動機付けをする



 ある人を自分の思うように動かしたい場合、望ましいのは相手の同意を得ることである。そのための手段としてはいろいろな方法が考えられる。たとえば、理解してもらうまで説得する、頭を下げてお願いする、金銭などの報酬を約束することなどだ。しかし、いずれも確実な方法だとは言えない。したがつて、会社組織は人を確実に動かす方法として「命令」というものを考え出した。
 
 会社のような組織において人を動かしたい場合は、説得や話し合いではなく上司は部下に対してすべて「命令」をもって行うということである。部下はその内容に不満があっても上司の「命令」には従うこと。その「命令」を拒否することはもちろん不満だからと言って手抜きをしたりだらだら進めたりしてはいけないこと。なぜならば、「命令」とは責任を取らなければならない立場の人の判断だからである。
 
 これが、私が勉強した組織論の一部分であるが、それは組織論としては正しいかも知れないけれど、この方法で本当に人が活かされかどうかはまた別だと思っている。いちばん大きな問題としては、上司の「命令」の妥当性と客観性とがあるが、ここではそれらは問題ないものとして進める。要は、組織を構成するあらゆる階層の人たちが、いかにやる気になって持っている力を十分発揮してくれる状態を作り出すかということである。表面づらばかり整えたり、くさってしまったり、挙げ句の果てには陰で上司の批判ばかりしている。こんな社員がいる会社は伸びるはずがないし、何よりも社員本人たちにとっても不幸なことだ。
 
 そこで「動機付け」をすることが必要になってくる。動機付けをする上でいちばん大切なことは、今から取り組むことの目的を明確にしてあげること。そのためにはきちんとした現状の把握が必要になってくるし、はっきりとした上司としてのビジョンを提示しなければならないはずだ。
 
 人は、本当に納得しないと自ら進んで行動を起こそうとはしない。どこかに根強い疑問点がある場合は、それを取り除いてやらない限り新しい発想は受け入れてくれないものだ。その人が持っている潜在的な問題意識と噛み合ってこそ、初めてひとつの方向性が見えてくるのである。潜在的な問題意識にまで踏み込むことができるか、そしてその上に立った新しい方向付けをすることができるか、ここのところが勝負だと思っている。
 
 だから、私は活動をスタートさせるにあたっては、そして軌道に乗るまでは、さらには結果が伴うまでは、その部門のメンバーに、これから取り組むテーマの背景と目的を徹底して説明するようにしている。そんな場合、こちらから問題提起をしてもなんにも反論が出ないときは、本当にわかっているのかどうか不安でならない。メンバーのみなさんからいろいろな疑問点がいっぱい出されるようになってくると、やっと問題が具体的になったのだと受け止めている。活動を一過性のものとはさせずにその会社の実力として定着させるためには、一方的な押しつけではなく、納得した上で行動を起こすことが必要だと思っているからである。
 
                                        (2002.3)