足あと 爪あと 夢のあと 2024年 4月 |
4.30 | 大輪に仕立てようとする朝顔の種を、9種類蒔いた。 種蒔きのタイミングは、庭に実生の朝顔が芽を出し始めた 時を狙っていました。 9種類を2本ずつ、植え付ける鉢が奥の方に写っています。 品種によって芽を出す時期がバラバラで、中には出さない ものもあるので、そこには予備として取っておいた種を蒔 きます。 さて今年はうまくいくでしょうか? |
4.29b 昭和の日 |
昨日と今日の2日間で、連休中にやらなければならない畑 の作業を、全部間に合わせた。 まずジャガイモの芽を2本残し、他は全部掻き取った。 次に野菜の苗を買いに行き、 トマト 8本 キュウリ 8本 ナス 8本 ピーマン 6本 を植え付けた。 そして、キュウリとインゲンの棚を作り、ネットを張った。 さあ、明日からは、土手や畦の草刈りです。 |
4.29a 昭和の日 |
19日に種を蒔いたインゲンと枝豆が一斉に芽を出しまし た。 豆類は2本立ちのするのがいいと教科書に書いてあるので、 明日あたり雨が降った後に2本に間引きます。 2本立ちにする理由は、少し混ませて植えることで”競争” させて、草丈を伸ばすことにあるようです。 抜き取るのは可愛そうですが、仕方ありません。 |
4.28 | ふたつ並んで実を付けることから名付けられた「夫婦梅」 が、今年はいつになくたくさんの実を付けています。 かなりの古木で、一時は枯れてしまうのではないかという くらい弱っていたのですが、ここにきて盛り返しています。 そう、若木だけが勢いがいいとは限らないのです。 |
4.27 | 昨日お伺いした 会社の玄関に表 示されていた 「ウェルカムボ ード」。 そして富山の桜 木町の料亭でご 馳走になったホ タルイカなどの 刺身です。 この時期を逃すとホタルイカの刺身を食べることができないので、富山への訪問を昨日にしたことも背景として はあります。 ブログは日記とはちょっと違いますから、こうやって書く日のタイミングがずれ込んでしまうこともあるのです。 |
4.26 | この仕事を始めて少し経った頃、富山からわざわざ伊那ま で来てくれた会社の役員の方がいた。 そしてその会社にお世話になることになるのだが、私はそ の人を、同じ志を持つ「戦友」くらいに思っていた。 ところが、51歳という若さで亡くなられてしまった。 そのときの様子は、2005年4月28日と30日の私の ブログをご覧になっていただきたい。 それからぜひ一度お墓参りに行きたいと思っていたのだが、 今日その念願が叶ったところ。 尽力していただいた会社の皆さんに感謝をしています。 |
4.25 | 春爛漫。 畑の葉桜(八重桜)が満開です。 ご近所さんから、こんなにたくさんの筍をいたただきました。 とても食べきれる量ではないので、早速お裾分けをしたのですが、これも春からの贈り物です。 |
4.24 | 「日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす」を読み終えた。 当時うかつだったのは、便が墜落した場所がなかなか特定できなかったこと が、まさか時間稼ぎだったとは思ってもみなかったこと。 1985年8月12日18時56分28秒、日本航空123便は、群馬県上 野村の御巣鷹山の尾根に墜落した。 そのとき、隣接する川上村の村民たちは、即座に墜落場所を警察、NHK、 村長らに伝えていた。 上野村の村長は、県、警察、中央政府へ電話で連絡し、村中の防災無線で情 報を集めた。 しかし、村の道路はいつの間にか警察と自衛隊によって封鎖されて、現場に 立ち入ることができなくなった。 そして墜落場所が発表されたのは翌朝4時39分。中曽根首相(当時)は、 「私が合図するまで発表してはならない」と言ったという。 この間に、様々な隠蔽工作が行われたわけだが、詳しくは本書と、18日の ブログに書いた森永卓郎さんの「書いてはいけない」を、ぜひ読んで欲しい。 |
4.23 | 例年に比べると、規則正しくない陽気のためか、背丈が伸 びないままエンドウに花が付いて、もう小さなさやになっ ているものもあります。 いつも紫花と白花の2種類を蒔いていますが、今年は白花 も枯れることなく、紫花に遜色のない成長ぶりです。 そのふたつでは微妙に味が違うという人もいるけれど、食 べ比べたことがないので、よくわかりません。 |
4.22b | 田んぼの代掻きをする前に、草刈りを済ませておかなければならない。 それは、水を浸けてしまうと、足場がなくなってしまうからだ。 今日の午後、思いつきで刈払機を使って草を刈った。 そして夕方、耕作をお願いしている農家の方がやって来て、水路から水を入れ始めたのです。 間一髪間に合いました。 |
4.22a | 昨夜の新日本プロレス茅野大会。 オカダがいなくなった後のエース候補の先頭を入る海野翔太は、いつも 会場の奥から入場してきて、観客とハイタッチを交わす。 昨夜もそうだったから、通路際に座っていた私たちの横を通ったわけだ。 そして海野は、わざわざ立ち止まって、柊弥クンとタッチをしてくれた。 柊弥クンは、海野が持っていたグッズに手を伸ばしたけれど、それを渡 してくれることはなかった。 画像は、2階で観戦していた長女が撮影したものです。 |
4.21 | 新日本プロレスの茅野大会。 行われることがわかったのは少し前だったから、いい席は取れなかったけれど、柊弥クンは喜んでくれて、ひい きの選手に声援を送っていました。 驚いたのは、「田舎」なのに観客の多くは応援する選手のTシャツを着て、今の流れを理解しているようでした。 今年は「G1クライマックス」が長野に来ないので、その代わりみたいなものです。 |
4.20 | 3月30日に種芋を植えたジャガイモが、これだけ大きく なっています。 去年に続いて、畝にマルチシートを敷きました。 通りがかった近所の人が、「ネットにも載っていたけれど こういう方法もあるんだね」と言いました。 我が家でもそうだけれど、ジャガイモは土だけの畝に植え て、時期か来たら土寄せをするというのが、一般的な方法 でした。 あと1週間経ったところで、芽を2本に間引きます。 |
4.19b | 舜クンの授業参観に行った。 それは国語の授業で、自分が食べたいものを間接的な表現 で作文にし、それを他の人たちが当てるというものだった。 舜クンの発表の順番になり、立ち上がって前に出たところ、 まだ何も言っていないのに、みんなから「メロンコール」 が沸き起こった。 舜クンの大好物がメロンであることを、みんなが知ってい るわけだ。 それよりも驚いたのは、教室に入っていたときに、みんな が寄ってきて、「ユーチューブ見てます」と言いながら、 「本人だよ!本人」と大騒ぎになったこと。 相手は小学6年生。たいへんな時代になったものだ。 そして舜クンが「出題」した食べ物は「琥珀糖」の砂糖味で、いとも簡単に当てられてしまった。 家に帰ってからそのことを訊いたところ、「じいじは知らない」と味気ない答えが返ってきた。 |
4.19a | 停(とどめる) 女の子らしい こころづかいなんてできないし お料理なんかも 好きじゃない 楽しいおしゃべりを 届けようと思うけれど…… 私の限界を はるかに超えています 少しずつ去って 船が水平線に消え入るように あなたが だんだん つかめません 赤面するだけのような 月並みな愛の言葉で 詩:あみいみこあん もちろん 力ずくでなんかも 曲:もりたまさる ここにとどめさせて おくことなんか できない ギター演奏・編曲 ま~さか あなたの たくましさだけが 今確かに 光り続けてみえる気がする 「YouTube」にアップしました。 |
4.18 | 2001年にホームページを立ち上げたときは、作成プログラムとして マイクロソフトの「FrontPage」を使っていた。 ところがしばらくしてサポートがされなくなったので、今度はIBMの 「ホームページビルダー」に切り替えた。 そして2022年6月16日で、それまで使っていたウェブブラウザの、 「Internet Explorer」 が使えなくなることがわかったので、「Edge」 に切り替えることになったのだが、「ホームページビルダー」で編集し たページは、「Edge」で見ると文字ズレを起こしてしまったのだ。 それから今まで、プログを作成するときは、1行ずつ文字ズレの状態を プレビューで確認し、編集画面で調整する操作を余儀なくされた。 当然過去に作成したページは、すべて文字ズレを起こしてしまっている。 私の過去のブログ見る人などいないのだが、どうしても気持ちが悪かっ たので、それを修正する作業を続けていた。 そしてついに、この気の遠くなるような作業を完了したのです。 何ら付加価値を生み出さない、バカみたいな作業でした。 |
4.17 | 2023年12月、私はすい臓がんステージ4の告知を受けた。 告知の瞬間、私は、何かを食べたいとか、どこかに行きたいとか、そんなこ とは微塵も考えなかった。 なんとか自分の命のあるうちにこの本を完成させて世に問いたい、そのこと だけを考えた。 その意味で本書は、私の40年にわたる研究者人生の集大成であると同時 に、私の遺書でもあるのだ。 (本書のあとがきから) 書店で平積みされているものを購入した。 Amazon売れ筋ランキングの、全体の1位だ。 衝撃的であったのは「日航123便の墜落事故」に対しての記述である。 墜落の直接の原因は、当時開発中だった陸上自衛隊のSSM-1(88式地 対艦誘導弾)を、誤って垂直尾翼周辺に当ててしまったことで、そんなこと が表面化すると大変なことになるから、様々な隠蔽工作行われた。 まず、まだ飛行が可能だったから、横田基地に着陸できたものを、米軍が許 可しているのにもかかわらず、それが許されなかった。 次に、どこかに不時着されても困るから、右側の第4エンジンを自衛隊機の ミサイルで破壊した。 そして、御巣鷹山に墜落した123便に残っている証拠を隠滅するために、火焔消化器で焼き尽くしたというの だ。 その時間稼ぎのために墜落場所の特定を錯綜させ、米軍の救出活動も拒否したというのがこの本に書かれている 内容である。 私は早速、この書籍の内容の元になっている、青山透子さんが書いた「日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす」 を注文した。 |
4.16 | こんにちは おまえを包んでいた お母さんのお腹は ヘソから下にいっぱいに 赤い妊娠線ができていた おまえが動くと 黒ずんだ腹が ゆっくりと波打つ おまえをささえていた お母さんの足は 朝方になると 筋がつって コチコチになる 風呂から上がると 腰や足をもめと お母さんがせまる おまえが乳を飲むオッパイは あのペッチャンコだったのが いくらかふくらんできて お父さんがためしに吸ったら 黄色い液が出てきた おまえが吸っても痛くないようにと オリーブ油をつけて お母さんはマッサージをしていた おまえの体のもととなった栄養は お母さんの丈夫な胃袋により きれめなく補給された 10ヶ月目に入ると 実家の店先から 高価な食物が どんどん消えていった 陣痛が起きて 病院へ行く朝 タクシーを待つ間にも バナナを三本かじり みかんやお菓子を いっぱい袋につめたという まるで 遠足にいくかのように あつしくん こんにちは ガラス窓のむこうで 看護婦さんに抱かれ 腕をふって泣いているおまえ ずいぶん長かったよ おまえの顔を見るまでが (1976年の作品) |
4.15 | 私は普段地上波のドラマはほとんど見ないけれど、先週の 土曜日から始まった、「花咲舞が黙ってない」は別だ。 それは、杏が主演を務めた前のふたつのシリーズにはまっ ていたからだ。 見始めて少しの間は、今田美桜に杏の代役が務まるかどう か心配だったけれど、物語が進むにつれてなじんできた。 そして山場に発せられる、「お言葉を返すようですが」と 「黙りません!」のふたつのお決まりの台詞も決めること ができた。 だから、次回からも期待をしています。 |
4.14b | 弟夫婦と行った、市内の光善寺のしだれ桜は満開でした。 それ前に、中沢の永見山の花桃を見に行ったけれど、ここ は満開までにはあと1週間かかりそうです。 今年は、花が咲く順番が滅茶苦茶になっていて、どの花が 咲いているのか予想がつきません。 |
4.14a | ムスカリを今年はこれだけ採った。 コンクリートの床に広げ、水分を絶って枯れるのを待って いる。 最初に採り始めた土手のムスカリは少なくなってきたのに、 新しい土手の広がりが酷い。 球根は根こそぎ掘り起こして、紫の花も同時に処理をして いるのに、どうやって増えていくのかが不思議だ、 |
4.13b | 長ネギの植え付けは結構きつい作業です。 白い部分を長くするために、深いところに植えて、だんだん土をかけて いくのです。 それを途中から管理機でやりたいために、畝の間隔を確保しておきます。 波状になったパネルに1本ずつ並べて、それに少し土をかけて安定させ ようとするのですが、それがうまくいきません。 まわりの土を崩さないように、それを狭い場所で行わなければならない のできついのです。 野菜作りはその年の陽気に左右されるから、結構難しいです。 おじいさんに代わって野菜作りを始めてからもう10年経ちました。 今は、家に帰る度に成長した姿を見られることが喜びになっています。 去年は900本、今年は500本に減らしました。 その他の野菜も、だんだん量を減らしていくつもりです。 |
4.13a | 先週あたりから顔を出し始めた「あずきっぱ」。 今日のお客さんたちに食べさせたくて、今朝田んぼの土手 に行って採ったものです。 まだ新芽の今のうちは、かなり下の方も柔らかいので、こ れだけの量になり、皆さんに賞味してもらえそうです。 これから連休までの週末は、「あずきっぱ」とのお付き合 いになります。 |
4.12b | 今夜のスターダム後楽園大会は、3月末で退団したジュリ アと林下詩美の最終戦。 仕事を終えてから駆け付けることはできたけれど、当日券 の販売開始は10時で、家に帰ってから見たPPVの様子 では満員だったから、例え行ったとしても会場に入ること はできなかっただろう。 ジュリアは盟友だった朱里と組み、岩谷麻友&羽南と対戦。 林下詩美はユニットの上谷紗弥と組み、同期だった飯田沙 耶組と戦い、そのあとは同じユニットの上谷紗弥と、急遽 決まった延長戦として、5分間のシングルマッチを戦った。 退団した選手たちで、もうすぐ新団体の立ち上げがありそ う。 |
4.12a | 八高線の金子駅には隔週のタイミングで行っているから、毎年桜の開花 時と重なるわけではない。 今年は春が遅かったこともあり、今日は駅のホームに舞い散る、桜吹雪 に出会うことができた。 こうやって写真を撮っているうちにも花びらは降りかかり、車輌に乗り 込んでから、そのひとつがキャリーバッグに付着していることに気がつ いた。 話は変わるけれど、先週末くらいから風邪を引いたらしく、未だに治ら ない。 熱は全然高くはないが、喉がいがらっぽい。 朝晩はそれなりに寒くて、日中は20度を超えるような気温の変動だ から、年配者は対応できないのが、当たり前のことなのだろうけれ ど……。 |
4.11 | 日本でもジャイアント馬場やアントニオ猪木らと激闘を繰り広げ、鉄の爪 =アイアンクローを得意技としたアメリカの伝説的なプロレスラー、フリ ッツ・フォン・エリックを父に持ち、プロレスの道を歩むことになった兄 弟の実話をベースに描いたドラマ。 1980年代初頭、元AWA世界ヘビー級王者のフリッツ・フォン・エリック に育てられたケビン、デビッド、ケリー、マイクの兄弟は、父の教えに従 いプロレスラーとしてデビューし、プロレス界の頂点を目指していた。 しかし、世界ヘビー級王座戦への指名を受けた三男のデビッドが、日本で のプロレスツアー中に急死したことを皮切りに、フォン・エリック家は次 々と悲劇に見舞われ、いつしか「呪われた一家」と呼ばれるようになって いく。 フリッツ・フォン・エリックとジャイアント馬場の試合はテレビの中継で 見たが、フリッツが右手の指を広げると本当の鉄の爪のように見え、それ で馬場のこめかみを掴むと、瞬く間に血が流れてきた。 デビッドが日本のホテルで急死したことも、当時わかっていた。 根っからのプロレスファンだったと言える。 (kino cinéma 立川髙島屋S.C.館 にて) |
4.10 | 駒ヶ根の明日の天気予報を見たかったので、「駒ヶ根市の 1時間天気」というサイトを開いた。 そこには当日の天気予報が載っていたが、翌日のものを見 たかったため、画面の下にあった「次のページ→」という ボタンを押した。 すると、けたたましい警告音と共に、「トロイの木馬に感染しました」というメッセージが現れた。 少しびっくりしたが、こんなときはページを閉じてしまえばいいことを知っていたから、即それを実行した。 そのあとにも、ネットでニュースを見ていたときに、画面に「次のページ→」が登場した。 こんなにあちこちに出没しているから、出会う確率は結構高いことになる。 ちなみに、今朝見たところ、「駒ヶ根市の1時間天気」のサイトから、そのボタンは消えていました。 |
4.9 | 親が厄年の時に生まれた子供は辻に捨て、誰かに拾っても らうという儀式がありました。 それを何と呼ぶのかをおじいさんから聞いていたのですが、 忘れてしまいました。 ただその対象がおじいさん自身で、拾ってもらった近所の 家とは、それ以降親戚づきあいをしてもらっています。 これはその家からもらった椎茸です。 まだみずみずしいから、バター炒めにして食べました。 |
4.8b | 冬の間、室内に取り込んであった鉢植えの植物を、一斉に 外に出しました。 もう霜は降りないだろうとの判断です。 久しぶりに太陽の光を直接浴びた植物たちは、きっと眩し いのかもしれません。 室内にあるときは、毎週土曜日に水をあげていたのですが、 葉っぱに霧を吹くところまでいきませんでした。 今日からは、自然と一体になって育っていくことができま す。 |
4.8a | 私がブログを始めたのは2001年10月の ことで、そこにはこんなことが書かれている。 柿川鮎子さんのホームページの影響で、日記 をつけることにしました。 私の場合、ちょっと違っているのは、表現が むき出しで感情をストレートに書き表わそう としていることです。 自分のホームページなんだもの、何をしたっ ていいよねえ! その、ブログを始めるきっかけになってくれた柿川鮎子さんは、今は「ライター」をされていて、今度、小学館ダ イム公式サイト「@DIMEアットダイム」に掲載するためのインタビューを私にしてくれました。 電話ではとりとめのないことを話したのですが、それを立派なコメントに仕上げてくれてあります。 どうぞご覧下さい。 |
4.7 | 畑の2本の桜が満開です。 5本植えたうちの3本が今は残っているのですが、いちば ん奥の葉桜が咲くのはもう少し後になります。 去年は全然剪定をしなかったので伸び放題です。 「桜切るバカ梅切らぬバカ」と言われているように、桜は 切り口から細菌が入りやすいから、切らぬのが正解なので しょうか、それにしても大きくなって、もう少しで野菜作 りの邪魔になりそうです。 でも、自宅に桜の木があるから、より春を感じられます。 |
4.6 | 冬越ししたエンドウの間に蒔いた種が芽を出しました。 エンドウの実の収穫時期は短いのですが、こうしておくと、長期間にわたって取り入れることができます。 可愛そうだったけれど、その芽を2本に間引いたところです。 ごめんね。 |
4.5 | 花粉の主体がスギからヒノキに移ってきたけれど、今年の症状はいつに なく軽いままで乗り切れそうだ。 去年めまいの症状が出て耳鼻科医院に通院したときに、前もってできる 花粉症対策はないかと訊いた。 日常的に鼻づまりが起きるから市販の点鼻剤「ルル」を使っていると説 明したところ、それは症状が慢性化してしまうからと、医師だけが処方 できる点鼻薬を与えてくれた。 それを使っていたが今年になって花粉が飛び始めた頃、抗アレルギーの 錠剤を飲むように指示され、その後一段階強いものへと変わっていった。 それらの効果だと思われるが、辛い症状にまでは至っていません。 |
4.4 | 仕事の合間に見たニュースで、大谷が第一号のホームランを放ったこと を知った。 隣にいた、やはり大谷ファンのお客さんと、喜びを分かち合ったところ。 そして自身のインスタグラムに新規投稿した動画は、待ちに待った1号 の瞬間、総立ちのスタジアムが大興奮した様子。 そのほかにも三塁ベースを回る際にチームメートが三塁ベンチで手を叩 く写真、本塁ベース付近でMVP仲間のフリーマンとタッチするシーン、 ベンチ前でテオスカー・ヘルナンデスから、大量のひまわりの種を浴び せられる瞬間の写真などを投稿したという。 私はインスタグラムをやっていないから、それを見ることはできないけ れど、こういう時だけ残念だ。 だからといって、これからもインスタグラムの類いのSNSを、新たに 始めるつもりは全くない。 |
4.3 | 吉さんと二人、どれほど求め合っても遠く、彼を殺してしまうことでよう やく〈二人キリ〉になれたと思ったのもつかの間、我に返るとこの天涯に 自分一人きりが取り残されていた。 もしかすると彼女がわずかでも永遠を味わうことができたのは、切り取っ た愛しい一物を薄いハトロン紙に包み、腹にぐるぐる巻きつけた六尺褌の 間にはさんで身につけた、あの瞬間だけではなかろうか。 けれどそれさえも、逮捕の後には警察に取り上げられてしまった。 返してちょうだい、それはあたしのものよ、と、ずいぶん抵抗したらしい。 このままではますます腐ってしまうから然るべき処置をして返してやると 宥められ、ようやくおとなしくなったと聞く。 後の公判中、あまりの騒ぎに一時的に傍聴禁止令まで出た法廷で、裁判長 がアルコール漬けの一物を掲げ、被告人はこれを見てどう思っているかと 尋ねたとき、彼女ははっきりとした口調でこう答えた。 〈非常に懐かしく思っております〉 私はひとりぼっちが大好きだから、ホテルの部屋にいるのがいちばん落ち 着くことができる。 先週金曜日に、麻雀のMリーグが終わったけれど、毎週月・火・木・金に 放送される中継を全部見ていたから、夜の読書の時間が削られてしまっていた。 それを取り戻すべく今週は、一昨日から今夜にかけて、村山由佳の作品を読み切りました。 「二人キリ」は、定が殺した吉さんの妾の子供が、出所後の定をはじめとした関係者に、事件の前後の様子を聞 き取るというかたちを取っている。 定は人間としてうらやましいくらい純粋だったね。 |
4.2 | 「24年問題」が今月からスタートした。 1日8時間、週40時間を超える労働以外は時間外勤務となり割増 賃金が支給されるわけだが、その時間の規制が建設業で年間720 時間、自動車運転業と医師が年間960時間と定められ、この4月 1日から適用になった。 私は、「働き方改革」が日本を弱体化させてしまったと思っている のだが、「24年問題」の最大の欠陥は、すべて一律に適用されて しまうことだ。 ひと口に「業種」と言ってもその内容は千差万別で、健康状態だっ て人により全く異なっている。 それをひとくくりにして規制することがおかしいと思うわけだ。 誰だって稼ぎたい時がある。その手段のひとつが残業だった。それを規制しようとした結果として、運転手のな り手がなくなってしまっているではないか。 一方では少子化が問題となっているのに、労働力となり得る基盤を奪って、日本の経済をこれからどう発展させ ていくのと言うのだろうか。 |
4.1 | 「ダークナイト」「TENET テネット」などの大作を送り出してきたクリス トファー・ノーラン監督が、原子爆弾の開発に成功したことで「原爆の父」 と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーを題材に描い た歴史映画。 2006年ピュリッツァー賞を受賞した、カイ・バードとマーティン・J・シ ャーウィンによるノンフィクション「『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と 悲劇」を下敷きに、オッペンハイマーの栄光と挫折、苦悩と葛藤を描く。 第2次世界大戦中、才能にあふれた物理学者のロバート・オッペンハイマ ーは、核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画において、原爆開発プロジ ェクトの委員長に任命される。 しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、さらにはそれが実戦で投下 され、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けたオッペンハ イマーは、戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対するように なるが……。 (映画.com) 2月19日にNHKで放送された「世紀の映像 バタフライエフェクト『マ ンハッタン計画』を見たから、オッペンハイマーの生涯を把握していたけ れど、いきなりこの映画を見せられても、何が何だかわからないと思う。 広島と長崎に原爆が落とされたことは決して許されることではないが、もし仮に、ナチとの開発競争に負けてい たとするなら、世界の歴史はもっと大きく変わっていたことだろう。 (新宿ピカデリー にて) |