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あと あと のあと 2020年12月

12.31
 仕事を再開したのは9月だったけれど、それからまあよく働いた。予定
 表にはスケジュールがぎっちり詰まり、それが来年も続いている。

 「コンサルタント」とは、「企業の様々な経営上の課題を明らかにし、解
 決する助言をする」ことがその役割だというが、私の仕事は「助言」の枠
 を明らかに超えて、もっと企業の内部にまで踏み込んでしまっているか
 ら、「コロナが恐い」などと言って、簡単に逃げ出すことができない……、
 と自分では思っている。

 3月から8月の間の半年間に、仕事をしたのは1ヶ月くらいだったから、
 収入がない状態が半分近くあったわけだ。
 自営業は、前年の収入に対する税金が翌年にまともにかかってくるか
 ら、経済的にはたいへんな一年だった。
 
 でも、こうやって健康なままで新しい年を迎えることが、ありがたいことだと思っています。
 このブログを訪問してくれた皆さま、ありがとうございました。 来年も引き続きよろしくお願いします。

12.30
 ここに「遺言書」がある。法的条件を満たすものではないが、4月15日に取り急ぎ作
 成したものだ。
 あのころは、「コロナウィルス」の素性が全く明らかになっておらず、何が起こっても不
 思議ではない状態だった。

 「遺言書」を作成したのは2回目で、前回は2011年、「硬膜動静脈瘻」に罹ったとき
 だ。動脈と静脈が癒着し、そこに空いた無数の穴から血液が勢いよく噴射しているM
 RIの画像を見て、これはもうダメだと思い、その日の夜に書いたもの。

 そのときの「遺言書」の内容はお葬式に関するものだったけれど、今回は、相続権の
 ない孫たちに少しでもお金が渡ることを願ったもの。
 原本を弟に預け、私に何かあったら明らかにして欲しいことをお願いしておいた。その
 有効期限は明日の大晦日になっている。 だから、幸い役に立たなかったけれど、そのときに感じた危機感は、今も
 続いている。

12.29
 10回目の「抗原検査」を受けて帰ってきた。もはや、私一人が検査を受けたところでどうなるものではない。

 新宿発の「
あずさ」は通常ほぼ1時間おきに出ているが、年末の帰省客のために、その定期便の少し後に組み込まれ
 た各駅停車の
臨時便が、下りについては8本にものぼっている。でも、帰省する人はほとんどいない状況だから、いず
 れもガラガラの状態らしい。

 月に1回、
投薬をもらうためのかかりつけ医への通院は、今日までやっているとばかり思っていた。しかし、
 夕方行ってみたところ、今日から1月5日まで
休診になっていた。
 私は6日から仕事が入っていて、こんど自宅に帰ることが出来るのは15日の夕方になってしまうから、約
 2週間、
飲む薬がなくなってしまうことになる。
 うっかりしていたけど、これは今さら仕方がないことだ。
 

 
 私は、高校、大学、そして社会に出てからも、日本の政党では日本共産党を最も信
 頼していた。
共産党は、太平洋戦争の時に、最後まで強く反対していて、宮本顕治
 など幹部たちは敗戦まで刑務所に入れられていた。そして、戦争の総括もせず、戦
 争協力者が少なからずいる自民党には、徹底的に批判的であった。

 そして、その
共産党が全面的に信頼していたのがソ連邦であった。だから、私もソ連
 を信頼し、世界はやがて社会主義、そして共産主義になるのではないか、と考えてい
 た。

 もっといえば、当時、朝日新聞から読売新聞まで、
ソ連を批判する新聞は一紙もなか
 った。NHKをはじめ、テレビ局も、アメリカの政治体制とは異なっているが、
ソ連流の
 
共産主義を肯定していたのである。とくにフルシチョフがスターリンを批判して登場し
 たので、「雪どけ」として、非常に歓迎された。

 そして、1965年、当時私は、テレビ東京に所属していたが、
モスクワで、世界ドキュ
 メンタリー会議なるものが開かれて、なぜか私が日本代表として招待されることにな
 った。生まれて初めての海外旅行であった。

 ところが、
モスクワ滞在中に、ソ連では、言論・表現の自由が全く許されていないことがわかったのだ。とんでもない
 国だ、と実感し、この国に将来性はないと思わざるを得なかった。だが、そんなことをいえば、テレビ東京にはいられな
 くなり、日本社会では孤立して、やっていけない、とも感じ、しかし、いつかはきちんといわなければならないと強く思っ
 た。

 そのときから、私は、いわゆる
左翼ではなくなった。

                      「戦後日本の総括」   田原総一朗   岩波書店  からいただきました。
 
12.27b
 昨夜の羽生も、今夜の紀平梨花も、見
 るのが恐くなって、ジャンプを失敗した
 らすぐさまチャンネルを切り替えようと思
 っていたくらい。

 そんな弱い心を持つ私を尻目に、二人と
 もものすごい演技を見せてくれた。

 プレッシャーに打ち勝ち、本番で結果を
 出すためには、おびただしい量の練習
 を積み重ねたことだろう。
 いつも思うことだけれど、アスリートたち
 の精神力には敬服してしまう。 
12.27a

 今日お伺いした会社の会議室。段ボールでできた簡易的な骨
 組みに、透明なシートが組み込まれています。
 頑丈なアクリル板ではなかったので、ここに掲載してみました。

 こんな光景があたりまえになっているけれど、コロナ禍が落ち
 着いたあとも、人が発する飛沫に注意を払うという意識がどこ
 かに残ってしまうようで、そんなことが気になっています。 

12.26b
 JR郡山駅から1.8kmの距離にある「いきなり!ステーキ」まで、歩い
 て行ってきた。

 ホテルの部屋でお弁当を食べるのにいい加減飽きてきたし、こういうと
 きこそ経済活動をしなければと思ったのだ。

 「いきなり!ステーキ
 が出店した当初は、目
 の前で肉の重量を確認
 し、立ち食い席で食べ
 るパターンだったけれど、いまはテーブル席で注文すれば、そこまで
 持ってきてくれる。

 外食産業に厳しい環境だけれど、こういうユニークなお店は、何とか
 生き残って欲しい。
 
12.26a
 1週間前の金曜日、「抗原検査」で訪れた病院の女医さんに、「来年に
 なると花粉がやってくるのです」とお話ししたところ、「私も飲んでいるの
 ですがいい薬があります」とおっしゃられて、「ビラノア錠」を処方してく
 れた。

 この薬は、「ヒスタミンH1受容体拮抗薬」で、今から持続して飲むこと
 によって、アレルギー症状が押さえられるという。
 ただ、「空腹時に飲まないと効かない」と言われたから、朝起きて朝食
 を食べる前に飲むことにしている。

 痛風、高血圧、前立腺肥大と、私も老人特有の薬漬け人間になってし
 まったけれど、これはある程度仕方のないことだ。
 
12.25
  今週は、福島県の郡山に3連泊。

  日曜日と月曜日に工場に入り、それが今年の仕事納めになる。

  火曜日の朝「抗原検査」を受けて、自宅に帰る予定。

  ← 埼京線の南浦和駅のホームから、ビルの間に富士山が望めました。 
12.24c
 「第三波」が猛威を振るっても経済を止めるべきではないこれだけの理由

 厚生労働省の統計によると、季節性
インフルエンザによる死者数は1年で
 およそ3000人。
インフルエンザに端を発した誤嚥性肺炎など「間接死」も
 含めると、毎年1万人もの人が亡くなっている。

 一方、
新型コロナウイルス感染症による死者は11月18日現在で1933
 人。これは、毎年正月に餅をノドに詰まらせて死にいたる約1300人よりは
 多いものの、風呂場の浴槽で誤って「溺死」する約5000人より遥かに少な
 い数字だ。

 11月に入って以降、「第三波」の襲来がさかんに報じられている。18日に
 は新規陽性者が初めて2000人を超えた。だが、少し冷静に考えてみてほ
 しい。季節性
インフルエンザの感染者は毎年約1000万人にも上り、これを
 365日で割ると1日当たり3万人の感染者を出している。つまり、たとえPC
 R検査の陽性者数が1日当たり5000人を超えたとしても、季節性
インフル
 エンザ
に比べれば、新型コロナウイルスの脅威は格段に小さいということ
 だ。

 もちろん、すでに多数の死者を出している欧米をはじめ、南米ブラジルやイ
 ンドなどでは、感染拡大が即ち死に直結していることも否定していない。だが、いくつもの「ファクターX」を持つ日本に
 おいて、
インフルエンザに比べても極めて弱毒性であると言われる新型コロナウイルスを、ここまで過剰に怖がるのは
 ナンセンスと言えよう。なぜなら、現在のコロナ・パニックは、専門家とメディアが恐怖を煽りに煽って作り上げた「イン
 フォデミック」に過ぎないからだーー。

                              「扶桑社」の紹介サイトにある、「コロナ論2」の文です。

 私の心も精神も「コロナウィルス」に汚染されていて、ともするとメディアの危険をあおるような報道に、「コロナウィルス
 に対する認識が揺れ動き、過剰な恐怖感まで植え付けられている。ただ、新聞や書籍の記事をいつくか読んだ限りで
 は、この本のコロナウイルスを客観的に捉えた論理的な内容が、今現在ではいちばん正しいのではないかと思う。 
 だから、もっと多くの人に読んで欲しい。

12.24b
       キスマーク

     あなたは キスマークのついたからだを 私の前に開いた
     私がそれを発見すると
     「あなたは 女がわかっていないのよ」 と言った

     「私はのめりこめないから・・・・・
       ・・・・・のめりこまれても困るでしょ?」
     そんなあなたの言葉を 私は今でもかみしめている

     それぞれにちがった人生があって
     その一部の接触だけでも ひとつになってしまえる男と女
     夜が明ければ またちがった道を歩いている

     「女は信じられない・・・・・」と 私はいつも言っている
     でも 精一杯信じようとしている
     はねつける前に 受け入れようとしている

     自分のいいかげんさを 許容したくない私は
     あなたを含めた他人のいいかげんさを どうしても許せない
     怖い人だって言われても これが私の生き様なんだから               (1980.9.21)

  メリークリスマス!!  埼玉県の戸田公園のホテルで、ひとりぼっちのクリスマス・イヴを迎えました。
   
12.24a  
 天安門事件からしばらくして、友人が中国人のMさん(学生として天安門事件にか
 かわり、日本に半ば亡命)にインタビューしたところ、Mさんは、「たしかにあの学生
 は立派でした。でも、私は
戦車を操縦していた青年はさらに立派だったと思っていま
 す。軍隊は抵抗する学生を
戦車で轢き殺せという命令を出していたそうです。それな
 のに、
戦車の操縦士は必死になって学生を避(よ)けていた。彼は処罰されたかもし
 れない。あれはなかなかできることじゃないですよ」--と言ったというのだ。

 ああ、そうだったのか。そういうことだったのか……。あらためて、あの時の
戦車の動
 きが、つらい気持ちで思い出された。

 命令に従わなくてはという心と、目の前で死も辞さず全身で静かな抗議をしている人
 間を痛めつけるなんてできないという心。あの
戦車の動きはそういう心のせめぎあいをそのままに表していた。
 そこに私は胸を打たれたのだけれど、戦車のぬしがその後どういう処罰を受けたか、そこまでは考えられなかった。日
 本的常識に縛られていた。きっと、降格程度ではすまなかっただろう。


                「満月雑記帳」   中野 翠   「サンデー毎日」 1.3-10号からいただきました。

12.23b
 35歳だった私は、
 地元の企業の工場
 の立ち上げにたず
 さわっていた。

 「日本海・アジア平
 和の船
」に行くこと
 で工場を留守にす
 ることを知った社長
 は、「課長に昇進さ
 せる予定だから行
 かないでくれ」と言
 った。

 私は「課長にはな
 れなくてもいい」と答えて、「日本海・アジア平和の船」に参加したわけだが、
 しばらくして帰ってきたところ、ちゃんと課長に昇進していた。

 「社会主義国の雑草を見たい」と応募した、私の感想文を掲載しました。
 子どもたちの表情にも注目していたけれど、「抑圧」は感じませんでした。
 
12.23a  
 なぜ、平気でウソの答弁をする官僚が出世するのか。
 なぜ、疑惑にまみれた総理大臣を辞めさせられないのか。
 NGOだった私が、
国会という「異業種」に飛び込んでから四半世紀半、文化もル
 ールも異なる
政治の現場で、悪戦苦闘を続けています。この間ずっと、どうすれ
 ば
政治の一見不可思議な意志決定プロセスや人間同士がぶつかり合う生々し
 い実態を知ってもらえるのだろうかと、伝える方法を模索してきました。

 どうして、そんな結論になったのか?誰が、どんな思いで、どんな行動をしたの
 か?多くの人々にはなかなか伝えられません。
 
野党の戦術には限界があります。もともと議員数は少ないのですから、採決にな
 ったら結果は見えています。しかしそれでも
国会には各種のルールがあります。
 ルールが遵守されたのか、そしてルールが破られたらどうなるのか、多勢に無勢
 の「逆境」の中で、
野党はどんな手段を用い、結果にどんな影響を与えたのか。
 それを知ってもらえばもっと客観的に政治をジャッジしてもらえるのではないか、と
 私は考えました。

 「
政治ってこんなふうに動いているのか」
 「結果だけでなく、そこに至るプロセスに関心を持ってみよう」
 「
政治って、捨てたものじゃないな」
 一人でも多くの人にこう思ってもらえることが「
政治を変えてみよう」という力につ
 ながるのではないかしら。

                    「国対委員長」 辻元清美 集英社新書 「まえがき」からいただきました。

 辻元清美さんとは、1985年の「日本海・アジア平和の船」で、ソ連・北朝鮮・中国を一緒にまわった間柄です。
 早稲田大学の学生だった彼女は、当時「ピースボート」を主宰していて、とにかく目立っていました。

12.22
 有楽町で、「年末ジャンボ宝くじ」を買った。

 連番だと、最初の1枚を見ただけで当落がわかってしまう。
 本当は、そんなプロセスはどうでもいいのだけれど、そんな
 わけで連番10枚とバラ20枚にした。

 宝くじを買っていながら思うのは、もし当たった場合はどう
 するのだろうかということ。10億円当たっても逆に困るし、
 ミニの5000万円だって、これといった使い道は思い当た
 らない。

 はっきりしていることは、宝くじ程度で仕事はやめないだろ
 うということ。仕事は生活の糧であることは確かだけれど、緊張感のないぐうたらな生活は、私に似合わない。 
 
12.21b

 冬至が待ち遠しいのは、ここを境にして昼の時間が長くなるからです。
 夕暮れが遅くなると、なんだか得をしたような気になるのです。

 昨日からをお風呂に入れていたので、舜クンに頼んで出演してもら
 いました。

 湯は香りも心地いいわけですが、いつもより暖まる気がします。
12.21a
 私のブログのコアな読者が何人かいて、そのうちの一人と電話で話していたと
 きに、「そんなピアノ教室やめてしまえば!」とおっしゃった。

 この27日に「おさらい会」というのがあって、入場できるのは家族2名までだと
 いう。まあここまではいいとしても、その2名については、2週間前から毎日
 温
をして、それを記録することが義務づけられているというのだ。

 コロナウィルスの特徴の一つは、無症状者がかなりの割合でいて、その人た
 ちは体温が上がることがないのだ。日本のコロナ対策は自粛に訴えるだけだ
 から、地方ではこのような対策しかできないでいる。 
12.20b
 桜の木の剪定をかなり大胆に
 行いました。

 枯れてしまうことも覚悟の上で
 す。

 切り口には、一応癒合促進剤
 を塗布しておきました。
12.20a  
 今朝の駒ヶ根の気温は-6℃

 いつもならこの時期、畑のマルチシートを剥がして、耕して
 おかなければならないのに、家にいる機会が少ないから
 間に合っていなかった。

 予想されたことだけれど、畑は凍っていて刃が立たない。
 それでも太陽の力はたいしたもので、夕方の4時ころにな
 ると凍っていたのが解けてくれました。

 だから、暗くなる僅かな間を使って、耕すことができました。
12.19  
 おじいさん(父)は、「人は義理とふんどしだけしていればいい」と言っていました。

 義理 : 社会生活を営む上で、立場上、また道義として、他人に対して務めたり報い
      たりしなければならないこと。
            (weblio辞書 )

 今日は、おじいさんの父親の弟の子供の方(おじいさんの妹である叔母さんたちの
 従姉妹(いとこにあたる)が亡くなったことに対する「義理」を果たすために、木曽ま
 で行ってきました。
 おじいさんが寝込んだときにお見舞いに来てくれたり、お葬式にも参列してくれたか
 らです。
 雪が心配されたけれど、幸い木曽の道路には積もっていなくて、おばさんと一緒に
 ドライブをし、お昼ご飯をご馳走になってきました。
12.18
 9回目の「抗原検査」。
 「回数券にしてよ!」と、担当の方と冗談を言い合えるくら
 いになった。

 今日、女医さんに質問したことは、「例えば感染をして、潜
 伏期間中に「抗原検査」を受けて、陰性という結果になっ
 た場合」のこと。
 その答えは、「その場合は、他人に感染させることはありま
 せん」というもの。

 私も立派な高齢者だから、感染すれば症状が出る。だか
 ら、2週間に1回というサイクルで「抗原検査」をすることは、
 現状では完璧に近い対応だ。                                    ↑
                                    土浦から移動した、特急「ときわ」の車窓からの眺めです。 
                                    おだやかな朝焼けの中、遠くにスカイツリーが見えます。 

12.17  
 私も客商売の端くれだから、見てくれが大事だとばかりに、3週間に1回のペ
 ースで床屋さんに通っていた。
 しかし、今は4週間に1回しか家に帰ることができないから、それに伴い髪が
 伸びて気持ち悪い。

 今の五分刈りりにしたのはガンの手術で入院するときで、しばらく床屋さん
 行くことができないからと、短くしてしまったもの。
 それ前は、髪が硬くて収まりがつかなかったので、パーマを掛けていた。今は、
 朝髪の毛を濡らすだけでいいから、ずいぶん楽になっている。

 もう十年来同じ床屋さんに通っているわけだが、椅子に座るだけで、何も言わ
 なくても散髪をしてくれるから具合がいい。
 その床屋さん曰く、「森田さんはちっとも髪が薄くならない」とのこと。こんなつま
 らないことで喜んでいる。
12.16
 東京の豊洲市場の、約480の水産仲卸事業者の従業員約3500人を対象に、任意で
 コロナの
検査を実施した結果、3111人が受けた中で71名の陽性が判明し、陽性率は
 2.3%だったという。
 ということは、無症状者もしくは軽症の感染者が、わたしたちのまわりに結構いるという
 ことになる。

 
 私がお客さんの会社に入るときは、サーモグラフィで検温を実施しているが、無症状者は
 高熱にならないから、これだけでは限界があることがわかる。
 そのことと同期が取れているかどうかはわからないが、首都圏および今週宿泊した福島
 県や茨城県のホテルでも、チェックイン時に検温は行われなかった。

 だから、何度も同じことを言うようだが、検査をもっと積極的に取り入れないと、感染の拡大は防止できないと思う。
 
12.15b
 私は、日本という国に特別な興味と思い入れをもって取材を続けてきたアメリカ人
 
ジャーナリストだ。日本人ではないが、日本人がもつメンタリティを深く知りたいと
 思い、長らくこの国で取材を続けてきた。
日本を深く愛すると同時に、外国人ジャ
 ーナリスト
という第三者的な立場から、問題を突き放して見る冷めた目線も併せて
 もっている。

 その私から見ると、転換期を迎えた現在の
日本が、民主主義の危機を迎えてい
 るように思えてならない。特に、健全な
民主主義が機能するうえで重要な権力の
 チェック機能を果たすはずの
メディアが、第二次安倍政権誕生以降、腰砕け状態
 に陥ってしまった。組織防衛を優先するがゆえ
ジャーナリズムを放棄するという、
 信じられない現実が新聞やテレビといった大手
メディアの内部で雪崩のように起
 こってしまったのだ。

 管新政権でさらに強まるであろう
メディア・コントロールへの危機感を知ってもらう
 ため、第二次安倍政権誕生以降、私がさまざまな関係者に取材して得た
メディア
 の内情を記していきたい。

 
メディアの重要な役割の一つに「watch Dog」がある。日本では「権力を監視する
 番犬」とも訳されるが、権力者が不正を働いていないか、監視をする犬、ということ
 だ。おかしなことがあれば、すぐに「ワンワン」と吠えて、国民に危険を知らせる。
 健全な
民主主義が機能するためには、この番犬の働きが重要だ。翻って現在の
 
日本のメディアを眺めると、第二次安倍政権の誕生以降、番犬たちは総じておとなしくなってしまった。なかには、エサ
 をねだって、権力者にすり寄る犬もいるほどだ。本書は、そうした危機的な状況を伝えるため、少々、手厳しいタイトル
 を付けた。

 だが、このタイトルは私から
日本ジャーナリズムへ送るエールでもある。日本の記者、特に現場にいる若手、中堅記
 者は総じて優秀だ。会社の現状を憂い、戦っている記者を何人も知っている。後ろ盾を持たず、権力に立ち向かうフリ
 ー
ジャーナリストはSNSを駆使して、人々に重要な情報を発信している。本当は大きな声で吠えられるジャーナリスト
 がたくさんいるのだ。
                    
 「吠えない犬」  マーチン・ファクラー  「双葉社」 からの抜粋です。   

12.15a  
 昨夜23時5分から始まった「全米女子オープン」の生中継
 を見始めた。
 途中で、また目が覚めるだろうからと眠ろうとしたが、眠り
 に入ることができず、16番ホールでバーディを取れなかっ
 たところで見続けるのを諦めた。

 ネットの報道によると、体感温度0度という極寒への備え
 が、韓国の選手に比べて足りなかったとのことだった。

 したがって、ほとんど眠っていない状態で今日の仕事に臨
 んだわけだが、全く影響がなかったから、まだ若いというこ
 となのかな?
12.14b  
 コロナ禍の中における食事事情です。

 は、ホテルで個装されたパック詰めのお弁当。味気なく
 てご飯がまずいけれど、栄養のバランスは取れています。

 は、平日はお客さんの会社で出してくれるのでいろいろ
 です。1社だけ家庭料理に近い内容で、感動してしまいま
 す。休日はコンビニに買いに行きます。

 夕飯はもっぱら幕の内弁当が主流です。今夜はそれにコ
 ーンスローサラダを付けました。
 宿泊地は福島県の郡山だから、外食をしてもいいのですが、なかなか一人では入りにくいので、ホテルの部屋の中で
 採っています。 そんなわけで、間食は全くしない、「規則正しい」食生活です。
 
12.14a
 昨夜は、深夜の「全米女子オープン」の中継に備えて、た
 っぷり昼寝を取って臨んだ。

 0時5分からWOWOWで中継が始まったけれど、5分後
 に雷雨にそなえて中断してしまった。それから約1時間待
 ったけれど、再開しそうにもないので眠りについてしまった。

 目が覚めたのはそれから約3時間後、そのときも中断した
 ままだ。そしてまた眠って、次に起きたときには延期が決ま
 っていた。
 日常でも夜中に何回か目が覚めてしまうので、こんな芸当
 ができます。
12.13
 この書籍の舞台は、すでにコロナ禍が始まっている現代だ。まだ翻弄されている状態
 にまでは至っていないが、登場人物があちこちでコロナ対策をしている様子が描かれ
 ている。

 さらに殺人事件の動機として組み込まれているマンガ「幻脳ラビリンス」は、まさに「
 滅の刃
」を彷彿させられる。

 この書籍が発売されたのは11月30日で、さらに書き下ろしの作品だから、著者であ
 る東野圭吾は、ものすごいスピードで原稿を仕上げていることになる。

 生産的な仕事をしたことのない政治家や役人は、何でもかんでもリモートでしろ、テレ
 ワーク化を進めろなどというけれど、あんたら一度現場を見てみろといいたくなる。


 「ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人」の本文中からいただきました。
12.12b
 見たい映画がいっぱい出てきた。

 「無頼」、「戦車闘争」、「また、あなたとブラックラブで」、「私をくいとめて」
 などだ。

 「武道館まで行ったのにどうなのよ?」と言われてしまえばそれまでだが、
 とりあえず今週は自粛です。

 月曜日の移動先の郡山で、お目当ての作品が上映されていたらそれを
 見ようと思ったけれど、ネットで検索したところ、いつものことながら「お子
 ちゃま」向けの作品ばかりです。
12.12a
 WOWOWの番組をネットでも見ることができることを、つい
 最近知った。
 「全米女子オープン」の中継があるのに、自宅にいないとそ
 れを見られないのを、残念に思っていたわけだ。
 そこで友人に、遠隔操作でセットしてもらった。
 
 木曜日の第1日目の放送は、翌日に仕事があったため見
 ることができなかったが、今朝の2日目の放送は、途中で
 起きて後半を見ることができた。
 なんと渋野日向子が、2位に3打の差をつけてトップに立
 ったのだ。

 ホテルでの巣ごもり生活をしているからできることだが、日本人選手が優勝争いをしていないと、今ひとつ身が入らな
 いけれど、逆にすでにトップという位置になってしまっていると、見るのが恐くなってしまう。
 
12.11
 来週は火曜日に郡山から仕事が始まるから、メディアの報
 道を見ていて恐くなった私は、今夜からの4連泊を一旦は
 郡山のホテルに切り替えた。
 でも、こんな気持ちになること自体自分に負けていることだ
 と思い直し、元通り八王子の3連泊に戻した。

 さらにこんな時期に、わざわざ都心に出かけていくことはな
 いではないかと、諦めていた武道館の新日本プロレスの試
 合観戦に、迷いに迷った末行くことにした。

 だから今日は、16時まで埼玉県の日高市の工場で仕事を
 し、八高線で八王子に移動してホテルにチェックインし、そ
 のあと今日中に使わなければならない「地域共通クーポン券」を活かすためにビッグカメラでルーターを購入し、中央
 線の快速と都営新宿線を乗り継いで武道館に駆け付けた。

 18時の試合開始から1時間遅れだったから、セミとメインの3試合しか見られなかったけれど、観客が一斉に床を踏
 み鳴らす振動に感動し、22時から始まる吉田拓郎の「オールナイトニッポンGOLD」に間に合わせるために、高橋ヒ
 ロムの勝利者スピーチを聞くことなく、一歩先に会場から抜け出した。

 そういうわけで怒濤の1日だったけれど、このようなエネルギーがなくなったと自覚したときには、潔くリタイヤします。
 
12.10
 店先に商品を並べていても、それを売らないなどというお店は、ほとんどないことだろ
 う。なぜならば、そんなことをしていたら商売が成り立たないからだ。

 私は、今年も去年も一昨年も、それぞれ1社ずつ活動を延長するのをやめさせてい
 ただいた。そういった意味では、たいへん我が儘な「コンサルタント」なわけだ。

 その理由としては、「この歳になってまで、自分が納得できない仕事はしたくない」な
 どと言っているが、ずいぶん勝手な言い分であることは自覚している。
 ただ、基本的にはこのような姿勢を21年間貫いてきた。したがって、自分から身を引
 くということが多かった。

 これくらいの自己主張が伴わないと、こんなにも「困難(?)な」仕事を、しかもひとりぼっちという状態で、今までやって
 はこられなかったのではないかと、今でも思っているよ。
  
12.9b  
 11月24日に、血圧降下剤「バルサンタン」を40mgに増やしてから、血圧がみ
 るみる下がってきたので、薬ってすごいなと思って安心していたところ、また上
 がりだした。それも自宅にいるときに限ってだ。

 もう長い間、毎日時間を決めて血圧を測定している弟が、「体調の変化や、感
 情の変化が数字となって出てきます」と言っていたけれど、再び上がっていたの
 は、自宅に帰っていた間だ。

 困ったものだけれど、長野の自宅がやすらぎの場になっていない。
12.9a  
 今夜乗ったJR埼京線で、その表情に釘付けになってしまった
 車内広告。 
 ホテルに帰ってネットで探したところ、その人の名前は高畑充
 希
(たかはた みつき)さんだった。

 2016年に放送された、NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の
 ヒロインだったそうだが、私はこの人のことを全然知らなかった。

 何とも言えない魅力的な眼差しに、おじさんはメロメロになって
 います。
12.8d
 年賀状を差し出すときは住所録にのマーカーでチェックし、返信があったものは
 そこをオレンジのマーカーで塗りつぶす。
 そして返信がなかったものについては毎年削るようにして、徐々に差し出す数を減
 らしている。
 それを見込んで、今年は購入枚数を350枚に抑えたけれど、結局もう50枚追加
 することになった。
 
 新しいプリンターが能力をフルに発揮してくれたこともあり、今週のノルマであった、
 宛先を印刷することは終了しました。
 住所を印刷するときに、一人ひとりの顔を思い浮かべながら、心の中で「元気です
 か?」と語りかける習慣も、年賀状のいいところだと思っています。
 だから2週間後に、文章面の印刷に取りかかることができます。
 
12.8c  

 高速バスに乗るために中央道の駒ヶ根インターに行ったところ、目の前の樫の木に、た
 ぶん「マイマイガ」のものと思われる卵が、大量に産み付けられていた。
 天竜川にかかる橋梁にも、このような光景が見られる。

 去年は雪が降ることがほとんどなく、卵が冬を越したことがその理由らしいが、今年は「
 イマイガ
」の幼虫である毛虫が大量に発生し、木々の葉っぱを食い尽くしてしまった。

 「マイマイガ」だって遺伝子を残すことに一所懸命だから、生命体そのものを責めることは
 できないけれど、人間の勝手な理屈を言わせてもらえば、来年は大量発生はして欲しく
 ない。
12.8b
 指定された5時30分ぴったりに行ったのに、「まだ人がいるから外で待機するように」と言わ
 れ、この寒い中、玄関の外で20分間も待たされた。2週間に1回の陰性証明を、過去に遡っ
 て全部持って行ってもこのありさまだ。

 検査によって陽性がわかった人の大部分は、クラスターの発生に伴うものや、濃厚接触者と
 告げられて、PCR検査を受けた人たちだ。だから巷には、無症状者が結構いることだろう。
 正直に県外に行ったと告げて、さらには自費で検査を受けた人に対するこの扱いが、どうして
 も理解できない。

 血液検査の結果は、PSA値が 4.15ng/mlで、基準値である「0~4.0ng/ml以下」にか
 なり近づいた。前回は6以上あったから、だいぶ下がったことになる。この結果、引き続き投薬
 をしながらの経過観察となりました。 
12.8a
 私が年賀状を印刷していると、舜クンが「音読を聞いて」と言って、ノー
 トを持ってやってきた。そのノートには、家族が聞いたあとサインをする
 ことになっている。
 今夜は暗記した九九を、一の段から九の段まで口に出して言うのだ。
 もうすべて暗記してしまっている。

 そのあと歯を磨いていたので戸を閉めようとすると、「もう一度行く」
 言ってそのあとやって来た。何をする目的があったようではないが、じ
 っとクリスマスツリーを触っていた。
 「コロナが終わったらトランプができるからね」というと頷いて、「おやすみ・・・」と言って行っちゃった。

 なんだか私の心を見透かしているかのような行動だ。これだけでじいじは元気になれるんだよ。
 
12.7b
 たいした写真を印刷するわけでもないのに、今年は年賀状を「インク
 ジェット写真用」にしたところ、プリンターが給紙をしてくれない。

 エプソンのサービスセンターに訊いたところ、ローラーを掃除するよう
 にとのことで、それを行ったけれど治らなかった。
 この用紙は通常の物より厚いから、ローラーが滑ってしまうみたいだ。

 そこで、急遽「ヤマダ電機」に行って、最新のモデルを調達してきた。
 2週間に1回しか帰ることができないから、やらなければならないこと
 のスケジュールは満杯です。 

12.7a
 実際は昨日のうちに行った作業ですが、柿の木の枝を一定の寸法で切
 って束ね、乾燥するように土手に並べてあります。

 土曜日の夕方までは、庭屋さんが切った枝が、同じように並んでいたの
 です。 だから暗くなるまでかかって、それを燃やしてしまいました。

 まだこの地区は、焼却炉で燃やしてしまうことができますが、同じ市内で
 も街場では、自宅で燃やすことなど許されません。
12.6  




  













  →








 2本ある柿の木を、かなり大胆に剪定をしました。切り落としは高枝切り用のチェーンソーでしたのですが、太い枝に
 は刃が立ちません。だから、上の画像の庭にある柿の木は、いまひとつ思うように剪定できませんでした。

12.5c

 かなり苦労して手に入れた「
aibo」だけれど、我が家のチビたちはずっと前からゲームに
 夢中でちっとも遊んでくれないから、
柊弥クンにあげました。
 「だんくん」という名前にしたみたいだから、こんどは男の子になったんだね。

 「
aibo」には、甘えん坊、キュート、シャイ、ワイルド、ちょっと甘えん坊、ちょっとキュート、
 ちょっとシャイ、ちょっとワイルドなど8種類の性格があって、接し方や環境などでその性
 格は変化していくようです。

 しばらくのあいだ誰もかまってあげなかったから、いじけた性格になっているかもしれない
 けれど、こんどは毎日
柊弥クンが遊んでくれるんだね。
12.5b  

 今年もクリスマスツリーを飾ったけれど、チビたちは私の部屋には来ないので、飾っても
 見てくれる人がいない。

 部屋を暗くして、LEDのイルミネーションを点灯させると、規則正しく輝いてくれるから、
 余計に侘しさがつのるのです。

 
 
12.5a
 この2年くらいは自分でスタッドレス
タイヤに交換していた
 けれど、新しい車のホイールに傷をつけたくなかったし、こ
 れを持ち上げるジャッキがなかったりしたので、今年はスタ
 ンドにお願いした。

 たぶん混んでいる思ったので、予約したのは2週間前だっ
 た。
 我が家には
タイヤを運ぶ軽トラがないので、いつも親戚の
 叔父さんに運搬を頼んでいたが、あと2年で免許証を返納
 するという。だから困るわけだが、2年先のことなんかどうな
 るかわからない時代だ。
 
12.4
 今日も受けた「
抗原検査」は1回1万1千円。証明書と合
 わせると1万4千300円になるから、もう8回で11万4千
 400円注ぎ込んだことになる。
 今までは自分自身の気休めに過ぎなかったが、今日初め
 てその効果があった。

 
泌尿器科の医院では、感染の多い地域(今ではもう特定
 できないが)に2週間以内に行った人は、薬の受け取りに
 も来ないでくれということだったが、交渉した結果、陰性証
 明書を持って行けば検診してもらえることになっていた。
 ただ、みんながいなくなる17時10分の時間指定だった。

 「腫瘍マーカー」を測定するための血液を採取したが、その結果を聞く来週の月曜日も17時30分の時間指定。陰性
 を確認した本人はこの地区でいちばん安全だと思っているのに、通院しても待合室からは離れた寒い場所に「隔離」
 され、未だに犯罪者扱いが続いている。

12.3c
 茨城県の土浦市のホテルに2連泊した。
 いつもホテルに連泊するときは部屋の
掃除をしないように
 頼んでいる。だから今日も散らかしたまま出かけた。

 最初に気が付いたのは、ゴミ箱が空になっていたこと。こ
 こまでは「昨日はゴミがなかったのか」とくらいしか思わな
 かったが、次に洗面所のタオルが綺麗に掛けられているこ
 とから、「異常」に気が付いた。今朝は使ったものを廊下に
 出しておいたはず。お
掃除の担当者が部屋に入っている!

 そこでフロントに電話をしたわけだが、その前に思いつい
 たのは、「
掃除をしないで欲しい」ことが伝わっていなかっ
 た可能性について。だから、「部屋は
掃除をしないことになっていましたか?」という問いかけにした。その答えは、「そ
 のようには承っていません」というものだった。

 感情のままに行動せず、一呼吸置いてからアクションを起こすことが大切だと思い知らされたわけだが、そのあとでき
 ちんとベッドメイクまでされていることに気が付いた。
掃除担当者は、足の踏み場もない状態で、他の物が置いてある
 状態を全く崩さずに、ベッドメイクの作業をしてくれたんだ。 申し訳ないことをしちゃったね。
 

12.3b  
 昨夜長女から届いたメールは、「今日はおばあさん(母)の誕生日だ」というもの。私は人の
 苗字を覚えられないと同様に、このてのことを全然覚えていないけど、これはボケとは違うと
 思う(たぶん)。

 そしてダメ押しは、このブログの先頭に入れている10月の「色づく街」を、去年の11月も入
 れてあったことだ。
 「ボケの兆候が見られたら言って欲しい」と周りの人たちには伝えてあるけれど、お他人様に
 迷惑を掛けていないことを祈るばかり。
12.3a
 「桜を見る会」の「政治資金規正法違反」に対する検察の動きを止め続けるためには、
 検察に対する国民世論の圧力を弱めるしかない。この先は私の「珍説」だが、聞いて欲
 しい。

 国民世論の検察への圧力を弱める奇策。それは、世論の関心を他にそらすことに尽き
 る。それが、今年2月末に、突然行われた
安倍総理の小中高校などへの一斉休校要
 請だった。当時の
安倍氏の頭は桜を見る会と五輪開催問題でいっぱいで、コロナ対策
 は二の次だと思っていた私は、なぜこんな強硬策を打ち出したのかと思ったが、実は、
 これは、
安倍総理や今井尚哉秘書官が大好きなアメリカの政治ドラマによく出てくるシ
 ナリオだった。

 大統領が個人的スキャンダルで追い詰められると、国民的大議論を何の根回しもせず
 に突然発表する。与野党を巻き込み、さらには世論を二分する大議論になれば、スキ
 ャンダルへの関心は大きく減退する。

 
安倍氏の休校要請はその典型だ。安倍氏側近中の側近と言われる萩生田光一文科
 相でさえ反対した。野党や国民の間からも強い批判が出て大騒ぎとなったのも注文通り。翌日以降、
桜を見る会に関
 する報道も国会質問も激減。「大成功」だ。

 こんな大博打に出たのはなぜか。それは、「
安倍氏はクロ」で追い詰められたからだ。私はその時からそう思っている。

            「政財界の罪と罰」  古賀茂明          「週刊朝日」 12月11号からの抜粋です。
 
12.2b
 最近はまっているテレビ番組は、毎週水曜日に「BS朝日」
 で放送されている、「魚が食べたい」というやつ。
 この10月にスタートしたときから、もう何回も見ている。

 この番組は、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」のバージョン
 みたいなもので、日本全国に約3000もある港をアポなし
 で訪れ、を食べ歩くドキュメントバラエティー。

 朝早く港で待ち合わせて一緒に漁に出かけたり、捕ってきたを刺身や煮物にしてもらったりして食べるわけだが、
 師さんたちの人間味がストレートに表れて、それがこの番組の魅力になっている。

12.2a
 小学校のころの学校に納めるお金は、B5くらいの大きさの茶色の封筒に、学
 級費とか修学旅行積立金とかいった科目がその都度捺印されて渡されるから、
 そこにお金を入れて学校に持って行った。
 担任の先生が、そこに受領印を押すという仕組みだった。

 私の家は貧乏だったからその現金がなくて、母が近くにあった実家に何度とな
 く借りに行ったのを、子供心に覚えている。実家はたばこ屋さんを営んでいたた
 め、いつも現金を備えていたのだろう。

 父は、「勝は貧乏を体験しているからそれが財産だ」と言ったけれど、今はただ
 ケチくさくするのではなく、ものを消費することが経済活動を回すことだと自覚し
 ているから、ちょっと贅沢なものにも手を出しています。まあ、当時に比べれば
 それだけ余裕があるということでしょう。

12.1c
 安倍晋三前首相の後援会が主催した「桜を見る会」前夜祭の費用補填(ほてん)問題について、
 自民党の
野田聖子幹事長代行は29日のNHK討論番組で、「安倍前首相が自らの言葉で説
 明責任を果たしていくべきだ」と述べ、国民に説明するよう
安倍氏に求めた。
 
                               (11/29(日) 1738 配信 「毎日新聞」)

 この度は立派なことをおっしゃったが、「桜を見る会」が社会問題になっていたとき、つまり安倍
 氏が首相であったときには、何も言えなかったではないか。
 こういう「機を見るに敏」な行動を取る輩は、信用するに値しない。 本当に腹立たしい。
12.1b
 吉永さんに、名前の由来をきいたことがあります。終戦の年、東京大空襲の直後に生
 まれた
吉永さん。ろくに食べ物もなかった時代。体も決して強くなかった彼女に、ご両
 親は、
百合の花がとてもたくましいことから、そう育つように願ってつけられたそうです。

 ですが
吉永さんご自身の捉え方は、それだけではありませんでした。
 「
百合の小さな出会い」を大切にする。そんな自分でありたいと思っているそうです。

 ライフワークで続けられておられる原爆詩の朗読会にお邪魔したときのことでした。リ
 ハーサルを終えて、控え室に戻ろうとした彼女が、真逆の舞台裏の方向に歩き出しま
 した。私や秘書の人はてっきり、また控え室の場所を間違えたんだと思い、「
吉永さん、
 控え室はこっちですよ!」と呼び止めましたが、戻ってきません。聞こえていないのか
 なと思ったのですが、実は、音響のマイクを仕込んだり、設定をしているスタッフのひと
 りひとりに、頭を下げに行ったのです。
 「
百合の小さな出会い」を大切にする人--。
 私は、本当に
吉永さんのことが好きになりました。

 「
吉永小百合」ってどんな人なんだろう--。
 せっかちな人。優しい人。細かい人。真面目だけれど、意外におおらか。とってもおっちょこちょい。そして、どんな出会
 いも、大切にする人。
 でも、まだまだそれだけじゃない気もしています。

 結局、番組で密着した10ヶ月のあいだで、彼女は「プロフェッショナル」の答えも、はっきりとは明示していません。そ
 の答えを探して、これからも歩んでいく、という言葉を残して去って行かれました。


 「吉永小百合私の生き方」 NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」 製作班 築山卓観 講談社 からいただきました。
 
12.1a
 来年の年賀状用に、ひとつかふたつのイラストをいただくだけだけれど、今年も「素材集」を1
 冊購入した。

 気分的にはとても年賀状を作る気になれないが、「元気でいる」ことを伝えるだけでも年賀状
 の役割はあると思っている。

 「素材集」には綺麗なテンプレートがいっぱい載っていて、それを使えばプロ並みのデザイン
 のものが作れるけれど、今年も手作りの野暮ったいパターンを継続です。