たてまえの品質、 きやすめの品質 |
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品質マネジメントの国際規格ISO9001は、顧客の立場に立
った第三者機関が、その会社に品質管理のための仕組みが構築され ていることを検証することが、認証のための条件になっている。い くら自分たちできちんとした運営をし、それが完全であったとして も、ISOというライセンスは手にすることができない。そうなる と、誰もが共通のレベルで確認することができる「客観的な証拠」 が必要になってくる。つまり、「検査をしていました」と主張して も、「ではその証拠を提示してください」と言われてしまうのだ。 工程で不良が発生したとする。その場合不良を発見した部門か
ら何らかの帳票が発行され、責任部署にそれが回されていく。責任 部署は不良が発生した原因を究明し、再発をさせないための対策を 講じるのであるが、この帳票の流れそのものがISOでは主人公に なってしまう。そうすると、そこに不良が発生したという事実に目 が向かず、対策の可否を判断する人をいかにして納得させることが できるかといった、つまり作文のうまい下手が対策の優劣を決める といった、おかしな方向に向かってしまうのである。 ISO9001の性格としては、改善の取り組みがなされていれ
ば、品質のレベルに対して基本的にはとやかく言われることはない。 工程で、出荷検査で、そして市場でたくさんの不良が発生していて も、それはほとんど問題にされることはなく、要求事項に整合した 品質マニュアルが制定されており、その内容の通りに仕事が進めら れていることが重要視される。そうなると、検査をすることは不良 を発見することが目的であるのに、検査をする行為が目的になって しまう、つまり手段が目的になるというよくありがちな過ちを犯し てしまうのである。 購入した部品を受け入れたときに、その部品に対しての検査を行
っている。それではそこでどのくらいの不良を発見しているのかと いうと、毎日やっていてもほとんど見つけられていない場合がある。 そこでの発見率よりも、その部品を使って組み立てをする工程で発 生する部品の不良の方が、はるかに高い不良率を示していることが 多い。つまり、受け入れ検査が機能していないのである。だいたい 抜き取り検査でばらつきの不良を発見できるはずがない。ここでは、 検査をするという行為が行われていることから、何もしないよりも ましだ程度の認識で、精神的に安心感を得ているにすぎない。 マウンター(自動機)でチップ部品を基板に搭載している工程の
例である。正しい場所に正しい部品が打たれているかどうかを目視 で検査している。まあそれはそれでいいとしても、連続生産で、生 産条件が何も変わっていないのにもかかわらず、小刻みな目視検査 を折り込んでいる。その工程で不良が発生する場合はどのような要 因があるのかを訊いてみた。すると、部品が切れたので次のものを 供給するときに、誤って違う部品をセットしてしまうことがあるの だという。だったら、その作業をする場合のチェックの方法を考え るべきなのではないのか。その目視は、拡大鏡を使ってICの極性 と抵抗の値を確認していた。では、部品に定数の表示がされていな いコンデンサについては、絶対にセットのときの間違いがないとで も言うのだろうか。 特性要因図とか、バレート図とか、ヒストグラムだとかいった品
質管理上のツールは、確かに解析の手段としては有効かもしれない。 ただ問題なのは、すべてが事後処理であり、それも不良が発生した ときからかなり時間が経過していて、ひどいものになると1ヶ月分 をまとめて集計していたりする。つまり、現場で実際に不良が発生 しているのにそれが現行犯で逮捕されず、したがって有効な対策が とられていないのではないかということである。 私が提案しているのは、不良が発生したらその場で関係者を招集
し、不良の現物を目の前において原因の究明をし、その場で考えら れる対策を立てなさいというもの。したがって、関係者はそのこと に対する判断ができる人でなければならないし、前後の工程のプロ セスをきちんと理解していることが要求される。まずはその場でで きる対策を実施し、その場では判断できないものについては、担当 と期限を決め再度招集するようにする。そこで決まったことを、そ の場で文書に記録すればいい。つまり、帳票が部門間を渡り歩くこ とはないということになる。 受け入れ検査は、ただ漫然とやるのではなく、焦点を絞って実施
すべきである。たとえば初回納入品については全数について確認す るとか、工程で不良が発生したものについては、次の納入時に細部 にわたってチェックを折り込むなどの方法をとりたい。もちろん、 部品メーカーがきちんとした対策を実施し、良品のみが納入されて いることを前提にした上での処置である。 ISOだけを悪者にしてはいけないが、ISOが日本に入ってき
た頃から、品質に対する対処の仕方として建前論がはびこりだした。 同時に、どう見ても気休めにしかならないような、事実をないがし ろにした方法がよしとされる風潮がある。システムを構築しても、 システムそのものは何ら問題を解決してくれないように、現場主義 に徹したもっと泥臭い品質向上活動が、今こそ推し進められるべき なのではないか。 (2003年5月) |