2.8 |
 
バブル時代は一度書いてみたいと思って
いました。
株や土地の値段がぐんぐん上がってゆ
く。その熱狂の真っただ中で、上昇気流
に乗った人たちの物語です。
登場人物は中堅の証券会社の福岡支店に
勤める若い人たち。業績を上げて、憧れ
の東京に出てくる。さらには海外で富裕
層のファンドマネジャーになることを目
指します。
バブル時代は光を浴びすぎたあとに急に
萎むイメージがありましたので、転落で
はなく、突然の崩壊の話にしようと思っ
ていました。青春残酷物語です。
「女性の痛みを抱きしめ 小説で抗う」
サンデー毎日 2月19-26日号から
桐野夏生さんは1951年生まれだから、私よりも1歳若いだけ。それなのにいつも小説で描いているのは若者
の世界だ。
そして主人公は決まって不幸な境遇にある人たちばかり。だから今までも読む度に気持ちはブルーになっていく。
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2.7 |
茅葺きの屋根からしたたる水が、何本もの氷柱(つらら)
を作っていた。
子供の頃の冬は寒かった。
何歳のときだったかもうわからないが、茅葺きの屋根だ
け取り外して瓦屋根にしたのだが、天井を張るだけのお
金がなかったようで、祖母と寝ていた座敷には、雪が舞
い込んできたものだった。
戸外と部屋とを仕切っていたのは障子戸1枚で、障子紙
に空いている穴からは、寒風が吹き込んできた。
今の生活からはとても想像することはできないが、手足にあかぎれをこさえながら、よく乗り切ってきたものだ。
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2.6 |
フランスの名匠フランソワ・オゾン
が、「スイミング・プール」の脚本
家エマニュエル・ベルンエイムの自
伝的小説を基に、安楽死を望む父親
に翻弄される娘の葛藤を描いた人間
ドラマ。
ユーモアと好奇心にあふれ、生きる
ことを愛してきた85歳の男性アン
ドレ。
脳卒中で倒れ身体の自由がきかなく
なった彼は、その現実を受け入れら
れず安楽死を望むように。
人生を終わらせるのを手伝ってほし
いと頼まれた娘エマニュエルは、父
の気が変わることを願いながらも、
合法的な安楽死を支援するスイスの協会に連絡する。父はリハビリによって徐々に回復し、生きる喜びを取り戻し
たように見えたが……。 (映画.com)
若い頃のソフィー・マルソーが好きだったから、それをきっかけにしてフランス映画を何本か見たものだった。
この作品を見ようと思ったのも、ソフィー・マルソーに会いたいからだったけれど、56歳になる彼女は、いい
歳のとり方をしていた。
安楽死というよりも、死ぬ権利を認めて欲しいのだが、これを飲めば確実に死ねるという薬があったなら、今な
ら飲めると思ったことが、私にも何回かあった。 (新宿 武蔵野映画館 にて)
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2.5b |
 
「カーリング・日本選手権 女子」はロコ・ソラーレが優勝し、世界選手権(3月・スウェーデン)の切符を手に
した。
今回は予選から見られる試合は見ていて、あたりまえのようにロコ・ソラーレを応援していたから、決勝戦は手
に汗を握る展開だった。
先月グランドスラムで優勝し達成感を味わってしまったあとで、モチベーションを維持するのが大変だっただろ
うし、連戦の疲れもあっただろう中で底力を示してくれた。
ノルディックスキーW杯ジャンプ女子個人第17戦は、伊藤有希、丸山希、高梨沙羅の日本勢が、なんと表彰台
を独占した。
この土日は、スターダムをPPVで、新日本プロレスの北エール連戦をネットとCSで見ていたから、ジャンプ
は最後の部分だけしか見られなかった。
なによりも、丸山希が2位に入ったのが嬉しい。それは一昨年の試合で転倒し重症を負った瞬間を生放送で見て
いたからだ。
その結果オリンピックを棒に振ったけれど、こうやって戻ってきてくれたわけだ。
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2.5a |

芝を、去年長めに刈っておいたため、空気が乾燥している
のと相まって、勢いよく燃えてくれました。
舜クンの足元にいるハムスターは、彼が溺愛している「ち
くわ」という名前です。
ハムスターは夜行性なのに、昼間にかまわれていて寝かせ
てくれないので、可哀想ではあります。
このあと、火が迫ってきたので、慌てて拾い上げました。 |
2.4 |

昨日、お隣のご主人が自分の家の南天の剪定をしているのを見て、今年もそんな時期が来たのだと思い、昨日の
夕方と今日の午前中、私も自宅の周りの南天を剪定した。
誰かに教わったというわけではないが、私の剪定のコツは、徹底的に1本仕立てにし、できるだけ新しい枝に入
れ替えること。
この方法が正しいかどうかは分からないけれど、毎年たくさんの実を付けてくれます。
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2.3 |
厚さ2.5㎝と8mmの冊子を重ねて「レターパック ライト370」に
入れてポストに投函したところ、「厚さが3cm以上です」という付箋
が付けられて、戻ってきてしまった。
厚さ3cm以内という条件は知っていたが、これくらいは許されるので
はないかとの甘い認識だった。
郵便局に持っていったところ、専用のゲージがあり、それを通ることは
なかった。
それではこれを小包の扱いにして、ここに送付状を貼りたいと申し込ん
だところ、郵便局の局長さんはどこかに問い合わせていて、「レターパ
ック」という文字を全部見えなくしてくれればいいとのことだった。
その理由は、「レターパックとして扱われないことを明確にする」とい
うものだった。
郵便局の局員さんたちは、「レターパック ライト370」に表示されて
いる14箇所の「レターパック」という文字を、テープを貼って隠して
くれた。
若干「お役所仕事」という感じがしないわけではなかったけれど……。
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2.2 |
今週の「週間朝日」に、「一球の記憶」と題して、宇都宮茂さんが書いた
江川卓の記事が載っている。
まずは1984年のオールスター戦。
8連続三振を奪ったあと、江夏豊の9連続三振を超えるために、10連続三
振を取ろうとしたというのだ。
つまり9人目のバッターに振り逃げをさせれば、記録上は三振となるから、
10人目のバッターから10個目の三振を奪う計算だったという。
しかし、振り逃げを狙ってワンバウンドを投げて、捕手がパスボールしたら
可愛そうだと思い、カーブを打たれてセカンドゴロになってしまった。
次は1981年の日本シリーズ最終戦。
投手が最後の玉を捕って日本一になった例は一度もなかったから、それを狙っ
て内角高めにストレートを投げ、願いどおりピッチャーフライで試合終了になった。
しかし本人は、神様にライナーを要求したのにフライだったから、神様はフライが上がる時間を僕に楽しませて
くれたのかもしれませんと語っている。
当時は「怪物」と呼ばれていたけれど、まさに凄いピッチャーだったわけだ。
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2.1 |

1966年6月に日本武道館で行われた「ザ・ビートルズ」来日公演。
その開催までの道のり、ビートルズが日本の音楽界に与えた影響などを、
さまざまな証言から検証していくドキュメンタリー。
わずか8年足らずの活動ながら、世界中を熱狂させ、今なお高い人気を
誇る「ザ・ビートルズ」は、1966年6月に初来日を果たし、6月
30日から7月2日、計5公演のライブが日本武道館で開催された。
ビートルズ武道館公演はどのようにして実現したのかを、当時の裏側を
知る、ビートルズ担当ディレクターらスタッフや関係者の証言で検証。
ビートルズが日本音楽界に及ぼした影響を考察。当時の貴重な映像と、
総勢50人以上の証言から、日本におけるビートルズ史をひも解いてい
く。 (映画.com)
東京は文化的環境が満たされているのに、観客4名だけというのは淋し
いね。 (立川髙島屋S.C.館 にて) |