「先生」と
 呼ばないで
  ください



 私が会社におじゃまして改善活動を始める前に、必ず約束していただくことがある。それは、私のことを、「先生」と呼ばないで欲しいということだ。なぜならば、あるときは私が「先生」であり、またあるときはみなさんが「先生」であるのではないかと思うからだ。
 
 広辞苑をひもとくと、「先生」について、
  ① 先に生まれた人
  ② 学徳のすぐれた人
  ③ 学校の教師 
  ④ 指導的立場にある人の敬称 
  ⑤ 他人を、親しみまたはからかって呼ぶ称
と解説してある。できれば早く④の立場になりたい。一方では、⑤のからかいを除いた関係も魅力的だ。たいしたことではないと言われるかもしれないが、こんなことに私は拘りをもっている。
 
 問題を解決し結果を出すために、私は一定の方向をもって具体的な提案をするが、そこにいたるまでの実態把握から現状の分析まで、みなさんに教えられることによってはじめて構想を組み立てることができる。そして、決して対等の立場にはなれないけれど、最初から一定の距離を隔てるのではなく、私がみなさんの中に飛び込んでいきたいからと、わがままを聞いていただいている。だから、どの会社においても、私のことを「森田さん」と呼んでくれる。
 
 もうかなり前のことであるが、あるコンサルタントの先生に私が紹介した会社に入っていただいたことがある。往復の電車の切符を手配しなければならないからと、電話で出発地を尋ねたところ、その方は「グリーン車で手配していただきたい」と言われた。私はそのときなぜか違和感を感じた。そのときに感じた違和感を、今度は私自身にぶつけている。自分がお金を払うのなら、どんなクラスに乗ったっていい。しかし、お客さんの費用として支払いが発生するものに、グリーン車を指定することはできない。飛行機のビジネスクラスかエコノミークラスかの選択も同じことである。私は、あえてエコノミークラスを指定する。今どき、会社の役員だってビジネスクラスには搭乗できない。
 
 いつも、その会社の社員ではないことはわきまえている。物事はできるだけ客観的に捉え、決して渦中の人になってはならない。ただ、立っている位置は、一緒に活動を進めるみなさんと同じ場所にいたい。そこから生まれる発想を大切にしたい。言い換えるなら、現場で発生している「事実」をベースにして考えたい。こんな私のポリシーを貫きたいから、「先生」と呼ばないでいただいている。

                                        (2001.3)