結果が
   出ないと
       辛い



 「ムダ取り3年、ヒト8年」という言葉が、ある雑誌の広告欄に載っていた。重いシステムの「ムダ取り」には3年かかり、それを動かす「ヒトの心の革新」には8年かかるとの注釈が、そこには添えられていた。
 
 私も、企業におじゃましての改善活動を3年のスパンで考えている。1年目は思想(考え方)の統一をし、2年目は手法を学び、3年目で初めて結果に結びつく実践に取り組める。物事は簡単には進まないから、そのくらいの地道さが必要であり、決して華やかなものでもないから、あまり焦ってはいけないと、自分に言い聞かせてはいる。しかし、今までの何倍ものスピードが要求される時代である。これは時間がかかると思いながらも、一方では早く結結果を出そうと焦っている私がいる。
 
 「森田さんに人事権をあげます」と、ある会社の社長は言ってくれている。改善を進める上で障害になるヒトがいたら、いつでも担当を変えてくれるのだそうだ。先方はそれくらい真剣に取り組んでいるのであり、そう言ってもらえる私はたいへん幸せではある。「もし私がそのヒトにダメだというレッテルを貼れば、御社では生きていく場所がなくなるということなのでしょう?」と訊くと、「その通りです」との答えがあっさり返ってくる。それならなおさら簡単に「だめ」とは言えないではないか。
 
 確かに、最終的にはヒトの差である。たまにしかおじゃまできない私が、すべてをフォローできるはずがない。私が提案する内容をきちんと実践に結びつけてくれるのも、いち早く受け入れてくれて自分のものにしてくれるのも、結局は私以外のヒトである。ただ、そんなことを言っていたら私の仕事は成立しない。
 
 「自分でやった方がよほど早いのになあ」などと、私が思いはじめたらもうおしまいである。簡単にはできないから、こうやって私が頼まれているのだと思わないといけない。この職業は、「うぬぼれ」がいちばんの敵である。「私はきちんと提案したのに、先方が実施できなかったで幕をを引いてしまうことは許されない。実施できないのは、私のリードの仕方に問題があるのだと思っている。だから、現実をしっかり見極めた上で、いろいろな角度から多種多様の問題提起を、今日もこうやってしているのです。
                                        (2001.5)