リミッターを
     はずせ



 サラリーマン時代の私を振り返ってみると、そのときは全力で課題に取り組ん
でいたと思っていたことも、どこかでリミッターを利かせていたことに気付く。もち
ろん意識してリミッターを働かせていたわけではないが、毎月決まった時期が来ると給料を貰えるという立場が、どうしても守りに入らせていた部分があったよう
だ。
 
 その人の能力、特に潜在的に保有している部分については、他人の目からは推し量ることはできない。ひとりひとりの社員が全力を発揮してこそ、その集合体である企業の業績がプラス方向に転じることになるのに、それができていないということは極めてもったいないことである。ではどうすれば潜在的な能力まで引き出すことができるのだろうか。  
 各企業は、能力給を導入したり、実績を反映させた年俸制を導入している。それはそれで一定の効果はあるにしても、完全な出来高払いに比べたらまだまだ甘えの入り込む余地はある。だからといって企業の中の社員に対して完全な形の出来高払いを取り入れることはできない。なぜならば、企業には役割分担があり、社員の意志でその立場にいるとは限らないからである。したがって、今与えられた職位なり部門において能力を発揮することが必要になってくる。
 
 しかしながら、リミッターをはずすキーを持っているのは個人でしかない。外部からの働きかけに対して気持ちは動かされることはあっても、最終的にキーを差し込むことができるのはその人自身でしかないのである。教育を実施し、課題と目標を与え、日々フォローするだけでは、潜在的な能力の部分にまではなかなか踏み込んではいかれない。それらはいずれも与えるといった手法でしかないからである。だとしたなら、逆の発想として、個人個人が考えていること、思っていても普段はとても表現できないから心の奥の方に閉じこめていること、そういった本音の部分を引き出す機会を持てないものだろうか。今までは「わがまま」として封じ込められていた部分を受け止め、そこから今の業務を考えてみるのである。トップダウンでもなくボトムアップでもない、言い換えるならば組織の中における「個」のテリトリーから発想してみるのである。
 
 自動車にはスピードが一定以上出ないように、ガソリンの噴射を押さえるリミッターがついている。スピードが制限されなくなると、普通の運転手ではコントロールできなくなるばかりか、車体そのものの耐久性の限界を超えてしまうからである。企業においてはこのリミッターを越えてもいいような条件を生み出してみた
い。つまり、社員個人が自分自身を規制している枠を自らがはずすことができる条件作りをしたいのである。変わり続けなければ企業の存続はあり得ないといわれて久しいが、ひとつのテリトリー内での変化だけでなく、もっと価値観までをも変えるような変革をしないと、もはや生き残りはおぼつかないと思うからである。 
 
                                       (2002.5)