地獄の訓練

                
     

 
基礎コース249期(平成元年10月16日)修了生の森田勝さんが、月刊誌「エレクトロニクス実装技術」に「地獄の訓練」と題するコラムを書いてくださいました。また「他人に聞こえるひとりごと」という本を発刊しました。

今日の自分があるのは「地獄の訓練」のおかげですと会う度に仰っていただいておりましたが、多分お世辞半分だろうと「ふふふん」と聞き流しておりました。

今回、出版された本を読んで、なるほど本当に訓練を活かしておられるのだなと改めて感心しています。どこでどう活かされているかということは、本を読むとよくわかります。

忘れもしません。森田さんは14年前、私が長野県で訪問した第一号のお客様なのです。駒ヶ根ケンウッドの課長さんでした。

訓練を終えてからすぐ職場改善が始まりました。百名の部下には礼儀、挨拶訓練、清掃訓練、十ヶ条、共感論争、等々を教え、決意三ヶ条も書かせてチェックしました。

その後、森田さんは長野ケンウッドを立ち上げられて10キロも体重が減るほど忙殺を極め、私も体重を増やしながら、5、6年ご無沙汰しておりました。

今、森田さんは業務改善コンサルタントとして全国で色々な会社を見ていますが、何をすべきかが見えてきても、それを実行する行動力が伴っていない。その行動力を管理者養成学校の訓練で鍛えられたら、と仰っています。
                          (山口玲子・筆)


静岡県のJR富士宮駅前の街頭で、白い服を身にまとった男たちが大声で歌を歌っている。通りすがりの人たちは、異様な雰囲気に怪訝そうな顔をしながら通り過ぎてい
く。こんな光景をテレビなどで見た人は多いのではないかと思う。

 「何をバカみたいなことをしているのだ。何
 もここまでして仕事にのめり込まなくてもい
 いではないか」と、私もその時は思ったもの
 だ。

 管理者養成学校が主催する、この「地獄の訓
 練」に私が参加したいと思ったのは、自分の
 甘さが見えていたからである。こんな甘さを
 抱え込んでいたのでは、これから目の前に現
 れるだろう難関を乗り越えることは無理だろ
 うからと、何とかして自分自身を鍛えたかっ
 たのだ。たとえば、目の前に私と相対する人
 がいて、その人が「地獄の訓練」を体験して
 いた場合、到底その人にはかなわないのでは
 ないかと思ったことも、その動機となってい
                た。
  
予備知識として訓練の内容を知らなかった私は、文庫本とノートを鞄に詰めて持って行った。「余暇」を利用して読書をしながら毎日の出来事を日記に記録したいと思っていたのだが、んな甘い考えは第1日目にして簡単に吹き飛ばされてしまった。朝4時半の起床から夜10時の消灯まで、一瞬だって自分の自由になる時間などないのである。食事も入浴もトイレに行く時間ですら訓練の一貫であり、一定の規律と課題を意識付けられた上での行動になってくる。訓練の内容も座学、つまり机に座って聞いていればいいパターンはまったくなく、すべて自分の意思を明確にして行動しなければならないものばかりであった。

まず入学すると白い服に着替え、胸には13種類の黒いリボンが付けられる。白い服は、今までは肩書きで仕事ができていたかもしれないが、ここではそれを取っ払うことからスタートするということを意味しており、胸のリボンは「発声」、「電話報告」、「素読」などと書かれており、管理者としてこれだけ欠点がありますと宣言することを意味している。このリボンの内容を一つずつ訓練によって高め、試験に合格して外していくのがこの訓練のプログラムである。60点を合格基準としても、最初は3点とか5点といった点数でしか評価されない。つまり、それだけ能力が不足しているということを思い知らされる。

たとえば体操訓練という課題、普段何気なくやっているラジオ体操との違いは、手足を曲げるべきところは曲げ、伸ばすべきところは伸ばすという当たり前のこときちんとやること。そうすればたった1回の体操をしただけでも汗だくになる。試験の時は順序を間違えず一つひとつの動作の正しさが要求される。5人並んで試験を受けるのであるが、間違えた人が次々と座らされていき、最後まで残った人が合格かといえばそうではなく、今度は制限時間の範囲に入っていないと言われる。体操訓練のリボンをひとつ外すのにも、たいへんな努力の積み重ねが必要になってくる。

 入学した当初は、自分のペー
 スでことを進めることができ
 ないことと、日常の生活とは
 異なる環境に心の中のどこか
 で抵抗している。自分自身が
 今までに築いてきた価値観み
 たいなものを壊されていくた
 めに、反発する気持ちが徐々
 に表面化し始める。これが2
 ~3日の期間だったら我慢することもできるが、なにせ13日間という長さである。そんなふうに自分との葛藤から抜けきれないでいるうちに、まわりの人たちが課題をクリアしはじめる。こんなことをやっていると自分だけが取り残されてしまうのではないかと思い始めた頃に、夜間の40キロ行進が組み入れられてくる。

1枚の地図だけを頼りに暗い道を辿って行くのであるが、前夜わたされた地図にしたがってグループで予習をし、任務分担まで決めておいたのに、出発の5分前に地図が回収され、違うコースのものが手渡される。管理者には予測できない状況が待っているかもしれないから、それに即応する力を付けさせようというのが狙いのようだ。一晩かかって40キロを歩き通し心身共に疲れ切った頃から、心の中が真っ白になっていくのを感じてくる。そうすると、何故だか理由がよくわからないのに涙がぼろぼろ流れて止まらなくなる。やっと素直な気持ちになることができ、課題に真剣に取り組む意識の状態が作られたのだ。といっても、流されているだけでは前に進むことができないから、10時の消灯後トイレの薄明かりを頼りにして学習したり、校庭の端っこに行って発声の練習を暗闇に向かってしたりした。自分個人のことを考えているばかりでなく、グループのメンバーとの和もそこでは考えなければならない。

入学する前は何か宗教的な雰囲気を持っている訓練だとの印象が強かったが、いざ体験してみるとすばらしい訓練であることがわかる。管理者に必要な「見る」、「聞く」、「考える」、「話す」、「書く」、「行動する」といった要素が巧みに組み込まれていて、何よりも自分の管理者としての欠点を気付かせてくれる。おそらく体験した者でないとこの訓練 の本当の良さは理解できないのかもしれない。

「地獄の訓練」に参加したのはもう15年も前のことである。しかしながら、今でも私の意識と行動にはあの時の経験が土台となっている部分が多い。若いうちに、それもできるだけ早い時期に体験した者が勝ちである。そんなことを思いながら、自分より若い世代の管理者を見ている。

             「社員教育」  2002年10月1日 発行