ご先祖様はお医者さん?

                       
     

 
 森田周達   もりたしゅうたつ     ~1886年

 
幕末の医者。

若年の頃、関西美濃の地で、某家の養子になった後、高遠領の木洗馬村に移って、此の地の蘭法医熊谷珪碩に学び、医業が進んで、天保末頃、高遠領内中沢郷栗林村(現駒ヶ根市)片桐家に寄寓した後、隣村下塩田の地に移って、廃屋森田の家を継ぎ、嘉永2年、苗字帯刀を許され、後に森田家の別家となった。

塩田の在医として優れ、藩主から重んぜられて、褒美、盃を下賜され、また在医として別段の筋を以って、医業出精・新開所助成・献金等の功によって、永々苗字帯刀高足差免となった。

そして準典医となり、時には藩主の医療に応じた。


 

これは、人名辞典から抜粋したものです。

「下塩田」というのは、私が今住んでいる常会の地名です。
ただ、現在は、昔からの地名であった「箱畳」になっています。

「森田家の別家」というのも根拠があって、森田姓を名乗っている地区内のある家と、どちらが本家か別家かなどと、もめていたことがあるとおじいさんが言っていました。

私の小さい頃住んでいた茅葺きの家には、診察室だったという当時にしては「モダン」な部屋がありました。

そして、画像のような「薬箱」が今でも残っています。