ここがヘンだよISO   

 

         旧友再会、私が高校を卒業してはじめに入った会社の当時の仲
        間たちと、桜の木の下で久しぶりに出会った。みんなそれぞれ貫
        禄が付き、いいおじさんとおばさんになっている。子育てが一段
        落した今、2年に一度ほど会って、青春時代に戻るひとときをお
        互いに共有している。
 
         私がこの職業に就いたことを知ると、自然とISOの話になりは
        じめた。メンバーの中で、直接ISOに関わりをもった人は少なか
        ったが、ISOに対する認識は誰もが同じようなものを抱いていた。
          @仕事がめんどくさくなる。
          A書類ばかりが増える。
          Bお金がかかる。
          Cいいことがひとつもない。
        ISOを仕事の中に取り込んでいると、なかなか表面切った批判は
        できにくいものであるが、何も関係のない彼らの指摘は、いたっ
        てストレートなものであった。そして、これぞまさしく、日本の
        ISOが抱えている問題そのものなのである。
 
         私がISO9001の取得をお手伝いさせていただいている運輸業
        の登録審査が目前に迫っている。通常、登録審査の3ヶ月前に予
        備審査があり、そのまた1ヶ月前に文書審査が実施される。文書
        審査では、品質マニュアルの表現が要求事項の内容を網羅してい
        るかがチェックされ、それに基づいて予備審査が実施される。予
        備審査はISOのシステムがきちんと出来上がっているかについて
        の確認であり、そこで指摘された項目を修正し、それに実績を積
        み重ねた状態で登録審査を受審するといったステップである。
 
         その登録審査の正式通知が送られてきた封筒の中に、品質マニ
        ュアルに対する指摘事項がまた入っていた。確か、「文書審査」
        は予備審査のときに終わったはずである。そこで指摘された20
        項目をクリヤーするために、品質マニュアルを全面改訂をした。
        その再度提出したものに対する指摘が、今回また27件もあった
        のである。内容は前回と同じようなものだ。違っていることとい
        えば、先方の審査機関の担当者が変わっていることくらいである。
 
         その運輸会社では、今まで「サービス」の質まで問うことはな
        かった。お客さんからのクレームがあるにはあったが、その場し
        のぎの対応で終わってしまっていた。つまり改善に結びついては
        いなかったのだ。今回のISOの取り組みでは、どんな小さなクレ
        ームでも拾い上げ、ひとつひとつの原因を浮き彫りにし、具体的
        な対策をみんなで考え実施しようと、よちよち歩きではあるが地
        道な活動がスタートしている。その結果、自分たちの仕事の進め
        方の善し悪しが、本当にわかるようになってきた。
 
         定期的に開催する品質会議では、それらの問題を 俎上にあげ、
        みんなが率直な意見を出し合い、いろいろな決めごとをしている。
        それらは少しも形式にとらわれていない。今できる最も有効であ
        るだろう対策をきめ、誰が何をするかまでそこで議論をして決め
        る。そこでは、「職務権限」みたいな発想は二の次で、まずはで
        きる人が行動しようとしている。参加者のひとりがしみじみおっ
        しゃった。「こういう話し合いが今までなかったのです」と。
 
         お客さんに対してアンケートをとることは誰にでもできる。し
        かし、この会社では、社員に対して「シートベルト」と「飲酒運
        転」の実態調査をした。プロのドライバーとしての当たり前の行
        動を、あえて検証しようとしているのである。その無記名アンケ
        ートに対して、社員のみなさんがまた正直に応えてくれた。こん
        な現象からも、会社が変わりそうな雰囲気をつかみ取ることがで
        きる。
 
         その会社の社長が「文書審査」の内容を見ておっしゃった。「
        指摘されたことはその通りだが、あまりにも私たちの現状の実態
        とかけ離れているのではないか」と。その会社は、文書表現の不
        備をはるかに超越したステージで、今や活動に取り組んでいる。
        社長が審査機関との温度差を感じるのも、無理のないことである。
 
         多くの場合、ISOの取得はゴールであるとの認識がある。した
        がって、取得するためにはなるべく指摘項目を出さないようにし
        たい。だから自然と問題を隠そうという意識が働く。指摘された
        ことも社内で十分咀嚼せず、そのまま受け入れればいいとい姿勢
        になりがちなものだ。こうなってしまうのは、受審側だけに問題
        があるのではないと思う。
 
         私が取得のお手伝いを依頼されたとき、「ISOを取るのだけだ
        ったらやりません。仕事の改善をめざすのでしたらISOを役に立
        つものにしましょう」とお答えした。ISOを取得して、会社の体
        質が改善され、その結果業績が向上しなければ、私の役割が果た
        せたとはいえない。ISOの認証取得を企業の業務改善のスタート
        にさせるのなら、取得した後も継続してお手伝いを依頼されるく
        らいでなければ嘘なのである。
 
         会社名だけを変えればいいようにされた品質マニュアルが、C
        Dロムに入れられて販売されているという。パッケージにされた
        システムをツールにして、認証取得を格安で請け負うコンサルタ
        ントがいるという。そして、整合性と文書の表現の領域から、少
        しも抜け出そうとしない審査機関がある。
 
         私が最も恐れるのは、日本の企業が、ISOによって意識や行動
        まで変わってしまいはしないかということだ。建前論や形式論が
        主流となり、現実を重視した品質対策ができなくなってしまうの
        ではないかということである。「心配しないでくださいよ。そん
        なにISOに依存してはいませんよ」そんな答えが返ってきても、
        それはそれでまた悲しいではないか。
 
                                        (2001年 8月)