中野君
 
 
            @
 
          
盆の帰省で家に帰ったら
          近所に先生の友達の家があるから
          会いに行くようにと
          中野君に言った

 
          小遣いを5千円持っていくのだから
          パチンコをしたり
          映画に行ったり
          ストリップを見てくるようにとも言った
 
          彼は
          紙にそう書いて
          印鑑を押してくれと言う
          9日に
          家の人が迎えにくるから
          会って話をしてくれと言う
 
          盆に帰っても
          自由に外出ができなくて
          自分で稼いだお金さえ
          満足に使えない
 
          それでも
          一杯飲んだりできるから
          家に帰りたいと言う
          昭和11年生まれ
          42歳の中野君
 
 
            A
 
          職員が
          俺のことを「バカ」呼ばわりした
          やっぱり
          「精薄」だと思っているんだ と
          中野君が怒って家に電話をしている
 
          あるとき
          この世に「精薄」なんていないんだよ
          みんな同じ人間なんだから と言ったら
          「俺みたいなのが『精薄』なんだ」 と
          つぶやいた中野君
 
          私は
          彼が
          机に向かってする単純作業では
          満足しないことをわかっていながら
          それを押しつけることしかできないでいる
          椎茸の原木をあげることや
          カニの居場所を教えることで
          彼の不満を解消しようとしている
 
          西駒郷にいることが
          彼にとつて「幸せ」なんだと
          決して思ってはいないけれど
          やっぱり 彼と同じ位置に立っていないし
          自分のやっていることは
          「精薄」を
          固定化する作用しか果たしていない
 
 
            B
 
          38度線が
          朝鮮半島をぶった切っていることを
          知っている中野君
          ミスト交渉があるから
          日ソ平和条約を結べばいいと言う中野君
          自衛隊は必要だ
          攻められたときどうするのだと
          真剣な顔で主張する中野君
 
          ちょうど 1年前
          私が担当しはじめた頃
          中野君は怯えきっていた
          私がちょっと手を動かすと
          腕で顔をかばい後ずさりした
          なんとかごまかして
          仕事をさぼろうとしていた
          作業中は居眠りをした
 
          今は
          ちょっとでも始業に間に合わないと
          駆け足で来ることがある
          自分で決めた目標に向かって
          黙々と作業をしていることが多い
          温室を作ったり
          椎茸やシメジを栽培したり
          余暇時間を
          自分の意志で活用している
          なにより
          人間らしい表情になった
 
          何も「指導」したわけではない
          ただ あたりまえに
          彼をひとりの人間として認めて
          接してきただけのことだ
          中野君の言いたいことを聞き
          私も言いたいことを言っただけだ
 
          ほとんどの同僚が
          中野君をバカにする
          彼の行動ひとつひとつが
          気に入らないというような顔をする
 
          中野君は
          洗濯は好きじゃなくて
          袖口なんか汚れているけれど
          水分が切れると落ち着かなくて
          いつも顔を唾液で濡らしているけれど
          口のあたりがさみしいらしく
          夏でも茶色になったマスクをかけたり
          指を4本も突っ込んだりするけれど
          ズボンのチャックは
          開いていることのほうが多いけれど
 
          でも
          頭ごなしに
          彼の言い分なんか聞こうともしないで
          みんな攻撃する バカにする
 
          みんなは
          職員の行動を見ていたのではないか
          長い間にわたる職員の対応が
          しみ付いてしまったのではないか
          そして 職員は
          中野君と
          本当に向き合おうとしていたのか
 
 
            C 
 
          西駒郷に来る前は飯場暮しだった
          水道やガスの穴を掘って
          食べ物と衣類をもらっていた
          盆には3千円のこづかいをもらつた
 
          福祉事務所の人たちは
          「西駒郷はいいところで
           なんでも好きなことができる」と言った
          「柵があるか?」と聞いたら
          「もし柵があったら帰って来い」と言われた
 
          家の人は
          飯場にいれば酒を飲んで
          二日酔いばかりしているから
          行ったほうがいいと言った
          民生委員の人も強くすすめてくれた
 
          福祉センターに行って
          知能テストをやったら
          「この人はかなりいいところまでいく」
          と言われた
          西駒郷のパンフをもらい
          仕事をやっている写真を見て
          はたしてここでつとまるかどうかと考えた
          本当は
          西駒郷には来たくなかった
 
          入ってみたら
          1日にタバコが3本という決まりだった
          がまんをしていたが
          吸殻を拾わなければいられなかった
          家に帰りたかった
          何回か逃げ出したが
          そのたびにつかまえられた
 
          老人ホームに行きたかったのは
          職員にきつくやられたからだ
          眠たいことや
          頭の痛いことを
          ちっとも聞いてくれなかったからだ
 
          今は
          逃げようとする気持ちはない
          長いもや信州シメジをつくれるし
          人の話を聞いたことや
          食事や起床のことが勉強になった
 
          だけと
          たとえ500円でも
          自由になる金が欲しい
          運動会をやっても
          保護者の人は酒を飲んでいるのに
          俺は飲むことができない
          一般の人と同じようにしたい・・・・・
 
          「この際だから言っちゃうか」と
          中野君が淡々と話してくれた
          「俺はバカだけど
           まさか殺すわけには行かないからな」
          と、開き直っている中野君
          将来は
          庭師になりたいという
          自分ではできないから
          手伝いをしてまわるんだという
 
          彼の希望は
          いつになつたらかなうのだろうか
 
                    (1978.8.5〜1979.10.12)