硬膜脈瘻  こうまくどうじょうみゃくろう
          ~10万人あたり、約0.3人程度しか発症しない
               たいへんまれな病気に罹る~


 


 
2011年6月ころ  自宅

 それまでも、まわりが静かになると、秋の虫の声のような耳鳴りに気付くことはあったが、こんどのやつは心臓の鼓動と同期が取れた音だった。心臓がトクン、トクンと鼓動する音が、耳鳴りとして聞こえるのである。普段何かをしているときはそんなに気にならないが、夜ベッドに入って横になったときなど、その音は頭の中から響いてくるのがわかる。そしてそれは、左の耳から聞こえる音の方が強い。そこで、耳鼻科に行って診てもらうことにした。

2011年7月11日  駒ヶ根市 やまおか耳鼻咽頭科

 
駒ヶ根市内にある耳鼻科に通院したところ、診察をしてくれた医師は、机の引き出しから取り出した聴診器を私の頭に当てて、これは耳鳴りではなくて頭蓋骨の中から出ているものだから、シャント(血液の流出)の可能性もあるので、すぐに精密検査をしてもらった方がいいとおっしゃって、その場で伊那市にある総合病院に症状を書いた紹介状をFAXで送ってくれた。しかし、事態を重くみていなかった私は、自分の仕事の日程が調整できないことを理由にして、伊那の総合病院に足を運んだのは、それから2週間後のことだった。

2011年7月25日  伊那中央病院 脳神経外科

 伊那中央病院では、すぐにMRI(核磁気共鳴 現象を利用して生体内の内部の情報を画像にする方法)による検査の準備をしてくれた。実はMRIで脳の検査をするのはこれが初めてのことではなく、5月12日に、上京する特急あずさの中で右手がしびれたようになったので、軽い脳梗塞ではないかと疑って、この病院でMRIにかかったばかりだった。そのときの検査はどこにも異常がみられないきれいな脳で、高齢者特有の萎縮も全くないというものだった。
 MRIの装置の中に横たわると、約20
分間にわたって、「カンカンカンカン」と
いう大きな音が響き続ける。閉所恐怖症で
はない私は、全然苦痛を感じなかったばか
りか、あのリズミカルな音がなぜか心地よ
かった。そして、検査の結果はデータとし
て診察室に送られた。
6年前に、やっぱりこの病院で告知された
胃ガンのときもそうだったが、まったく予
想をしてなかった、しかも深刻な内容を突
然告知されると、動揺するというよりも、
自分と関係のない、何か別世界のことを言われているような気がする。医師の口から告げられた内容は、「脳の硬膜の下にある動脈から静脈に血液がもれています。静脈に圧力がかかると脳出血を引き起こし、命に影響を及ぼします」というものだった。

 MRIで取り込んだ画像は、動脈は流れが生じているから白く写るけれど、静脈は流れが弱いから、写らないように設定されているのだという。ところが目の前に示された脳の断面の写真には、白く星雲のようになった複雑な静脈が写し出されていたのである。そして、動脈から血液が吹き出ている様子も、はっきりと捉えられていた。なんと、あの「耳鳴り」は、血液が吹き出ている音だったのだ。

 病名は「硬膜動静脈瘻(ろう)」。原因はまだ解明されていない病気だが、症状としては何らかの理由により静脈の流れが悪くなり、それを解決するために体が静脈のバイパスを作ったときに、動脈と癒着をして血液がもれるようになるのだという。動脈は血液を送り出す側だから丈夫にできているが、静脈は血液を受ける側だから弱くて、そこに動脈と同じ圧力がかかると、破れて脳出血を引き起こすというのだ。

 治療方法は3つ。ひとつは頭蓋骨を切開して、血管を物理的に治療するもの。次はカテーテルを腿(もも)の血管から挿入して、脳の方に向かっている静脈に栓をするもの。そしてもうひとつは、最近始められた方法だけれど、放射線をスポットで照射して、血がもれている静脈を焼くというものだ。しかしどれを採用してもリスクが伴うもので、頭蓋骨の切開は、場所が耳の奥ということもあって現実的には無理だという。カテーテルを使った方法は、血管を傷つける可能性があり、静脈に栓をしたとしても完全に止められるわけではなく、放射線治療に至っては2年間もかかるため、病状がこれ以上進行しないことが条件だという。どの方法を採用するのか判断しなければならないが、まずは検査入院をして、精密検査をすることになった。

2011年8月2日  伊那中央病院 脳神経外科

  その日は朝から入院をして病室で点滴
 を開始し、11時から検査室に入ってい
 った。そこで行われた検査は、右の腕の
 動脈からカテーテルを挿入し、脳に向か
 っている血管ひとつひとつに血液造影剤
 を注入し、それをレントゲンで撮影して
 いくというものだった。心臓を通過させ
 ずに、腕から頸動脈にどうやってカテー
 テルを届かせるのかが未だにわからないでいるが、ひと晩泊まって次の日の午前中に退院しただけなのに、治療費を14万円弱も請求されたのをみても、今回の検査のたいへんさが窺われる。

 血液造影剤で白く浮き上がった血管を見ていた医師は、「きれいに撮れました」と言いながら、初見に間違いはなく、確かに動脈から静脈に血液がもれているのが確認できましたとおっしゃられた。そしてさらに、「無数の穴からもれています」との言葉を追加したのだ。父と長男宛の「遺言状」をしたためたのはその夜のこと。もうこれはダメだと思った。脳の血管から血がもれていて、その音が聞こえるのである。音はそのときによって変化をし、あるときは「ヒューン、ヒューン」と、またあるときは「プシューン、プシューン」と、それはまるで時限爆弾をかかえているようなものだったからだ。

 さて、治療方法を決めなければならない段階になったのだが、伊那中央病院の脳神経外科の担当医師は、「私の恩師が信州大学にいる」と言い始めた。その人はこの道の権威で、圧倒的に扱った症例が多いから、その先生に判断をしてもらった方がいいと、目の前で信州大学に電話をしてその先生とやりとりをしながら、診察の予約まで取ってくれた。そして、その日のデータをCD2枚に焼いたものを渡してくれた。

2011年8月8日  信州大学医学部附属病院

 モニターに現れた画像を見て考え込んでいた信大
の医師の所見も、伊那中央病院の医師の診断内容と
同じものだった。しかし、私の場合はたいへん運がいいとおっしゃられた。まずは、最短距離でここまで行き着いたこと。最初に耳鳴りではないと診断した耳鼻科の先生を褒めるべきだと言う。おそらくこのような判断ができる耳鼻科の医師は、県内にも4~5人くらいしかいないのではないかとおっしゃるのだ。次に、私の血圧が高くないこと。私の日常の血圧は120mmHgに届くことはなく、むしろ低い方で、朝起きたときなんかすぐに動き回れないくらいだ。そして最終的な判断の決め手になったのは、もれた血が脳にまで届いていなくて、硬膜の外で収まっていたことだった。なぜかというと、自然に治癒することもまれにあるのだという。

 この日の結論は、しばらく様子を見ようではないかというものだった。普段の生活で何に注意をすればいいのかと質問したのだが、「特に気をつけることはない」という回答だった。しかし、画像の中にある、自分自身の病んでいるか細い血管を目にしてしまった私は、体力の衰えを防止するためにおこなっていたジョギングなんかを、血圧が上がることが怖くて、それ以来できなくなってしまった。

2011年9月ころ

 今は、インターネットで検索をすれば、ほとんどの疑問を解決することができる。「硬膜動静脈瘻」とインプットすれば、この病気の全容を知ることができるのに、「予後不良」などという文字が現れるのが怖くて、それがなかなかできなかった。勇気を振り絞ってインターネットと向き合ったのは、最近の体調がどうも思わしくなかったからだ。そして、インターネットに書かれていた内容で驚いたのは、その発症の確率の低さである。

 なんと、日本における硬膜動静脈瘻の発生頻度は、0.29/10万人/年だというの
だ。もっとわかりやすい表現にすると、100万人に3人という確率の低さになる。ちなみに、ジャンボ宝くじの、3等500万円の当選確率は100万人にひとりの割合だという。
これが、1から31までの31個の数字の中から選んだ、異なる5個の数字つの数字を当てるミニロトになると、1等1000万円の当選確率は、17万分の1になってくる。宝くじなど未だかってかすったこともないのに、この貴重な「体験」は運が良かったからだと思えばいいのだろうか。

2011年10月17日  伊那中央病院 脳神経外科 

 3ヶ月様子を見たあとのMRI検査の結果は、7月に比べて静脈の曇りがだいぶ減っていた。そういえば、耳鳴りとして聞こえる血液が噴き出す音が小さくなったように思える。このまま様子を見て、また3ヶ月後の来年1月に通院して、MRIによる検査を受けることになった。

2012年1月16日  伊那中央病院 脳神経外科

 「私が診断してはいけないけれど、ずいぶん回復されていますね」と、MRI室の職員の方がおっしゃった。どうやら、私が騒音の中に身体を横たえていたときに、出力されてくる画像を見ていたようだ。

 脳神経外科の担当医は、3ヶ月前に比べると静脈の影がほとんどなくなっている画像を見て、「何も治療をしないでおいてよかったですね」と言われた。選択しなければならなかった治療方法は、いずれもリスクを伴うものだったからだ。この頃は、血液が噴き出す音が聞こえるときの方が少なくなり、症状が和らいでいることをうすうす感じてはいたが、こうやってきれいになってきた画像を実際に見ると、絶望的な状態を脱したのだという確信が得られた。

 傷口や皮膚の近くが病んでいるのだったなら、さすったりすることもできるのだが、事が頭蓋骨の中だったから、「音よ止まっておくれ」と念じるしかなかった。それが通じたのかどうかはわからないけれど、次の診察は半年後になった。「途中でまたおかしくなることはないですか?」との質問に対する答えは、「そうなれば自分でわかるでしょ!」
というものだった。

2012年7月9日  伊那中央病院 脳神経外科

 1月以来6箇月ぶりの、MRIを使った頭の中の検査をしたところ、動脈から静脈への血液の漏れは止まっていて、影ひとつないきれいな画像だった。何らかの理由によって血液の流れが悪くなり、体が静脈のバイパスを作ったために発生した症状。人間だって楽な方向に向かうから、血管だってそれを使わない方向には行かないだろうに、「治ることもあるんだ」というのが、担当医師の感想だった。そして、「何もしないでいてよかったね」とまたもおっしゃられた。1年後にまた今回のような検査をして、異常がなかったなら終了にしようということで、来年7月の検診の予約を入れました。これで、不安材料がひとつ消えました。この10年あまりの間に、「命拾い」を2回もしたことになります。

 世の中が森田さんを必要としているうちは死ぬことはないよと、ある人は励ましてくれたけれど、そして「生きよう」という執念みたいなものも、自分自身ではそんなに強くは感じていないけれど、こんなにも珍しい「奇病」を克服したこともまた事実です。親戚をはじめとして、発症したときに説明をした方々に報告してまわりました。琉くんが小学校に入学する姿を見られないかもしれないと思っていたけれど、そこまで生きられる可能性が出てきました。これからは、今まで以上に、一日一日を大切にして生きていかなければなりません。

2013年7月8日  伊那中央病院 脳神経外科

 1年前に通院したときに、今日の検診を予約しておいた。そしてMRIで頭の中を撮影した結果は、再発の兆候は少しも見られず、極めてきれいなものだった。
 「治ることもあるんだ…」という担当医の言葉を噛みしめながら、この難病から卒業しました。


 

  治癒していく経過がよく分か
  るMRI画像です。