あと あと のあと  2014年 9月

9.30
 今週から、長袖のワイシャツを着て、出掛けて来ている。
 朝、目が覚めたときに体がだるっこいのは、日中と朝方の温暖の差が激
 しいからだろうか。夜寝付くときには布団を掛けると暑いのに、夜中に寒
 くて目が覚めて、足もとにある布団を引き寄せてきている。
 この9月は、とにかく時間が流れていくのが早かった。老いていくのは嫌
 ですが、時間が経つことによる楽しみも3つほどあります。それについて
 はおいおいこのブログにも表れていくことになるでしょう。
9.29
 夜が明けるのが遅くなり、外気が冷たくなったこともあり、このところ朝作
 り(朝食前の作業)ができないでいる。
 田んぼの土手のは、もう堆肥が十分できたので、集めて燃やしてしま
 った。もうこれからはあまり伸びないたろうから、刈りはしなくてもいい
 かもしれない。
 畑のは、雨が降る前に掻いておいたから、ほとんどが枯れてしまって
 いる。あとはさつまいもの収穫と、玉ネギの苗を植える作業が残っている。
 庭の取りだけは、通路のを取っただけで、あとは手つかずだ。10月
 に入ってから、空いた日を見つけて手がけようと思っています。
 柿の木のっぱが落ちるようになったから、それを掃き集めることも、毎
 日の作業になってきます。                          朝日を浴びている野沢菜たちです。

9.28
 日曜日は私がお子守りの担当。だから、ふたりを連れて、宮田村商工祭
 の「それいけ!アンパンマンショー」を見に行きました。
 ショーが終わったあとは、アンパンマンやドキンちゃんと写真の撮影がで
 きるということで、たくさんの人たちが列を作ったのです。
 並んでいるときに、誰と一緒に撮りたいかを聞いたところ、それぞれ希望
 がダブらなかったので、スムースに抱っこしてもらうことができました。
 1枚しか撮ってはいけないと言われていたため、ふたりの表情が揃う場面
 を捉えられなくて、連写ができる一眼レフを持っていかなかったことが悔や
 まれるところです。
9.27  
 先週の小学校に続き、今日は保育園親子運動会にお呼ばれ。絶好の
 秋晴れの元、ちびっ子たちの頑張りを応援した。
 運動場の正面にある来賓の席は、写真を撮影するのには絶好のポジシ
 ョンで、来賓であることを忘れて、孫たちふたりの動きを追いかけた。
 一眼レフとコンパクトと、ふたつのカメラを持っていったけれど、やっぱり
 一眼レフ
のズーム機能はこういう場合には力を発揮するため、あとの編
 集のことが気になったけれど、とりあえず16GBのSDカードがいっぱい
 になるくらいの、動画を記録してきました。
9.26
 この間、何度も思いめぐらせざるを得なかったのは、日本人が戦後断ち切れないまま
 でいる「
負の連続性」とでもいうべきものだ。
 最悪の事態を想定せず、楽観的な予測に基づき、作戦を立案する。最前線に無理を
 強い、命令を下した幹部は責任を取らない。外交努力、説明責任を果たすことを怠り、
 諸外国から孤立する。真実を国民に公表せず、現場を軽視し、ひいては国民の命を
 危険に晒す…。
 これは何も「
日本海軍400時間の証言」で描いた話ではない。今回の原発事故の関
 係諸機関にもそっくりあてはまることである。本文でも述べているように、番組は現代
 への問題提起を目指したものだったが、いまなお繰り返される蹉跌に暗澹たる思いが
 する。
 原発をめぐる、いわゆる
安全神話がいかにして作られてきたか、そこに「やましき沈黙」
 はなかったのか。そして、私たち自身も、その危険性を感じながら、あえて突き詰めて
 考えず、空気に流されてこなかっただろうか。徹底的な検証が必要だろう。
 私は、今回の番組のキャスターとして、全国の視聴者の前で、組織の病弊を指摘し、
 「
やましき沈黙に」陥らないことが大切であると思った。逃げ出すことはできない。自ら
 にかかる責任の重さを、今あらためて感じていた。


  「日本海軍400時間の証言」 -軍令部・参謀たちが語った敗戦- NHKスペシャル取材班
                                          エピローグからの抜粋です。

9.25
 1年前に、動画を撮影したくてわざわざニコンの一眼レフを買い換え
 たのに、ブルーレイレコーダーがSDカードのデーターを読み取ってく
 れないために、ハードディスクに保管できないしディスクに焼くことも
 できないでいた。
 そこで、もっと手軽にハイビジョン動画を撮影したくて、動画性能の
 高い(という)、CanonのSX700HSを購入した。ところが、このSD
 カード
も、今使っているレコーダーは読み取ってはくれない。
 パナソニックのお客様相談センターに問い合わせたところ、新しい
 カメラの規格はMPEG-4だから、古いタイプのレコーダーでは対応することができないのだという。その対策とし
 ては、パナソニックのカメラを使うことだとおっしゃられた。それはその通りだけれど、なかなかそんなうまい具合に
 はいかないではないか。
 いちばん新しいブルーレイレコーダーは、前に使っていたカメラのMPEG-2には対応していないというから、どうし
 たらいいものか迷っている。とりあえず、新しいブルーレイレコーダーの購入にあたっては、3枚のSDカードを量販
 店に持っていって、実際に読み取れるかどうかを確認をするしかないようだ。

9.24  
 7日のブログに載せた「チャリティラッフルチケット」は、居酒屋には行くこと
 がないという女性の民生委員が、庄屋の割引券に変えてくれた。
 その有効期限は9月末だったけれど行かれる日がなくて、たまたま私の仕
 事が翌日に延期になったので、今夜繰り出すことができた。
 割引券がチャリティに協賛したものであり、私が民生委員であることがわか
 ったためか、申し訳ないくらいのサービスをしてくれました。
 画像は、今日仕入れたサンマがあと13匹残っているということで、2匹分を
 刺身にしてくれたものです。
9.23  
 最近、夜仕事に入ると、身体のリズムが狂ってしまうのがわかる。昨夜は、工場を出たのが0
 時をまわっていて、ホテルに帰って遅い夕食をビールで流し込んで、睡眠導入剤を半錠飲んで、
 2時頃ベッドに横になったけれど、うまく眠りに入られないまま4時になってしまった。
 これでは今日の仕事に影響をきたすからと、睡眠導入剤をもう半錠飲んだどころ、眠りに入るこ
 とはできたけれど、7時頃の目覚めはボーっとした状態だった。
 先日なんか、朝4時に現場に入った週は、そのダメージがなかなか取れなかった。家にいると
 きの朝も⒌時ころ目が覚めて、それから張り切って畑や田んぼに出て行くのに、仕事と私生活
 とでは、私の身体の受け止め方が違うようだ。
 もう若くはないことは自覚しているけれど、どこかで逃げようとする部分もあるのかもしれない。
9.22
 田んぼの土手を這い上っていっ
 た、黄色いカボチャの茎を根元
 の方に辿っていくと、生ゴミを捨
 ててあるる場所に行き着きます。
 そう、このカボチャは実生で、放
 っておいたのにどんどん大きくな
 り、やがて収穫できるくらいにな
 ったのです。
 だから、「おまけ」の産物です。

9.21  
 地元の産直市場では、松茸
 ピークを迎え、店頭に山積みに
 なっています。
 そんな松茸には手が出ないの
 で、その1/100くらいの値段
 で手に入る「ズボウ」で、今夜
 はすき焼きに舌鼓を打ちました。

9.20  
 8 時半から始まる小学校の運動会の開会式に、民生委員の立場で顔を
 出して、9時50分から始まる「戦没者・公務殉職者追悼式」に出席するた
 めに、市民ホールまで移動した。
 それが終わったのが11時半で、
 そのあと再び運動会に戻ってき
 た。
 右の画像で注目して欲しいのは、
 五つある小さなテント。なんとこ
 れらは、個人の保護者が建てて
 いるのだという。このスペースを5軒で占めているから、それ以外の人たち
 は、児童たちがいる席の後ろ側で見ていなければならない。
 こんなことが許されていることに、心底あきれてしまった。 

9.19  
 この長い土手のを刈るのに3日くらいかかる。いつも朝ご飯の前に作
 業をするのだが、刈り機を振り回すのは、私の体力では2時間が限度
 だからだ。
 今朝から冷え込みが厳しくなったので、これから冬にかけて、もうはあ
 まり伸びないと思う。
 手前の芝生も刈り揃えました。今年は春先から、何度となく雑草を引き
 抜いたのですが、芝生の管理というのは、たいへんな労力を要します。

9.18  
 1ヶ月くらい前に、3種類の五寸人参の種をいたのだが、1種類を除いては、
 芽
の状態が極めて悪い。そこで、き直しをすべくその2種類の種を買ってきた。
 種が入っている袋の裏側には、「生育適温15~25℃」と書かれていた。つまり、
 真夏にいても、人参にとっては気温が高すぎたのだ。
 土に覆われている、まだ発芽をしてない種が、これからを出すのかもしれない
 が、とりあえず、新しい種をそこにいてみました。
 工業製品と違って、野菜は、天候に左右される要素が大きいのです。
9.17
 オイル交換は5,000キロごと、オイルエレメントの交換は10,000キロごとに、アラー
 ムが出る設定をしてある。ところが、今回は5,000キロのアラームが出ても、オイル交
 換
に行く時間がなかなかとれなかった。
 そして、800キロもオーバーしてしまった今日、やっと交換することができた。気のせい
 か、エンジンの回転が軽くなったような気がする。
 オイルは、飲み屋でボトルをキープするように、トヨタのディーラーに10リットル単位で
 ープ
してある。だから、格安で交換できている。
 少し前の時代は、ガソリンスタンドでは、オイル交換に付加価値を見いだしていたようだ
 が、今はそれすらもかなわない、厳しい状況になっているようだ。

9.16
 日本国憲法の成立過程を調べると、確かに当時の日本政府はGHQによって、新憲法を半
 ば
押し付けられたのだと思う。そして、GHQの圧倒的な力の前では、日本政府は大人しく
 受け入れるしかなかったのだろう。
 しかし、ここで改めて問うべきは、「
押し付けられたのは誰か」という問題である。
 例えば、「すべて国民は、方の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または
 門地により、政治的、経済的または社会的関係において、差別されない」という第14条を、
 「
押し付けられたので拒否したい」という民衆はいるだろうか。
 あるいは、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有すること
 を基本として、相互の協力により、維持しなければならない」という第24条について、「私
 は夫と同等の権利を持ちたくない」と拒否する女性はいるだろうか。
 第14条を「
押し付けられた」と感じる人がいるとすれば、それは「社会的身分または門地
 により」特権を享受してきた人であろう。そして、第24条を拒否したい人がいるとすれば、
 それは男尊女卑の社会で威張っていた男たちなのである。
 もっと言うと、
日本国憲法押し付けられたのは、大日本国憲法によって特権を享受してきた日本政府と支配者層
 であり、日本国民ではない。それに、GHQ草案は日本政府の案として帝国議会に提出され、改良を施され、圧倒
 的多数で可決されたわけであり、最終的には曲がりなりにも日本人が自分たちで定めたのである。


         「熱狂なきファシズム ~ニッポンの無関心を観察する~」  相田和弘   から抜粋しました。

9.15  
 敬老の日の今日は、担当地区の一人暮らしの老人に、市から渡される品物を、
 生委員
が配布して歩く。
 さらには、
米寿(88歳)になられた方には、市からお祝い金、社会福祉協議会から
 は記念品が贈られる。行政と社会福祉協議会の二重構造がまだよくわからないけ
 れど、これをお渡しするのも、
民生委員の仕事だ。
 こんな機会を利用して、普段思っていることやお悩みを聞くことが出来ればいいの
 だけれど、私には夕方からの仕事が入っているので、ただお渡しすることしかでき
 なかった。
 三連休の最終日。まだ午前中だというのに、あずさはすでに最終便まで
満席状態
 です。


9.14
 畑を見に行くのは、ほとんど1週間ぶりだったけれど、いろいろな意味で
 様変わりしていた。
 
トマトの木はほとんど枯れて、熟した実も、触るだけで落ちてしまうような
 状況だった。したがって、棚を壊してそのあとを耕し、次の
野菜を作る準
 備をした。
 まわりの家々が、もう
野沢菜の種を蒔いてしまったというから、少々焦っ
 ているけれど、今日はそこまで進めることができませんでした。
 あとは、大根や白菜や小松菜や春菊は順調に生長している反面、雑草
 も賑やかになっているのに、それにも全然手がついていません。

9.13  
 昨日の午後、民生児童委員の理事会と例会が終わったのが4時半。
 それから家に帰って準備をして出発。中央道と、圏央道と、関越道を経
 由して、埼玉の
秩父に辿り着いたのはその3時間半あとのことだった。
 
秩父のゴルフ場で、お客さんの会社のコンペに参加するための移動だ。
 今日のゴルフが終わったあとは、渋滞を考慮して、関越道から上信越
 道に抜け、長野道と中央道を通って帰って来た。
 以前には何でもなかった行動だけれど、移動に車を使わなくなってから
 は、このような
長距離運転はきつい。
 それが理由ではないけれど、もう100を切れなくなっているのがくやし
 いのです。


9.12
 昨日、介護保険認定の知らせがあったので、かねてから段取りをしていた、ヘルパ
 ーさんによる平日の
介護と、訪問看護の実施のための打ち合わせを行った。
 それぞれの事業所の方に自宅まで来ていただいたのだが、おじいさんに紹介した
 あとの第一声は、「昭和病院(入院していた)から出された薬は、いつまであるのか
 知っているか?」というもの、そんなことまだわかるはずはないのに、「そんなことも
 知らないで勤まるか!」と、厳しい口調で言った。
 そのあとも、「朝食を半分残してあるから、昼飯は要らない」と言った。それに対して、
 「もうできているから、電子レンジで暖めるだけです」と話しかけると、「熱くなるじゃ
 ないか!」と、ほとんど
因縁に近い言葉を投げつけた。
 「俺はどこも悪くない」、「一人で全部できる」、「風呂には入らない」、「歩いたってし
 ょうがない」なとど、初対面の人たちに対して、
狼藉の限りを尽くした。
 親のことを悪く言うのは本意ではないけれど、あまりにもひどかったから、話題にしてしまいました。来週一週間の
 様子を見て、また考え直そうと思っているけれど、「何でもできる」と思っている本人にも、やがていつかは「
介護
 が必要となるのです。
 

9.11  
 7月の東京が300名、先週の東京が1,000名、そして昨日の大阪が600名と
 いう、かつて経験したことのない人数の聴衆の前での講演が終了した結果、一
 時的ではありますが、
抜け殻状態に陥りました。
 昨夜辿り着いた名古屋のホテルでは、何もする気が起こらずに、お風呂にも入
 らないままベッドに横になって、
ダラダラとした一夜を過ごしてしまいました。
 本人が思っていた以上に、
緊張感に支配されていたのでしょう。あたりまえのこ
 とですが、私も「人の子」であることを実感させられたわけであります。


9.10
 
こんなことには、誰も関心を示すはずはないけれど、文
 京シビックホールは
赤色、品川きゅりあんは青色、そし
 て今日の大阪市中央公会堂は
緑色の、それぞれネクタ
 イを締めて演題に立った。
 この中之島にある
中央公会堂は、1918(大正7)年に
 建設され、国の重要文化財に指定されているという重
 厚な建物だった。
 今回の大阪で、3回にわたる講演会が終了しました。

 ISO9001とISO14001の要求事項の改訂が、今年
 中に行われます。これによって、また企業が振り回され
 てしまうのではないかとの懸念から、このことに対応し
 た「新・くたばれ!ISO。」を書いてみようかという気に、
 ちよっとだけなったところです。ただ、それだけのパワーとエネルギーがあるかどうかはわかりません。

9.9
 
目覚ましのアラームをセットしておいたわけではないのに、いつものよう
 に5時半には目が覚めた。そして、テレビを点ける前に気が付いたのは、
 ホテルの部屋では
WOWOWを見られないではないかということ。
 そこで、ネットの速報の自動更新をセットし、第一セットの2-2までは確
 認したけれど、テレビのようにじっと見ているわけではないので、少し横
 になっていたところ、うとうとしてしまった。
 7時過ぎになって、再びネットの画面を見たところ、3セット目も2-4で負
 けているところ。昨日私は、短い時間の試合で
錦織が負けそうな気がす
 ると公言していたが、残念ながらそのとおりになってしまった。

 「ここまで硬くなったのは久しぶり。試合に入り込めなかった」、「勝てると
 いうのが少し見えたのがよくなかった。勝たなきゃいけないというプレッシ
 ャーがあった」、「(試合中)ずっと迷走している感じだった。全く先が見えなかった。正直、フェデラーの方がやりや
 すかったかもしれない」というのが、記者会見における錦織の敗因分析の発言だ。

9.8  
 次女から届いたメールは、「今朝、3時半過ぎくらいから、勝さんの叫び声が何回か聞こえまし
 た。怖い夢でも見ましたか?」というもの。
 それに対する私の返事は、「わざと出しました」でした。夜中に目が覚めるのは
イライラしている
 から。そして、大きな声でも出さないと、この
イライラを解消されることができないのです。
 イライラの原因は自分にも関わってくる問題だから、ここで明らかにすることはできないけれど、
 この何年か、ずっと抱え続けているものです。
 そして、睡眠導入剤を飲んでも、深い
睡眠が確保できないようになってしまっています。
 次女からは、「びっくりするので、
小さな声でお願いします」という返事が返ってきました。

9.7
 
駒ヶ根市の、第30回ふれあい
 広場

 昨日は、13時からテント建てを
 し、今日は朝8時から設営をし、
 14時からは後片付け。
 おかげさまで、
民生委員の「仕
 事」はいっぱいだ。
 「チャリティラッフルチケット」を
 2千円分買ったら、500円の
商品券が当たりまし
                  た!
         ↓     
               
 
9.6  
 おじいさんが退院しました。
 電動ベッドを備え付け、酸素を供給するための呼吸同調器を設置
 した自分の部屋に、横たわっています。
 来週は間に合わなかったのですが、再来週からは、平日の昼の
 時間に
ヘルパーさん、週に1回訪問看護、2週間に一回かかりつ
 け医の
往診を組み込んであります。
 病室では全く観なかったテレビも、自宅に帰ってきたからか、見
 始めるようになりました。
 本人も家族も、もう戻れないと思っていた病院から
復帰しました。
9.5  
 普段日が射さない、家の北側のことを、この地方では「北倉(きたぐら)」と読んでい
 る。文字の通り、そこには倉(物置)があることが多い。
 わが家も、家の北側は全部物置が閉めていて、そこで野良着に着替えていると、

 が何匹も、「ブンブン」言わせて飛んでくる。
 
の行動範囲は50m~100mだというから、まさかテングウィルスを運んでくるこ
 とはないだろうけれど、今までに何回も刺されている。
 だけど、私を刺す以外の時は、何を食べて生きのびているのだろう?


9.4
 今日の、ソーシャルワーカーさんとの打ち合わせは、おじいさんのための施設がどこ
 が空いていて、いつ入ることができるのかという内容の予定であったが、4日ぶりに見
 る
おじいさんはとても元気で、食事も採れるようになり、点滴も外していいということだ
 ったので、長女と相談して、退院後は自宅で介護することにした。
 
介護保険の程度は「介護 1」になりそうなので、それがカバーできる範囲で、長女が
 計画を組んでくれることになった。それによると、部屋に電動ベッドと簡易トイレを導入
 し、平日の昼のみヘルパーさんをお願いする。そして週に1回、訪問医療
介護をして
 もらうことになった。 そんなわけで、土曜日の午後には退院できる予定です。
9.3
 7月11日の文京シビックセンターでの講演は、初めてということもあり、
 時間が足りなくて、最後は尻切れトンボになってしまった。それを修正し
 て臨んだ今日の
品川きゅりあんでは、だいたい計画どおりの進行ができ
 たと思っている。
 1,000人を超す聴衆が醸し出す熱気は独特のものがあったが、緊張感
 のなかでも、みんながこちらを向いて聞いてくれて、ときおり頷いてくれる
 様子に、一種の快感を覚えたほどだ。
 今夜は、東京在住の知り合いのみなさんとの楽しい
打ち上げでした。お
 出かけいただいたみなさん、ありがとうございました。


9.2
 今夜宿泊している「東横イン品川駅高輪口」は、いつもかなり前から満室で、予
 約を取ることがなかなかできない。品川駅というアクセスの良さと、駅に近いとい
 う条件が好まれている理由なのだろう。
 今回予約が取れたのは、講演のスケジュールが決まった5月に予約を入れたか
 ら。そのときも、会員でなければ予約をすることができなかった。
ただ、実際に泊
 まってみると、ごくありふれた、普通の東横インだった。だから、隣にそびえ立つ、
 品川プリンスホテルに比べると、かなり見劣りがした。
 先ほどまで、明日の講演会の主催者が、田町で一席設けてくれての懇親会
 した。参加者が1,050名だというから、会場の雰囲気はたいへんなものなのだ
 ろう。そのステージに立ってお話しをするなんて、自分のこととは思えない不思議
 な気持ちだ。
 昨夜は、20時から0時まで工場に入って、今日は、朝8時から14時まで仕事をし
 たから、少しお疲れ気味です。 
9.1  
  小松菜

 
先週種を蒔いた、小松菜と春菊
 が、一斉に芽を出しました。
 それ前に蒔いた、人参も、大根
 も、白菜も順調に芽を出していま
 す。

                   
春菊