あと あと のあと 2024年 5月

5.31
 昨日乗ったタクシーの運転手が嘆いていた。
 それは、テレビの番組の中で報道された内容に対してである。

 とある会社で、社員が案件の承認を得るべく、書類を上司の席に持って
 いった。
 そこで上司がため息をついたことが気分を害したから、それが「パワハ
 ラ」だとして訴えた
というのだ。
 最近、職場でのこれと同じような事例をよく耳にする。

 職場のパワーハラスメントとは、職場において行われる
  ① 優越的な関係を背景とした言動であって
  ② 業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより
  ③ 労働者の就業環境が害されるものであり
 ①から③までの3つの要素を全て満たすもの
をいうのだそうだが、労働
 者の就業環境にこだわるあまり、現実的には歪んだ運用がされているよ
 うに私は思う。

 つまり、相対的に捉えると、優越的な立場に立っているのは、もはや労働者の方になってしまっているのだ。
 だから管理者は、部下に対して「下手なことは言えない」環境になってしまっている。

 会社組織は、上司の命令に基づいてその部下は行動する仕組みになっている。そしてその命令は、責任を負わな
 ければならない上司の判断なのだ。
 間違えないでいただきたいのは、会社の組織運営は、サークルのような「民主主義的運営」に基づくものではな
 い。
 「働き方改革」などもそうだが、このような「ハラスメント」という価値観が、日本という国をダメにしまって
 いると、私は痛烈に感じているのだが……。

5.30
 「跡継ぎがおらず、自分で代が絶えてしまう」、「先祖代々のお墓が遠
 方にあり、維持・管理の負担が大きい」など、様々な事情でお墓の承継
 が難しいと考え、お墓を解体して更地にする「じまい」という選択を
 する人が増えている。

 「じまい」とは、墓石を撤去し所を更地にすることで、その結果使
 用権を返還したりすることもある。
 お墓に納められている遺骨を、勝手に取り出して別の場所に納骨したり、
 廃棄したりすることは法律のもとできず行政手続きが必要で、その後に
 新しいお骨の納骨先を用意する必要があるから、それを請け負う業者が
 現れているわけだ。

 中には、物理的なお墓などいらないと考えている人もいるかもしれない
 が、私が頻繁にお墓参りをしているのは、祖先に対する感謝の気持ちを
 表したいからである。
 古代に人類が出現してから今まで、自分のところまで命が継がれてきた経
 緯を、きちんと認識したいわけだ。

 そこでこのことを、私の持論である「選択制夫婦別姓」の問題と強引に結びつけてみたい。
 私の地元にある墓石には、「○○家の」という文字が刻まれている。先日お参りに行った富山のお墓にはこ
 のような墓石はなかったが、両サイドの石碑にその家の苗字(姓)が刻まれていた。

 もし仮に「選択制夫婦別姓」が導入されたなら、その家の姓が変わってしまうことが考えられるわけだ。 その
 ことに伴って、その都度墓石を作り替えるとでもいうのだろうか?
 すでに日本の家族制度は崩壊してしまっているかもしれないが、祖先を敬うためのお墓は、日本の文化と歴史そ
 のものだと思うわけだ。

 だから日常生活においては別の姓を名乗ってもいいが、戸籍だけはそのままにしておいて欲しいというのが私の
 主張である。
  
5.29

 今は、粉などほとんどなくなってし
 まったから、右の図のような包み方を、
 知っている人は少なくなっていること
 だろう。

 したがって右のような錠剤になってい
 るわけだが、これがよく転がるから、
 床に落ちてしまうことが多い。
 普通は平面のほうが下になると思うのだ
 が、それでも転がるというのは、絶妙な形状になっているのだろうか。

 本当に必要なときに効かなくなってしまうだろうから、できるだけ
 飲みたくないのだが、この歳になるとそうも言っていられない。 

5.28
 ナチ体制は「生存権」の拡大を目指して戦争の準備を進める一方で、国民
 の生活水準をできる限り維持するようつとめたが、そうした配慮を行った
 背景には、国内経済の破綻と革命の勃発で敗北した第一次世界大戦の教訓
 があった。
 とはいえ、これもあくまで
戦争という目的に奉仕する副次的な施策にすぎ
 なかった。

 労働者向けの様々な優遇措置も、彼等を軍需生産に縛り付けるための譲歩
 でしかなかったと見るべきだろう。
 象徴的なことに、フォルクスワーゲンは市場供給が始まる前に生産が中止
 され、大型客船でのクルーズ旅行も労働者には高嶺の花のままだった。
 戦争準備の過程で森林伐採は逆に強化され、動物実験も事実上容認された。
 禁酒・禁煙運動など健康政策の多くも実効性に乏しく、
戦争の長期化で様
 々な施策が打ち切られていった。

 こうしたことはすべて、
ナチ体制が来たるべき侵略戦争のために軍備拡張
 を優先させた結果だった。
 実際にも、異常な規模とスピードで進められた軍備拡張は民間消費の停滞
 を招き、国民の生活水準向上を阻害した。
 過剰な支出と巨額の負債にもとづく軍需経済は破綻の危機に陥るまでにな
 ったが、この危機を脱する手段を提供したのも
戦争に他ならなかった。

 ※ 独裁権力を握ったヒトラーは、アウトバーンの建設や格安の大衆車の開発、歓喜旅行団の旅行事業など様々な
   目玉政策を打ち出して国民の期待をかき立てた。(注:森田)
 
5.27
 「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」のジョナサン・グレイザー監督がイ
 ギリスの作家マーティン・エイミスの小説を原案に手がけた作品で、20
 23年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でグランプリ、
 第96回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞。

 ホロコーストや強制労働によりユダヤ人を中心に多くの人びとを死に至ら
 しめた
アウシュビッツ強制収容所の隣で平和な生活を送る一家の日々の営
 みを描く。

 タイトルの「The Zone of Interest(
関心領域)」は、第2次世界大戦中、
 
ナチス親衛隊がポーランド・オシフィエンチム郊外にあるアウシュビッツ
 強制収容所群を取り囲む40平方キロメートルの地域を表現するために使
 った言葉で、映画の中では強制収容所と壁一枚隔てた屋敷に住む収容所の
 所長とその家族の暮らしを描いていく。

                          (映画.com)

 たくさんの観客が入っていて安心したけれど、右側にいた客のいびきが響
 いてくるのには閉口した。        (新宿ピカデリー にて) 
5.26c
 「朝まで生テレビ!」でも「激論!クロスファイア」でも、司会者の
 原総一朗
の「暴走」ぶりが最近になってより激しくなったというのは、
 衆目の一致するところだ。

 彼が大声を上げたり机を叩いたりすると、発言者は黙ってしまうという
 のが常だった。
 つまり、発言を途中で妨げてしまっていたわけだ。

 ところが 今夜の「激論!クロスファイア」では、アシスタントの本間
 アナウンサー
が、二度にわたり田原総一朗の途中発言を止め、発言者に
 そのまま継続するように促した。

 田原総一朗の「暴走」も番組の魅力のひとつだが、今までに見たことの
 なかった本間アナの行動は、一方では清々しかった。

 「暴走」を止めるようにと、番組のプロデューサーから言い含められて
 いたかもしれないが、「本間アナ頑張れ!」だ。 
5.26b  
 中央アルプスに夕陽が沈んでいます。

 西駒ヶ岳の位置に沈んでいるのを、ウォーキングをしてい
 た天竜川の堤防で、これを撮影している人を見て気がつき
 ました。 昨日のことです。

 今日はこの光景を撮影しようとカメラを構えていたのです
 が、こんな時に限ってなかなか沈んでくれません。

 GPS装備の田植え機を使って、真っ直ぐに植えられた自
 宅の田んぼを入れたかったのですが、電線が映り込んで
 しまうので、他所の田んぼになってしまいました。
5.26a  


 細い蔓をネットに巻き付けて、自分を支えようとしている
 ュウリ
が健気です。

 朝畑に出る度にその成長のスピードが確認できて、今日、
 1本目を採ることができました。

 これから毎日、処分に困るくらいのキュウリが採れること
 でしょう。
 
5.25

 赤松と黒松それぞれ1本ずつの「みどり摘み」を始めてか
 ら3年目。

 それをするまでは、松のが伸びても全然気にならなかっ
 たのに、こんなにボウボウになると放っておけません。

 ひとつずつの枝について、真ん中の一番長いは摘み取り、
 横の2本のは短く切ります。
 
 長い脚立がないからてっぺんまで届かず、おまけに片側は
 石垣だから脚立が建てられず、さらには高いところだから
 危険という、結構手間のかかる作業です。
 
5.24b

 「雉も鳴かずば打たれまい

 雉は「ケンケン!」とよく鳴くものだから、居場所がわかってしまいます。
 これは自宅の前の田んぼで、やっぱり鳴き声を聞いたので、そっとカメラを取りにいって撮影しました。

 何年か前から、の番(つがい)が住み着いていて、このときも遠くから相手のの声が聞こえてきました。
 
5.24a  

 今朝、の木の花がこれだけ落下していました。

 これだけの数の花が咲いたということは、今年も干し
 りが期待できるということです。

 もう少しすると、緑の実が落下してきます。
 そう、の木にかかる負担を、自分で調整するのです。

 去年は全然ならなかった甘も、たくさんの花を付けてい
 ます。
5.23
 私が労働組合活動にのめり込んでいた頃の対立軸は、資本と労働者との
 階級闘争だった。

 ただ、配分闘争となってしまった「春闘」や、サンディカリスム(労働
 組合至上主義)などの流れから、階級対立という概念はだんだん薄まっ
 ていった。

 ただ当時は、自民党は資本階級の利益を追求する政党という定義だった
 から、今回自民党が企業団体献金を継続しようとする姿勢は、当たり前
 のことだと捉えることができる。

 政権政党に献金をした以上、それに対する見返りを求めるのは自然なこ
 とで、現実もそうなっていることだろう。

 だから、企業団体献金を止めろというのではなく、それが問題だと思う
 のなら、選挙でその政党に投票しなければいい。

 階級という概念はなくなってしまったかもしれないけれど、日々慎ましい生活を送っている庶民が、圧倒的大多
 数なのだから。
 
5.22
       悔 恨   

     去年の落ち葉が 完全に腐れ切らないうちに
     花びらは あたりに甘い香りをふりまいて
     ゆっくりと降りていく

     そよ風が 頬をなでて通っても 少しもさわやかさを覚えず
     いつまでも 落ち葉の下から
     なにかを探そうとしている僕

     やわらかい日差しを浴びて 揺れ動く緑の葉がまばゆくて
     目を地面に落とす
     色あせた葉脈のあいだから
     萌黄色の芽が 顔を出している

     そんなに簡単に 秋はやって来ない
     太陽の光は 日ごとにその強さを増す      (1969.5.12 19歳)
 
5.21
 引きこもり生活からの無謀とも言える家出を経て、人気女子プロレスラー
 へと成長した
岩谷麻優の半生を、実話をもとに描いたプロレス青春映画

 山口県の田舎で生きづらさを抱えて毎日を過ごしていた少女マユは、2年
 にわたり引きこもり生活を続けていたが、兄と一緒に観戦した
プロレス
 感激したことで人生の転機が訪れる。

 プロレスラーになることを決意し、コンビニ袋と小銭だけを手に家を出て
 上京したマユは
プロレス団体の門を叩く。しかし練習の日々は厳しく、女
 子
プロレス団体「スターダム」の1期生としてデビューを果たしたものの、
 レスラーとしてなかなか日の目を見ることができずにいた。

 当初は「ポンコツ」とまで言われた彼女だったが、周囲の人びとに助けら
 れ、やがて「女子
プロレスのアイコン」と称されるまでのレスラーへと成
 長していく。
                  (映画.com)

 ストーリーに期待をしてはいなかったけれど、岩谷麻優を描いた映画だか
 ら、これは見ておかなければならない。
 ただ、プレスラーへの道は、「青春映画」という表現をするほど軽っぽい
 ものではないと思うよ。          (新宿ピカデリー にて)
 
5.20

 ジャガイモが花盛りです。
 花が咲くのを見ない年もあるのに、今年はたくさんの花が咲いています。

 去年から、畝にマルチシートを張りました。 それが理由なのでしょう、いつになく早い成長ぶりです。
 ただ、だからといって地下の実が充実するとは限りません。
 今年も品種は「キタアカリ」です。
 
5.19
 「そこまで言って委員会」を見始めたのは、黒木議長(黒
 木千晶読売テレビアナウンサー)の歯切れのいい司会ぶり
 に惹かれたからだった。

 日曜日の13時30分からの放送だから、なかなか「生」
 で見ることはできないけれど、毎週録画しておいて楽しん
 でいる。

 番組の「売り」は、なんと言ってもメンバーが好き放題の
 発言をしていること。
 そこには忖度など、おそらく存在していないと思いたい。

 今日ネットを見ていて知ったのだが、読売テレビ制作のこ
 の番組を、関東の日本テレビでは放映していないらしい。
 その理由は、この番組と同様の発言を(日テレを含めた)在京キー局(ローカル局)で行った場合、降板や該当
 局の出入り禁止となることが多いためで、「東京では放送が成立しない」、「東京で放送されたらここまで言え
 ない」からだという。 もしそうだとしたらおかしなことだ。
  
5.18
 高校を卒業して就職した会社で配属されたのは「部品検査課」と
 いう職場で、「部検」と呼ばれていた。

 そこは、購入した部品の受入検査をする部門で、機械担当と電気
 担当に分かれており、私が配属された電気担当は、主任を含めて
 5名で構成されることになった。

 その中の一人の、私よりひとまわり年上の先輩はとっつきにくい
 人で、私にとっては苦手な存在であったが、それから何十年も経
 った今、自宅が富士見にあることもあって、仕事の帰りによく立
 ち寄るという関係になっていた。
 どこでどう進展したのかはもう忘れてしまったけれど、私にとっ
 てはかけがえのない人になっていた。

 その人が、今週の日曜日には我が家に来ることになっていたのだが、先週の金曜日に電話がかかってきて、岡谷
 の塩嶺病院に入院したという。
 何でも数日前から食事が喉を通らなくなり、検査をしたところ食道に腫瘍ができており、悪性のものかもしれな
 いというのだ。
 そのときは、月曜日に諏訪の日赤で検査をするから、その結果を報告してくれるとのことだった。

 しかし、いつになっても電話がなかったので、昨日奥さんに連絡を取ったところ、腫瘍は悪性のもので、ガン細
 胞が肺から飛んできたものだというのだ。
 そしてすでにリンパ節に転移しており、全身に広がっている可能性が高いという。
 ものを食べられないからずいぶん痩せてしまったと、奥さんは涙ながらに教えてくれた。

 これからどう治療していくのかはわからないけれど、もし自宅に帰ってこられることができたら、駆け付けてい
 きたい。
 たいへん悲しい出来事だけれど、知り合いの多くの人たちが同年代になった今、このような思いをあと何回繰り
 返せばいいのだろう。 
5.17
 昨年の9月18日に開幕した麻雀のMリーグは、今日の最
 終戦を終えて、U―NEXTパイレーツが優勝した。

 ABEMAの麻雀チャンネルは追っかけ再生ができること
 もあって、少しはとばした場面もあったけれど、たぶん全
 216試合を見たと思う。

 考えてみればもったいない時間の使い方だが、そのくらい
 麻雀というゲームは魅力があるということだ。
 だから明日からは、「Mリーグロス」状態が続く。 
5.16
 子供の頃、自分がどんな大人になれるのかについて、不安だらけだった。

 神経質で、内向性で、人付き合いができなくて、運動神経が極端に悪く
 て、女の子っぽい男の子だったから、小学校から高校にかけては、「悲
 惨な」学生生活を行っていた。

 生まれつきの性格を変えることはできないからと、意識して行動を変え
 ようと考え出したのは、高校を卒業して就職した会社で、労働組合活動
 に触れた頃からだった。

 今でも、ともすればマイナー思考になってしまう自分と向き合っている。
 だからそれを乗り越えるために、絶えず自分自身に、行動をし続けなけ
 ればならないようなテーマを与えているわけだ。

 その上で今抱え込んでいる不安は、ひとつは睡眠導入剤を飲まなければ
 眠れなくなってしまっていること。
 だから毎晩、今夜は眠れることができるかという不安を抱えながら、ベ
 ッドに横になっている。
 そして、ちょっと量とタイミングを間違えると奇行(記憶にない行動)に走ってしまうから、これも不安を拡大
 させている。
 
 さらに最近は、自宅から離れているときに、体調が維持できないくらい悪くなってしまったらどうしようかいう
 ことが、不安の材料に加わってしまった。  
 そして、現実の問題として、体が動かなくなったらどう生活していけばいいのかなどと考えているから、この
 イナー思考
とは一生付き合っていかなければならないのだろう。
  
5.15
      わが子よ

   何も知らずに 眠っている わが子よ
   物音たてると 目を覚ますから
   そばにいるお母さんは だまって 見ている

   両手を広げて 眠っている わが子よ
   時々まぶたが ピクンと動く
   もうなにか 考えて いるのだろうか

   寝息をたてて 眠っている わが子よ
   外では春風 芽吹きを誘って
   やわらかな 日差しだよ 早く飛びだせ

   ふとんにくるまり 眠っているわが子よ
   おまえは 人間の赤ちゃんだから
   苦しさを のりこえる 強い子になれ

   おまえは 人間の赤ちゃんだから
   たくましさ かねそえた やさしい子になれ

 私が初めて作った曲です。 
 26歳のときの作品ですから、それまで作曲には目覚めなかったということです。

 この詩が掲載されている「逆光」は、1978年6月20日に発行した第3詩集。
 ガリ版刷りです。                        (YouTube にアップしました) 

5.14
 あの人、いい人だよね--この言葉、コンサル界隈では「仕事ができな
 い
、褒めるところがないから性格を褒めておく」ときの言葉だと知った
 とき、「これが、プロフェッショナル、コンサルの世界!」と噛みしめ
 たのを覚えています。
 違う言い方をすれば、「何かしらの付加価値を出してくれないのなら、
 貴方の存在意義はない」。こう表現すると、プロフェッショナルの世界
 そのものです。

 かつては、これは性格の悪い「コンサルの世界」の話でした。しかし、
 今は世の中全体が相手と距離を取る時代です。
 仕事終わりに容易に飲み会に誘えないし、若い部下を叱咤激励なんてで
 きません。何より、SNSで気の合うコミュニティや存在意義を示せる
 安住の地を持ちやすくなりました。
 こうした背景もあり、職場においては昔のように「
いい人」だけでは相
 手にされない時代になってしまったのです。

 では、どうすれば
「いい人」をやめることができるか。たとえ職場での
 習慣から変えていくことが「脱・
いい人」の第一歩です。
 皆さん、職場でつい相手に配慮して怒らせないようにと、「報告、連絡、
 相談」だけで仕事をしていませんか。新人でもあるまいし、「報連相」
 なんて嫌いましょう。

 
ビジネスは学校の試験のように「答えのあるゲーム」ではありません。絶対的な正解がないビジネスの世界で物
 事を判断し、後悔の少ない選択をする方法は、3つしかありません。仕事のプロセスを非の打ちどころがないも
 のにする、2つ以上の選択肢から相対的に良いものを選ぶ。そして、議論を前提にする。

 答えのない
ビジネスの世界では、意見が食い違うのは当たり前です。議論、そして、時には炎上するような喧々
 囂々のやり取りを日常のものとして受け入れましょう。
 議論の中で相手の意思決定に役立つ示唆を与えてこそ、職場での尊敬が得られるのです。


   「頭がいい人は絶対やらない!いい人に見せる習慣」  高松智史 
                         「PRESIDENT」 5月31日号からいただきました。
 
5.13
 300年後の地球。
 荒廃した世界で人類は退化し、高い知能と言語を得た猿たちが地球の新た
 な支配者となっていた。
 そして、その一部の野心的な
たちが巨大な帝国(キングダム)を築こう
 としていた。

 帝国の冷酷な独裁者であるプロキシマス・シーザーによって故郷の村を滅
 ぼされ、家族や友と離れ離れになってしまった若き
ノアは、旅の途中で
 出会った年老いたオランウータンのラカから、
と人間の共存についての
 昔話を聞かされ、ラカがノヴァと名付けた人間の女性と出会う。

 ノヴァは野生動物のような人間たちの中で誰よりも賢いとされ、プロキシ
 マス・シーザーの一派から狙われていた。彼女と一緒に行動することにな
 ったノアだったが、プロキシマス・シーザーにとらわれ、ノヴァとともに
 彼の帝国へ連行されてしまう。        
(映画.com)

 体調が今ひとつすぐれないこともあって、途中下車せず、目的地に着いて
 から映画を観ることにした。
 そのため、「猿の惑星」がまさか吹き替え版だとは思っていなかった。

 吹き替え版は緊迫感がいまいちだから普通は観ないのだけれど、まわりの音をそのままにして、どうすれば台詞
 だけを日本語に置き換えることができるのだろうか?              (テアトル 郡山 にて)
 
5.12
 「『不適切保育』対応に不信も」という見出しで、今日の「信濃毎日新
 聞」に、この話題が大きく取り上げられている。

 今までも何回か報道があったわけだが、これは、駒ヶ根市内の保育園で、
 担任保育士による「不適切な保育があった」と、園児の保護者2人から
 昨年11月に訴えがあったというものだ。

 その内容は、「お昼寝をしないからと年中の担任がおやつをあげなかっ
 た」ことと、「お尻についたうんちを放置し、子供に『臭い』と言った」
 ことに対する訴えだ。

 事実関係はよくわからないけれど、このことを知ったときに私が漠然と
 感じたことは、子供が言ったことをそのまま受けて、親は教育委員会に
 訴えるの?ということだ。

 まあ、確実に言えることは、私自身は、この時代の変化にはとてもついてはいけないということ。
 
5.11

 この著しい寒暖差に、老体はついていかれない。
 全身が倦怠感に覆われ、植え替えのナスの苗を6本買ってきたものの、畑に出て行くだけの気力が湧かず、日が
 沈んでしばらく経ってから、重い腰を上げたところ。

 長女夫妻が、フローリングのワックス掛けに来てくれました。 毎年のことですが、おかげさまです。 
5.10b
 中学校の部活参観に行ってきた。

 顧問の先生に説明してもらった「地域移行」は、来年までに
 土・日に対して実施しなければならないが、全然進んでいない
 とのことだった。
 先生たちの負担を軽くしなければならないのだが、地域の指導
 者
が不足しており、実現までにはかなり時間がかかるとのこ
 と。

 それから、競技会に出場する制限についての説明もあったが、
 たとえ競技会に出られなかったとしても、体と精神を鍛えてく
 れる部活に感謝している。

 画像は、琉クンがダッシュをしているところです。

 
5.10a  
 昨日の朝の気温が低
 かった影響か、8本
 植えたナスのうち6
 本が萎れてしまって
 いる。

 今日の昼間は気温が
 上がったので、回復
 するかもしれないと
 思ったけれどダメだ
 った。
 だから、明日植え替
 えることにしよう。
5.9
 連休のあとだからなのだろう、下りのあずさはかなり空いていた。
 だから今日は、グリーン車でなく普通の指定席を取った。

 私が座ったのは7Dだったのだが、後ろの6Bと6Cには年増のおばさんが座っていた。
 この二人が休みなくおしゃべりをしていてうるさい。
 6Aと6Bには誰も座っていなかったから、わざわざ通路を挟んでおしゃべりをするためにこの席を取ったとし
 か思えない。

 私は耳栓を持っていなかったから、イヤホンで耳を塞いだのだが、それでもおしゃべりの声を防ぐことはできな
 かった。 そしてこんな状態が、二人が小淵沢駅で降りるまで続いていた。
 やっぱり、いつもの通りグリーン車にしておけばよかった。 

5.8
 ホテルで朝食を取るときに、コロナ禍の時は手袋を使うなどいろいろな制限があったか
 ら、部屋から降りていかなくなっていた。

 何を食べているかというと、もっぱらコンビニで調達したおむすびやサンドイッチだっ
 たが、最近はそれにも飽きてきたから、昨夜は付け足しにベビーチーズを買った。

 驚いたのは、製品の厚さが薄くなっていたことだ。 久しぶりに買ったのだが、ほとん
 ど半分になっているようなイメージだ。

 製品の「値上げ」は、販売価格を上げるだけではなく、こうやってを少なくすること
 も行われている。
 資本主義経済の嫌な部分を垣間見た気がする。 
5.7
 日本を代表する名脚本家・山田太一の長編小説「異人たちとの夏」を、
 「荒野にて」「さざなみ」のアンドリュー・ヘイ監督が映画化。
 1988年に日本でも映画化された喪失と癒やしの物語を、現代イギリスに舞
 台を移してヘイ監督ならではの感性あふれる脚色と演出で描き出す。

 12歳の時に交通事故で両親を亡くし、孤独な人生を歩んできた40歳の脚本
 家アダム。
 ロンドンのタワーマンションに住む彼は、両親の思い出をもとにした脚本
 の執筆に取り組んでいる。

 ある日、幼少期を過ごした郊外の家を訪れると、そこには30年前に他界し
 た父と母が当時のままの姿で暮らしていた。
 それ以来、アダムは足しげく実家に通っては両親のもとで安らぎの時を過
 ごし、心が解きほぐされていく。
 その一方で、彼は同じマンションの住人である謎めいた青年ハリーと恋に
 落ちるが……。
               (映画.com)

 原作である山田太一の「異人たちとの夏」を読んだときは、背筋がゾッと
 した。 映画化されたものも見たが、風間杜夫と片岡鶴太郎の仕草まで覚
 えている。

 それほど「異人たちとの夏」にインパクトがあったから、この「異人たち」も見たくなったのだが、日本が舞台
 でないことも手伝って、なんかしっくりこなかった。
 第一、何回も繰り返されるゲイたちの長たらしいベッドシーンなど見たくもない。 (TOHO 日比谷シャンテ にて)
 
5.6

振替休日

 3日から今日までの4日間は、天気がよかったこともあっ
 て、野良仕事に没頭した。
 よくもまあこんなにたくさんやることがあるものだ。

 草刈りをするときの土手はすべるので、スパイク付きの
 下足袋
を履いて作業をした。
 それでも1回、草刈り機と一緒に滑り落ちた。

 そのときは、偶然スイッチに触ったらしくエンジンが止ま
 ったが、危うく巻き込まれるところ。
 こんな状態では、いつかは怪我をしそうだ。 
5.5

こどもの日


 琉クンは、日曜日で祭日なのに、午前中は部活がありました。
 日に焼けて真っ黒です。

 舜クンのところには、午後お友だちが二人来ました。
 私が心配していた、内向性で引っ込み思案な性格には、全くなりませんでした。
 
5.4

みどりの日


 左の画像は、逆さ西駒ヶ岳
 まだ平地に日が当たる前の、4時50分頃撮影したものです。

 そして昼過ぎに、耕作をお願いしている家で田植えをしてくれました。
 「よくまっすぐに植えられるね」と私が言ったところ、「GPS」がついているからだとの答えでした。
 
5.3b

憲法記念日



 家のまわりにあるツツジが満開です。
 ただこれは先週撮った画像で、今週はもうかなり花が散ってしまっています。
 今年は春が来るのが遅かったので、花たちは一斉に咲いたのですが、満開の時期が短いようです。
 
5.3a

憲法記念日
 
 今の日本国憲法は、アメリカに押しつけられたものだと主張する
 人たちがいるけれど、あのころの日本は軍国主義に覆われて、と
 ても民主主義への道程なんか描けなかっただろう。

 GHQは財閥を解体し、農地解放を実行し、今後の日本の統治を
 考えて、天皇の戦争責任を追及しなかった。

 当時は日本に軍備を持たせないことが目的だったかもしれない
 が、憲法第9条の崇高な精神は、全世界に誇っていいものだと思
 う。
 
 自衛のための戦力は必要かもしれないけれど、日本国憲法第9
 条
はこのまま保ち続けたい。
5.2
 世間は、このゴールデンウィークは10連休になるなどと浮かれて
 いるけれど、そんなこととはほど遠い環境で仕事をしている会社も
 ある。

 「ライフライン」という響きはいいけれど、1年365日生産を休
 めないから、ゴールデンウィークなどとは無縁な、コンビニの中食
 工場
に今日は来ている。

 私も数年間、変則勤務の工場の責任者をしていたからよくわかるの
 だが、現場の管理者は精神が休まるときがない。

 1日に3回注文が来て、それから数時間後には100%の数量の製
 品を納めなければならない。
 食品は前もって作っておくことができないから、生産開始の許容時
 間になると、あらかじめ予想した数量を作り始め、確定が出たとこ
 ろで数量の調整をするのだ。

 受注した数量よりも多く作ると、その材料費を工場が負担しなければならないし、廃棄するためのゴミが発生す
 ることになるから、短時間のうちに微妙な調整が必要となる。
 この工場には「納期」は存在しないし、今日の仕事を翌日に回すなんてこともできない。だから、現場は絶えず
 緊張感に満ちている。

 私は、会社員の時は自動車会社に「いじめられ」、今は中食工場に「鍛えられている」という表現をするが、当
 時と今とでの仕事に対する向き合い方の違いが、これでわかるというものだ。
 
5.1b
 ロシアによるウクライナ侵攻開始からマリウポリ壊滅までの20日間を記録し
 たドキュメンタリー。

 2022年2月、ロシアが
ウクライナ東部ドネツク州の都市マリウポリへの侵攻を
 開始した。
 
AP通信ウクライナ人記者ミスティスラフ・チェルノフは、取材のため仲間と
 共に現地へと向かう。

 ロシア軍の容赦ない攻撃により水や食糧の供給は途絶え、通信も遮断され、ま
 たたく間にマリウポリは孤立していく。
 海外メディアのほとんどが現地から撤退するなか、チェルノフたちはロシア軍
 に包囲された市内に留まり続け、戦火にさらされた人々の惨状を命がけで記録
 していく。

 やがて彼らは、滅びゆく
マリウポリの姿と凄惨な現実を世界に伝えるため、つ
 らい気持ちを抱きながらも市民たちを後に残し、
ウクライナ軍の援護によって
 市内から決死の脱出を図る。

 チェルノフが現地から配信したニュースや、彼の取材チームが撮影した戦時下
 の
マリウポリ市内の映像をもとに映画として完成させた。
 2024年・第96回アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞し、
ウクライ
 ナ
映画史上初のアカデミー賞受賞作となった。また、取材を敢行したAP通信にはピュリッツァー賞が授与されて
 いる。


 戦場の場面を撮っても、それを通信社に送る手段がない。
 マリウポリ守っている人たちに「世界に届けてくれ」と言われ、人道回路で脱出せざるを得なかったけれど、
 きっとそれは辛かったと思う。それほどAP通信社の記者は、マリウポリの兵士や住民と一体になっていた。

 あらかじめ予約をしておいたからよかったけれど、「TOHO シネマズ新宿」はほぼ満席だった。
 
5.1a


 もしかすると、エンドウを作っているのは、この初物の味噌汁
 の味と香りのためかもしれない。
 
 やがて慣れてしまうのか、こんなに特別な思いはしなくなるけ
 れど、自分で野菜を作っていれば、このような感動に出会うこ
 とができる。

 エンドウは、やがて食べきれなくなるくらい実るから、欲しい
 人は採りに来てくれればいいのだけれど。