足あと 爪あと 夢のあと 2018年 5月 |
5.31 | たぶん他人には気づかれていないと思うが、自分の中で気持ちがうつの状態になる ことがある。 昨日はISOの審査に立ち会ったのだけれど、そのあとはいつも気分がブルーになる。 そして「日高屋」で食べた「生姜焼き定食」のご飯が多くて、最後は残したけれど食 べ過ぎたみたいで、案の定、ホテルに帰った途端に下痢の症状だ。 私に自覚されるうつの状態は、いろいろなことが不安になり、なにもかもにやる気が わかなくなってしまうこと。ダラダラベッドに横になっていると、浅い眠りの中でとり とめのない夢を見ている。 今日は昼からの仕事だから、午前中はこうやって甘えていられるが、夜とのダブル ヘッダーが待ち構えているから、気力を振り絞って出かけていかなければ‥‥‥。 |
5.30 | 少し前から、「マイクロソフト」のパソコンの電源が入らないことが何回かあ った。そのときは、ディスプレイを取り外す動作をすると、そのあとに電源 が入るようになったから、きっと接触不良なのだろうと思っていた。 そして昨日、客先でどうやっても電源が入らなくなってしまった。メンテナン スをお願いしている先に電話をしたがどうすることもできなかったので、そ のあとこれを買った新宿の「ヤマダ電機」に持って行くことも考えて、スイッ チを何回もカチャカチャやっていたところ、急に電源が入った。 メンテナンスをお願いしている方は、「機械的な感じには思えない」という。 そして今日、調べた結果がメールで送られてきた。なんと、ネット上の「マ イクロソフト」のサポート情報に、電源が入らない場合の対処の仕方が載っていたのだ。つまり、私だけが遭遇した 問題ではないということだ。 今や、パソコンがない日常は考えられない。当面は、使わないときも電源を切らずに、ディスプレイを閉じたままの 状態にしておきます。 |
5.29b | 「光州事件」を知っているだろうか? 韓国で1980年5月17日の全斗煥らによる軍事クーデタと金大中の連行を機に、全羅 南道光州市を中心に起こった民衆蜂起。その背景には朴正煕政権以来の慶尚道重視 策による経済不均衡への不満があったとされる。 翌18日、光州での学生デモは戒厳軍に熾烈に弾圧され、市民も19日より合流,全羅 南道一帯に波及した。学生・市民らは〈市民軍〉を組織して武装闘争を展開し、戒厳軍 は21日に光州を封鎖。束の間〈解放期間〉を勝ち取った光州の民衆抗争は27日に鎮 圧され、逮捕者2200余名、死者193名(俗説では2000名)を出した。 (百科事典マイペディア) この作品は、「光州事件」を世界に伝えたドイツ人記者と、彼を事件の現場まで送り届 けたタクシー運転手の実話をベースに描かれたもの。 韓国で1200万人を動員する大ヒットを記録したというのも、うなづける内容だ。 |
5.29a | 女子プロレス界のエース・紫雷イオが29日、都内ホテルで会見し、本紙既報の通 り、6月17日の東京・後楽園ホール大会を最後に所属の「スターダム」を退団し、 世界の舞台に挑戦すると発表した。 日本ラストマッチとなる6・17後楽園大会では岩谷麻優との名コンビ「サンダーロッ ク」を1年7か月ぶりに復活させ、「大江戸隊」の花月、葉月組との対戦が決定。 (東スポWeb) 6・17後楽園大会、チケットがまだあるから、行きたいのはやまやまだけれど、さす がにそこまではできないかな? |
5.28c | ショックなニュースが飛び込んできた。スターダムの紫雷イオが、世界最大のプロレス 団体「WWE」に移籍してしまうというのだ。これからはスターダムの試合にも足を運ぼ うと思っていたのに、それをする意味がなくなってくる。 「東京スポーツ」の女子プロ大賞を、史上初となる3年連続で受賞していたというのに、 紫雷イオに興味を示すのが遅すぎた。 4月19日に、里村芽衣子と対戦した試合を、後楽園ホールに見に行った。それまで は、たまにテレビで見たイメージから、最近の女子プロレスは完全な「ショー」になって いると思っていたのに、スターダムの試合は、ストロングスタイルをベースにしていたも のだった。 23日の、東京・後楽園ホール大会で、挑戦者の渡辺桃(18)に敗れ、王座から陥落 したのは、このストーリーの延長線上にあったのだろう。 |
5.28b | 昔、お米の乾燥炉が設置されていた建屋の横に、ミョウガが生えている一 角がある。そこに、ミョウガがニョキニョキと芽を出し始めた。 今は食べられないこともないが、私はこのような「香(かおり)もの」が好き ではない。蕗(ふき)、独活(うど)、生姜(しょうが)、蕨(わらび)とい ったたぐいのものだ。若いときは、セロリも全く口にすることができなかっ た。 ミョウガは、やがてタケノコのような「花」が、地面から顔を出す。こっちの 方は、特に酢の物にしたものなんかは、今でも食べることができない。 |
5.28a | 自宅のすぐ下にある田んぼの、一番草を刈ったのは連休前のこと。 代掻きに間に合わせようとしたのだが、なかなかその作業にならないうち に、畦の草が伸びてしまっていた。 耕作をお願いしているお宅も、きっと手が回らなかったのだろう。 そして土曜日の朝、6時から草刈りをして、それを代掻き前の田んぼの中 に引き込んだ。 何というタイミングの良さだろう。その日のうちに代掻きがなされ、昨日い ちご狩りから帰ったら、もう田植えまで終わっていた。 |
5.27 | 「みはらしいちご園」の料金が安くなっていた。 小学生以上の1月が1,800円なのに対して、今は1,100円。それが理由なのか はわからないが、土・日は予約しておかないと入場できない状態だった。 私が住んでいる地区にあるいちご園は、「いちご狩り」をもうやっていないので、ここ を長女が予約しておいてくれた。 いちご園に行きたかった理由は、柊弥くんがいちごが大好物だったから、今日は直 接もいだものを食べて、大満足の様子。 我が家のチビたちも、お相伴にあずかりました。 |
5.26 | 金属製のゴミカキ(熊手)が壊れてしまったので、農協に買いに行った。 農機具全般に、ホームセンターで売っているものとは品質が全然違う。 そこで目に入ったのは、「日本製」という文字。こうやって表示しなければ ならないほど中国製の製品が多くて、「日本製」のものは安心できるとい うことだ。 値は少し張ったけれど、手作りの竹製のゴミカキというのが気に入った。 ただ、この芸術的なまでに見事に曲がった先っぽに草がたまってしまい、 使い勝手が悪い。だから、金属製のものをもう1本買うことになりそうだ。 |
5.25 | 13年前に建てた離れの温水器は、深夜料金を利用したものだった。 その温水器の部品が生産完了になってしまい、故障したらお風呂に入れ なくなるからと、ここでエコキュートのものに切り替えた。 これで電気料金が節約できるとの説明だったが、けっこう値段が張る設 備だから、電気料金が浮いた分を充当することで、まかなえるはずがな い。 去年の屋根と外壁の塗装、そして今年のエコキュートと、家屋を維持して 快適な日常を得るということは、かなり大変なことです。 |
5.24 | お客さんの希望をお聞きして、8月から12月までの、半年間の スケジュールが、大体確定した。 仕事を減らしたいという、贅沢だけれどかなり現実的な願望は、 あまり叶えられなかった。 7月に、1週間にわたって白内障の手術をすることもあり、今年 こそ行こうと思っていた、「東北三大祭り」を見に行く旅は、結局 実現させることはできない。 今年になってすぐ、駒ヶ根と伊那の旅行会社に、「東北三大祭 り」の商品が明らかになったら、知らせて欲しいと名刺を渡して おいたのに、未だに連絡がないのはどういうことだ。 |
5.23 | ここにきて、相次いで、私の窓口を担当してくれた二つの会社の社員の方が、それ ぞれ役員に昇進された。 もうかなり前になるけれど、違う会社でやっぱり役員になられた方が当時、「森田さ んは自分の手柄を立てたいのではないのですね」とおっしゃられた。これは、私に対 しての、最高の褒め言葉であると思ったものだ。 そう、私がきっかけとなって業績が向上した場合、その成果は社員の皆さんが享受 するべきものだというスタンスで、仕事に取り組んできた。労働条件が向上したり、 このように役員になる方が現れることだ。 この喜びをお二人と共有しながら、もう少しこの仕事を続けさせていただきます。 |
5.22 | 山崎努と樹木希林という、ともに日本映画界を代表するベテランが初共演を果たし、伝 説の画家・熊谷守一夫妻を演じた人間ドラマ。 30年間もの間、ほとんど家の外へ出ることなく庭の生命を見つめ描き続けたという熊 谷守一=モリのエピソードをベースに、晩年のある1日を、「モヒカン故郷に帰る」「横 道世之介」の沖田修一監督がフィクションとしてユーモラスに描いていく。 昭和49年の東京・池袋。守一が暮らす家の庭には草木が生い茂り、たくさんの虫や 猫が住み着いていた。それら生き物たちは守一の描く絵のモデルであり、じっと庭の 生命たちを眺めることが、30年以上にわたる守一の日課であった。 そして妻の秀子との2人で暮らす家には毎日のように来客が訪れる。守一を撮影する ことに情熱を傾ける若い写真家、守一に看板を描いてもらいたい温泉旅館の主人、隣 に暮らす佐伯さん夫婦、近所の人々、さらには得体の知れない男まで。老若男女が集 う熊谷家の茶の間はその日も、いつものようににぎやかだった。 (映画.com) 現在の作品ランキングは11位だというけれど、池袋の映画館はほぼ満席に近い状態だった。そしてそのほとんど は私と同じ年齢層。みんなにとって、一服の清涼剤になるような作品だったことだろう。 |
5.21b | 「西部ハイヤー」を電話で予約したら、「予約料が410円かかります がいいですか?」と言われた。こんなことを言われたのは初めてのこ とだ。 タクシーに乗ってから運転手に訊いたところ、4月から実施しているの だという。正確には「時間指定」の場合だという。 今日は、八王子駅から、30分後に金子駅に着く時間を告げただけのことだ。それだけで410円が追加されるとい う。 問題は、同じ地区を営業エリアとしている別のタクシー会社が、「時間指定」に料金を課していないことだ。二つの 会社の規模は全然違う。 価格は、サービスの付加価値に対して設定されているものだと思うから、サービスが伴っていれば納得することも できる。ところが、今に始まったことではないが、「西部ハイヤー」はとにかく電話が繋がらない。タクシーに乗る 都度、そのことは運転手に告げている。今日なんかは、32コールまで数えて、あきらめようと思ったところでやっ と繋がった。 この件は、どう考えても、「大企業」の思い上がりだとしか思えない。 |
5.21a | 毎週、月曜日は移動に充ているけれ ど、大谷の登板日と一致しているの でうれしい。 今朝も、録画しておいた試合の、大 谷が投球するイニングだけを抜粋し て見ていた。 大谷が8回途中で降板したので、ほ ぼ同時に録画をしていた、LPGA・キ ングスミル選手権に切り替えた。前 日まで畑岡奈紗が、1打差の2位に つけていたからだ。 それでもエンゼルスの試合の結果が気になってスマホを開いたところ、「畑岡奈紗 プレーオフで敗退」という記事が目に入ってしまった。 あのまま見ていれば、手に汗を握る展開だったのに、結果がわかってしまったらもう続けて見る気にはなれなかっ た。 |
5.20 | 今年も、水路沿いの隙間にコキ アを植え付けた。 苗を取るために、昨年の枯れ木 をまとめて置いておいたところ、 右の画像のように密集して生え るてきた。 これはこのままの状態で、大き くならずに成長していきます。 |
5.19 | ← 1週間ぶりの畑は、ごらんのような状態。 連休中に、草が全然ない状態にし たのにね。 今日と明日で、この草を取り切りま す。 野菜の整枝をした。 → 教科書の通りに、ナスは3本仕立 てで、キュウリは1本仕立て。 ピーマンは、一番果がまだできて いないので、後日の作業になる。 去年は成長が芳しくなかったけれど、今年は順調に育って欲しい。 |
5.18b | 今夜のNHKテレビ「チコちゃんに叱られる」の中では、日本人の7割は一 重まぶたで、「蒙古ヒダ」があることを説明していた。 「蒙古ヒダ」は、北方モンゴロイドが、寒さから眼を守るために発達したも のだという。 舜クンの目は、赤ちゃんの頃から形に特徴があって、これは何なのだろう と思っていたけれど、「蒙古ヒダ」だったんだ。 氷河期に、人類が生き残るために進化したDNAを、現代の世に伝えてく れていた。 そして「蒙古ヒダ」の多くは、加齢とともに減少していくということだ。 |
5.18a | 出口 あらためて整理すると、この「明治維新」という名の薩長革命の目 指したビジョンは、阿部正弘のグランドデザイン通り、開国・富国・強兵の順 番だったと思います。なぜ開国が最初に来るかといえば、近代産業国家を つくるために必要な化石燃料・鉄鉱石・ゴムという三要素がいずれも日本に は産しないからです。国内には資源がないのですから、国を開いて外国か ら輸入するしかありません。だから、まず第一に開国なんですね。 そして開国によって交易を行い、産業革命を起こして経済的に豊かになる。 これが二番目の富国です。富国がうまくいけば、軍隊を養う余裕もできると いうわけで、三番目に強兵が来るんですよ。開国なしに富国はかなわず、 富国なしで強兵はあり得ません。日露戦争までは、まあ、うまくいったんで す。 ところが日露戦争でぎりぎりの勝利を収めると、日本は第一のビジョンだっ た「開国」を捨て始めます。ロシアに勝って一等国の仲間入りを果たしたの だから、もう欧米にゴマをする必要はない、俺たちで独自に歩んでいけば いい、というわけです。 半藤 なるほど。開国を捨てると、幕末に脇に置いた攘夷が顔を出すわ けですね。 出口 はい。開国を捨ててしまったので、アメリカに石油を止められたら 備蓄が底をついてしまって、一日ごとに国力が弱くなるものだから、「もう一日も早く戦争をやるしかない」とい うむちゃな話になってしまったんですよ。 ですから、近代化の三つのカードのうち、開国という一番大切なカードを捨てたのが日本の間違いでした。その意味 で、日露戦争は重大な分岐点だったと僕は思うんです。 「明治維新とは何だったのか」 -世界史から考える 半藤一利・出口治明 祥伝社 からの抜粋です。 |
5.17 | 新宿の歌舞伎町は、たくさんの外国人の観光客を含め、夕方になると、ラッシュアワー 状態になる。 街角のあちこちからは、「客引きは違法です。ついていってはいけません」という意味の 放送が、かなり具体的な内容の説明を取り入れて流れている。 そして、「POLICE」のゼッケンをつけた警官と、緑のゼッケンをつけた区の職員が、頻繁 に巡回していた。 それに比べて私がよく宿泊する八王子の状態は相変わらずひどい。通行人よりも多い のではないかと思われるくらいの客引きを避けるために、道路をジグザグに歩いている ような状態だ。 前に一度八王子市役所にメールを送り、市長名で「改善する」との返事をもらったけれ ど、こんな状態が続いているようでは、もう一度アクションをとらなければならないだろ う。 |
5.16b | 見たい映画がなければ映画館に行かなければいいのに、ちょっと時間が空くと、ダラ ダラ過ごす自分が許せなくて、今夜も映画を見に行った。 こんなとき優先されるのは、どの作品の上映開始時間が今に近いかということ。それ が今夜は「モーリス・ゲーム」だった。 まあ、とにかく会話の場面ばかりで、そのスピードも速い。これは翻訳する人が手を焼 いただろうなと思いながら、それでもストーリーの展開の中に引き込まれていった。 来週からは、ぜひみたい日本映画が、何本も封切り(もう死語かな?)になる。 |
5.16a | 長男が、この春小学生になった。彼にとっては、大学生 が社会人になるのと同じくらい、生活は激変しただろう。 黄色い帽子をかぶり、まるで重いランドセルに背負われ ているような後ろ姿を玄関で見送る。 雰囲気が急に大人びたようになり、口答えも一丁前だ。 むっとすることも多いけれど、なんだか、寂しくもある。早 く大きくなってくれ!と叫びたくなった日々も確かにあっ たのに。 「ずっと甘えん坊でいてほしい」と思い、めそめそした日 々を過ごしていた最近、心に残った言葉がある。 一つは、入学式の時、校長先生が引用された言葉。 「赤ちゃんは、肌を離すな 幼児は肌を離して手を離すな 少 年は手を離して目を離すな 青年は目を離して心を離すな」。 小学生は少年期の始まりだ。当たり前のようにつな いでいた手が逞しくなってきたことに、そろそろ気づかないふりをするのはやめなくては。 もう一つは、アナウンス部の先輩が以前つぶやいた一言。「子育ては、壮大な別れの儀式」というもの。当時ショッ クすら受けたこの言葉の意味が、今はわかる気がする。 子供は、知らず知らずのうちに大きくなる。長い時間をかけて親は伴走し、声をからして応援し、いつか必ず、遠ざ かる背中を見送るのだ。それが子育てというものなんだなぁ。 「小町拝見 ~子離れの見えた春~」 杉上佐知枝(日本テレビアナウンサー) 「読売新聞」 5月15日の夕刊からいただきました。 |
5.15 | ホテルにチェックインし てメールを開いたら、ソ ニーストアからお知らせ が入っていた。 その内容は、「aiboの 特別抽選会に当選した というのだ。 昨年暮れに「aibo」が発売されて以来、抽選会があるたびに応募していたが、こ とごとくはずれていた。ネットを見ると、欲しくても手に入れられない人がたくさん いる。 そんな中で当選したのだから、すぐにでも購入手続きをしてよさそうなものだが、貧 乏性の私は、これから申し込み期限まで、どうしようかと悩み続けるのです。 |
5.14 | 日曜日の午前中から降り付いた雨は夜中に上がり今日は絶好の田植え 日和。耕作をお願いしてある家で、田植えをしてくれた。 自宅の西側にある、1枚で2アールの広い田んぼの、自宅で耕作してい るときの機械による田植えは、全部私が担当した。 当時は4条植えの田植え機で、端から端まで曲がらないように行くのに、 ずいぶん神経を使ったことを覚えている。 今の田植え機は何条植えなのかわからないが、見ている間に完了してし まった。 |
5.13b | 土曜日の朝の味噌汁に、エンドウが少しだけ入っていました。初物です。 味噌汁の匂いを嗅げば分かるほど風味が強く、味噌汁に染み出た味は、 もう表現する言葉がみつからないほどの美味です。 ただエンドウの欠点は、収穫時期が短いこと。これだけたくさんの花が咲 いていると、あと1週間が収穫のピークで、それを過ぎると花が着かなく なり、したがって実も採れなくなってしまいます。 |
5.13a | 西駒ヶ岳に、「島田娘」がくっきり浮か び上がっている。 まだ気象予報がおぼつかなかった頃 は、山の雪形が現れるを見て、農作 業のタイミングを判断していたという。 「島田娘」は島田髷を結った女の人の 横顔に似ているのが名前の由来です。 |
5.12b | 「ふるさとの丘」は、「鬼ツツジ(たぶん)」が見頃。 今日は、みんなで「きりの実」にお昼ご飯を食べに行ったけれど、そのと きにカメラを持って行かなかったので、家に一度帰ってから、そのツツジ を撮影するために出かけていった。 あとで写真を見たら、まだ満開ではなくて、五分咲きくらいだ。 |
5.12a | 春の作業の中で、いちばん手を焼くのが、トマトの畝(うね)を覆うビニー ルハウスを作ること。 去年は、パイプを埋めるための穴を空けるのに苦労した。だから今年は、 穴開け専用の20ミリ径の金属棒を用意し、空ける深さも10センチ浅くし て、20センチだけパイプを埋めればいいようにした。 それだけでも効率ははるかに向上したのだが、1年も経つと、細かいとこ ろをすっかり忘れているので、やっぱり流れるようにはいかなかった。 |
5.11 | 加藤登紀子は第二次世界大戦の終わる1年8カ月前に中国のハルビン市で生まれた。 多くのロシア人の音楽を聴いて育ち、戦後の混乱を生き抜いた母、兄、姉と共に日本 に引き揚げた。 東大在学中に歌手デビュー、1968年卒業の時、卒業 式をボイコットした学生たちに加わってデモに参加。当 時の学生運動のリーダーだった藤本敏夫と出逢い、人 生を共にした。 2018年は、世界がベトナム反戦や民主化で揺れた 68年から半世紀。本書は加藤登紀子自身が、出生か ら、引き揚げ、歌手デビュー、結婚、現在に至るまでの 波乱の人生を、歌との出会いを通して描く書き下ろし自 伝。 (朝日新聞出版) 彼女のコンサート、夏の日比谷野外、暮れの日劇での「ほろ酔いコンサート」に、毎年行っていた時期があった。 この何年間は、彼女に対する情熱を失っていたが、この自伝を読んでまた気持ちがカムバックもよう。 彼女のアルバムは断片的にしか持っていなかったから、これを機会に、書籍と同期を取るかたちで発売されたアル バムを注文しました。 |
5.10 | 私の子供の頃は、劣等感のかたまりだった。それは、どうしようもないくらい、運動神 経が鈍かったからだ。 小学校の運動会のかけっこでは、6年間いつもビリだった。あるときなんか、私の前を 走っていた人が転び、いったんはその人を追い抜いたのに、ゴールにたどり着く前に また抜き返されるという有様だった。 体育の授業のときの走り高跳びで、私と同じ高さしか跳べなかった人がひとりいた が、その人の名前を覚えているくらい、強烈な劣等感をいつも抱いていた。 休み時間に廊下で行われた卓球では、列に並んではいたが、順番になる前に気が つかれないように抜け出し、またいちばん後ろに並び直すというひどさだ。みんなの 笑いものになりたくなかった。 このような劣等感が、私の人格形成にも大きな影響を与えていると思う。だから、どこ かゆがんでしまっている私の性格を、自分では十分すぎるくらい自覚している。 |
5.9 | 高崎線の、上りの上野東京ラインの、グリーン車に乗っていた。 熊谷から乗り込んできた4人のサラリーマン風の若者は、座席を向かい合 わせにして、車内販売で購入したビールや酎ハイを飲み始めた。 まあここまではいい。 電車が上野に着くという車内放送があって、4人は出口に向かって行った が、向かい合わせにした座席や、倒したシートを元に戻そうとしなかった。 それを見かねた私は、自分でその場まで行って、座席とシートを元に戻し た。 それに気がついた若者たちは、それぞれが「すみません」と私に向かって 言ったが、もしこれが口頭による注意だったなら、どうなっていただろうか。 |
5.8 | 「やってはいけないこと」は、子供のうちから厳しく教えるべきだと強く思う。 たとえば授業中におしゃぺりしたり、騒いだりは、「やってはいけないこと」なのだ。そ れは「個人の自由」だの「生徒の人権」だのではない。昭和では水入りバケツを持た せて、廊下に立たせるという罰を与えられたことなのである。 さりとて今再び、その「体罰」を復活させるわけにはいかない。ただ、何もかもに人権 があてはまるわけではないと、きちんと教える必要がある。 私はかつて、私立の一流大学で2コマだけ特別講義をしたことがある。この時、学生 のあまりの態度の悪さにガク然とした。 私語、遅刻はむろんのこと、授業中に後部ドアから堂々と出て行く。パソコンを開いて ゲームである。さらに驚いたのは、平然とカップ麺や弁当を食べている。授業中であ る。一流大学の学生である。 いつもの私なら怒鳴った。が、そうしなかった。私を招いた教授が困るだろうと思ったからである。 講義終了後、私は怒りを抑えて、教授に「ここの学生はこのレベルか」と問うた。すると、思いもかけぬ答えが返っ て来た。キャンバスが広くて昼食後に移動するには時間がかかる。そのため、午後一番の授業では遅刻も食事も 許しているというのだ。あきれて声もなかった。 もしも、学生たちが小学生の頃から立たされたり叱られたりという経験をしていれば、こうはならなかったのではな いか。 もっとも、立たされて育った年代の教授たちがあの甘さだ。効果はないということか。 「暖簾にひじ鉄」 ~廊下に立ってろツ!~ 内舘牧子 「週刊朝日」 5月18日号からいただきました。 |
5.7 | 大谷が登板したマリナーズ戦は、朝5時からテレビ中継された。もちろん そんな時間に見ることは困難だから、録画しておいたものを全イニングに わたって見た。 大リーグ恒例の「セブンス・イニング・ストレッチ」で間延びした感じにな り、そのあと失点してしまったけれど、大方の予想をはるかに上回る投 球内容で、改めてその実力を世界に示した感じだ。 次の登板予定も、順調にいけば月曜日になりそうなので、もしかしたら見 ることができるかもしれない。 |
5.6b | 連休最終日の「ふるさとの丘」。 同じようなことを何回も書きますが、都会でこれだけの場所があったら、連 休なんかは大混雑だろうに、信州においてはあたり前の景色のようで、人 影もまばらです。 途中雨も降ったけれど、概ね好天気に恵まれた、今年のゴールデンウイ ークでした。 |
5.6a | 昨日の「こどもの日」に間に合わなかった画 像2点。 「モテモテくん」は、 兜を被るといっそう凜々 しくなります。 柊弥クンは好奇心旺盛で、見るものを手当 たり次第に触ろうとするので、ひとときも目を 離せません。 |
5.5 こどもの日 |
遅まきながら、琉クンが最近自転車に乗れるようになって、舜クンは足こぎ だけれど、スピードは負けていません。 寒いときはもちろんのこと、暖かくなっても室内でゲームをしていることが多 いけれど、自転車に二人で乗れるようになったから、外に出ることが増えそ うです。 自宅のまわりは自動車が通るのが少ないから、自転車に乗るのには絶好 の環境です。動画「こどもの日の自転車」を、YouTube にアップしました。 |
5.4b みどりの日 |
田んぼの土手の草を刈ったあと、まだ青いその草を集めて堆肥にすべく、枠の中に入れ ていった。いちばん草はまだ弱々しくて、枯れてしまうと集めにくくなるからだ。 そんな作業の、ふとした拍子に足を踏み外して、左の足首から、「グキッ!」という大きな 音がした。その瞬間、これは大怪我をしたと思った。 でも普通に歩けたので、そのまま作業を続けたが、夜お風呂に入ったときに見たら、左足 のくるぶしに近い甲の部分が、醜く腫れていた。 痛みはないけれど、だんだん普通に歩くのが辛くなっている。この連休は動き回っていた から、明日は静養日にしようかなどと思っているけれど、朝になってからどうしようか考えよ う。 |
5.4a みどりの日 |
種芋から出てきた芽を、2本にするようにと野菜作りの「教科書」に書いて あるから、毎年このくらいの大きさになったときに、余分な芽をもいでいる。 今年は、雨が降るのが分かっていたから、そのあとにしようと思った。 多いものでは8本もの芽が出ているから、「ごめんね」 と心の中でつぶや きながら、同時に土寄せも行った。 そして思ったのは、北海道の大きなジャガイモ畑でも、この作業をやって いるのだろうかということ。もしかしたら、そんなたいへんなことが行われ ているのかもしれない。 野菜作りというのは、奥が深いです。 |
5.3 憲法記念日 |
何十年ぶりかに、馬見塚のお祭りに行った。正確には、馬見塚(蚕玉神 社)祭典と言います。 子供のころは、近所に親戚があったこともあり、祖母に連れられて毎年の ように行っていました。 強烈に目に焼き付いているのは、全身白衣に身を包んだ、「傷痍軍人」が 入り口に立っていたことです。 今の人に言っても何のことか分からないと思いますが、戦争が終わって、 まだ少しの日にちしか経っていなかったのです。 |
5.2 | 保育園に舜クンをお迎えに行く途中で、下校してきた琉クンを拾った。 琉クンは友達が家に遊びに来るのだという。そしてそれは女の子だった。 舜クンはお友達の家に遊びに行くと言って、その女の子のお母さんの車 に乗って行った。 1時間ほど経って迎えに行った舜クンは車の中で、さくらちゃんや、かりん ちゃんや、ひよりちゃんから、「モテモテくん」と呼ばれていると話してくれ た。 ふたりとも、だんだん「お年頃」になっていきます。 |
5.2a | エンドウが、花をつけ始めました。 こうなると、実が採れるときがすぐにやってきます。 今年の連休は仕事を入れずに、畑や田んぼの作業に精を出しました。 あと残っているのは、トマトを覆うビニールハウスを作るのと、もう少し草 が伸びたところで、田んぼの土手の草を刈ることくらいです。 畑は、「ほぼ完璧」な状態になって、草1本生えていません。 ただ、今日から明日にかけての雨で、草たちも盛り返すことでしょう。この せめぎ合いは、このまま初冬まで続きます。 |
5.1 | 去年のうちに選定され、多くの 枝がなくなった柏の木ですが、 何事もなかったかのように芽吹 きました。 残雪の中央アルプスと、鯉のぼ りと、若芽。 一年のうちでも最も鮮やかな風 景の、自宅まわりです。 |