戦いのルール

 

 大きな声じゃ言えないけどな

あの戦争の真っ最中に
学童疎開していた山形の宿で
眠つけない俺たちに先生が言った
灯火管制の暗く寒い夜
声をひそめてて小さい声で言った
 戦争っていうのは早く言やケンカさ
 大東亜戦争は大東亜大ゲンカ
 世界大戦は世界的大でいり。
俺たちはびっくりして先生を見た
俺にはその時先生の姿が
突然輝いて大きく見えた

先生には中々来なかったけれど
他の先生には次々に赤紙が来て
バンザイ、バンザイとみんなに送られ
どんどん戦場に旅立って行った
先生はあまりしゃべらなくなった

その頃俺たちはよくケンカをした
誰が決めたのでも命じられたのでもないが
俺たちのケンカには暗黙のルールがあり
それは相撲から来たものだった気がする
取っ組み合い投げ合い
最後はおさえこんで動けなくする
相手が泣き出すか戦意を失うか
そしたらそこで勝負は終わり
殴るとか蹴るとかそういうのは違法
違法した者は仲間はずれにされた

大人のケンカを初めて見たのは
東京池袋の廃墟の闇市
戦地から帰った予科練帰りの愚連隊と
十数人のやくざが棍棒で殴り合い
逃げ遅れた予科練はやくざに捕まって
俺の目の前でズブリと刺された。
予科練はたちまち抵抗を止めたが
やくざたちは棍棒でいつまでも殴り続けた
やっと予科練に反抗の意思がなく
仕返しの危険がないことを確認して
やくざたちはぞろぞろと引揚げていった
少年の俺は凍りついていた
俺の目の前に動かぬ体があり
その目と耳と鼻の穴から
ドクドク血が溢れ小さな流れとなり
やがて銀蠅がどこからかやってきて
その流れにワンワンとたかり始めたとき
俺は戦争を初めて見たと思った。
朝の池袋は陽光に溢れ
血の匂いだけがぷんぷん匂っていた

プーゲンビルから生き延びて帰った
伯父貴にある日その話をしたら
伯父貴はしばらく黙っていたが
そのうちボソリと小さく呟いた
何が原因で殺し合いをしたのか
その原因が判っててやったなら
そういう連中はむしろ羨ましい
わしらの戦場に理由なんかなかった
敵さんに個人的憎しみもなかった
あったのは常に悲しみと絶望
軍規と敵兵への絶え間ない恐怖
殺らなければ殺やられる
只それだけで
わしらは憎くもない敵と斗った
敵兵の体に銃剣を突き刺した
生き物にズブリと刃を入れるあの感触
噴き出す血を見てもよおす吐気
ナムマンダブツ
ナムマンダブツ
敵をヒトと思うな。けものと思え!
そこらに立っている藁人形と思え!

戦地と戦場の記憶について
伯父貴がしゃべったのはその一回きり
田舎に帰って畑を耕し
口数少なく伯父貴は死んだ
暗い顔のまヽ伯父貴は死んだ

(後略)