オリジナルの歌や、私の人生に寄り添ってくれた曲を、YouTubeにアップしました。
 
美しかりしオーミエール この「不」確かなもの
 ひとりごと 停(とどめる)  わが子よ
高原のお嬢さん cover 良ちゃん ひとねむりすれば
  
 
            ユキノシタ               6月 15日  更新
 
   
ユキノシタは、半日陰の湿った場所に生えると言われます。
我が家でも、家屋の北側の、陽が当たらない場所に自生しています。
丸っこい白い縞のある葉っぱが魅力的なのですが、残念ながらここには映っていません。


あと あと のあと 2025年 6月

6.17b
 5歳の娘・芽衣を事故で亡くした鈴木佳恵と看護師の夫・忠彦。悲しみに
 暮れる日々を過ごしていた佳恵は、骨董市で芽衣に似たかわいらしい
人形
 を見つけて購入し、我が子のように愛情を注ぐことで元気を取り戻してい
 く。

 しかし佳恵と忠彦の間に新たな娘・真衣が生まれると、2人は人形に見向
 きもしなくなる。やがて、5歳に成長した真衣が
人形と遊びはじめると、
 一家に奇妙な出来事が次々と起こるように。

 人形を手放そうとしたものの、捨てても供養に出してもなぜか戻ってきて
 しまう。
 佳恵と忠彦は専門家の助けを借りながら、
人形に隠された秘密を解き明か
 していくが……。  
                (映画.com) 

 転んでもただで起きない困ったやつが私でして、2023年に見た「ミー
 ガン
」の印象が強く残っていたから、この作品にしようと思った。

 何度となく、背中をゾモゾモさせてもらいました。 (郡山テアトル にて)    
6.17a

 福島県の本宮市で乗ったタクシーの、室内で表示された外気温は34℃に
 なっていた。

 東京まで移動すべく郡山駅に着いたのが15時30分。
 ところが東北新幹線は運転見合わせになっていて、運転再開の見込みは19
 時になってしまうという。

 この体力で、3時間半も駅構内に待機していることは無理だし、運転再開
 ても車内は混雑しているだろうから、もうひと晩郡山に宿泊し、明日の朝東
 京に移動することにした。

 昨日は6時間の移動でクタクタになり、今日は仕事に入ったけれど、私の様
 子を見たお客さんは、現場に入るのを勘弁してくれたので、それに甘えさせ
 てもらった。

 膀胱や尿道の働きは徐々に正常になってきたけれど、いかにせん75歳の
 力
は元に戻るのが遅い。 
6.16

 タチアオイが咲き始めました。
 タチアオイは、品種によって一年草、二年草、多年草があるそうで、その年の株が枯れても、次の年にそこから
 芽を出すとは限りません。
 我が家は今や「タチアオイ御殿」と化していますが、そんなわけもあって去年よりも本数が少ないようです。
 
6.15


 弟夫婦と、高遠の「しんわの丘ローズガーデン」に行った。
 最盛期からは2週間くらい遅く、それも雨上がりだったから人影も少なく、まあまあバラ園の空気は味わうこと
 ができた。
 
6.14
 主治医の先生は、「ビーバー(刈払機)くらいなら使っても
 いいよ」と言ってくれたけれど、これを使った作業は身体
 に大変な負担がかかります。

 今日は昼から雨が降るという予報だったので、朝から草刈
 り
に着手しました。
 土手は滑るから、スパイク付きの地下足袋を履いて、途中
 に咲いているタチアオイの花を避けながらの作業でした。

 ビーバーの場合は、自走機と違って、後で草集めをしなけ
 ればないけれど、転がり落ちる心配がないだけ、安心して
 作業が出来ます。
 
6.13  

 20日間くらいギターを手にしなかったところ、左手の指先に出来ていた「タコ(圧迫や摩
 擦刺激に対する皮ふの防御反応:堅くなる)」がなくなってしまった。

 ギターをかかえると下腹に力が入って痛かったし、声だってかすれていて満足に出なかった。
 だから今日は、久しぶりにコードをつま弾きました。

 私の日常は全部老化対策だけれど、ギターも指を複雑に動かし続けるから、ボケ防止には効
 果的だと思う。

 同級生の「マネージャー」が、また演奏する機会を作ってくれると思うから、今のうちにレ
 パートリーを仕込んでおくのです。
6.12
 49歳でこの仕事を始めた頃は、「そんなに若くて大丈夫か?」と
 いう反応を感じていた。
 私のような職種は「生産系コンサルタント」に分類され、今はやり
 の「人事コンサルタント」や「ITコンサルタント」などに比べる
 と、決して華々しい職業ではないと思う。

 私は「トヨタ生産方式」をベースにしているから、「目で見る管理」
 や「動作分析」などの泥臭い改善手法を採用してきた。
 コンピューターそのものは何もやってくれないし、ブラックボック
 スに陥ってしまいがちだからと、まずは手動の仕組み作りから取り
 組んだ。

 しかし今やAIの時代である。AIはデータだけでなく方向まで提
 示してくれるから、人の力では到底対抗することができないステー
 ジにまで進化してしまった。 
 だからAIを使いこなせない私は、今度は「そんなに年寄りでも大丈夫ですか?」と言われそうだ。

 だけどね、結局のところ企業は「ヒト」なんです。
 テーマを与え、動機付けをし、問題を一緒になって解決することを繰り返さないと、本当の実力は身に付きませ
 ん。
 だから年寄りでも、まだまだ出番はあると思いたいです。
 
6.11b
 新橋演舞場の「熱海
 五郎一座
」の公演チ
 ケットは、いつもの
 ように昼食付きの桟
 敷席を、手術が決ま
 る前から取ってあっ
 た。

 だからこれに行くま
 でに、体力を回復さ
 せようというのが、
 ひとつの目標になっ
 ていた。

 「熱海五郎一座」は、
 本公演が11回目。 そのほとんどを見に行っている。
 今回のゲストは、羽田美智子と剛力彩芽の二人。 羽田のボケ役と、剛力
 キレキレのダンスが、私の気持ちをかなり和らげてくれた。 
6.11a  
 手術が終わって、背中にあった麻酔のチューブが外され、橫腹に刺さって
 いたドレインも抜かれた頃から盛んに言われ始めたのは、「水を飲め」、
 「歩け」ということだった。

 点滴で水分は補充されていたのに、その他に水を毎日1.5リットル飲め
 と言われて、「お~いお茶」を飲み続けた。
 そして赤かった血尿が、だんだんと白く変わっていった。

 歩くのは、治りを早くするためだという。
 だから、点滴のスタンドを引きながら、病院の4階の廊下を歩いた

 最初に歩いたときなんか、衰えていた筋肉が刺激されたので、太ももが
 ビリビリ震えた。
 そして「院内フリー」となり、1階の売店にも行かれるようになった。

 今日はあずさに乗ったわけだが、いつもは心地よい眠りを誘われる振動
 が、苦痛で仕方がなかった。 全快までにはまだ時間が必要だ。
6.10
 入梅。 雨が降っています。
 写真は「夫婦(めおと)」です。

 ヘソの下にできた長さ13センチに及ぶ傷には、「マイク
 ロポア」というテープが貼られているから治り具合は分か
 らないけれど、腹に力を入れても軽い痛みを感じるくらい
 になりました。

 尿道には、まだカテーテルを入れているような感覚が残っ
 ていて、尿意が突然やって来ます。
 でも尿漏れは全くなく、まあ順調な快復ぶりだといえます。 
6.9b
 野菜作りに戻るべく「5年連用ダイアリー」を見ていたと
 ころ、去年は5月のうちにアスターを植えてあった。

 急いで農協に行ったら、まだ苗が全色残っていたので、2
 本ずつ買ってきて植えた。
 
 さつまいもの苗も60本植えたから、明日の雨に向けて絶
 好のタイミングだと言えるだろう。

 身体を動かす努力をしなければいけないから、自走機を使
 って草刈りもしたけれど、さすがにもうフラフラだ。  
6.9a
 車庫の裏側に、茗荷が植わっている一角がある。

 これを刻んで鰹節と醤油をかけて食べれば美味しいのだろ
 うけれど、私はこの手の灰汁があるものが苦手だ。

 やがて根元から茶色の花が芽を出すが、これを食べた感触
 は木っ端を噛んでいるようだから、やはり食べたいとは思
 わない。

 「茗荷を食べると物忘れをする」と言われているが、どうや
 らそのことに根拠はなさそうだ。  
6.8

 家のまわりにある木の中で、一番古いのはこの「しゃごめ
 だとおじいさんが言っていた。

 子どもの頃はこれをべていたから、まだその味が口の中
 に残っている。

 今の子どもたちは、こんなものをべなくてもいっぱい
 べるものがある。

 それが幸せなことかどうかはわからないけれど。 
6.7
 

 朝、家人にさつまいもをどうするかと訊いたところ、作るという答えだったので、慌てて管理機で畑を耕した。
 このあと玉ネギを吊しに来る長女夫婦に、畝作りを手伝ってもらおうという魂胆だった。

 さつまいもは、去年「蔓返し」という栽培方法を教えてもらったから、太った芋作りに挑戦します。
 
6.6b
全身麻酔のときには、呼吸も止まってしまうなんてことを知らなかった。

全身麻酔で眠りに入ると、一般に、それまで自分でしっかりとしていた
呼吸が弱くなり、さらには無意識のうちに呼吸をしなくなります。
全身
麻酔で意識がない間は、麻酔科医が人工呼吸を行います。 呼吸バッ
グで必要な酸素や吸入
麻酔薬を送りはじめます。 さらに、次の「気管
管」へと進みます。
気管チューブと呼ばれる、太さ1センチほどの管を、口から声帯を通り
気管まで入れる手技が「気管挿管」です。
             (福山市民病院のホームページから)

麻酔が覚めてまわりから聞こえてきたのは、「終わりましたよ」という女
性の声。
 そのときに感じた違和感は、「喉がいがらっぽかった」ことだったけれど、その理由は、上記のようなことが行わ
 れていたからなのだろう。

 
病室に帰ってきてから、喉に絡んだ痰を切りたかったけれど、腹筋が切られていたので痛くてできず、それも苦し
 さのひとつだった。
 
6.6a
 20日大根は、文字通り種を蒔いてから20日間で採取す
 ることができます。

 今年の春に撒いた20日大根は数本しか芽が出なかったか
 ら、そのあと新しい場所に種を蒔いておいたのです。
 それがこんなに育って、今が食べ頃です。

 野菜は、ただ形があればいいというものではなく、その野
 菜がいちばん美味しいという食べ頃というのがあります。
 今のキュウリがそうで、刻んだもの鰹節をかけて、お醤油
 で食する美味しさは、とても言葉では表現することができ
 ません。

 この20日大根には、ラディッシュを2種類混ぜて撒いた
 から、それらも含まれています。

 
6.5
 無事退院することができました。

 事前にいただいた、入院と手術の10日間のプロセスをそ
 の通りのスケジュールでこなし、主治医に「100%!」
 と言わしめたところです。

 とにかくよくを飲まされました。
 昨日、カテーテルを抜いたあとの尿漏れが心配されて、尿
 パットを当て続けていたわけですが、夜中も含め一度もも
 れることがなかったので、余った尿パットは病院に寄付し
 てきたのです。

 ところが今日の夕方、オシッコをした後に気がついたのは、
 便器の手前に「水たまり」ができていることでした。
 あれ?尿意と排尿のタイミングがずれてしまっているぞ。 

6.4b

 朝の回診時にばっこう(傷口を医療用ホッチキスで閉じたのでその針を
 抜き去ること)し、カテーテルを抜いたので束縛されるものがなくなり、
 手術以来初めて自由の身となれた。 

 問題は最初のオシッコ
 前立腺を取る前のようにつかえることがなく、血尿も混じっていなくて、
 尿漏れも全く見られず、容器に300ccがほとばしり出た。

 「退院後に何か気をつけることがありますか?」と主治医に訊いたとこ
 ろ、「ビーバー(刈払機)くらいならいいよ」との答え。
 先生ねえ、野良仕事の中では草刈りがいちばんきついの。

 そんなわけで、明日の午前中に退院することになりました。 
6.4a
 北京の天安門広場では、民主化や政治改革を求め、連日、デモや抗議活動を
 行う学生らがどんどん集まり、やがては100万人規模にまで膨れ上がって
 いきました。
 最高権力者の鄧小平は戒厳令を敷き、
人民解放軍を投入。一歩も引かない学
 生らとの間で、一触即発の雰囲気となりました。
 そして、あの
6月4日がやってきたのです。

 日本へ留学中の私は、神戸大学大学院に入ったばかり。
天安門の動きは、テ
 レビや新聞、中国の知人からの手紙などでつかんでいました。
 3日の夜からは、「いよいよか」という緊縛した状況となり、私たちは、ずっ
 と放送を続けていたデレビの前に陣取り、徹夜で見守っていたのです。

 
4日未明、惨劇が始まりました。解放軍が放った銃弾に学生らは次々と倒れ
 ていった。
 おびただしい血が流れましたが、正確な犠牲者の人数は今も分かっていませ
 ん。
 怒り、悲しみ、衝撃……。涙がこみ上げてきて、茫然自失になりました。一
 体何が起きたのか?これは夢じゃないのか?

 
人民解放軍を名乗る軍隊が母国の若者たちに銃を向け、命を奪ったのです。そ
 のときは分かりませんでしたが、犠牲者の中には、私が中国で民主化運動を
 やっていたときの知り合いもいました。「アイツも、アイツもやられたんだ」と、1年くらい後になって私は知ら
 されたのです。

 あの日、鄧小平の
兇弾に斃れ、若い生命と青春の夢を無残に奪われたのは、自分たちの同志であり、自分たちの
 仲間だった。

                 「敵は祖国・中国」  石 平   「ワック株式会社」からいただきました。
 
6.3  
 担当の看護婦(師)さんは昼と夜で入れ替わり、担当外の方も必要に応じて顔を出してく
 れるから、この入院の期間に、何人もの方たちと関わったことになる。

 「患者は何人くらい担当するのですか?」と訊いたところ、1回の勤務で9人から10人
 くらいを担当しているという。
 その中には気難しい患者もきっといることだろう。

 私は冗談を言いながら接しているから、ある看護婦(師)さんなんか、「いい人だよ」と
 次の人に引き継ぎをしてくれたみたいだ。

 でも確実に「相性」というものはあって、こんな閉鎖的な環境の中でさえ、人間関係の
 複雑さを感じたところです。 
6.2
 「骨盤底筋トレーニング」が始まった。

 これは、膀胱を支える骨底底筋が手術によって脆弱化するために、尿漏れしやすくな
 るから、事前にそして退院後も、筋力を鍛えるトレーニングに取り組もうというもの。

 具体的なトレーニングの方法は、肛門の筋肉を繰り返して締めるというものだが、そ
 れができているかを確認してもらっても、その筋肉は動いていなかった。
 
 なぜそうなってしまうかだが、肛門だけを締めずに、オシッコを我慢するという動作
 と一緒にやってしまうからだった。

 何回か繰り返しているうちにコツがわかり、上手にできるようになりました。 
6.1d
 今日「院内フリー」の許可が出た。 
 病院は家族も患者との「対面不可」だから、面会に来るこ
 とができず、したがって頼み事もできない。

 まだ切開したところが痛いなどでよちよち歩きだが、売店
 にスポーツ新聞を買いに行きたかった。 
 日本ダービーの日だ。

 私はいつも穴狙いだから、一番人気のを軸にして券を
 買うことはほとんどないけれど、皐月賞で展開不利だった
 ため勝てなかったクロワデュノールを応援したかった。

 三連単の一着流し。二着から五着までのどのが入っても
 OKでした。
 
6.1c  
 今は野菜がいちばん生長する時期で、野菜の種類ごとに剪定しなければならない。
 そこで私は、それぞれの剪定のポイントをA4用紙1枚にまとめて置いてきた。
 長女が送ってくれた写真を見ると、野菜たちはみんな順調のようです。

6.1b  
 私が家にいないけれど、家族が総
 出で玉ネギの収穫をしてくれてい
 る。

 昨日雨が降ったから来週になるの
 かと思っていたのに、駒ヶ根はよ
 く晴れているようだ。

 実際に見たわけではないけれど、
 今年の玉ネギは丸々と太っていそ
 うだ。

 病室のベッドの上で、不安定な姿
 勢で書いているから、これだけの
 文字を入力するのに、ずいぶん時
 間がかかっている。
6.1a
 入院中に読む新書と文庫を5仕入れておき、入院するときに3
 け持ってきた。
 入院当日は何もすることがないので一読んでしまい、その夜は眠ら
 れなかったのでもう一も読んでしまった。

 だから、家人が手術の立ち会いに来るときに残りの2を持ってきて
 もらったのだが、手術が終わったあとなんか、目で文字を追う気力な
 どない。
 だから、テレビの画面を眺めていることになる。

 家で見るテレビは、ほとんどが録画をしておいたものだから、CM
 とばして見るのが常だった。
 だからこの、民放の中のCMの多さにあきれかえっている。

 でも今日は、大谷の2本のホームランを生で見ることができたし、あ
 したはパソコンで「Mリーグトーナメント」を通しで見ることができるから、ダメなことばかりでもないか。