あと あと のあと 2014年12月

12.31
 夜見る夢の中に出てくる寝たきりのおじいさんは、今はもういないおばあさん
 が介護をしている。
 もう20年も前のことになるけれど、おじいさんが肺炎で入院したとき、その病
 院は完全看護なのに、「この人は看護婦さんの手に負える人ではない」から
 と、おばあさんは病室に泊まり込んで付き添いにあたった。
 入院して数日間は、高熱のため錯乱状態が続き、おばあさんは私に、「家に
 帰って掃除をしておくように」と言ったけれど、何種類かの抗生物質のうちのひ
 とつが効いて、そのときは全快した。
 おばあさんが先に逝ってしまうなんて、その頃は思ってもみなかったが、こうや
 って夢に出てくるということは、今も天国から見守っているからなのだろう。  
12.30
 おばあさんがまだ生きていた頃は、食卓や居間のテーブルの上に、皮が
 剥かれたリンゴがよく置かれていたので、食べたいときにつまんで食べる
 ことができた。
 ところが、おばあさんが亡くなったあとは、みんな忙しいようで、誰もリンゴ
 の皮を剥いてくれなくなった。あるときなんか、「うちでは食べないから」と、
 お隣さんにあげてしまったこともある。
 私は、リンゴが食べたくなると、その都度、廊下の隅に置いてあるリンゴを、
 お勝手まで持って行く。それが左の画像のようにたまってしまうわけだ。
 だったら、自分で剥けばいいではないかと言われるかもしれないが、私は
 あのリンゴの皮の感触が苦手なのだ。思い出しただけでも、体に悪寒が走
 る。だから、皮のついたものをかじることもできない。
 先週は、火曜日に家を出て金曜日の夜帰ってきたが、お勝手にあったリンゴは全部なくなっていた。もしかしたら、
 廊下に戻されてしまったのではないかというのは、思い過ごしに過ぎないのだろうか。
 私は介護認定にはならないけれど、できるなら一日に30分くらい、「ヘルパー」さんを頼みたいものである。 

12.29  
 3ヶ月に一度の割合で、眼科医に通院している。 これは、網膜に穴が開いたのを、レー
 ザーで治療をして以来ずっと続いている。
 確か次回は2月頃だから、来年のスケジュール帳に予定を書き込もうと診察券を見たと
 ころ、なんと予約をしていたのは12月8日で、はるか前に過ぎてしまっていた。
 うっかりしていたのもひどいのだが、それだけ月日の経つのが早いということだ。
 畑は年内に耕して、冬の寒風にさらすようにしておこうと思っていたのに、それも間に合
 わず、すでに土は凍り付いてしまっている。 毎週録画を予約している番組は、まだ見て
 ないものが、ハードディスクの中にいっぱいたまってしまっているのが現状だ。
 まったくもっていやになってしまう。
 眼科医は、どこかで通院しなければならないけれど、最近急激に視力が衰えているか
 ら、セカンドオピニオンとして、別の眼科に行ってみることも考えている。
12.28
 おじいさんが、担当のケアマネージャーでもある長女に、お正月もヘルパ
 ー
さんを頼むように言っている。休日は家族がいるために、ヘルパーさん
 は来ないことになっているのだが、来年からは、土曜日にも来てもらえと
 も言っている。
 ヘルパーさんは、毎回30分いるだけだから、特にすることがなくて、この
 ままでいいのかと言われていたが、話し相手になってくれるだけでもいい
 からと、平日の午後の訪問を続けてもらっていた。
 おじいさんがまだ元気だった頃、自分の独りよがりの価値観を家族に押し
 つけることばかりだったから、いつかは「面倒」を見てもらわなければなら
 ない人たちの感情を、少しくらいは考えた方がいいのにと思ったことが何
 回もあった。
 結局ヘルパーさんは、今年は大晦日までと、来年は3日から来てくれて、土曜日の訪問も計画に入れてくれたけれ
 ど、このことは「家族による『介護』はいやだ」と言われているようなもので、少しも現状を改善することにはならない。

12.27  
 つきを再開して3年目。
 全部で5臼ついたけれど、もう子
 供たちがやってくれるので、私は
 ひと臼ついただけ。
 お供え(鏡)を9個も取って、あ
 とは豆と海苔を入れ込んだ、「あ
 られにしました。
12.26
 パソコンを新しくしてから、「フリーズ」が頻繁に発生している。そしてそこに至るまで
 のパターンが一様ではない。
 その「フリーズ」はふた通りで、ひとつは砂時計(今は青い色をした輪)が出たまま次
 に進まなくなるもの。これは、Ctrl + Alt + Delete をいったん押して、それを元に戻
 すことにより解決する。
 もうひとつは、画面が固まってしまって、どうやっても復帰させることができなくなって
 しまうもの。この場合は強制的に電源を切るしかないのだが、パソコンからは「ブチッ」といういやな音が出るから、
 あまりやってはいけないことなのだろう。
 パソコンが登場した当時は、ひんぱんに「フリーズ」が発生したのだが、最近ではこんなことはなかった。パソコンに
 問題があるのか、Windows8.1にバグがあるのか、はたまたお互いの相性が悪いのかはよくわからない。
 そしていちばんいらいらさせられるのが、ホームページの更新のために毎日使っているホームページビルダーの、
 編集画面とプレビューと実際に転送したあとの画面が、異なって表示されてしまうこと。これもパソコンを新しくして
 からの現象だ。
 パソコンは、分解して中を見ればその原因がわかるというものではないから、私にはどうにも手の施しようがない。

12.25
 映画館の売店で、生ビールを買って持ち込み、それを飲みながら見たものだから、
 時々居眠りをしながらだったので、ストーリーの全容をよく理解できなかった。
 さらに、私にとっての外人俳優は、どの人も同じに見えて、誰がエイミーで、誰が愛
 人で、誰が刑事なのかがうまく見分けがつかないから、その混乱をさらに加速させ
 た。
 全編のほとんどが会話によって構成されているから、ちょっと息を抜くと展開から取
 り残されてしまう。 そんなこともあって、私に向いた映画ではなかったかな。 

12.24  
 孤独だけが自分が何者であるかを教える        伊集院 静

 辛い別離、哀しい別離があったあと、それがなんであったのか考えてみた。
 弟はどういう存在だったか、妻はどういう存在だったか、ひいては私自身はどうだったの
 か。どういう兄だったのか、夫としては?あまりの辛さに最初は考えていられなかった。
 しかし、このことを考えられるのは自分だけだった。一人で考えていくと、あるとき本や詩
 に出会った。小説や詩はその答えをくれるものではなかったが、そこには
孤独に寄り添う
 言葉があった。 
 たとえば、中原中也の「汚れつちまつた悲しみに‥‥」があった。一見明るく語っている
 けれど、この人はすごく哀しくて
孤独なんじゃないのか。本の中にある言葉に触れていく
 うち、そういうことに気付いていった。
 幼い頃に読んだ「ロビンソン・クルーソー」を思い出した。漂流した主人公は、何度も寂し
 いと言っている。でも一人で生きていかなければならなかった。
 哀しみというのは、一人で経験するべくなっている。
 辛いとき、哀しいとき、誰かとそれを分かち合うことは楽そうにみえる。でも、人が眠る時
 間がそれぞれ違うように、眠くないときに目を閉じても簡単には眠れないように、結局は闇の中、たった一人でむき
 合わなければならない。
 
孤独とは哀しみをじっと見つめることであり、迷うこと、戸惑うことでもある。
 人は元来、物事に流されるようにできている。それが集団の中にいたらなおさらだ。迷い、戸惑い、誰もが一人であ
 ることを自覚する。
 そして、一人で生きていくことを覚悟する。
 
孤独を経験した者としていない者とでは、人生で大きな差がつくものだ。             メリークリスマス!

12.23   
 お正月になるというのに、座敷が物置状態だったから、朝から片付けに取り組み始め
 た。もう何年も前になるけれど、次女がアパートから出たときの山のようなゴミは、全
 部私が片付けた。今でも足の踏み場がない部屋に、また手を出そうと思っているけれ
 ど、なかなかその余裕がない。座敷の中には、あらゆるものが散乱していた。
 長男が車の改造をしたあとの残物が、車庫に山積みになっていたものも、全部私が
 片付けた。座敷の中には、工具やパーツが使ったままの状態で放り投げられていた。
 こうやって、見るに見かねてやってしまうのであるが、この家から私がいなくなったらど
 うなってしまうのだろうか。こんな「苦労」を親に負担させてはいけない。
 何事もきちんとしないと気持ちが悪くなる私のDNAは、いったいどこをさまよっている
 のだろうか?

12.22  
 古舘伊知郎の伝説のトークライブ「トーキングブルース」が復活した。一夜
 限り、たった900人だけが目撃したプラチナライブは、先週金曜日の「報道
 ステーション」が終わったあとダイジェスト版が、そして昨夜はCSで舞台公
 演ロングバージョン
が放映された。
 機関銃のように、言葉がめまぐるしく口から放たれて、これは一種の特異
 な才能であることが実感させられる。
 「報道ステーション」ではなかなか語ることができない本音の部分も聞け
 て、たいへん面白い内容だった。
12.21  
 今年は、年末のぎりぎりまで、年賀状を買わないようにしようと思っていた。
 しかしながら、年賀状を出さないなんてことはなさそうだし、年の瀬も押し迫って、これから
 もっと慌ただしくなりそうだからと、この土・日で450枚の印刷を終了させた。
 毎年発生する新しい住所を、個別のファイルにして保存しておいたから、それが全部で13
  にもなり、そこから選択して住所を印刷するのに、かなりの労力を必要としている。
 だから来年の年賀状が届いたあとに、住所録を編集し直そうと思っている。
12.20  
 市役所の保健福祉課から、「介護保険のお知らせ在中」という封書が届いた。またおじいさん
 関係のものがきたのだと開封してみると、なんとそれは私宛のものだった。
 来年1月に65歳になる人に、介護保険被非保険者証を交付し、あわせて「いきいき教室」と
 いう、健康運動指導士による体操指導があるという。
 召集令状なんかと比べるとインパクトは弱いかもしれないが、いよいよ「高齢者」の仲間入り
 で、来るべきものが来たかという感じだ。
 おじいさんがお世話になっていて、介護保険のありがたみは実感できているけれど、今後対
 象者が増加して行くにしたがって、本当にこの制度が維持できるのかどうかということが、心
 配になってくる。

12.19  
 姫川玲子が短編集で帰ってきた。
 この「インデックス」には、2011年から今年までの、いろいろな雑誌や書籍に掲載された短
 編が収録されているから、過去の姫川玲子の足取りを知らないと、理解できない部分がか
 なりある。
 彼女が17歳の時に遭遇した忌まわしい事件や、彼女が捜査に関わった「ストローベリーナ
 イト
」や「ブルーマーダー」などの経過を知っておく必要があるわけだ。
 それらの事件はかなりおぞましい内容を含んでいるのだが、「インデックス」の中の短編に
 は、彼女を取り巻く人たちとの人間的なつながりが描かれているから、あまりドキドキせずに
 読み終わることができた。
 そして、常に、ドラマや映画で主人公を演じた竹内結子の顔を思い浮かべていた。
12.18  
 50代の頃は、ズボン下なんて履かなかったし、電気毛布だって、使うのは1月の下旬から2月にかけての
 寒中の時期だけだった。
 ところが今はどうだ。ズボン下は欠かすことができないアイテムになっているし、電気敷き毛布は、12月の
 はじめから使ってしまっている。
 地球は暖冬化の傾向にあるというのに、私自身は、寒さに対する抵抗力がなくなってきている。これも、「老化現象」
 のひとつなのだろうか。

12.17  
 私のホームページの、サブページ「Books」に入ると、書
 籍を注文するフォームがあるのだが、それの修正を怠って
 いたことがわかった。
 消費税が8%になったのに、それを反映されてなかったの
 は4月からだからまだしも、2年前にメールアドレスを変え
 たときの対応をしてなかったため、このページからの書籍
 の注文が、2年間にわたりできなかったということになる。
 何ともお粗末きわまりないのだが、書籍を購入したい方から、電話があったことにより気がついた次第。空白の2年
 間を埋めるすべはないのだけれど、パソコンのメンテナンスをお願いしている会社のご努力により、正常な状態に戻
 すことができました。

12.16
 なぜアメリカの圧倒的な軍事行動をもってしても、軍事力ではとるに足らないテロリスト
 勝てないのか?その理由の一つは、
テロリストの側に、我々にはない圧倒的なまでの「
 非対称な怒り」が存在していることです。
 外地に赴く要員は、私のような民間人も、多国籍軍の兵士たちも、国家から与えられた
 使命感こそあるかもしれませんが、(基本的には)個人的な
怒りを原動力として何千キロ
 も離れた土地に赴くわけではありません。
 それに対し、我々を迎えるあちら側は、我々を傍若無人な侵略者(特に、イスラム教にと
 っての異教徒)であると見なしています。我々が黙ってそこに立っているだけで、彼ら個人
 個人とその集団を貫くのは、彼らのアイデンティティを賭けた
怒りです。しかもそれは、我
 々の攻撃による同胞や家族の犠牲によって増幅し続けるのです。この「非対称な
怒り
 増幅」こそが、
テロとの戦いに終わりがない所以です。

  「日本人は人を殺しに行くのか」 ~戦場からの集団的自衛権入門~ 伊勢崎賢治
12.15  
 もう40年以上も前に行った私の結婚式披露宴は、当時の常識からいけ
 ば型破りなのものだった。
 まず、その頃の結婚式の「絶対条件」であった神前での三三九度は行わず、
 その場で婚姻届に署名し、それをすぐに届けるという人前結婚式を採用し
 た。
 通常は末席に位置取る両親を、ある意味ではその日の主人公だからと、新
 郎新婦の横に並べた。
 座席の配置は、会場にした原村合同庁舎で決められていた縦長のものをバ
 ラバラにして、今ではあたりまえになっているテーブル方式にした。
 入場曲は、アコーディオンの演奏による「ワルシャワ労働歌」で、仲人は詩
 を朗読し、外ではその頃の仲間たちが、スクラムを組んで労働歌を歌ってい
 た。
 当時の私は、反権力という思想に凝り固まっていたから、既成のあらかじめ決められたような「儀式」に反発しようと
 していたわけだ。あとで、「こういう結婚式もいいね」と言われたけれど、結婚式を挙げずに、披露宴もしない人たち
 の価値観には到底かなわない。
 そして今、お寺が主人公みたいになっているお葬式を、何とかできないものかと考えているのだが‥‥。

12.14  
 猫背が治っているかどうかはわからないが、バックブリッジという製品を使って
 いるうちに、だんだん背骨がやわらかくなってきた。
 ただ、いつもは使わない筋肉や筋が伸びるためか、しばらくは背中が痛くて、さ
 らに頸骨がクキクキ鳴って気味が悪かったが、それも徐々に治まってきた。
 私のように体が硬い人には、この製品が4枚も必要なくて1枚で十分だ。きっと
 4枚セットにしないと、価格を高く設定できないからなのだろう。
 だから、私と骨格が似ている叔母さんに、1枚プレゼントしようと思っている。
12.13  
 一昨日あたりから、喉の奥が痛い。どうやら風邪をひいてしまったようだ。ホテルの部屋で、エ
 アコンの暖房をセットしたまま眠ってしまったのがいけなかったみたい。
 そのために体調がすぐれなくて、今日なんか、舜クンと一緒に入ったスイミングのプールの中
 で何回もめまいがして、このまま意識を失ってしまったらどうしようかと思ったほどだ。
 スイミングのベビークラスのコーチが、「今日の舜クンは甘えんぼで、先週のパパの場合と全
 然違うね。よほどじいじが好きなんだ!」とおっしゃった。
 甘えられる立場がいいことかどうかはわからないけれど、人格の基礎が形成される3歳まで
 は、できるだけ「ダメだ」とか「いけない」とか言わないで、ありのままを受け入れようとしている
 のです。
12.12  
 一部商品に、ゴキブリと思われる虫が混入していたとする問題で、製造元のペヤングは、全
 工場での生産自粛と、全商品の販売休止を決定した。
 日清食品冷凍は、冷凍パスタにゴキブリとみられる虫の一部が混入していたとして、焼津市
 の工場で製造した3商品を自主回収すると発表した。対象は計74万6620食にも及ぶとい
 う。
 エアバッグのタカタがリコールの対象としている車は、アメリカだけでも540万台にもなるの
 だそうだ。 このように、企業に一度問題が発生してしまうと、もう取り返しが付かない事態に
 発展してしまう。だから、常に緊張感を維持し続けなければならないのです。
 その中で、ペヤングが、対象商品と生産した工場に限定するのではなく、全商品の販売を休
 止するというのは、ものすごい決断だ。その姿勢を見習わなければならない企業は、おそらく
 たくさんあるだろう。

12.11  
 戦争映画はよく観ている。「ソルジャー・ブルー」、「キリン
 グ・フィールド、「プラトーン」、「ハンバーガー・ヒル」、「地
 獄の黙示録」などには、人間の生(なま)の姿が描かれて
 いるからだ。
 「フューリー」は、第2次世界大戦下、たった一台の戦車
 で300人のドイツ軍部隊と渡り合った5人の兵士たちの
 姿を描いた物語。
 なんといっても、ブラッド・ピットの男臭さが魅力的で、全
 編息もつかせぬ展開だった。
12.10  
 レバ刺しを出した焼肉店経営者ら逮捕――。この1年ほどの間に、こんな摘発が2度
 もあったのをご存じだろうか。おととしの夏に食品衛生法で牛の生レバー提供が禁止
 となり、やがて警察は強権発動に踏み切ったのだ。法律が独り歩きするケースの見
 本かもしれない。

 官による過剰規制を憂える声は少なくなかったが、まさか
逮捕までは……と誰もが思
 っただろう。しかし条文があればその執行は辞さないのが警察や検察というものだ。き
 ょう施行の
特定秘密保護法をめぐる不安もそこに根ざしている。外交や防衛の機密
 漏らした公務員などに最高で懲役10年を科すコワモテぶりである。

 心配ご無用、と政府は拡張解釈の禁止や報道の自由への配慮などをうたった。
秘密
 指定の対象も細分化してはいる。しかし、それでもなお曖昧な部分が多く、間違った指定を防ぐための仕組みも堅固
 ではない。「知る権利」は尊重すると言いつつ厳罰が控えているのだから、この法律のいやな感じはなかなか払拭が
 難しい。

 
禁令はそれ自体が人々を縮み上がらせ、実際に摘発例が出ると威力が倍加する。よもや秘密法の運用がそういう
 展開をたどるとは考えたくないが、レバ刺しの件を思えば高をくくってもいられない昨今だ。そして困ったことに、レバ
 ーは生か焼きか見ればわかるけれど、
特定秘密は何がそれなのか向こうにしかわからない。

              「春秋」    日本経済新聞   2014年12月10日の朝刊からいただきました。 

12.9b
 「夜会」のチケットを買うのは、そ
 うしないと会費を収めている意味
 がないからという、不純な動機だ
 った。
 初期の頃はヒット曲を織り交ぜて
 いたが、最近は初めて聴く曲が多
 くて、ストーリーをよく理解できな
 いので、どうしても見たいというも
 のではなかった。
 しかし、今夜の「夜会」は、アルバム「問題集」を聞き込んでいたから、聞き慣れた曲が何曲
 かあって、そんなに違和感はなかった。
 なんといってもすごかったのは、最後に実物大の零戦が、舞台から飛び立って行ったことだ。
 今の舞台は、頭にマイクを装着しているのが一般的なのに、「夜会」はいつもハンドマイクを使っているのは、何か
 のこだわりがあるのだろうか。
 簡単には手に入らない「プラチナチケット」というだけあって、チケットには購入者の名前がちゃんと刷り込まれてい
 る。

12.9a
 品川駅の高輪口を出たところ、民主党の海江田万里さんが街頭演説を行っていた。
 党首なのに、自分の選挙区が危ないから、こうやって地元にいるのだと思う。
 もし安倍首相が街頭演説を行えば、たくさんの人が足を止めるだろうに、海江田さんの
 場合は聴衆もまばらで、党の勢いの差が現れているように思えた。
 私は隅っこの方で聞いていたのだが、演説を終えた海江田さんは、私のところまでほ
 ぼ直線で歩いてきて、「お仕事の帰りご苦労様です」と手を差し出してきた。その手は
 あたたかくて力強かった。
 新聞や週刊誌が、自民党が単独で300議席を獲得することを予想しているが、なぜそ
 うなってしまうのかがよく理解できない。野党がだらしがないことはわかるが、これ以上自民党を伸ばして、一体何を
 してもらおうというのだろうか。

12.8  
 川口で行われたISOに関する講演会に、こんどは聞く側として参加した。来
 年に改訂される、要求事項の概要を知りたかったからだ。
 ところが、東京に向かっていたあずさは、甲府の駅で止まったまま進まなく
 なってしまった。なんだか中央線の快速で、人身事故が発生したようだった。
 あずさは、30分後に動き出したけれど、運休になった「かいじ」が停まる各
 駅で乗客を乗せていため、新宿には45分遅れの到着だった。
 この講演を聴いて、著作活動を始めるか始めないかの判断をしようと思って
 いたけれど、要求事項の発行は来年の9月になるということだから、もう少し
 悩むことができます。

12.7   
 畑にあるネギをそのままにしておくと、真冬に凍った場合引っこ抜けなくな
 る。そこで別の場所に植え替えて、屋根を設置した。これで冬越しは万全
 だ。
 畑の作業で残っているのは、白菜の収穫だけとなっている。昨日キャベツ
 を新聞紙に包んで車庫に並べて毛布で覆ったように、来週は白菜の収穫
 にあたらなければなりません。
 冬が到来するまでには、だいぶ時間があると思っていたのに、結局、間に
 合わせるのに精一杯でした。
12.6
 余った食べ物を、パックに入れて持ち帰ろうとは思わないけれど、そのとき
 は、帰ろうとしているのに、厨房から手つかずのお料理がいっぱい出てき
 て、余ったから持ち帰って欲しいと言われた。従兄弟の葬式の精進落と
 しでの出来事だ。
 葬式にいらっしゃった人たちは、香典を出して、お焼香を済ませたあと、
 軽い食事を取ったところで帰ってしまい、ほとんどの人は告別式までいるこ
 とはない。せめて喪主の挨拶だけでも聞いて欲しいと思うのだが、精進落
 としは閑散としているから、大量のお料理が余ることになる。
 そこで「義理」とはなんなのだろうかと考えさせられるのだ。
 年賀状の欠礼のはがきが届いた中に、家族が亡くなられたことをそのこと
 により知ることがある。おばあさんが亡くなったときに香典をいただいたの
 だけれど、家族葬だという彼のところに、いただいただけの金額を包んでい
 っていいものかどうかと考えさせられている。
 先日、ひとり暮らしの高齢者宅を訪問したときに、「私は葬式をしてもらいたくない」とおっしゃられた人がいた。その
 理由は「義理」を返すことができないからだという。
 葬式のときにいただいた香典は、お寺と葬儀場の支払いでなくなってしまう。それ以降に発生する「義理」の原資は、
 日々の稼ぎから充当させなければならないのだ。
 おじいさんは、「義理」とふんどしをしていればいい」と言っていたけれど。「義理」は、もはやきわめて形式的なもの
 になってしまっているのではないだろうか。
 
12.5  
 訪問入浴サービスを、先週からお願いしている。
 水道の水を車両のタンクに入れて、そこでヒーターによってお湯にし、それ
 を部屋の中に設置した浴槽に導く
 という、たいへん大がかりな作業
 だ。
 そのために、看護師さんを含めた
 3名が対応してくれていて、今日
 は、入浴前に、髪の毛も切ってく
 れた。
 このように、たくさんの人たちにお 
 世話になりながら、介護の現場は機能しています。 こうやって実際に関わ
 ってみないと、そのありがたさはわからなかったでしょう。
12.4
 いまの「ゆとり教育」は、2002年4月から施行された新学習指導要領(完全週5日制、授
 業時間1割削減、授業内容3割削減、「総合学習」導入)に基づいていますが、
ゆとり教育
 の考えは1984年(昭和59年)に遡ります。
 直近で言えば1992年から施行の学習指導要領でも大幅にカリキュラムが削減されまし
 た。例えば、寺脇さんが自画自賛する小学校低学年向け(一年と二年)の「
生活科」は一
 体何でしょうか?理科と社会を廃止して「
生活科」という科目を92年の指導要領の改訂か
 ら導入しましたね。
 爾来10年以上が経過し、結果として前述のような学力低下を招き、「科学技術立国ニッ
 ポン」の危機が到来しているではないですか。
 寺脇さんは「
生活科」の教科書をご覧になったことがありますか?カラー刷りのイラストと
 写真ばかりで、私の秘書(女性)の3歳児が読んでいる絵本より醜い代物ですが、このよ
 うな実態をご存じですよね。


   「議論の作法」  寺脇研(元文部相政策課長)さんとの討論からいただきました。 

12.3
 この12月から、民生児童委員の任務が2年目に突入した。
 それまで、自分の地区の
民生児童委員が誰なのかわからなかったくらいだから、たいしたこと
 はないだろうと安易な気持ちで受けてしまったけれど、その用事の多さに参っている。
 頼みに来たそのときの地区の役員は、「出られないときはそれでもいい」とおっしゃったけれど、
 いざ担当してみると、そんなことが通用するわけがない。
 いちばん
心を痛めているのは、特に平日の行事や会合に出られないこと。現実的には、仕事を
 持っている人、特に私のように地元にいる機会が少ない人には、つとまらない役職だ。
 途中で投げ出すわけにもいかないから、せめてもの罪滅ぼしに、このような「お便り」を発行し、
 全戸に配布することにしました。
12.2  
 駅の構内なんかは、キャスター付きのバッグを使っている人が、本当に多くなっている。そして、他
 人の体に触れてしまうためのトラブルが多いようだ。だから私は、それを引っ張るのではなく、
体の
 横に位置させて移動している。
 ところが、キャスターから「キューキュー」音が出始めたと思ったら、やがて動きが重くなってしまっ
 た。そしてうまく扱えないことが、ストレスのひとつとなっていた。
 キャスター以外は特に問題がなかったので、新品を買うことにためらいはあったが、前に使っていた
 ものと同じ種類のやつが店頭にあったので、思い切って購入した。
 「畳と女房は新しい方がいい」。 これはキャリーバッグにも言えることです。
12.1  
 Yahoo ! の画面に、突然こんなスポットが現れる。
 私は、パソコンのメンテナンスをお願いしているところがあるから、「
誤動作を起こ
 しそう」というメッセージに反応することはないが、「
Microsoftを信用して、クリッ
 クしてしまう人が、少なからずいるのではないだろうか。
 これを
クリックしてしまうと、金額の請求が現れ続けて、「素人」ではそれを消すこ
 とができないのだそうだ。
 他人を
信用することで、人間社会は成り立っているのに、こういうのばかり増えて
 くると、何もかもが信じられなくなってくる。