変えようと思っても変われない会社

  〜生産革新に弾みがつかないホントの理由とは?〜

プレス技術
2008年 2月号
日刊工業新聞社



 企業の業務改善活動のお手伝いをするという私の仕事は、新規顧客獲得のための営業活動をしよう
としてもその手段は限られてしまっている。ダイレクトメールの的中率なんて極めて低い数値である
というし、飛び込みをしようにも対象とする企業を絞り込みにくく、併せて可能性の低い方法に対し
て貴重な時間を投入することは現実の問題として不可能である。そこで、こうやって原稿を書いたり、
それを書籍にして出版したり、開催される講演会やセミナーの場でいろいろなお話しをさせていただ
くことになる。

 しかしながら、ものを売る商売とは違って、「改善」などという得体の知れないサービスに、簡単
に飛びついてくれるお客さんなど極めてまれである。同時に、形のないものに投資をするといった文
化がまだ日本には形成されてはいないことと、経営状況を外部の人の目にさらすということに少なか
らず抵抗があることも相まって、「経営コンサルタントの力を借りよう」などという発想はなかなか
生まれないようだ。そして、あるべき理想の姿ばかりを唱えて、現実のぐちゃぐちゃした実態には目
を向けようとしない、したがって現実的で具体的な改善案を提供しようとしない、一部のコンサルタ
ントの指導方法などに対する拒絶感なども根強いものがある。

 そんな環境の中で、私に対してオファーをくれる企業というのは、何らかの問題意識を持っており、
それを解決することを真剣に考えている企業ばかりなのである。どこの企業にも大なり小なりいろい
ろな問題が存在しており、そしてそれを解決しない限り新たな成長は見込めないのであるが、問題意
識を持っているかいないかの程度は、企業によって大きな差があるといえる。

 つまり、変わろうとしているからいろいろなアクションを起こそうとしている会社と、変わろうと
しているがそれが具体的な手段にまで展開できない会社と、変わろうとはしているのだろうが変われ
ない要素を持っている会社との3つに大きくは分類されるのだと思う。もし仮に、まったく変わろう
としない会社があったとしても、そんな会社がこの変化の激しい社会情勢の中で生き残っているとは
考えにくいから、どの会社も現状を変えようとはしているのだと思っている。そこで問題になってく
るのは、変えようとしても思ったように変われない会社の方が圧倒的に多いだろうということである。

何を変えようとしているのか

 変えるといっても、社名や、会社案内のパンフレットの内容や、商品のパッケージのデザインや、
社屋の外観などの見てくれを変えようとしているのではない。社員に能力がないからといって仕事か
ら外していけば、やがて一人も残らなくなってしまう。このようなことは会社を変えることとは思っ
てはいないのだろうが、それでは何をどうやって変えていけばいいのだろうか。どの会社にしても、
このあたりが明確になっていない場合が多いのではないか。

 具体的な例をいくつか挙げてみよう。売り上げが毎年落ち込んでおり、それに伴って利益が確保で
きなくなっている。売り上げは微増しているか横ばいなのであるが、利益の比率が低下してしまって
いる。新製品の開発が遅れ気味のために、商売をする商品がこのままではなくなってしまう。売れる
と思って開発した新製品が、市場では受け入れられないらしく販売が伸びない。労働力の確保が困難
になり、派遣社員などを使って何とか埋め合わせをしようとしているのだが労務費の比率が上がって
しまっている。競合他社の商品に対抗していくためには大幅なコストダウンが必要だ。市場クレーム
が頻繁に発生しており、早急に手を打たないと大口の顧客を失ってしまうことになる。

 現在保有している設備では新しい技術を伴う製品の生産ができない。部品や製品の在庫がどんどん
膨らんでいき、倉庫を増築しなければならないがそんなスペースはない。顧客からは短納期を要求さ
れるが、それに対応することができないために失注につながってしまっている。多品種小ロットの生
産に取り組まなければならないが、そんなノウハウもないために極端に生産性が低下してしまう。不
良を流出させないためには検査の工程を増加させるしかなく、現場の直接工数がどんどん増えてしま
っている。

 このような問題を抱えている場合、ひとつひとつの課題に焦点をあてて改善を加えていくわけであ
るが、この作業をスムースに効率よく進めて結果に結びつけていくためには、会社が本当に変わろう
としていないとなかなか進まないのである。こう考えていくと、変わるということは、今までの価値
観を壊すことができるかどうかということになってくる。もう少し詳しく表現をすると、長年培って
きた、今までは正しいと信じてきた固定観念を打ち破り、新しい考え方を受け入れることができるか
どうかにかかっていると言える。変わろうとはしているのだろうが変われない要素を持っている会社
とは、これがなかなかできずに、もはや苔が生えてしまっているような過去の成功体験に、いつまで
もしがみつこうとしているのである。

悪いことを認めることからはじめよう

 私がお招きされた会社に行って改善活動を始めると、あちこちに潜んでいたいろいろな問題がだん
だん浮き彫りになってくる。そうすると経営者や部門の責任者から決まったように寄せられる質問は、
「うちの会社ほどひどい会社は他所にはありますか?」というものだ。私はそれに対して「どの会社
にしても同じようなものですよ」と答えるのだが、それは質問者を安心させるために言っているので
はなく、単に事実を伝えているのに過ぎないのだ。

 工場に足を踏み入れたとたんに、そこに漂っている空気みたいなものから、現場の大体の実力は推
し量ることはできる。ある工場の例であるが、現場の真ん中にある通路を歩いている限り、モノ作り
に対する実力はかなり高いレベルにあることがわかるものであった。設備のレイアウトや物の置き方
は整然としており、1個作りが徹底されているために工程間の仕掛かりなど見受けられない。組み立
て工程は助け合いの伴ったUラインが機能しており、作業者の動きもスムースな状態であった。

 ところが、その後のミーティングの場で工場長から出てきた発言には、私が感心するような取り組
みに対しても、ひとつもそれを自慢するような内容は含まれてはいなかった。そればかりでなく、現
状の運営上で不足していること、当初の構想どうりに進んでいないこと、次のステップは何をしたら
いいのかが明確になっていないことなどが、極めて客観的に述べられたのであった。誰にだって自尊
心みたいなものがあるから、自分が築き上げた体制や実績をベースにして発想したいはずであるが、
その工場長は、それよりも今把握している「悪いこと」の方を優先しているのである。

 「うちの会社ほどひどい会社は他所にはありますか?」といった質問が出るということは、お互い
が現状の悪さ加減を共通の認識として共有できたことの証明である。このような展開になっていくと、
私の提案がスムーズに受け入れられるようになる。逆に、「この部分は絶対他社に負けてはいません
よ」などという感覚がどこかに入り込むと、現状を変えようとする改善活動の足を引っ張ってしまう
ことにもなりかねない。つまり、悪さを素直に認めることからスタートしないと、今までにはなかっ
た価値観や手法を受け入れることができないのである。

経営者が抵抗勢力になる場合

 ある会社の経営者は、私に対して会社の状況を説明してくれるときに、「俺がだらしがないからこ
んな状態になっているのだ」と嘆かれた。その方は、私の目から見ても社長の職責は十分こなしてお
り、ビジョンも展開もその後のフォローも申し分のないものであるのだが、本人にしてみれば、今の
結果を生み出している基になっている自分の行動に納得できていないのであろう。「嘆く」などとい
う表現をしてしまったが、そのことにより決して卑屈になってしまうのではなく、そして「嘆く」段
階にいつまでもとどまっているのではなく、それを取り返そうとする行動を次には起こしている人で
ある。

 このような捉え方を基本におくことができる経営者はあまりいない。一般的には、会社のレベルが
向上しないのは部下が悪いと思っている社長が多い。したがって、会社を変えるのは、自分自身が変
わることではなく、部下の質を変えることだと思っている。私を雇ってくれているのは経営者である
から、「あなたが悪いから会社がこうなってしまったのですよ」とはなかなか言えない。そこで、現
場改善をしながら部下の力をつけていくことに取り組むことになる。

 経営者が変わらないまま、部下の実力ばかり向上していくと、いつかはそのギャップが表面化し、
会社運営がぎくしゃくしてしまう事態が訪れるはずだ。ところがそうはならないのは、経営者も同時
に変わり続けているからである。問題の解決をするために外部の力を借りようと発想できるのは、そ
の人に客観性とバランス感覚と自分に欠けている部分が見えているからできるのである。

 ところが、変えようとしても思ったように変われない会社には、経営者が抵抗勢力になってしまっ
ていることが多い。表面上は「変化」とか「改革」とか「変革」とかいった言葉を口にしていても、
自分が作ってしまっている境界をはみ出ることを嫌っていると、社員はそれを敏感に嗅ぎ取って、自
分の行動をコントロールするようになってしまう。つまり、どこかで社員の自由な発想を阻害してし
まっているわけだ。

社員が変わろうとしない場合

 いくら働きかけを行っても、新しいステージに踏み出そうとしない社員がなぜそうなってしまうか
であるが、いちばん大きな原因は、それまでの会社人生活の中で、そのようなチャレンジをする機会
がなかったことと、それをしなくても済んできたことにあるように思う。つまり、変わるということ
がどういったことなのかが実感としてわからないのである。

 もうひとつの要素は、目標だけを与えられるのではなく、方法についての細かいことまで指示をさ
れ、管理され、うまくいかない場合は責められてしまうことだ。そのことにより、自分の力で発想す
るといった能力を発揮することができないまま、それの繰り返しにより退化してしまっている。決し
て指示待ち人間にまではなりきってはいないのだが、何らかの指示がないと不安になってしまい、結
果を責められることばかりが続いていると、何よりも優先して言い訳を考えてしまうようになる。

 このように、社員の体質が固定してしまっているのは、その会社の風土がそのまま乗り移っている
だけのことなのである。とかく、社員ひとり一人のマインドがその会社の体質を構成しているかのよ
うに思われがちであるが、実のところは逆で、その会社の風土なり体質という傘の下で、ひとり一人
の社員のマインドが形作られているといった構造なのである。

どうすれば変わることができるか

 これにはいろいろな方法がある。経営者や部門のトップを変えることにより、今までとは異なる展
開を強制的に進めていくのもひとつの方法だろう。多くの組織がこのことによる効果を狙って、定期
的に人事異動を実施している。ところが、なかなか会社の体質を変えるところまでは到達しない。そ
れではそこに何が不足しているのであろうか。

 それは、企業としての大きなビジョンと、目標と、何が何でもそれを達成しようとする強い意志が
あるかどうかである。そして、それを社員のひとり一人の力を結集しながら実践していこうといった
方向に基づいて、絶え間ない改善活動が継続されているかどうかである。そうすることにより、ひと
り一人の社員が決して不完全な現状には満足をしないようになるだろうし、自然な形で常にチャレン
ジしようとする意志を持って仕事にのぞむはずだ。

 会社における企業活動の主人公はいったい誰なのだろう。このような問いかけがされた場合、ひと
り一人が主人公ですといった答えが、実態の裏付けを伴いながらされるようならば、その会社は変わ
り続けることができると言えるだろう。受付を担当している社員も、営業や設計や設計を担当してい
る社員も、そのときの持ち場が違うだけであって、進もうとしている方向は同じなのである。社長も、
工場長も、社員についても、それは任務を分担しているだけであって、やっぱり目指す方向はひとつ
なのである。 

 会社を取り巻く環境が刻々と変化している以上、それに追従できないところは脱落していくしかな
い。そして追従するとは、環境の変化に合わせた形で自らも変わり続けるということである。これは、
「変えなければならない」などと意識しただけでできるものではない。いちばんいいのは、会社のあ
ちこちに転がっている問題を顕在化させ、それぞれの立場でみんなが自分の問題だと捉えること、そ
してそれを解決することが仕事なのだと認識することである。そうすれば、会社というものは、自然
な形でレベルアップしていくはずである。