ISOの
   トラウマが消えない


   

        私がISOの批判をするのはよくないことなのだろう。なぜならば、
       私の仕事の一部は企業にISOのシステムを導入することだから、IS
       Oが気に入らないのなら関わらなければいいのだ。どんな商売だっ
       て、これから販売しようとする商品をけなしていたのでは売り上げ
       が伸びるはずがない。だから、ISOに問題がいくつも潜んでいたと
       しても、何気ない顔をして規格要求事項にそったマネジメントシス
       テムを構築していればいいのだ。しかし、それができないから困っ
       ている。
 
        つい最近ある運輸業の会社がISO9001の登録審査を受審した。
       その会社は、何年か前に1994年版にチャレンジし中途で挫折した
       経緯がある。1年半におよぶ取り組みの結果、受審にまでたどり着
       けなかったという。社長の言葉を借りれば、「その間ひたすら文書
       を作り続けた」のだそうだ。
 
        トラックのタイヤの空気圧は、それを管理項目にすることに意味
       がないことではない。空気圧が基準より高くても低くても、重量物
       を積載していればなおさら運行に影響が出て来ることは、素人でも
       想像することはできる。しかし、その会社を指導したコンサルタン
       トの発想はすさまじいものだ。空気圧を仕業点検時に確認するくら
       いまではいい。それが平地と高速道路とでは条件が変わるから、そ
       こまで管理しなさいとなると話は変わってくる。つきつめていくと
       条件に合わせるように空気圧を上げたり下げたりするためには、測
       定する器具をトラック1台に1個装備し、高速道路に乗るときと下
       りるときに調節するためのコンプレッサーを、同じようにトラック
       ごと積載しなければならない。こんな非現実的なことも、「それが
       測定であり品質である」とおっしゃったのだそうだ。
 
        トラックが100台もある場合、その中の何台かが同じ運行ルー
       トをたどるというケースはほとんどないだろう。それに対して車両
       ごと規定を作るとなると、1台ごとの運行状態を細かく分析しなけ
       ればならない。通常の場合と何かあった場合とでは工程も所要時間
       も当然異なってくる。道路の混み具合なんか常に変化し続けている
       し、ときには雨や雪だって降ることだろう。そういったいろいろな
       場合を想定して、すべての車両の運行を細分化し、それを規定に落
       とし込んでいったのだという。ISO9001が日本に導入された初期、
       QC工程表を製品ごと作成したため、全社では何千枚にもなったと
       いう話を聞いたことがあるが、その会社も同じようなことをしてい
       たのである。
 
        その運送会社がISO9001に再度チャレンジすることになったの
       は、顧客からの潜在的な要求があったからだ。そしてその話が私の
       所に舞い込んできた。社長をはじめとするその会社のメンバーは、
       ISO9001に対して強い不信感を抱いている。私はなんとかしてこ
       れを取り除こうと思った。ISO9001だって、使い方によっては役
       に立ち、企業の経営改善のためのツールになることを証明したかっ
       た。そのために、審査機関も厳選して臨んだつもりであるが、ISO
       の壁は思っていたよりも厚く、乗り越えようとするのにはあまりに
       も高かった。
 
        全く同じ業態の会社がここにふたつあるとする。片方の会社が認
       証を取得したときの品質マニュアルを、もう一方の会社がそのまま
       使って登録審査に臨んだことを想定して欲しい。通常は何も問題な
       く審査が終了するはずであるが、ことISOの場合そうは問屋が卸し
       てはくれない。審査機関が異なるのならまだ理解できるとしても、
       同じ審査機関でも審査に来る人によっていろいろな解釈が生まれて
       しまうから始末が悪い。この例の場合、後で登録審査を受ける会社
       に対しては、いくつかの指摘事項が示されるであろう。そしてそれ
       を是正しない限り、認証されることはないのである。
 
        私の作成するマニュアルは、審査の事実経過の歴史である。審査
       員に指摘されるたびに内容を変えても、また次の審査のときには違
       った人から異なった指摘がなされる。今回はこういうことがあった。
       私の場合は、できるだけ文字の羅列をさけ、目で見てわかるような
       マニュアルにしたいために図や表を多用している。図や表には(図
       :1)とか(表:2)とかいった具合に番号をふってあるのだが、
       その図や表の下部に位置していた番号を、ある審査員は上部に位置
       させろというのだ。こんなことは個人の趣味以外なにものでもない
       と思うのだが、立場的に弱い受審企業は
われた通りに修正するの
       である。ただこの場合は、審査が終わったあと元に戻してしまった。
 
        オプションになっている予備審査を、お金がかかることを承知で
       審査機関にお願いするのは、企業の側は事前審査として位置づけて
       いるからである。大きな問題を予備審査でつぶしておき、できるだ
       けスムースなかたちで登録審査に臨みたいのだ。ところが、予備審
       査のときにはそれでいいと判断された問題が、登録審査のときには
       不適合事項になってしまった。そうなると、一定の期間内にそれを
       是正しない限り認証を取得することができない。これでは予備審査
       を前もって受ける意味がないではないか。
 
        この経済不況の中、中小企業が置かれている現実の環境とは全く
       別のステージで登録審査はなされる。そこで交わされる会話は、相
       も変わらず「規格との整合性」であり、「プロセスのつながり」で
       あり、「文書化されているかいないか」である。社長の心の中に深
       く根付いているISOに対するトラウマを、私の力で取り除くことが
       できなかったことが悲しい。
                                        (2004年10月)