あと あと のあと 2009年 4月

4.30
 社員が定着せずに辞めてしまうのは、決していい傾向ではない。 その会社に何かしらの原因があるわけだ。そし
 て、実力があって必要な人材ほど先に辞めてしまうから、ほとほと困ってしまう。
 「森田さんにだけは先に伝えておきます」と言われて、その理由を聞いても、当事者ではない私にできることなどた
 かがしれているから、こうやって無力感にさいなまれている。
 「企業のお医者さん」になりたいと思っている私だけれど、実際に実行してくれるのは社員のみなさんだから、社員
 の方々と同じ悩みを共有しようとするのだが、だからといって必ずしも解決できることばかりではないから、まともに
 打撃を受けてしまい落ち込んでしまうのです。

4.29  
 前泊をするために移動してたホテルで、9時頃からコンピュータに向かって原稿を書くことが、だんだんしんどくなっ
 てきている。
 テレビを見ながらのんびり過ごすことや、ちょっとアルコールを入れて本を読み、眠たくなるのを待つような普通の行
 動を取ったって、誰にも文句を言われることはないのだけれど、そんなことをしていると約束を守ることができない。
 今までもずっと通ってきた道だけれど、
怠けたい自分と戦いながら、よほど気力をかき立てなければ動作に入れな
 くなってしまった。
 これを
老化現象と捉えるのは簡単だけれど、そんなことを言い訳に使っていて、本当に老人になってしまうことが怖
 い。

4.28  
 4月27日から5月6日の連休の間は、あずさの回数券が利用できない。
 乗客が増えてスケールメリットを享受するのだから、逆に割り引いてもいいようなものだが、この
 間は特典なしでいこうということなのだろう。
 回数券については理解できるにしても、特急料金がこの間だけ200円高くなるのはどうしても腑
 に落ちない。
 ふだんは2,610円なのに、ゴールデンウィークの間は2,810円になるのだ。 ちょっと商売があ
 くどくはないかい? JRさん。

4.27  
 日曜日の夜に移動した東京で、今朝の東北新幹線の指定席を予約しようと思って、緑の窓口に行った。お客さんと
 約束したのは「やまびこ205号」。 ところが指定席はもう満席だという。「グリーン車はどうですか?」と訊いたとこ
 ろ、4席だけまだ空いているという。 そこであわててそれを確保した。
 朝、上野駅のホームに入ってきた「やまびこ205号」は、ほとんどの車両が自由席で、指定席なんか少しの割合し
 かない。 これじゃあ、すぐ満席になるはずだ。 東北新幹線は、東海道新幹線とは車両編成のパターンが違うよう
 だ。 そんなわけで、ムダなグリーン料金を払ってしまいました。

4.26  
 OLたちが、オジサンだと思わなかった人に感じた「あれ、この人もオジサンだったんだなぁ」と思う瞬間。

  ・飲み屋で、店の人とアイコンタクトの末に、手でバツ印を作って会計を要求していた。
  ・パソコンに向かって、書類に向かって、ずっとブツブツ何か言っている。
  ・スーツのときは素敵なのに、穴空きのウォッシュがかかりすぎたジーンズはいているんだもの。
  ・
オジサンほど、自分をオジサンといいます。
  ・ステキだなあと思っていた上司が、会社に来るなりサンダルに履き替えていたときのショック。
  ・好きな女性のタイプを聞いたら、「八千草薫とジュディ・オング」と即答されたとき。
  ・社食でカレーのスプーンを水につけていたし、うどんを食べた後、割り箸を折っていてたし。おしゃれなのに
   なぁ。
  ・カラオケで「昴」を熱唱。涙ぐまんばかりに歌に入りきっている様子を見たとき。
  ・ワインと寿司の講釈が長い。この2点の講釈が長くなると
、オヤジだなあ、と思います。
  
        「それってどうよ!?」  池野佐知子  「サンデー毎日」 2009.5.3 からいただきました。

4.25  
 お財布のファスナーが開かなくなっちゃって、よくみたら布の部分がほつれてしまっている。 今使っているお財布
 は、いつ買ったのかも忘れてしまったくらい古いもの。 そこで、街にお財布捜しの探検に出掛けた。
 店員さんが勧めてくれたお財布は、「NICOLE」というブランドのもの。 その方面に疎い私には、ブランドの価値な
 んかわからないけれど、薄くて柔らかくて使いやすそうだ。 その上デザインが洒落ている。
 古いお財布に入っていたものを全部「NICOLE」の方に移して、古いお財布には「長い間ごくろうさま」とひと声かけ
 てから、ごみ箱に捨てた。

                              
4.24  
 日本で博士号は「足の裏にくっついた飯粒」と言われてきたそうだ。 そのココロは「取っても食えません」。
                              (日本経済新聞 2009.4.24 「春秋」からの抜粋)

 先日いただいたある会社の副社長の名刺には、副社長の肩書きと並んで「博士」と記されていた。
 そのときに私が感じたことは、「博士」にどんな意味合いがあるのかということだった。 その会社が、「博士号」を取
 得するための学位論文の作成を、支援することを仕事にしているのならわかるが、そうでもない普通のメーカーなの
 に、「博士」がどのような位置付けなのかがわからなかったわけだ。
 「末は博士か大臣か」と言われた時期があったが、日本における「博士号」のステイタスがよくわからない。そして、
 日経新聞のコラムにもあるように、資格や肩書きだけでは飯を食えない時代であることは確かだ。

4.23  
 今週から、出張の時に持っていく肌着を半袖のものにしている。
 1週間分の衣類は、上下の下着と靴下とワイシャツにおよぶため、かなりの量になっ
 てしまう。
 キャリーバッグはそれだけでいっぱいになり、仕事に使う書類などが入る余裕がなく
 なっていた。
 仕方がないので、キャリーバッグの取っ手の部分に差し込むサブバッグを、同時に持
 ち運ばなければならなかった。
 これでワイシャツまで半袖のものにすることができれば、もっと楽になるのだけれど、
 そこまでにはもう少し日数がかかりそうだ。

4.22  
 ジャガーズのヴォーカルだった岡本信さんが亡くなった。 享年59歳。
 グループサウンズが全盛だった頃に主流となっていた曲は、甘いメロディの歌謡曲
 風のものであったが、その中でジャガーズは、R&Bを基調とした硬派なイメージを放
 っていた。
 「マドモアゼル・ブルース」とか「キサナドゥーの伝説」とかいった曲がそれにあたるの
 だが、代表曲になった「君に会いたい」は、精一杯“市場”と妥協をしたのではないか
 と、今になっては思えるのだ。

4.21  
 新幹線から降り立った乗客が、車内で発生したゴミを手に持って、ホームに設置してあるゴミ箱のところに歩を進め
 ている。
 ゴミを、車内の座席の下とかに放置しておいたって、誰にも文句を言われることはないのに、自分のゴミは自分で
 始末しようとしている人がほとんどを占めているのだ。
 「お降りになる方は、リクライニングシートを元に戻すことにご協力下さい」という社内放送があると、それぞれが座
 席のボタンを押して、シートを元通りにしてから降りる準備に入っている。
 こんな風景を見ていると、日本人のモラルの高さと真面目さがわかるというもの。 だから、もっと自分の国を誇りに
 思ってもいいのです。

4.20  
 WOWOWで録画しておいた映画 「泪壺」 を観た。 この映画は、渡辺淳一の短編
 小説 「泪壷」 を映画化したもの。
 主演は小西真奈美だとばかり思っていたのに、そのうちに官能的が濡れ場の展開が
 はじまった。 小西真奈美がここまで脱ぐはずはないと思っていたところ、見終わった
 あとのクレジットで知ったのは、小島可奈子という女優の名前。
 それにしても、よく似た雰囲気を持っている二人だ。

4.19b  
 いつもは、5月の連休になってからの私の仕事になっている摘み草(あずきっ葉)だ
 けれど、今年はもう田んぼの土手にいっぱい顔を出している。
 昼ご飯前の約1時間の摘み草で、小ビクがいっぱいになるくらい採れた。 驚くこと
 にもう先客がいて、あちこちに摘んだあとが残っていた。
 今年は雨が少ないせいかアブラムシが多いけれど、茹でてしまえばそれがきっと隠
 し味になるのです。
 あずきっ葉の画像を添付しました。拡大して見てください。

4.19a  
 一眼レフカメラを首から提げて、自宅のまわりを散歩した。
 早朝は風が吹かないから、花が揺れないので、写真を撮るのには適している。
 1週間離れているだけで、自宅の花の状態が様変わりしていて、その移り変わりの早
 さに驚かせられる。
 冬の間は撮影する画材が全然なかったのに、この時期はいろいろな花があふれてい
 て、私のカメラに取り込むのが忙しいくらいだ。

4.18
                                  
 でも がんばらないけどいいでしょう 私なりって事でいいでしょう       
 がんばらなくてもいいでしょう 私なりのペースでいいでしょう   
   
 心が歩くままでいいでしょう そうでない私でもいいでしょう       
 がんばらないけどいいでしょう 私なりって事でいいでしょう
                            
    アルバム 「午前中に…」
4.17  
 日本郵政グループの郵便事業会社(日本郵便)は17日、2月の引き受け郵便物数を発表した。悪
 用されて10人の逮捕者を出した障害者団体向け割引制度を利用した
郵便物は73万4000通で、
 前年同月比93%減だった。同制度を使って大量の
郵便物を送っていた団体が撤退したためで、大
 幅減は、いかに悪用が横行していたかを物語っている。

                           「毎日新聞」 4月17日 22時29分 配信

 私が差し出す郵便は、たまに「重量オーバーのため料金不足です」と返ってくることがある。
 いくら足らないかというと、たったの10円だ。 こんなに細かく料金をチェックをしている日本郵便が、大がかりな不
 正に気が付かないなんておかしいよ。

4.16  
 「怒りの復活」と銘打って、「朝日ジャーナル」の緊急増刊号が出版された。
 休刊になったのは1992年の5月だから、17年ぶりの復刊ということになる。
 当時の私の愛読書は、「朝日ジャーナル」の他には「世界」と「週刊プロレス」だった。
 増刊号を東京から大阪に移動する新幹線の中で読んだが、いちばん印象に残ったのは、
 岡忍
の「この国で生きるということ」という、7ページにもおよぶエッセイ。 断片的な言葉の羅
 列だけれど、強烈な表現力が、彼の主張を私に伝えてきた。
 辻元清美も「新人類の24年」と名付けられた座談会に出ていたが、吉岡忍さんと辻元清美
 んと一緒に、ちょうどこの新緑の時期に北朝鮮に行ったことを思い出していた。
 そのときの平壌(ピョンヤン)は、ゴミひとつ落ちていない美しい街で、子どもたちの笑顔は屈
 託がなかったのだけれど…。

4.15     
 アフリカのソマリア沖でアメリカの貨物船が海賊に襲撃され、アメリカ人船長が人質に取られたことをニュースで知
 ったとき思ったことは、アメリカの威信にかけても船長を奪回するであろうということだった。
 案の定、アメリカ海軍は現場に駆逐艦などを派遣し、海賊4人と船長が乗った救命ボートを特殊部隊が急襲、船長
 を5日ぶりに救出した。 そして、海賊4人のうち3人を射殺したという。決して暴力を肯定するわけではないけれど、
 いかにもアメリカらしい対応だと思った。
 北朝鮮のミサイルに対抗して、日本も核武装をすべきだとの主張は行き過ぎだとしても、このような毅然とした態度
 が好ましく思えるのは、ご都合主義の政治屋たちを、毎日テレビで嫌になるほど目にしているからだろうか。

4.14  
 東京はかなり暖かいだろうと、ワイシャツの上にベストを着ずに出掛けてきたけれど、歩いている
 と汗ばむ状態で、長袖の下着さえ煩わしいくらいだ。
 今日行った郡山の工場のすぐ近くに、「アサヒビール」の工場があって、見学客に新鮮なビールを
 提供してくれるという。
 しかしながら今回の痛風の発作はしぶとくて、プリン体がいっぱいつまったビールを飲むことなど
 考えられない。
 尿酸値の数値によっては継続的な服薬も考えなければならないけれど、いざというときのために、
         できるだけ薬を飲みたくないのです。

4.13  
 ピロリ菌退治の結果を知るために通院をした。
 健康保険が使える治療は2回(2種類)。 1回目で退治できなかったから、今回が背水の陣だったわけだが、検査
 の結果はピロリ菌の影も形もなくなっていた。 つまり成功したわけだ。
 消化器科の先生の話では、これから再感染する率は5%程度。 たぶん胃の粘膜にピロリ菌が定着することはない
 から、ほとんど大丈夫だとのこと。
 病院を訪れる患者で統計を取ると、50歳以上のピロリ菌感染者がその余生で胃ガンにになる確率は10%なのに
 対して、ピロリ菌非感染者が胃がんになる確率は0.1%だという。つまり100倍のリスクがなくなったわけだ。
 これで老後の健康が保証されたわけではないけれど、たいへんな思いをして2回も治療した結果がよかったので、
 今日はひとまず嬉しい。

4.12
 タイと往復する飛行機の中で読んだのが、東野圭吾の「どちらかが彼女を殺した」。
 この作品は、読者への挑戦という二者択一の犯人当てを実行している。 つまり、読み終わっ
 ても、きちんと推理しなければ、犯人がはっきりとわからないわけだ。
 今回購入したのは文庫本で、それには巻末に袋とじで「推理の手引き」ついている。
 なぜそんなことをしたかというと、単行本を刊行した際に、読者からの問い合わせが殺到した
 ためだという。
 東野圭吾のミステリーは、読み始めたら止まらなってしまうのだから、ストーリーの展開が見
 事だということだ。
 この小説に触発されて、「私が彼を殺した」と「むかし僕が死んだ家」の2冊を注文してしまった。
 
4.11  
 新型マジェスタが発表されたので、早速ディーラーまで見に行った。
 この前のモデルである私の愛車は、新聞や雑誌の写真を見ただけで欲しくなってし
 まうような雰囲気を持っていたのに、今回の新型はクラウンとそっくりで、今までのよ
 うなマジェスタ特有の風格みたいなものがない。
 トヨタも、「クラウンの上級車」としての位置づけでいるようだから、性能面はともかく、
 外観上の魅力はないのです。
 ちなみに、新型マジェスタを購入する場合の私の車の下取り価格は60万円だという。 ショックアブソーバとタイミ
 ングベルトの交換に27万円、ノーマルタイヤに10万円も投資した車を、60万円で手放すことなどとてもできない
 のです。

4.10  
 昨日から右足の親指の付け根が痛い。 痛風の発作が再発したみたいだ。痛いだけで
 もたいへんなのに、私の場合は、体が熱っぽくなってくる。
 市販の鎮痛剤を飲んでも痛みは治まらず、医者に行っても、いったん発作が始まったも
 のは、時間が経たないと治まらないと言われてしまう。
 3月にかかりつけ医で血液検査をした結果は、尿酸値が問題があるほど高くはなかっ
 た。 そこで、また1ヶ月後にもういちど検査をしようということで、今週の火曜日に血液
 を採取した。
 もうひとつの問題は、体重は増えないのに血糖値が上昇していること。 したがって、こ
 の1ヶ月間ビールを飲むのを控え、できるだけ運動をしてのぞんだ。
 その結果を見て、痛風糖尿病の治療をするかどうか決めようと思っている。

4.9  
 昨夜は京都から車で移動をし、沼津インターのそばにこの4月1日にオープンした、
 「HOTEL INSIDE」にチェックインした。
 ラブホテルと間違えるような外観の「HOTEL INSIDE」で、私に用意してくれたダブ
 ルの部屋は、とても綺麗で居心地がよかったけれど、朝4時から工場に入らなけれ
 ばならなかったため、たった6時間だけしか滞在することができなかった。
 半年前から入りはじめた沼津の工場では、改善活動のスタート時に掲げたほとんど
 無理だと思われた目標を、この3月の実績としてクリヤーすることができた。
 努力をした結果としての達成感を味わったみんなの顔を見ていると、一日くらいの早起きは何でもないのです。

4.8  
 ホタルイカが採れる時期になったから、今年も富山の魚屋さんに注文をしたのは、私が旅行に出掛ける前のこと。
 配達を4日の土曜日にしてもらったはずなのにホタルイカは届かない。 そこで先方に電話をしたところ、お金が届
 いていないとのこと。
 今までもずっと、現金書留にするのが面倒くさかったので、封筒を透かしても見えないような細工をして、お金を普
 通便で送っていた。 それでも何も問題がなかったのに、今回は相手のところに届いていない。
 同じときに別の人に差し出しをした郵便は届いているから、郵便局の手落ちではなさそうだ。 ということは…?
 それでも魚屋さんが見落としているのではないかと、しばらく待ってみたけれど連絡がなかったため、今年はホタル
 イカ
の注文をあきらめて、地元のスーパーで3パックだけ買ってきて食べた。
 今度は現金書留を使うにしても、もう一度現金を送るとなるとずいぶん高いホタルイカになってしまうから、今年も
 私が届けることを待っている人たちがいるかもしれないけれど、もう注文をしないのです。

4.7  
 タイの病院に支払った治療費を補填してもらうために、海外旅行保険の支払い手続きを行った。
 掛け金はたったの2010円だったのに、保険で面倒を見てもらうのはしのびないけれど、入院費
 用
を含めた治療費は放っておけないような金額だったから、それが保険の機能なのだと納得さ
 せている。
 いろいろな人の話を聞くと、タイに行った人は一度はこのような症状に罹るのだという。それは、
 現地の温度や水や、食べものに体が対応できないためで、それで一定の免疫ができるのだとい
 う。
 私の場合は、入国して2日目という早い時期に発生したわけで、それは体力がないことの裏付けであるのだと思う。
 ご心配をおかけしましたが、もう元気になって、いつものように飛びまわっています。

4.6  
 今日から11年目の活動がスタートしました。
 この仕事を始めたときには、いろいろなかたちで事業化を追求したくて、「SHERIM
 O」という商号を使ったのですが、4月からはそれをやめました。
 いつまで続けられるかわかりませんが、気分を新たにして出発です。
 これからもよろしくお願いします。

4.5  
 新日本プロレス「Resolution ’09 両国国技館」の試合を PPVで観戦。
 最期の4試合は全部シングルマッチ。 後藤洋央紀×矢野通、永田裕志×飯塚高史、中邑真輔×真壁刀義、棚橋
 弘至×カート・アングルと、いずれもマニアにとっては垂涎ものの組み合わせだった。
 会場がいちばん盛り上がったのは、真壁の試合に同じGBHの矢野が乱入して裏切り行為を働いたこと。
 プロレスの面白さはストーリー性にあるから、試合にいたるまでのいろいろな関係がわからないと理解できないこと
 が多い。 だから、このような裏切りみたいな現象が、プロレスファンを惹きつけているのです。

4.4  
 バンコクの空港で出国手続きを終え、通路のイスに腰を下ろして目の前を行き交う人た
 ちをながめていた。
 いろいろな人種の人、男と女、そして老人や子どもたち。みんなそれぞれの人生を抱え
 込んで生きながら、やがて死んでいくんだな。 そしてそのを、子孫たちが次の時代に
 受け継いでいくんだな、などと、妙に納得したような気持ちになっていた。

 23時にバンコクを発った飛行機の中で、乗客によるいざこざがあった。
 外人の乗客が、頭の上のボックスに入っていた他人の荷物を、勝手に横のボックスに
 移動してしまったのだ。
 それに文句を言った日本人に対して、「これは大事なものだから、その上に荷物を置く
 な!」と叫んだ。 
 日本人も「人の物を勝手に動かすな、そんなに大事なものだったら足下に置け!」と言い返していたが、その「大事
 な物」とは、「シートベルト着用」のサインが消えたところで食べ出した、その外人の食べものだった。
 なんていう勝手な行動なのだろう。 世界中にはいろいろな「常識」があるから、それを調整しなければならない政
 治家たちの任務は重いものがあると、新聞に載っていたオバマ大統領の写真を見ながら考えた。

 帰りの飛行機でも一睡もできずに本を読んでいたから、睡眠不足のまま、睡魔と戦いながら自宅まで車を運転して
 帰ってきた。 結局この旅行は二晩も「徹夜」をしたことになるから、静養とはほど遠いものになってしまった。 自分
 自身の原因によりいろいろな人たちに迷惑をかけてしまったし、私の体力では海外旅行はもう無理なのかなとも思
 ったりした。

 でも自宅に帰ってきたら、なぜか充実感に満ちているのです。 奇跡的に空いた1週間を、自宅で原稿を書きながら
 過ごすという選択肢もあったし、それがいちばん現実的なことだったのかもしれないけれど、こうやっていろいろな経
 験をしてみないことには、次の新しい自分の人生を切り拓くことができないから、またどこかできっとこのような「旅」
 を計画することになると思います。

4.3  
 夜中にはタイを発つために、バンコクまで移動しなければならないけれど、観光らしい
  ことはほとんどしてないし、おみやげも買ってない。
 しかしながら体がだるくて仕方がないから、午前中は休んでいて、昼頃バンコクに向
 けて出発することにした。
 今回の旅行は、現地に住んでいる友人が全部セットしてくれて、運転手付きのレンタ
 カーまで頼んでいてくれた。 そのレンタカーに乗ってバンコクのISETANに行き買い
 物を済ませた。
 そして王宮に向かったのだが、門に兵隊が銃を持って立っていて中に入れてくれな
 い。兵隊が指さすかんばんには、「3:30 CLOSE」と表示されていた。もう閉館時間が来てしまっていたのだ。
 観光書を一応買ったのだけれど、全然勉強していかなかったから、こういう事になってしまう。仕方がないので、入
 り口から見える内部を撮影しました。 結局、持っていった一眼レフは、一度も使うことがなかったのです。

4.2  
 朝、診察に来たドクターは、2本目の点滴が終わって、検便の結果が異常なかった
 ら帰ってもいいという。
 出された朝食を食べるだけの食欲が出てきて、お腹の具合も落ち着いてきた。
 お昼過ぎまでかかった点滴を終わらせたあと、手続きに少し時間がかかったが、と
 にかく退院することができた。

 タイの病院の人たちはみんな親切で、言葉はうまく通じなかったけれど、みんなよくしてくれた。 こんなことは起き
 てはいけないけれど、ただ観光をするだけよりもはるかに、この国のことを知ることができたと思っている。
 ただ、治療費はバカ高い。現地に住んでいる邦人の人が説明してくれたけれど、タイには日本のように点数制度が
 なくて、病院が独自に治療費を決めることができるそうだ。 そして企業としての性格が強いから、日本人には高い
 治療費を請求することになるのだという。

 午後4時頃退院したあと、睡眠導入剤を飲んでぐっすり眠った。
 そして、懲りもせずに夜の町に出掛けたのです。 だってせっかくタイに来たのにこんなことをしていてはもったいな
 いではないか。
 行った先は、日本人のニューハーフが経営しているカラオケクラブ。 そこで、コーラを飲みながら、少しだけタイの
 夜の営みに参加をした。

4.1  
 ホテルから車で10分くらいの場所にあるローカルのゴルフ場で、朝の8時半ころから昨日に続いてのプレイ。そし
 て、12時過ぎにコースから上がってシャワーを浴びている頃から、私の体に異変が起こりはじめた。何だか胃の辺
 りがしくしくする。 食事を取る気になんかまったくなれなくて、横にななって休みたい気分。
 ホテルに帰ってベッドに横になったが、下痢が始まったと同時に吐き気がしてじっとしていられない。トイレに駆け込
 んでもどして、またベッドにもどってウンウンうなっているような状態が2時間ほど続いた。
 よくこれだけの水分が体の中にあると思うくらいの下痢で、水分を補給しようとわずかばかり水を飲み込んでも、そ
 の瞬間に吐き気がもよおしてくるから、口を水でしめらせてその水を呑み込まずにバスタオルに吐き出した。

 それからまた2時間くらい我慢をしていたが、脱水症状を回避するためには点滴をするしかないと思い、病院に連
 絡してもらった。連れて行ってもらった病院では日本語のできる通訳がいて、私の症状をドクターに伝えてくれた。
 その結果、一晩中点滴をして様子を見ることになった。なんと見知らぬ異国の地で入院するはめになってしまった
 のだ。その夜は一晩中眠ることができずに、ボーッとした頭のまま次の日の朝を迎えることになる。