼らの人気の理由を探る、「ザ・ビート
 ルズ
」の公式ドキュメンタリー映画です。
 この映画のあとに、ニューヨークのシェイ・スタジアムで開催されたライブ映
 像も上映されました。
 ジョン・レノンの、知的な表情が印象的でした。

11.8
 初めての外孫が誕生しました。
 おばあさんが生きていた頃よく言っていたのは、「家(うち)には結婚をしない子がひとりい
 る」というものでした。これにはいろいろな意味が含まれているのですが、その子(長女)が
 伴侶を見つけてから7年目に、子宝に恵まれたものです。だから、おばあさんも、きっと喜
 こんでいることでしょう。
 私は、どの孫の場合も、事前に性別は教えないでくれとお願いしていましたから、先ほど「とのさま」から、2686g
 の男の子だということを聞きました。
 陣痛が始まってから1日以上経ったので、ずっと心配していたのですが、これでひと安心です。 

11.7  
 今日の通院の結果、PSA(前立腺特異抗原 prostate-specific antigen)
 の値は、4.29/ng/mlでした。
 前回7月4日に検査したときの値は5.13でしたから、それよりも下がった
 ことになります。でも、上限値は4以下なので、安心はしていられません。
 とりあえず精密検査は実施せず、また3ヶ月後に今回と同じ検査をするこ
 とになりました。
 伊那中央病院の、4階の産婦人科の陣痛室では、今朝3時頃から陣痛が
 始まった長女が、「痛み」と闘っていました。
11.6  
 公民館の文化祭に、チビたちの絵
 が展示されていた。
 舜クンの描いたは他のどれより
 も生き生きとしていて、琉クンが描
 いたさつまいもが、小さいのから大
 きなものまでの配置がすごいと思
 うのは、全部じいじのひいき目なの
 です。
11.5  
 区の公民館の文化祭で毎年行われる講演会の司会を務めました。おそ
 らく民生児童委員として最後の仕事となることでしょう。
 講演会は、地区の社会福祉協議会と保健補導員会の主催で行われ、今
 年のテーマは「認知症」でした。
 「認知症の本人には自覚がない」は大きな間違いで、認知症の症状に最
 初に気付くのは本人だということだけれど、はたして自分にそれらしき症
 状が出はじめたとしても、それを受け入れられるかどうかは、また別の問
 題だと思います。
 「地域で支える」と言っても、いろいろな難しい問題を含んでいます。
11.4  
 今月の平日で、スケジュール帳が空白なのは今日だけ。だからといって
 のんびりできるわけではない。
 今日の作業は、室内に取り込むの土を交換すること。この作業を前回
 行ったのは3年前だったか4年前だったか定かではないが、の中は伸
 びた根っこでぎゅうぎゅう詰めだった。
 あとは、エンドウや冬越しのほうれん草のを蒔いたり、田んぼの畦の草
 集めをしたりで、ひとときの隙間もない私の日常が繰り返されました。
11.4a  
 中央アルプスがうっすらと雪化粧をしている。
 今週も家にいなかったから、いつ初冠雪したのかをみん
 なに訊いたところ、どうやら月曜日に雨が降ったときに降
 ったようだ。
 今朝も冷え込んでが降りた模様。散歩の途中で見た
 車のウインドーが、ガチガチになっていた。
11.3  
 家に帰って来たら、庭屋さんから請求書が届いていた。その金額を床屋さんにお話
 ししたところ、「ええ!そんなにするんですか?」と驚いていらした。
 でもね、その金額を12で割って1ヶ月あたりに直すと、たったこれだけのお金で、あ
 んなにたくさんある庭木を管理してもらうわけだから、安いって感じるよ。さらに去年
 は頼まなかったから、24で割ってもいいかもしれない。
 プロの仕事というのは、誰でもできることではないことをこなすこと。だからそれなり
 の対価を支払ってもいいことになる。
 最近のニュースで、プロ野球の戦力外を通告された人たちの報道がなされている
 けれど、プロというのは、そういう厳しい側面があるんだ。もちろん私を含めてね。
11.2  
 「無くて七」と言われているように、「」とは、本人が気が付いてはいないが習慣化されてい
 る動作のことだ。 私は、自動車の運転に、この「」を意識的に取り入れている。
 ひとつは、高速道路で車線変更をするときに、両側のサイドミラーをきちんと確認すること。車内
 のバックミラーでは、真横に位置している車両を認識することはできないから、高速道路を走行
 するようになったときに、この動作を繰り返すことにより、今では「」にしてしまっている。
 もうひとつは、普通の道路でカーブするときに、内側のセンターラインをはみ出さないことだ。特に
 坂道におけるカーブでは、最短距離を選択したくなるために、センターラインを無視して走り抜け
 るようになってしまう。しかしそのとき対向車線に車が現れたらどうなってしまうだろうか。
 この二つの動作は自然なかたちでできるようになっているが、「意識」していないかというとそうとは言い切れないの
 で、これは「」の範疇ではないのかもしれない。

11.1c  
 漢字検定の指導までしている元高校教師の友人は、「森田さんの書籍は誤字がほとん
 どない」と評価してくれる。その理由の一つに、長女が校正を担当してくれていることが
 ある。
 その長女が、私のブログを毎日チェックしていて、おかしなところがあるとメールで指摘し
 てくれる。昨夜のものは、茅野市駅の画像が逆さまだというものだった。
 スマホで撮影した画像を自分のパソコンに送信すると、逆さまになったものが入いってく
 る。だからそれを修正したものをブログに貼り付けるのだが、長女が見るものは治ってい
 ないわけだ。
 私のパソコンやスマホで見ても正常だから、どのような条件の時にこの現象が発生して
 しまうのかがわからない。 どなたか教えていただけないでしょうか。
11.1  
 昨夜、沼津市で乗ったタクシーの運転手に、市長選挙の評価を伺ってみた。
 30日に行われた沼津市長選挙では、自民、公明、民進の各政党に加え、連合静
 岡やJA、さらには商工関係など主要団体の推薦を受けた、3期目を目指す現職
 (67)が、新人のIT企業社長(57)に、ほとんどダブルスコアの差を付けられて大敗
 したのだ。
 運転手さんは、この何年間で人口が2万人も減っているのに、何も対策を打ち出せ
 ない市長に市民は閉塞感を感じていたそうだ。市長はお役所のやることに口を出さ
 ないから、市職員はやりたい放題で、そのことも問題だったという。
 市民はこの選挙で「市政刷新」を選んだ。小池東京都知事に続いて欲しいものだ。
11.1  
 1966年11月に発売された「心のステレオ・その人は昔~東京
 の空の下で~」は、松山善三が作った詞に船村徹が曲を付けた
 LP。当時私は、本当にレコードがすり切れるくらい繰り返して聴
 いたものでした。
 さらに、この物語の舞台になった、北海道の百人浜まで出掛けて
 いるから、まあ今もあまり変わらないが、ものすごい行動力だ。
 先日松山善三が亡くなり、船村徹が文化勲章を受章したので、も
 う一度思いを新たにしたところです。
 舟木一夫が出演した映画は、どれも欠かさず進行形で観ていた
 けれど、どういうわけかこの作品だけは見逃していて、何年が前
 にCSで放映したのを録画しました。
 「じっとしてると恋しい」はその映画の挿入歌。レコードには入って
 いない曲です。