労働運動



          労働運動とは
          あくまで改良闘争であり
          搾取という事実を否定できても
          それを拒否することのない
          体制内の運動でしかないこと

          そんなことは
          ずっと前からわかっていたけれど

          春闘方式が
          高度経済成長の枠の中でだけ闘われ
          不況という経済矛盾を現実にしても
          質的転換ができないように

          失業者が増加して
          雇用闘争をスローガンにしながらも
          組合員でない臨時工の首切りを
          阻止できないように

          労働運動の限界を
          労働者自身が作り出してしまっている
          それは
          「働く者の生活と権利を守る」という
          エゴイズムになりがちな方針が
          すでに自己保身にのみ作用しているから

          資本ののどもとに
          刃を突きつける運動は
          ほとんどなかった
          支払能力論と
          運命共同体論を
          打破する闘いはなかった
          なぜなら
          組織に守られた労働者たちに
          危機感なんて
          感じるわけがなかったからだ

          ボクは
          「障害者」自身の闘いが
          階級闘争の本質にふれるものであることを
          少しずつ知りはじめている
          労働運動が
          「障害者」運動に対して
          何のかかわりをもたなかったばかりか
          差別する側に立っていたことが
          自分自身の問題として
          たいへん恥ずかしい思いをしている
          労働運動は
          「健全者」の生活を
          ぶち壊さなくてはならないのかもしれない

          資本主義社会は
          階級矛盾であり
          階級の接点に存在している
          プロレタリアートこそが
          革命を担うことができると
          確信していたのに

          目の前にせまった78国民春闘
          生活実態調査をし
          学習会や討論集会を組織し
          要求組み立てをしなければならない
          そんな立場にいながら
          いま、ボクは
          労働運動というものが
          わからなくなっている