本当のことが
    言える



 いろいろな人たちにお会いする機会が増えている。そして、業種やジャンルや相手の立場についても、きわめて広範囲なものとなってきている。サラリーマンの時代は、いつも会社の看板を背負っていた。お会いする人たちの見方も、私個人として捉える部分は少なく、いつも「○○会社の部長さん」としての接し方をされていたと思われる。いいにつけ悪いにつけ会社の肩書きが先行してしまうため、たとえ相手の腰が低かったとしても、私個人の実力とは何の関係もなかったわけ
だ。
 
 独立して開業し、こうやって企業の業務改善のお手伝いをさせていただいているわけではあるが、今までのような会社の肩書きがないということは、私を「守ってくれる」組織がなくなってしまったことを意味している。今は、個人イコール仕事の展開そのものであり、相手がおべっかいを使ってくれるわけでも、適当なところで妥協してくれるわけでもなく、私と私を雇ってくれる企業との関係はシビアなものである。なによりも数字としての結果を出さなければ、私の存在価値はない。だから常に手を抜かない、全力投球の毎日が続いている。
 
 私にお会いしてくれた人が一様に驚かれるのは、私が「若い」ということである。年齢に比べて見た目が若いということもあるが、この職業からイメージする平均的な年齢に比べて、私の持つ雰囲気が若いというのである。いくつか例を挙げると、会社を初めて訪問したときに、担当者が私の目の前で本社の重役と電話でやりとりをしていた。会話のニュアンスから察するに、「そんなに若くて大丈夫か?」と言われているようだった。東京でお会いした女性のジャーナリストは、私が杖をついて来るのではないかと予想されたそうだ。つい先日おじゃました会社でも、もっとおじいさんなのかと思っていたようである。 
 
 別に年齢が仕事をするわけではないが、いろいろな経験がものを言う世界ではある。これといった経験に乏しい私が心がけることといえば、まず相手の話をよく聞くことである。お話をお聞きしながら、そして具体的な数字も示していただき、現場を自分の目で見る中から、その会社の実態を把握していく。そこに至るまで
は、軽はずみに知ったような発言はしないことにしている。なぜならば、職種も業態も違い、働く人の現状に対する認識も違っている以上、一般論として問題を捉えるだけでは、なかなか具体的な展開に結びつけていくことが難しい。そして何よりも、改善を成功させるためには、そして結果を出すためには、どんな方法が一番合っているのかを、十分私自身が咀嚼する必要があると思うのだ。
 
 だから、私が一番うれしかったのは、「森田さんには本当のことが言える」と言われたときであった。では、いつもは本当のことを言っていないのかということになるが、現状の状態がわかっていればわかっているほど体面にこだわるあまり、触れられたくない部分をどうしても隠そうとする気持ちが働いてしまう。それはある程度無理がないことだ。しかし、お医者さんが問診したり、体を手で触診した
り、あるいは検査データーを採取したりして、病気の本当の状態を探ろうとするように、私としても、事実を包み隠さず教えていただくことが、これからお出しする処箋の質を左右させていくのだ。
 
 サラリーマン時代には味わうことのできなかった質の充実感に浸ることができることがある。逆に、四六時中いろいろなテーマが頭の中を駆けめぐっており、よほど上手に気持ちの切り替えをしないと、とかく滅入ってしまいがちでもある。しか
し、ありがたい仕事をさせていただいていると、感謝の気持ちでいっぱいである。この感謝の気持ちを、私がお世話になっている会社に対して実績でお返ししていきたい、そんな気持ちがさらに強くなってくる今日この頃である。
 
                                      (2001.11)