コンサルタントは ISOの審査に 立ち合ってはいけないの? |
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先日、私が品質マネジメントのシステム作りをお手伝いした会社
のISO9001の登録審査が行われた。朝やってきた審査員は、 コンサルタントは審査には顔を出さないようにとおっしゃられた。 その会社の社長がそのときはとりなしてくれて、審査の場には立ち 合ってもいいことにはなったが、一切の発言をしないようにと釘を 刺された。 私がISOをきっかけにして企業に入り込んでいく場合、必ずそ
の次のステップを見据えている。その企業がライセンスとしてのI SOが欲しいだけだったら、私はその仕事を請け負うことはしない。 なぜならば、私の場合はISOに経営改善のツールとしての役割を 持たせているから、ISOが企業にとって役に立つものにならなけ れば、取得の意味をなさないと思っているからだ。 私がISO関係のお手伝いをするために企業を訪問した場合、ま
ず担当の方(多くは管理責任者)のその日の予定をお聞きする。そ して、日常の業務としてやらなければならないことがあればそれを 優先していただき、その合い間の時間を私に割いて貰うようにして いる。それは、ISOのために仕事が中断してはならないし、その 背景としては、ISOを特別なものとして位置づけたくはないと考 えているからだ。 私自身がそのようなスタンスを基本において臨んでいる結果とし
て、品質マニュアルは全部私が文書化するようになるし、帳票や基 準書の作成までも全部私が面倒を見るようになる。誰にも得意分野 があり、それを活かすことが最も効率がいい方法だと思っているか ら、自然とそういった形になっていく。特にISOの場合、独自の 言葉や表現やルールみたいな要素がいくつも存在している。それら を理解した上で作業に取りかかる方が、何も知らないで事に当たる よりも何倍も早く結果に結びつくことであろうから、その任に私が あたることになるのだ。 このような表現をすると、そんな方法を取ったのでは、その企業
自身のシステムにはならないのではないかとのご意見が出てくるの かもしれない。しかしそれは全然違う。ISOのシステム作りを要 求事項から入らずに、業務の改善から入っていこうとしているので ある。社員の皆さんと一緒に改善を進めた結果として品質マニュア ルをはじめとした文書類が出来上がるのであるから、社員の方は当 然システムのポイントは全て理解していることになる。問題は、そ れらの文書作りを誰がするかということになってくる。 要求事項にそったマネジメントシステムを整えるだけでも大変な
作業だ。専任のISO担当者を置けるのならそれでもいい。しかし ただでさえお金がかかると言われているISOだ。特に中小企業の 場合は専任者など置けるはずがないから、当然文書化の工数も生み 出すことができないことになる。それを、何かの仕事と兼任にさせ た管理責任者を任命し、その人に何から何まで押しつけようという 形になってしまうから、ISOそのものが「負担」になってしまう のだ。 だから、私が出来ることは全部私がやりますよとしゃしゃり出る
ことになる。管理責任者は、マネジメントシステムの全体像を把握 した上で日常の運営を担当してくれればいい。もし文書化する時間 が生み出せるとしたなら、本来の仕事をすすめてくれた方が会社の ためになるとさえ思っている。第三者的に、要求事項がこうなって いるからこれとこれを整えなさいと指示だけをするのならば、さほ ど労力を必要とはしないのだろうが、業務改善を進めるためには、 そのプロセスの全容を把握することが条件になってくる。だから、 ISOのシステム構築と認証取得には、私自身莫大なエネルギーが 必要になってくるのだ。 当然、登録審査や定期維持審査には立ち会い、指摘事項に対する
対応も手掛けることになる。ISOの取得はゴールでなくスタート だという捉え方をしているから、内部監査は監査員のみなさんと一 緒になって現場に入り込んでいく。マネージメントレビューは、経 営者と部門長との方針のすりあわせの場に口を挟み、目標の設定に も口出しをする。定期的に開催される品質会議や営業会議にも顔を 出し、その企業活動の方向付けや運営にもかかわり、その結果にも 一定の責任を持つ。 外部コンサルタントの私が、ここまで企業と一体になって活動し
なければ、なかなかISOを有効に機能させることが出来ないのだ。 このようなことを前提にして考えると、審査機関が実施する審査に 私が立ち合わないことの方がどう考えても不自然だ。「その会社の 役に立つISOにしていこう」というスタンスが審査員の側にもあ りさえすれば、私と噛み合うはずだと思うのだが、どうもそうばか りではないようだ。 思い上がりかもしれないけれど、ISOによってその会社が成長
しないのだとしたなら、その責任を取らなければならないのはこの 私自身なのだ。だから、審査に立ち合ってよりよいマネジメントシ ステムを追求していくくらいの権利はあっていいと思っている。残 念ながら、そのときの審査員とは名刺の交換もせず、2日間ひと言 の会話も交わさずに、審査会場の片隅でひたすら審査の記録を取っ ていた。 (2006年6月)
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