企業の経営と運営全般について、何かお困
 りのことはありませんか?
 現場主義に徹した、より具体的な改善指導を
 提供します。

 23年間の経験と実績と、時代の変化に即応
 した現実的な手法の提案を、ぜひご活用くだ
 さい。

 
  企業のお医者さん  森 田 勝

  ★ 利益を生み出す
プロセス改善を実行します。

  ★ モノ作りの
現場改善で生産性と品質を向上させます

 人を育てることにより、企業の戦力のレベルアップを図り
   ます。

 経営の役に立つISOマネジメントシステムを社内に構築
   します。

  ★仕事のムダを発見し、それを取り除く対策を実行します。

  
 
          万年青                2月 5日  更新
 
   
おもとは漢字で万年青と書き、めでたい植物、縁起の良い植物として、古くから珍重されてきた伝統的
多年草です。
慶長11年に徳川家康公がおもとを床の間に飾って江戸城に入城したという故事は有名です。
おもとがいつ頃から日本に自生していたかは定かではありませんが、約500年くらい前より長い年月
をかけて育種改良を重ねてきた歴史があります。
おもとの魅力は葉姿や色彩、葉芸の変化です。四季を通じて緑を保ち、葉芸が年ごとに変化して美しく
成長していきます。この点がおもとを育てる醍醐味といえるでしょう。   (「おもとの豊明園」から)


あと あと のあと 2023年 2月


   あの娘に贈ろうこのケーキ 夢で逢うときほほえむ娘
   お菓子をいつも手に 虹の橋を渡る
   ぼくの大事なこいびと 夜明けと一緒に消える人
   ヤイヤイ ヤイヤイ あの娘といつの日語るだろ
   ホッホッ ホッホッ マロンの香りがただよう娘
   ひとりのはかない夢だけど 明日を生き抜く希望なのさ
   ぼくの大事なこいびと あの娘に贈ろうこのケーキ

   あの娘にあげたいこのケーキ 虹を呼ぶよにほほえむ娘
   夜ごとに夢で逢う 可愛いあの娘だけど
   歳も名前も知らない お菓子が好きだとわかるだけ
   ヤイヤイ ヤイヤイ あの娘にいつの日逢えるだろ
   ホッホッ ホッホッ チェリーによく似た可愛い娘
   ひとりのはかない夢だけど 明日を生き抜く希望なのさ
   歳も名前も知らない あの娘にあげたいこのケーキ


                         「お菓子の好きな少女」  詞:川端 茂  曲:山屋 清
  
 
2.8
 バブル時代は一度書いてみたいと思って
 いました。

 株や土地の値段がぐんぐん上がってゆ
 く。その
熱狂の真っただ中で、上昇気流
 に乗った人たちの物語です。

 登場人物は中堅の証券会社の福岡支店に
 勤める若い人たち。業績を上げて、憧れ
 の東京に出てくる。さらには海外で富裕
 層のファンドマネジャーになることを目
 指します。

 
バブル時代は光を浴びすぎたあとに急に
 萎むイメージがありましたので、転落で
 はなく、突然の
崩壊の話にしようと思っ
 ていました。青春残酷物語です。

 
 「女性の痛みを抱きしめ 小説で抗う」
  サンデー毎日 2月19-26日号から

 桐野夏生さんは1951年生まれだから、私よりも1歳若いだけ。それなのにいつも小説で描いているのは若者
 の世界だ。
 そして主人公は決まって不幸な境遇にある人たちばかり。だから今までも読む度に気持ちはブルーになっていく。
 
2.7
 茅葺きの屋根からしたたる水が、何本もの氷柱(つらら)
 を作っていた。
 子供の頃の冬は寒かった。

 何歳のときだったかもうわからないが、茅葺きの屋根だ
 け取り外して瓦屋根にしたのだが、天井を張るだけのお
 金がなかったようで、祖母と寝ていた座敷には、雪が舞
 い込んできたものだった。

 戸外と部屋とを仕切っていたのは障子戸1枚で、障子
 に空いている穴からは、寒風が吹き込んできた。

 今の生活からはとても想像することはできないが、手足にあかぎれをこさえながら、よく乗り切ってきたものだ。
 
2.6
 フランスの名匠フランソワ・オゾン
 が、「スイミング・プール」の脚本
 家エマニュエル・ベルンエイムの自
 伝的小説を基に、
安楽死を望む父親
 に翻弄される娘の葛藤を描いた人間
 ドラマ。

 ユーモアと好奇心にあふれ、生きる
 ことを愛してきた85歳の男性アン
 ドレ。
 脳卒中で倒れ身体の自由がきかなく
 なった彼は、その現実を受け入れら
 れず
安楽死を望むように。
 人生を終わらせるのを手伝ってほし
 いと頼まれた娘エマニュエルは、父
 の気が変わることを願いながらも、
 合法的な
安楽死を支援するスイスの協会に連絡する。父はリハビリによって徐々に回復し、生きる喜びを取り戻し
 たように見えたが……。    
                           (映画.com)

 若い頃のソフィー・マルソーが好きだったから、それをきっかけにしてフランス映画を何本か見たものだった。
 この作品を見ようと思ったのも、ソフィー・マルソーに会いたいからだったけれど、56歳になる彼女は、いい
 歳のとり方をしていた。

 安楽死というよりも、死ぬ権利を認めて欲しいのだが、これを飲めば確実に死ねるという薬があったなら、今な
 ら飲めると思ったことが、私にも何回かあった。              (新宿 武蔵野映画館 にて)
 
2.5b

 「カーリング・日本選手権 女子」はロコ・ソラーレが優勝し、世界選手権(3月・スウェーデン)の切符を手に
 した。
 今回は予選から見られる試合は見ていて、あたりまえのようにロコ・ソラーレを応援していたから、決勝戦は手
 に汗を握る展開だった。

 先月グランドスラムで優勝し達成感を味わってしまったあとで、モチベーションを維持するのが大変だっただろ
 うし、連戦の疲れもあっただろう中で底力を示してくれた。

 ノルディックスキーW杯ジャンプ女子個人第17戦は、伊藤有希、丸山希、高梨沙羅の日本勢が、なんと表彰台
 を独占した。
 この土日は、スターダムをPPVで、新日本プロレスの北エール連戦をネットとCSで見ていたから、ジャンプ
 は最後の部分だけしか見られなかった。

 なによりも、丸山希が2位に入ったのが嬉しい。それは一昨年の試合で転倒し重症を負った瞬間を生放送で見て
 いたからだ。
 その結果オリンピックを棒に振ったけれど、こうやって戻ってきてくれたわけだ。
 
2.5a

 芝を、去年長めに刈っておいたため、空気が乾燥している
 のと相まって、勢いよく燃えてくれました。

 舜クンの足元にいるハムスターは、彼が溺愛している「ち
 くわ」という名前です。

 ハムスターは夜行性なのに、昼間にかまわれていて寝かせ
 てくれないので、可哀想ではあります。

 このあと、火が迫ってきたので、慌てて拾い上げました。 
2.4  
 昨日、お隣のご主人が自分の家の南天の剪定をしているのを見て、今年もそんな時期が来たのだと思い、昨日の
 夕方と今日の午前中、私も自宅の周りの南天を剪定した。

 誰かに教わったというわけではないが、私の剪定のコツは、徹底的に1本仕立てにし、できるだけ新しい枝に入
 れ替えること。

 この方法が正しいかどうかは分からないけれど、毎年たくさんのを付けてくれます。
 
2.3 
 厚さ2.5㎝と8mmの冊子を重ねて「レターパック ライト370」に
 入れてポストに投函したところ、「厚さが3cm以上です」という付箋
 が付けられて、戻ってきてしまった。

 厚さ3cm以内という条件は知っていたが、これくらいは許されるので
 はないかとの甘い認識だった。
 郵便局に持っていったところ、専用のゲージがあり、それを通ることは
 なかった。

 それではこれを小包の扱いにして、ここに送付状を貼りたいと申し込ん
 だところ、郵便局の局長さんはどこかに問い合わせていて、「レターパ
 ック
」という文字を全部見えなくしてくれればいいとのことだった。
 その理由は、「レターパックとして扱われないことを明確にする」とい
 うものだった。

 郵便局の局員さんたちは、「レターパック ライト370」に表示されて
 いる14箇所の「レターパック」という文字を、テープを貼って隠して
 くれた。

 若干「お役所仕事」という感じがしないわけではなかったけれど……。
 
2.2
 今週の「週間朝日」に、「一球の記憶」と題して、宇都宮茂さんが書いた
 江川卓の記事が載っている。

 まずは1984年のオールスター戦。
 8連続三振を奪ったあと、江夏豊の9連続三振を超えるために、10連続
 振
を取ろうとしたというのだ。
 つまり9人目のバッターに振り逃げをさせれば、記録上は三振となるから、
 10人目のバッターから10個目の三振を奪う計算だったという。

 しかし、振り逃げを狙ってワンバウンドを投げて、捕手がパスボールしたら
 可愛そうだと思い、カーブを打たれてセカンドゴロになってしまった。

 次は1981年の日本シリーズ最終戦。
 投手が最後の玉を捕って日本一になった例は一度もなかったから、それを狙っ
 て内角高めにストレートを投げ、願いどおりピッチャーフライで試合終了になった。

 しかし本人は、神様にライナーを要求したのにフライだったから、神様はフライが上がる時間を僕に楽しませて
 くれたのかもしれませんと語っている。
 当時は「怪物」と呼ばれていたけれど、まさに凄いピッチャーだったわけだ。
 
2.1
 1966年6月に日本武道館で行われた「ザ・ビートルズ」来日公演。
 その開催までの道のり、
ビートルズが日本の音楽界に与えた影響などを、
 さまざまな証言から検証していくドキュメンタリー。

 わずか8年足らずの活動ながら、世界中を熱狂させ、今なお高い人気を
 誇る「
ザ・ビートルズ」は、1966年6月に初来日を果たし、6月
 30日から7月2日、計5公演のライブが日本武道館で開催された。

 
ビートルズ武道館公演はどのようにして実現したのかを、当時の裏側を
 知る、
ビートルズ担当ディレクターらスタッフや関係者の証言で検証。
 
ビートルズが日本音楽界に及ぼした影響を考察。当時の貴重な映像と、
 総勢50人以上の証言から、日本における
ビートルズ史をひも解いてい
 く。
                    (映画.com)

 東京は文化的環境が満たされているのに、観客4名だけというのは淋し
 いね。               (立川髙島屋S.C.館 にて)