高遠藩の医師 
       
森田周達の別家・本家の争い

 
塩田に高遠藩の藩医を勤めた人物がいた。森田周達という。
腕の確かな医者で藩主の診察にも登城し、地域でも高い地位にあった。高遠藩で藩医の地位を調べると、郡代や奉行と同列の地位であった。郡代とは、地域を取り締まる代官の上役である。

医師の下に無足医(無給)がおり、医師を補助したとあるが、森田周達は嘉永二年(1849年)苗字帯刀・高足差免となり、後に森田家の別家となった。周達は天保年間、栗林片桐家に寄寓のあと、箱畳の廃屋森田家を継ぎ、明治十九年五月没した。(上伊那史・人物編)

周達は美濃の出身だが、高遠領の洗場に移り、蘭方医熊谷珪硯に学んだあと栗林にやってきたが、この間の経緯は不明だ。苗字帯刀は誰でもわかるが、高足差免とは何か。差免とは差し許すこと。高足とは、高下駄と理解した。

天保年間は飢饉が続き、幕府は老中水野忠邦をして三大改革を実行した。その中に、
  ・百姓共下駄はき候義無用に候
  ・雪踏駄履類は決して相成らず候事
として、上品な下駄を高級品として庶民に使用を禁じた。藩は周達に下駄使用を許したこととなる。

医師周達家は、初代周達・二代忠達・三代繁太郎・四代喜久・五代周達と続く。
昭和の時代になって、本家の森田家と別家・本家の主張の食い違いが生じ、五代目周達(屋号・大東)は、我が家が本家だと言い出した。別家の医師周達は、森田家を公に名乗ることを藩から許されたのに、本家の森田は表向き森田を名乗ることができなかったことが関係していたのではないか。

それだけでなかったことが判明した。江戸時代、末期ながら高遠藩の名士となった周達の末裔は、我が家が森田家の本家と思いたくなる気持ちは、ある程度理解できなくもないが、歴史は風化していくので、別家本家の争いは世間にいくらでもある。本家が落ちぶれて別家が勢いよくなり、本家の墓地の伽藍堂を自分の墓地に据えたり。これは、江戸時代の跡式(相続)を決める際隠居別家した家で、また子供が生まれたりして後の年代に本家・別家の争いが生じている例がいくらでもあった。

森田家本家の家筋(屋号大羽場)
墓石の筆頭は寛永二年(1749)平吉となっている。明治五年の家筋によれば、金市が組頭筋となっている。組頭とは名主の補佐役で名主が村長の立場だから、差し詰め助役ということになる。ただ、組頭筋の金市が墓石に乗っていない。しかも墓の土地台帳名義の金太郎の名も無い。金市の名は元治二年乙・丑正月(1865)の塩田組五人組帳にも記載があり、孫左衛門後家に金市とある。甲氏の祖父伊那耕地・伊藤家から養子に来た金一郎は金一郎の養子ではなかろうか。

墓石に名が無いのはどうしたことか。本家大羽場の甲氏が生前、戸籍やなんかあてにならん、と語ったことは何を指しているのか。何か謎が潜んでいるようだ。戸籍謄本を見て驚いた。金一郎を周達三男・養父・孫左衛門(墓石に天保五年没)とある。明らかに戸籍簿に細工がある。伊那耕地・伊藤家からの養子・金一郎をなぜ周達の三男にしたのか。

ただ、森田周達が箱畳に居ついた時期を本家・大羽場と比較すれば約百年後であり、明らかに周達家が後だったことがわかる。最近亡くなった本家の森田甲氏の語った記録書によれば、周達家に昔二代嫁いでいると語っている。また、漢方薬の処方箋文書が残されている。さもあらん、と思われることがあった。

また周達家に戻るが、初代周達の子に忠達なる漢方医がいたことが分かった。(駒ヶ根市史現代編上巻)に紹介されている。金一郎は明治二十年ころ結婚と判断されるので、戸籍の細工をした人物は、森田忠達ではないか。確証はないが、忠達のお袋さんか、連れ合いが本家の甲氏宅から嫁いだ人かもしれない。

周達家の宅地は江戸末期、福沢源八氏の土地で、当時は原野だったことが自治組合に保管されている絵図ではっきりしている。そこに移る前、甲氏宅に居住していたのではないか。五代目周達家・大東を取得した北沢秀夫氏が、当時から現存している土蔵内に明治二十八年忠達の記名を発見した。これで、本家大羽場の金太郎も金市も戸籍から闇に葬り本家別家をひっくり返した真相が明らかになった。所々の出来事の時期も一致している。ただ、なぜ養子・金一郎を周達の三男にしたのか、その真相は相変わらず謎のままだ。
                 平成三十年一月   福澤文雄 記


福澤文雄さんは、私と同じ箱畳常会に住んでいて「郷土史」を研究されている方です。
私の父が生前「本家・別家」のことをよく言っていたので、それを気にとめていてくれて、今回の結論づけになったところです。
できれば、父が存命中にこの話を聞かせたかったです。

  森田甲 : 私の父
  大羽場 : 私の家の屋号
  大東 : 「本家」を主張していた家の屋号
  周達 : 高遠藩の藩医の名前であり、すでに亡くなられた大東のご主人の
      名前でもある
  北沢秀夫氏 : 大東の土地を購入されて、現在も住んでいる方