書くことと
  行動すること



 私が今就いている仕事は6つ目の仕事である。職種もいろいろ変わってきた
が、別の言い方をすると所属する会社が6つも変わったということだ。私が社員を採用する立場の場合、履歴書の職歴が3社以上にもなっていると、「この人が会社に来てもすぐに嫌になるのではないか」と決めつけ面接の対象にすらしなかった。職場に定着できないとなると、いくら教育をしても意味がないから、できるだけ長く努めてもらえそうな人を求めるようになっていた。そういった視点から見ると私の職歴などひどいものである。
 
 本誌「工場管理」と出会ったのは約20年前、私がある製造業の会社に就職したときが最初である。私がその会社の立ち上げに参画したわけであるが、見るもの聞くもの初めてのことばかりで戸惑っていたころ、光明を見いだすもとになってくれたのが本誌であった。ときは高度成長の真っ只中、毎年設備が増強され生産高は倍々ゲームで拡大していった。ものをいくら作っても間に合わず、大ロット生産での効率を追求していた頃である。
 
 やがて日本経済は円高の時代に突入、親会社からは頻繁にコストダウンの要求が出され、これにどうやって追従していこうかというときに、「工場管理」誌の中の記事が役に立ったのである。別冊の特集号は何回も読ませていただき、職場の勉強会の資料にさせていただいた。本誌の中に書かれている記事について
も、自分たちの抱えている問題と密着する内容であった。毎月の発行を心待ちにし、それこそむさぼるようにして読んだものである。「工場管理」誌は、私にとって「モノ作り」の分野でのバイブル的な存在であった。
 
 そんな私の手の届かない場所にいた「工場管理」誌に、こうやって連載をさせていただくなんてことはそれまで考えられなかったことであり、たいへん光栄なことであると思っている。この間いつも私が思っていたことは、「私の記事が品位を落としてしまうのではないか」といったことである。反面、私が初めて手にした当時の誌面を構成していた、たくさんの泥臭い改善事例をなんとかして提供することができないものかと、そればかり考えていた。もしかすると当時と今とでは時代背景が違うのかなという不安を常に抱えながら、なんとかして「中小企業のあえぎ」みたいなものを表現したかった。
 
 月に1度原稿を入稿することはたいへんな作業である。原稿をまとめて送付し一息ついているとあっという間に翌月の締め切り日がやってくる。改善事例を現在進行形で掲載していくという方法をとっているため、連載のスピードに改善のスピードがついてこない。やむおえずいろいろな工場の事例を取り上げるかたちになる。そうするとどこかで一貫性を欠いてしまうことになり、テーマの内容が少しも進展しない。このようなジレンマと常に対面していなければならなかった。
 
 工場の改善事例を記事にするとなると、当然その工場の責任者の承認を得なければならない。となると、あまり生々しい内容のことまで書くことはできないし、数字にしても当たり障りのないものしか発表できなくなる。書き上げたものの修正を指摘されるのが怖いから、自然と自己規制をしてしまうことにもなる。新聞や雑誌の事件記者ではないし、社会問題を究明するための記事ではないから、真実まで表現することはしなくてもいいが、どうしても記事の与えるインパクトは弱いものになってしまうのではないかとの危惧を、ずっと拭い去れないでいる。
 
 といったような悩みを抱えながら、なんとか1年間の連載が続いた。書くためのテーマを生み出すためには行動をしなければならないし、書くことにより次の行動の質を高めなければならないように、私にとっていい意味でのペースメーカーの役割を果たしてくれた。「行動から意識が発生し、その意識を行動によってまた正していく」これは私の第3詩集の巻頭言である。それを今回の連載活動に置き換えると、「行動から書くことが発生し、書いたことを行動によってまた正していく」ということなるのだろう。  
                                                          (2002.1)