あと あと のあと 2018年12月

12.31
 少し前に行った「超音波骨密度測定」では、同年齢比較で111.4%だった。
 通院した科医の科衛生士さんは、「年齢の割にはがしっかりしています」とおっしゃ
 られた。
 大宮の整体治療院では、施術したあとに年齢を当ててもらったところ、62歳とのことだっ
 た。
 精神年齢だけでなく、身体もまだ若いということになるのでしょうか?
 今年は体調が悪くなることが多く、それは年末の今も続いているけれど、もう少しは頑張れ
 そうです。
 今年一年、たいへんお世話になりました。皆さま方にとりまして、新しい年が素晴らしいでありますよう
 に。
12.30
 「イノシシ」に降参しました

 夫は
亥(い)年生まれ。在職中は仕事人間で気づかなか
 ったが、定年で家にいると「
イノシシ」のごとく決して
 後ろを振り向かない。
 テレビや電気はつけっ放し、物を出したら引き出しは開けたまま。植木に水をやってくれるのはいいが水道は
 出しっ放し。道路に流れ出して近所の方から何度笑われたことか。
 何もしないでいいから動くなと何度ケンカになったやら。本人いわく「俺は常に次のことを考えているから、
 即行動に移したい」。 年金生活の光熱費は頭が痛い。
 娘は「お願いだからお父さんを置いて逝かないで」。でもそういう彼女も似たような婿殿を……。
 もうすぐ
亥年。今年で闘いはやめよう。「見ない。言わない。シラナイ!」。悔しいけれど諦めよう。
                                (山口県、伊達玲子、主婦、66歳) 
 「毎日新聞」  12月30日号からいただきました。
 
12.29
 松本の弟のところへ、チビたちとお餅などを届けた帰りに、塩尻の「
 康ランド
」に寄った。そこはもう新年の装いだった。

 なぜ「
健康ランド」かということだが、ポーカーにジョーカーを入れ始
 めたところ「インフレ状態」になり、「ファイブカード」等が出現する
 ことになった。
 そして、「ロイヤルストーレートフラッシュ」が出たら「かっぱ寿司」
 に行く約束が、いつの間にか「
温泉」になっていたからだ。

 お湯の「ジェット水流」に、背中や腰の
痛いところを当てて暖まっていたところ、痛みが少し引いたような気
 がした。ところが家に帰ったら、「もみ返し」みたいな状態になり、さらに
痛みが増してしまった。
 でもこれは回復する兆候で、もう一晩寝ると、ギックリ腰はよくなっているかもしれない。
 

12.28
 穴だらけになっていた、私の寝室の縁側の障子

 なぜ穴が開くかというと、寝相の悪いチビたちがお泊まりに来るから。
 だから今度は、ベッドの横に化粧板のベニヤ板を立てて、張り替えた
 ばかりの
障子を防御します。

 火曜日の、家を出る前に古い紙を剥がしたのですが、うまく剥がれませ
 んでした。
 それは前回、化学
を使ったためだったので、今回は、小麦粉を煮て
 にしたものを使ったわけです。
 
障子張りは、結構神経を使う作業でした。 
  
12.27b  
 ぎっくり腰とインプラントのオペのダメージの影響で、この2日間は辛かった。

 新宿発17時のあずさに乗ることができたので、家には21時前に着いた。
 伊北インター付近では雪がちらつき、駒ヶ根は突風が吹き荒れていた。
 さて
お風呂に入ろうかと思ったが、湯船を洗ってない。とにかく我が家の「人た
 ち」は
お風呂を洗うことをしない。

 私なんか、1日でも
お風呂に入らないと、気持ち悪くて寝付くことができないの
 に。
 仕方がないのでそれから
お風呂を洗って、湯船にお湯をためたわけだが、このよ
 うに元からの感性が食い違ってしまっているのはどうしようもない。

 そんなわけで、世間より一日早い、今年の
仕事納めでした。 
 
12.27a  
     男は思った。寒いな。
    女は思った、寒いわ。

    彼女はこんな格好で大丈夫なんだろうか…
    全身が凍えそうなほど寒いわ…

    コートを貸すべきだろうか。
    コートを貸してくれないかしら。

    そっと肩にかけてみようか。
    無言でかけてくれたら素敵なのに。

    だがそんなキザな真似をして、ひかれたらどうする。
                     はやくかけて。

 総武線の車内で見かけた、        女性のコーディネートには、ポリシーがあるものだし。
 「パートナーエージェント」の      はやく。
 宣伝広告でした。
                     気遣いができたぞ。と男は思った。
                     気が利かないわね。と女は思った。

12.26  
 「いいかい明日香ちゃん。わかっていないようだから教えてあげる。クリエーター
 って人種は、その何倍も残酷な秤(はかり)で価値を測られる。持っているか、いな
 いか。一かゼロの世界だ。明日香ちゃんだって、とっくにわかっているはずだろ?」

 「そう‥‥そうですね。そうかもしれません」
 「自分を信じ、ただ愚直に、ぎりぎりまで思想を
研ぎ続ける奴だけが生き残る。何の
 責任もない他人の声にいちいち心を揺らすのは、その孤独を
引き受ける覚悟が足りな
 いってことだよ。そんなつまらない言葉に惑わず、自分の作品を追求しなさい」

 強く迷いのない口調で言い切られ、きりきりと張りつめていた頭の緊張が和らぐのを
 感じた。社会人としても
クリエーターとしても、私よりずっと長く生き残ってきた男
 性に道を示されるとほっとする。力強くて正しいものに守られている気分だ。


           「不在」  採瀬まる   角川書店  からの抜粋です。
  

12.25
 ビーバーのように、大きな前が2本揃っている人がうらやましかった。
 というのは、私の前
並びが悪く、1本は後ろに、もう一本は前に、それぞ
 れ突き出して生えてきた。
 
 後ろに生えたやつはもう何年も前に抜いてしまったが、前に斜めに突き出したや
 つは
そのままにしていたので、いつも気になっていた。
 そのは、2年前くらい前に「生活反応」がなくなったので、神経を抜いてしま
 っていたが、ここにきてぐらぐらし始めた。そして、根元のあたりが疼くように
 なった。

 前がないというのもみっともないので、どうしようかと考えていたところ、
 ンプラント
の処置をすることにより、まわりのともバランスをとることができると、かかりつけの科医に
 提案された。北川景子の症例が、学会で発表されているという。

 そして今日、7本目のインプラントのオペがあった。年金生活になればこんなことはできないけれど、まだ働
 いているし、前だからまあいいかと、提案されたときにオペをすることを決めた。その場に立ち会ったほか
 の医師たちは、「決断」の早さに驚いていらした。

 15時30分に始まったオペは2時間で終わり、茅野駅19時05分発のあずさに飛び乗ったところ。茨城県
 の土浦に着くのは23時過ぎになるけれど、これも予定の行動です。
  
12.24

クリスマスイブ

 WOWOWで放送されたのを録画してあった「スリー・ビルボード」を、
 自宅のテレビで見た。この作品は、
タイミングが合わずに見逃してしま
 っていたもの。

 これだけテレビで放映されるのが早いと、鑑賞料金を払ってわざわざ
 画
館に足を運ぼうという気持ちが薄れてしまうではないか。
 ただ、自宅での2時間余を、何も雑音が入らない状態で過ごすというの
 はほぼ無理なこと。

 今日も、ヘッドホンをつけて見始めたのだが、途中で来訪者が2件あっ
 た。
 だから、ストーリーに完全に入り込めない状態のままだった。 やはり、映画館という隔離された空間は、そ
 れなりに意味のある場所だ。 
 
12 23
 家族揃っての餅つき大会。

 じいじは、臼を一輪車に乗せようとしたときに、ぎっくり腰になってし
 まいました。
 去年までできていたことが今年はできず、前屈みになれない状態です。
 下手をすると圧迫骨折しかねないから、気をつけなければなりません。

 明日は、完全静養日に充てます。 
12.22b  
 石垣島(八重島群島)で撮影し
 た画像をようやくまとめ、Gallery
 にアップしました。
 今まで時間がかかったのは、優
 先順位が上位ではなかったから
 です。
 ということは、少し落ち着いたと
 いうことです。
12.22a
 冬至といえば、カボチャとゆず
 呂。
 冬至は、1年で最も日が短く、太
 陽が生まれ変わると考えるため、
 運が上昇してくる日とされていま
 す。
 運を呼びこむ前に厄払いするた
 めの(みそぎ)がゆず風呂です。
 
12 .21
 福岡県に住んでいる製本のお師匠さんと、電話で話しをしているとき、「森
 田さんはしたたかに生きていますね」とおっしゃられた。
 私自身「したたか」な生き方とはほど遠いと思っていたから、その言葉がす
 ーっと心の中に入ってこなかった。

 私なんて、打たれ弱いし、気が小さいし、すぐにブルーになってしまう。だ
 から、「したたかさ」なんてものの欠片もないと思っている。 

 ちなみに、「したたか」の意味は、「粘り強くて、他からの圧力になかなか屈しないさま」だという。
 粘り強いと見えるのは、臆病さの裏返しだし、他からの圧力は真正面から受け止めていない。人見知りで、引
 っ込み思案で、対人関係を築くことが苦手なのは、幼いときからずっと変わっていない。だから皆さん、勘違
 いをしていると思うよ。 
 
12.20
 今週の「週刊朝日」は特集。
 こんなことは初めてのこと。

 表紙やグラビアはもちろんのこと、記事やエッセイまで、どこかこうか
に絡んだ
 内容になっている。
 あの「
田原総一朗のギロン堂」にさえ、編集者からを入れるよう要請があったと
 書かれているし、実際に「」という言葉が登場する。

 以前私は、週刊誌の全記事を読まなければならないという姿勢だったが、最近は興
 味のあるものだけ読むようにしている。
 それでも、がテーマになってしまうと、読みたいものがなくなってくる。
 別にが嫌いなわけではないけれどね。 
12.19b
 「大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ、そのできる範囲で、言
 ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。(中略)そういう形で行うのが本来の姿
 ではないかと思います(後略)」                (秋篠宮)


 秋篠宮は「大嘗祭は大事だ!」と断られながら、あえて「政教分離の大原則」を尊
 重された。
 なぜ、そこまで踏み込まれたのか?それは「時の権力」が天皇家の宗教行事を勝手
 に利用する気配があるからだ。

 時の権力は「天皇のため」という掛け声で侵略戦争に夢中になり、日本は敗北し
 た。
 
秋篠宮は「天皇家が二度と大日本主義に利用されてはいけない」と思われたのだろ
 う。
 「例外」云々の憲法解釈より、もっと深い、重い、問題提起なのだ。


 2018年も「極右の勢い」が収まらなかった。
 かつて、閣僚経験もある自民党衆院議員が「国民主権・基本的人権・平和主義、これをなくさなければ、自主
 憲法ではない!」と演説し、喝采を浴びたのを覚えている。最近も「国のために命を捧げる覚悟を!」と叫ぶ
 女性議員が自民党の要職に就いている。
 天皇家はこの「全体主義、大日本主義の台頭」に危機感を抱いていらっしゃる。だから、天皇は「おことば」
 という柔らかい形で、国民に警告されている。天皇、皇后、皇太子に代わって、
秋篠宮が具体的に問題提起さ
 れたのだろう。
 
      「牧太郎の青い空白い雲」  サンデー毎日  2018.12.30号 からの抜き取りです。
 
12.19a  
 東京都内で上映されているのは2館だけ、それも一日に2回だけの上映だったけ
 れど、思ったよりも多くの観客が足を運んでいた。

 そんな映画館にわざわざ出かけていったのは、岸部一徳さんが主演をしていたか
 らだ。タイガース時代からの、私の一方的な繋がりである。

 ところがまあ、全編を通して暗い雰囲気が漂っており、後味はあまりよくなかっ
 た。 長男が自殺するところや、家族がそれを発見する場面なんか、目をつむっ
 ていたくらいだ。

 「ユーモアを交えてあたたかく描いたドラマ」というのが作品の紹介文句だった
 が、ユーモアを感じる場面はなかった。  
12.18b

 
さいたま新都心駅に隣接する「けやき広場」。

 この時期、どこに行ってもイルミネーションに出会えます。
 
12.18a  
 年収200万円でも「150万円あれば十分幸せ」という人なら、この人は
 満ち足りた人生を過ごしているだけでなく貯金もできてしまう。でも年収
 10億円でも「15億円ないと困る」という人は、絶えず金が足りないと不
 満に思って生きていかなければならない。

 で、どちらが幸せなのでしょう。誠に人の
とは恐ろしき。逮捕されなか
 ったとしても、
に飲まれていたゴーン前会長の人生は既に餓鬼地獄であっ
 たと思うのです。

 今ゴーン前会長は東京拘置所の3畳一間の空間で、麦飯を食べ、
自由に寝転
 がることも許されず、海外メディアなどではその「不
自由な待遇」が注目さ
 れているとか。その議論の是非は別として、
自由とは一体何なのでしょう。
 世界各地に豪邸を持っていれば
自由なのか。そうじゃないと思うのです。

 
自由とは、「足りている」と感じる心の有り様なのではないでしょうか。現
 在のミニマムすぎる拘置所生活に満足できる心を手に入れることができれば、
 その人は永遠に
自由です。その意味で、ゴーン前会長は今、人生のとてつも
 ないチャンスを手にしているかもしれないと思うのです。


       「稲垣えみ子のアフロ画像」  AERA 2018.12.24号からの抜粋です。 

12.17b
 昨夜の「ラジオでナイト」の放送で、来年のコンサートの日程が発表された。

   5月23日(木) 千葉 市川市文化会館 大ホール 
   5月28日(火) 栃木 宇都宮市文化会館 大ホール 
   6月 4日(火) 東京国際フォーラム ホールA
   6月12日(水) 静岡 アクトシティ浜松 大ホール 
   6月19日(水) 名古屋国際会議場センチュリーホール 
   6月26日(水) 埼玉 大宮ソニックシティ 大ホール 
   7月 3日(水) パシフィコ横浜 国立大ホール


 6月いっぱいまで仕事のスケジュールが詰まっているから、日程が合うかどうかだ
 ったが、東京や横浜は大丈夫そうだ。
 さああとは、チケットを取れるかどうかだ。 最終的には、名古屋でも浜松でも飛んでいきます! 

12.17a
 帯状疱疹は、「帯状」にはならずに、一部分だけ発生した発疹が、広が
 らずにだいたい収まってきている。

 今日通院したかかりつけ医の診断では、もう瘡蓋(かさぶた)になって
 いるから、治療は必要ないとのことだった。
 まだ痛みが残っているので、もう少しを飲みたいと希望したが、今回
 処方してもらった抗生物質は、7日分しか出せないとのことだった。

 このあたりが法の抜け道で、別の病院に重複してかかれば、は倍の量
 を手に入れることが可能だ。現に私の知り合いなんか、4つの病院を掛け
 持ちして、睡眠導入剤を法の4倍も手に入れ、それを飲んでいる。
 
12.16  
 よく、「忙しそうですね」と言われるけれど、私は「忙しい」という言葉を
 使わない。
 なぜならば、多くはそのあとに、「忙しいからできない」とか、「忙しい
 らだめだとかいったふうに、否定的な意味合いで使われるからだ。

 本当に
忙しい人なんか、そんなことを言う前に、どう対応するかを考えよう
 としている。
だから私は、「少し時間が足りない」といったような表現をす
 る。
 今日なんか、やらなければいけないことがたくさんあったので、どれから手
 をつけたらいいのかをリストにしてみた。

 優先順位としては、明日からの仕事に必要なこと、そして年賀状作成などの
 「締め切り」に追われているもの、そして私以外の人に影響を与えるものな
 どから、順々に手をつけ始めた。
 昼休みもとらずに動き回ったけれど、結局、窓拭きにまでは手が回らなかった。

12.15  
 先週の土日と今日で、庭屋さんが剪定をしたあとに出た、おびただしい
 量の枝や葉を
却した。
 本当はもっと乾燥させた方が
えがいいのだけれど、どうしても今年中
 に片付けたかったから、まだ緑の葉っぱも無理して
やしてしまった。
 私の住んでいるところは田舎で、まだこうやって
を焚くことができる
 けれど、市街地に行くとこんなことは許容されない。

 いろいろなことを土日で処理しなければならないので、今朝はまだ寒い
 8時前から外に出た。
のそばにいたから煙で蒸されたらしく、顔がヒ
 リヒリするし、衣類にしみこんだ匂いが抜けない。そしてまだ買ったばか
 りの、化学繊維の作業用ブルゾンが、
の粉で穴だらけになってしまった。

12.14
 昨夜は、「東横イン津田沼駅北口」に宿泊した。
 部屋のドアを開けて中に入ったのだが、どこか雰囲気が違う。それ
 は、ベッドの色がいつも茶色なのに、それが真っ白だったことだ。

 定宿にしている「
東横イン」に対する不満はふつたあった。ひとつ
 はお湯を出そうと思っても、いつまでも水が出ていて温かくならな
 いこと。そしてもうひとつは、ベッドメイキングの状態だった。
 いつもは、上掛けの
シーツを、掛け布団の下から巻いてあるだけだ
 から、寝返りを続けているとずれてしまっていたのだ。

 ところが今回のものは、きちんと
カバーに収納されている。フロントに訊いたところ、今後はこの方法に統一
 されるとのことだった。

 
12.13
  昨日の朝日新聞の夕刊に、が温泉に入っている画像が載っていた。
  北海道函館市の市熱帯植物園で
の温泉入浴が始まり、気持ちよさそう
 に湯につかっている様子だという。

  その湯は、近くにある湯の川温泉からの「掛け流し」で、温度は40度
 ほ ど。同園によると、
は基本的に水に入るのを好まないが、冷え込み
 が 厳しくなるにつれて、体を温めようと長湯する
もいるという。

  このような画像を見ていつも感じるのは、
にはバスタオルがないか
 ら、 湯から出るときに身体を拭くことができず、それだと湯冷めをして
 余計に 寒いのではないかという疑問だ。そんな私の心配をよそに、
たちの表情は満足そうだ。
 
12.12
 野球部の先輩に大沢親分こと大沢啓二さんがいらした。生前、親分は私
 を見て、
 「野球部にいた君が、小説家か・・・・・・」
 と首を捻っておられた。気っ風が良くて優しい先輩だったが、野球部員
 と小説家が最後までつながらない様子だった。
 その点、
長嶋監督はあざやかだった。
 「先生(私のことですぞ)は小説家で、大学の野球部、ハイッ」
 娘の
三奈さんは大の野球好きだから、
 「そんなことがあるんですね。不思議」と可愛く笑っていらした。


 
私も電車では少し高い料金の席を取ってもらって仙台に帰る。その折、
 どうしてこんな
若い者が高額な席に、平然と乗り、しかも足を投げ出
 し、ゲームを夢中でやっているのかわけがわからない、縛り付けてデッ
 キに吊したい気持ちになる。しかしそういう
若君はどうして揃いも揃っ
 て、バカ面なんだろうか?
 --こっちは金を出して乗ってんだ。何か文句があるか?
 ありますナ。そこは金だけ出して座る席じゃないんだ。恥を知れ、バカ
 モン。


 
安倍総理との食事会に遅れそうになって料亭へ駆け込もうとすると、
 SPに、ここはダメだ、と止められ、あわてて下足番の男が飛んで来て、
 その人が伊集院先生です、と言われた。
 --ワシはいったいどんな人間に見えているんだろうか・・・・・・。
 開口一番
総理に訊かれた。 「麻雀に必勝法はあるんですか?」
 「・・・・・・」

 プロレスラーのオカダ・カズチカさんとも逢った。こんなにハンサムなプロレスラーがいるのか、とあらため
 て、大きな身体と、新宿二丁目あたりではきっと放してくれそうにない艶っぽい瞳を見ながら対談した。
 ゼニの雨を降らせるそうで、本当なら傘を逆さにしてリングに上がりたいものだ。

        「誰かを幸せにするために」  伊集院 静 著   講談社  からの拾い読みです。 
12.11 
 地方のローカル線を舞台に鉄道にまつわる人々の人生をつづったヒューマンドラマ
 「RAILWAYS」シリーズ第3作。有村架純が鉄道の
運転士を目指すシングルマザー
 の女性を演じる。

 夫を突然亡くしてしまった奥薗晶は残された夫の連れ子を抱え、夫の故郷である鹿
 児島県に住む義父・節夫に会いに行く。鉄道の
運転士で、妻に先立たれて1人で暮
 らす節夫は、長い間疎遠だった息子の死、さらに初めて会う息子の嫁、そして孫の
 存在に困惑する。しかし、行くあてがないという2人を鹿児島の家に住まわすこと
 を渋々認め、3人の共同生活がスタートする。

 生活のため仕事を探していた晶は、節夫と同じ肥薩おれんじ鉄道の
運転士試験を受
 けることを決意する。
運転士という仕事は亡くなった修平の子どもの頃の夢でもあ
 った。
                         (映画 . com) 

 仕事が終わり、新幹線で移動して、ホテルにチェックインして、そのままベットに
 横になればやがて朝になるのに、わざわざ映画館に出かけていくという、困った習性の持ち主なのです。
 
12.10  
  今朝、庭先にできていた霜柱
 左の画像なんか、白いお菓子が落
 ちているのではないかと思い、触
 ってみたくらいです。
 この寒さは、石垣島帰りの身には
 ことさら厳しく、まだ暖かいうち
 に、外仕事が片付いてよかったと
 思っています。
12.9b
 日曜日が定休日なのに、私たちのために、「よっちゃん」が店を開けて
 くれました。
 弟夫婦も加わって、焼き鳥ばかりでなく、刺身からローメンまでのフル
 コースをご馳走になったところです。
 画像は、マスターとそのお父さん。焼き鳥屋さんの雰囲気そのもので
 す。 
12.9a  
 今日は、この甘柿の木を剪定する予定だった。
 てっぺんのところまで届かずに、実を取れなくなっているので、すいす
 いとのびた部分を切って、もっと横に広がるようにしたかった。

 ところが、朝見たところ、雀がたくさん飛んできて、柿の実をついばん
 でいた。そうだ、雀たちの冬の食料になっていたのだ。
 だから、来年まで、剪定するのを止めました。 
12.8  
 まるで春みたいな光景ですが、紛れもなく今日撮影したものです。
 中央アルプスは冠雪して白くなっているのに、何を考えているのか、こ
 のの木は満開状態です。

 9月15日にブログで取り上げた木とは別のもので、毎年この時期に何
 かしらの花をつけるのですが、今年は木全体にを咲かせています。
 暖かいということもあるのでしょうが、この桜の木がそもそも備えてい
 た季節対応かもしれません。
12.7c
 白菜を収穫した。
 種を蒔くときに、収穫時期の違う60日70日80日の3種類を蒔
 いたのですが、その違いは現れずに、むしろ80日の方が早く成長した
 くらいでした。
 このまま1週間くらい乾燥させてから、新聞紙に包んで、発泡スチロー
 ルの箱に入れて保管します。
 これだけの量をとても食べきれるわけではないので、春先になると腐っ
 てしまうのは致し方ありません。 
12.7b  
 10日程前から、右の脇の下が。貼り薬を貼ってみたが、剥がすときにはよけいに
 
のでそのままにしておいた。
 本人の診断は「肋間神経痛」で、暖かいところに行けばが和らぐのではと思ってい
 たが、石垣島でもずっとかった。
 そして今日、かかりつけ医に月に一回の定期検診に行ったところ、本人は全然気が付か
 なかったけれど、少し湿疹が出ていて、「帯状疱疹」との診断だった。
 まあ、原因がきちんとわかったことはよかったが、症状が治まるまではインフルエンザ
 の予防接種ができないことになってしまった。
12.7a  
 年に一回、この時期に行われる保育園の「お楽しみ会」。園児たちが歌
 や劇を披露する。

 前もって確認した日程では金曜日だったので、行くことができると安心
 していたところ、木曜日に変更になってしまった。
 なんでも、先生たちの都合がつかなかったようだ。だから、昨夜録画で
 見ることになった。

 舜クンは、「てんかのひとだすけ おおえどおおどろぼう」という劇の
 「主役」をつとめる「おとのさま」役。たくさんの台詞をよくきちんと
 言うことができた ね。
 ご褒美として、夕食には、大好物のメロンをご馳走になったみたい。 

12.6

 石垣島に、2千人規模の自衛隊を配備する計画がある。それに反対する住民は、全有権者の約4割にあたる署
 名名簿を石垣市の選挙管理委員会に提出した。住民投票を、来年2月24日に行われる県民投票と一緒に実
 施することを要求している。                 (12月5日 八重山毎日新聞 から)

 地図を見ると、ここから尖閣諸島は目と鼻の先だ。私は脳天気に観光をしているけれど、ここが「国境の島」
 だということを自覚させられた。

  私はお土産を買うのが好きではない。たとえばその土地に行ったことがない人に、何を伝えようとしてお土
 産
を用意するのだろうか?
 欲しいものはネットで何でも手に入る時代だから、お土産の価値も下がってしまっている。

 まあそんな独りよがりの考え方はさておいても、荷物を最小限にしたいという思惑はある。冬の長野から南国
 に移動するときに、まさか厚手の衣類を持ち歩くわけにはいかない。
 ここでの毎日は、短パンと半袖のポロシャツで過ごしたけれど、羽田空港から自宅までの道のりはきっと寒い
 ことでしょう。
 
 12.5  
 石垣島の天気予報は当たらないと、昨日のガイドさんはおっしゃった。今日も、午前中は雨の予想だったけれ
 ど、雨朝は朝のうちに上がって、私にとっては好ましい展開になった。
 ただ、海は荒れているようで、昨日行った「波照間島」への便は欠航になっていた。このように、離島への旅
 は何が起こるかわからないので、本来は余裕を持って組まなければならないわけだ。
 3日目の今日は、石垣島から一番近い「竹富島」を訪れるだけ。今日だけをとってみれば、余裕のある日程だ
 った。

 まず水牛車に乗って赤瓦の町並みをのんびり案内してもらった。水牛クンはちゃんと道を覚えていて、それぞ
 れが気ままなペースで進んでいく。その時に乗った水牛クンに、ひとまわりする時間を委ねるしかないのだ。
 島を一周するのには約5㎞、レンタサイクルだと30分でまわれるということだったが、私は時間があったの
 で、徒歩でガイドブックに載っている場所を巡った。シーズンオフの今は、どこも人がまばらで、寂しささえ
 感じるほどだった。

 私はいつも気ままな一人旅を選択しているけれど、周りの人から見ればちっとも楽しそうには見えないと思
 う。本人も、いったいこの旅の目的は何なんだろうと、ちょっとだけ考えさせられている。
 
12.4  
 4島巡りの、現地ツアーを予約しておいた。どうせ行くなら、日本最南端の「波照間島」にまで足をのばした
 かったので、朝8時30分に石垣港を出発し、戻るのが17時30分という強行軍になった。

 「西表島」でも「波照間島」でも、港に観光バスが待機していて、ガイド付きで島中を案内してくれるから、
 あまり詳しくない土地を短時間でまわるには、この方法がいちばんいい。

 「波照間島」なんかは、民家に植えられている木々や、屋根の作りや、郵便局までを歩きながら紹介してくれ
 たので、密度の濃い時間を過ごすことができた。
 ただ、「波照間島」の気温は29.7℃、毛穴が全部開いてしまい、戻すのがたいへんそうです。
 
12.3

 7月の第1週に眼の手術をしてから、1ヶ月が経過した8月に、羽田・石垣島間の「ウルトラ早割」のチケッ
 トを確保した。眼が安定したことが確認できたからだ。

 この仕事を始めて、10周年の時にはタイに行き、今年は20年目になるから、自分へのプレゼントとして、
 どこかに 行きたいと思っていた。そして12月となれば、やっぱり暖かいところだった。

 今日の石垣島の気温は28℃。空港に降り立ったときはそんなでもないと感じていたのに、少し動き出したと
 ころ汗が吹き出てきて、慌てて半袖に着替えた次第。
 今日はレンタカーで石垣島を一周し、明日は島巡りをする予定。幸い明日まではお天気は崩れないみたいで
 す。
 
12.2
 長嶋茂雄が立教大学から入団したころから、熱狂的な巨人ファンだった。
 長嶋が監督になって1年目に最下位になったシーズンなど、ナイターを聴いていた
 ラジオを、何度放り投げたことか。

 そんな巨人に愛想がついたのは、他球団の4番バッターを、金に飽かして獲得し
 始めたころからだった。これでは、二軍から這い上がろうとしている選手たちが
 浮かばれないではないか、人を育てるのが企業としての役割ではないのかと思
 ったのだ。

 広島からの移籍が決まった丸選手は、3年連続リーグ優勝の立役者で、2年連続
 MVPを受賞した看板選手だ。このような他チームが育てた選手に触手を伸ばし
 て、恥ずかしくないのだろうか。
 また一段と、巨人が嫌いになった。 

12.1
 高校生のときに、真空管でアンプを作った。ほとんど素人の私が作ったものだっ
 たので、ハム音(電源周波数に準じた低い「ブーン」という雑音のこと)が消え
 なかった。
 それでも、これまた自作のエンクロージャーに入れたスピーカーとの組み合わせ
 で、よく聴いていたのが舟木一夫の流行歌だった。
 そのなかでも「くちなしのバラード」は、前奏のところにトライアングル(?)
 金属音が入り、それだけは鮮やかに聞こえた。
 私の青春は舟木一夫と歩み、やがてそれは吉田拓郎に移っていった。