体質の違いは
 何に起因
  するのか



 この連載を読んでいただいた企業から、いろいろなアクションが寄せられているが、その多くは、一度工場を見て欲しいというものである。「IT化」により、情報のやりとりが非常に便利になった。連絡をいただく前に、私のホームページに目を通していてくれるから、訪問したときも、すぐに核心の部分に入っていかれる。スケジュールなどのやりとりもすべてメールを使っているから、相手との間隔は、あまり距離に関係なく身近なものになっている。
 
 そういった企業におじゃまして気がつくことがいくつかある。ひとつは、工場をきちんと運営され改善も進んでいる企業ほど、現状に対して危機感を持っているということである。逆に、「いい加減に何とかしようよ」と私が切実に思い、決して小さくないエネルギーを注いでいる会社ほど、いつも受け身で、依存心ばかり目に付き、なかなかその気になってくれない。しかし、冷静になって考えてみると頷ける部分はある。伸びている企業は、常に現状に満足していないからこそ、一定のレベルまで登りつめているのだ。そしてさらに、こうやっているうちもどんどん前に進もうとしている。
 
 もうひとつは、同じ日本の国内であっても、企業間の体質の差がかなり顕著になっているということ。組織はひとりひとりの個人の集合体であり、社員個人に能力があれば、必然的に会社全体の実力も伴ってくると思われがちであるが、実態はその逆であるということ。会社という傘があって、その傘の大きさによって、そこに働く社員の体質も決まってしまっているのである。同じサラリーマンなのになぜこれほど体質に差があるのかというほど、ひとりひとりの意識と行動に差がついてしまっている。逆の言い方をすると、サラリーマンであるが故に差がついてしまうのではないだろうか。
 
 私は、個人の基礎能力にはそんなにも差はないはずだと思っている。要は、それを活かすだけの環境なり条件を提供できているかどうか。トップがリーダーシップを発揮し、全社員の方向付けをしているか。そして、具体的な目標を与え、実行するための動機付けを行っているかにかかっている。したがって、企業の持っている体質の差が、そのまま社員の行動の差となって現れてしまっているのである。
 
 異質な物を受け入れることができることも実力のうちである。私は、意識して、現実とは価値観の異なる提案を最初にしてみることがある。そして、相手の反応を見ながら、次に提案する具体的な内容のレベルを決めようとしている。力のある会社の社員は、私の言うことを否定しない。反発しない。できない理由を最初から言わない。まずは自分の中に受け入れ、そこで咀嚼した物を吐き出してくれる。それは見事なまでに、私の提案を補強する形となっている。
 
 今、当面のターゲットにすべきライバルメーカーがあるとする。そのメーカーは、ちゃんとした理由があって、どこかの部分が優れているから自分たちよりも上位にいるはずである。そして、常に現状に対する危機感を持っているから、さらにどんどん前に進んでいってしまう。となると、私たちはその何倍ものエネルギーをかけなければならない。スピードだってもっと早めないと、追い越すどころか、追いつくことさえおぼつかなくなってくる。
 
 いくら経済不況だといっても、ある特定の分野の産業がすべてなくなってしまうわけではない。多少の変動はあるにしても、どこかの企業は必ず生き残るのである。その中の1社に入らなければならないから、今を踏ん張らなければならないのだ。
                                        (2001.2)