弾や矢を
  受けてください
 



 計画担当の指示通りにモノが作られていなかったから、妥協せずに徹底させて下さいと言って私は帰った。そして2週間後にお邪魔した。しかし、状況は前と全然変わっておらず、ほとんどの計画が未達であったり遅れたりしていた。
 
 計画通りに生産されなかったことよりも、そうならなかった原因がひとつもわかっていないことが問題だと私は言った。計画の担当者は、計画通りにモノを作るのは現場の仕事なのではないかと答えた。私はそうではなく、計画担当が踏み込まなければ問題は解決しないと言った。
 
 組織としての部門が形成され、業務の任務が分担されていると、なかなか相手のテリトリーに踏み込もうとはしない。問題解決のための論議をしていても、他部門のことになると突然曖昧な表現になってしまう。それは内容がわかっていないというのではなく、どこかに遠慮の気持ちが出てしまっているからだ。自分の任務だとは思っていないのかもしれない。
 
 今回のケースも、単純な分担論で仕分けると現場の責任である。しかし、大きなくくりで捉えると、その会社全体の問題なのである。だから、誰かが一歩踏み込まないと問題は少しも解決はしない。では誰が踏み込めばいいかであるが、私は本当に困っている人がアクションを起こせばいいと思っている。
 
 計画に対して生産が未達でも、明らかに遅れていても、現状では現場は困っていないのである。困るのは計画担当、これでは営業との約束を守れないではないか。こういうことは、下流に近いポジションでないと実感としてわからない。だったらもっと飛び込んで欲しいのだ。
 
 そうすると、前方から弾や矢がいっぱい飛んでくるだろう。それを逃げないで受け止めていただきたい。血が流れたら自分の痛みとして感じ、決して被害者にはなって欲しくはない。問題を自分にぶつけると、そこからは愚痴は出てこないし、できない理由なんか思い浮かばないのである。
 
 その日から計画担当は毎日現場に出掛け、管理者とひとつひとつの進捗を詰め始めた。なぜそうなってしまつたのかを明らかにし、一緒になって原因を究明している。原因がわかればあとはしめたもの、具体的な対策は一緒に考えていけばいい。弾や矢の痛みをきちんと受け止めて、それらをムダにしない動きをとっていけば、ひとつひとつが必ず結果という形になって現れてくるのである。
 
                                       (2002.4)